デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

7章 行政
1節 自治行政
3款 東京市長銓衡
■綱文

第48巻 p.269-270(DK480090k) ページ画像

大正4年6月22日(1915年)

是年二月、阪谷芳郎東京市長ヲ辞任シ、六月奥田義人市長ニ就任ス。是日、東京商業会議所ニ於テ新旧市長招待会催サル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第三二三号・第四七―四八頁大正四年四月 ○後任東京市長問題(DK480090k-0001)
第48巻 p.269 ページ画像

竜門雑誌 第三二三号・第四七―四八頁大正四年四月
○後任東京市長問題 前東京市長阪谷男爵辞任以来既に三旬、後任市長の前途尚ほ漠として果して何人が就任するや見定め兼ねたる形勢なり。之れに就て時事新報記者が青淵先生を訪ひて聞き得たる所なりとて、其の紙上に掲げたる問答体の全体の全文即ち左の如し
 行き悩んで居る市長問題の 紛紏を解く為めに、此際市の長老たる渋沢男爵を名誉市長に煩はして御大礼を済ませつゝ、徐ろに市会の統一するを待つより外は無からうとの説が漸く有力にならんとしてゐる事は、昨日の紙上に掲げて置いたが右に就て
△渋沢男の所懐 を聴くべく記者は(三月三十日)兜町の事務所に男爵を訪ひ『市長問題も容易に解決しさうにもないですが、此際閣下を名誉市長に推薦したいと云ふ説があるやうですが……』と云ふと老男爵は『頼みに来ればならん事もないが未だ誰れも頼みに来ないよハハ……』と笑つて更に語を続ける『冗談は廃して私は先づ御免だね、適当な人は他に沢山あらう、私は第一銀行を四十二年もやつて居るし、東京市の仕事としては
△養育院長を 四十幾年前からやつて居る、私は養育院の事には非常に趣味を持つて居て、一生涯養育院長をやつて居たいと思つてゐる市長になれば養育院長をやめなければなるまい、勿論養育院の方は誰か適当な人に頼んで市長をしてゐながら遠くからそれを眺めてゐてもよいが、市長などになるよりも養育院長の方が余程よい、私は今までいろいろ
△重要な事を 頼まれても大抵は謝絶して来てゐる、日本の市長などは政治家のする事だらう』と云ふ、記者乃ち『市長は政治家よりも市の長老たる徳望家に頼むのが真個ぢやないでせうか』と追かけて問ふと『それは倫敦などの市長は然うだらうが、東京の市長はさうは行くまい……』と語を切り、更に『市会の方では阪谷さんを逐出して置いて今になつて困つて居るのか……それならば
△も一度阪谷さん に頼んだら何うだ……』と笑つた、折柄給仕が自動車の準備が出来た事を知らせて来たので失礼して帰つた


渋沢栄 一日記 大正四年(DK480090k-0002)
第48巻 p.269-270 ページ画像

渋沢栄一日記 大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
六月廿二日 雨
○上略 十二時東京商業会議所ニ抵リ、阪谷・奥田新旧市長ニ対スル送別
 - 第48巻 p.270 -ページ画像 
会ニ列席ス○下略


竜門雑誌 第三二六号・第八一頁大正四年七月 ○新旧市長招待会(DK480090k-0003)
第48巻 p.270 ページ画像

竜門雑誌 第三二六号・第八一頁大正四年七月
○新旧市長招待会 東京商業会議所にては六月二十二日正午、新任東京市長奥田義人氏、前市長阪谷男爵を主賓とし、青淵先生・久保田府知事・伊沢警視総監、宮川・高橋・両助役を陪賓とし招待して午餐会を催せり、主人側出席者は同会議所正副会頭及び議員五十名にして、中野会頭の挨拶に対し、阪谷男・奥田氏の謝辞あり、終に青淵先生の演説ありて午後一時半散会せる由
   ○栄一演説筆記ヲ欠ク。尚、奥田義人市長就任ハ六月十五日ナリ。



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四五年(DK480090k-0004)
第48巻 p.270 ページ画像

渋沢栄一日記 明治四五年         (渋沢子爵家所蔵)
六月二十四日 曇 暑
午前六時起床入浴シテ朝飧ヲ食ス、矢野由次郎氏来リ阪谷氏ヲ市長タラシメントノ事ニ付種々ノ事情ヲ述フ、依テ明瞭ニ余ノ意志ヲ答ヘ遣ハス○下略
   ○明治四十五年七月、阪谷芳郎東京市長ニ就任ス。