デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

7章 行政
1節 自治行政
3款 東京市長銓衡
■綱文

第48巻 p.316-323(DK480094k) ページ画像

大正13年9月20日(1924年)

是月、永田秀次郎、東京市長ヲ辞任ス。是日栄一、市会全員協議会ノ依頼ニヨリ、市長候補者井上準之助ヲソノ邸ニ訪問シテ、市長就任ヲ懇請ス。井上辞退ス。

十月一日、栄一再ビ市会議員ノ依頼ニ応ジテ、市長候補者後藤新平ヲソノ邸ニ訪問シテ、市長就任ヲ懇請セルモ、後藤マタ受諾セズ。後、中村是公市長ニ就任ス。


■資料

竜門雑誌 第四三三号・第二―三頁大正一三年一〇月 私の接した最近の二大問題 青淵先生(DK480094k-0001)
第48巻 p.316-317 ページ画像

竜門雑誌  第四三三号・第二―三頁大正一三年一〇月
    私の接した最近の二大問題
                      青淵先生
○上略
      市長問題の成行
 永田前市長のやうな良市長を得たことを喜んで居たのに、遂にその辞職を見たのは残念である。田尻さんの後へ後藤さんが市長になられる時、私は大磯に避寒して居た処が、坪谷善四郎君が市会議員として来てこの相談を持ちかけた。それから柳沢議長とも会つて話しは順調に進んだが、当の後藤さんは他に仕事があるので中々受けなかつた。併し先づ都合よく就任して下さつて、その後が永田市長に代つた。私は後藤さんにはどうせ長く市長は御願出来ないと思つて居たので、永田さんに代つたのはなるべき様になつたのだと考へて、良い市長を得たと喜んで居たら、此度のことが起つた。其処で私も前の関係者として、柳沢議長・近藤副議長其他市会の人々の御依頼で、後任市長に当選した井上準之助さんと銀行倶楽部とか御宅とかで度々会見し、是非にと御願ひしたが、その希望は達せられないで、市会の熱心さも無駄となり、遺憾であつた。そこで又再び後藤さんにお願ひしようと云ふことになり、九名の議員の方が私に相談されたから私は賛成して、後藤さんをを訪ね、叮嚀に約二時間ばかり懇々と勧めて見たが、甚だ望み薄く感ぜられた。どうもお断りになりさうな模様である。以上は唯今即ち十月二日朝までの大体の経過であるが、斯様に市長問題が難関
 - 第48巻 p.317 -ページ画像 
に陥ることのあるに対して、私はその推薦の方法に改善を行ふ必要があると切に思つて居る、私は法律のことには素人であるが、東京市の市長難の一つは、市長が余りに仕事の寸尺をつめられて居るにあるのであつて、制度に欠陥があるからだと見て居る。故に市将来の事を考へて、今後は今迄のやうな物議の生じないやうに、制度の上に改正をせねばなるまい。また市会議員の多くは単に目前の自己の主張に勝を得ようとばかり努めて、市全体の為め協和して事に当るといふ精神が少ないやうな惧れはないであらうか。これは斯様な議員を選んだ市民の罪もあるが、議員諸君も市百年の大計を図る公職にあることを自覚し、目前の勝よりも道義的公共心に基いて進退せねばなるまい。如何に制度が整つても之を運用する之等の人々が適当でなければ何等の効果を齎さないのである。これは徒らに市会議員を罵るのでなく、真に東京市を思ふから云ふ訳である。
○下略


竜門雑誌 第四三三号・第三七頁大正一三年一〇月 青淵先生動静大要(DK480094k-0002)
第48巻 p.317 ページ画像

竜門雑誌  第四三三号・第三七頁大正一三年一〇月
    青淵先生動静大要
      九月中
十七日 東京市長後任問題に関し井上準之助氏と会見(東京銀行倶楽部)し、後柳沢東京市会議長等と会見(渋沢事務所)。
  ○中略。
十九日 東京市長後任問題に関し東京市会全員協議会(東京市会議事堂)に出席。
二十日 東京市長後任問題に関し井上準之助氏と会見(同氏邸)。


中外商業新報 第一三八三一号大正一三年九月六日 電気局長問題に絡り永田市長辞職(DK480094k-0003)
第48巻 p.317-318 ページ画像

中外商業新報  第一三八三一号大正一三年九月六日
  電気局長問題に絡り
    永田市長辞職
      馬渡・田島・吉田三助役
        も同時に辞表提出す
別項五日の東京市会で、永田市長の推薦した岡野昇氏が
 七票の差 で敗れ、前東京鉄道局長大道良太氏が当選したので、永田市長は市会散会後直に市長室に、柳沢・近藤市会正副議長を招致、辞職の決心を声明した後、更に三助役を招致して協議の結果、馬渡・田島・吉田三助役も連袂辞職することゝなり、直に十時内記課長をして芝公園の府知事官舎に宇佐美知事を訪はしめ、辞職の手続きをなさしめたが、なるべく六日中に内務大臣から
 辞職認可 のあるやう取計らはれたき旨をも通じた、右につき永田市長は語つて曰く
 自分は一電気局長の問題で辞職しやうとは全く夢想だにもせなかつた、しかし自分の推薦した岡野氏が市会で否決された以上、市長不信任の決議されたも同様であると考へて、即時辞職を決行した次第である、もつとも市会の雲行が険悪であると聞いたから、若し市会で岡野氏が否決される時は、辞職の外はないと覚悟はしてゐた、尤
 - 第48巻 p.318 -ページ画像 
も電気局長の選挙に対し岡野氏を推薦したのは全然自分一人の考で此点に就ては別に助役に責任がないのだが、三助役とも辞職すると申出たので、自分の辞表と共に直ちに知事に提出することゝした
とのみ多く語るを避けてゐた、市長及び助役が辞職したので、後任市長が決定するまで知事が市長職務管掌を任命するに至るべく、さきに
 田尻市長 の辞職した当時、東京府は時の内務部長大海原重義氏を市長職務管掌に任命したが、今度も百済内務部長の任命を見るであらう、なほ後任市長には震災後帝都復興事業その他政府の力にまつもの多く、従つて現内閣系の人を迎へて復興事業の促進を図らなければならぬ関係上、憲政会若しくは政友会系から選挙されるであらうが
 現在市会 の分野は、市正・新友会の両派は大体憲政系で、自治会は政友会及び旧国民党及び中立にて何れも過半数を制する能はず、後任市長選挙を機会に市会の分野にも相当離合集散を見るべく、従つて市長の決定までには幾多の波瀾を巻き起すべく、かつ相当時日を要するであらう
    市電気局長に大道当選
      五日東京市会で
東京市電気局長選挙を議題とする五日の東京市会は、局長
 候補者 に関し各派交渉に手間取り、定刻の午後四時に至るも容易に開会の運びとならず、永田市長の推薦した岡野昇氏を排し、大道良太氏を推さんとするもの優勢なので、かくては市長の進退に関する重大事に立至るからとて、市長擁護の立場にある自治会側は、各派交渉会席上で極力選挙の延期を主張したが、大道派があくまで選挙即行を主張し、決選の外なきに至つたので、午後七時に至り漸く開会、柳沢議長開会を宣し、直に
 △東京市電気事業担任の市参与選挙(局長選挙)に入り、投票
 立会人 は柳沢議長指名にて戸倉・島田・大崎・吉川四氏を選定した後単記無記名にて投票の結果、出席者総数七十六名中柳沢議長を除き投票総数七十五票にて
       当選  四十一票  大道良太
       次点  三十四票  岡野昇
大道氏七票の差を以て当選、同七時廿五分散会した、なほ大道氏を推したのは憲政系市正会及び新友会と新交会中鳩山一派で、大道氏擁立の裏面には真に大道氏を電気局長の適任としたものよりも、寧ろこれがため市長の不信任を間接に発表する結果となり、その辞職を予期して市長の推薦せる岡野氏に政略的に反対したものが多数であると


中外商業新報 第一三八四四号大正一三年九月一九日 井上氏を起たすべく 銓衡委員の大活動 後藤子は匙を投げ 渋沢子は慫慂快諾(DK480094k-0004)
第48巻 p.318-319 ページ画像

中外商業新報  第一三八四四号大正一三年九月一九日
  井上氏を起たすべく
    銓衡委員の大活動
      後藤子は匙を投げ
        渋沢子は慫慂快諾
東京市会の市長銓衡委員は、既報の如く市長候補を断つた井上準之助氏にあくまでけつ起を促すべく
 - 第48巻 p.319 -ページ画像 
 各委員 が十八日朝来手わけして後藤子・渋沢子・山本達雄男を訪ひ、井上氏が市長就任を承諾するやう再び尽力を懇請したところ、渋沢子は名誉職市参与の立場から帝都復興の大事業を控た東京市の現状は、真に大手腕ある好市長を要求して居るとの見解の下に再勧告を快諾し、十九日午後二時から開会の市会全員協議会に出席して、議員全部一致して井上氏を推薦する光景を目睹した上で井上氏と会見し、協議会の内容を説いて、市会が誠心誠意でその出馬を求めてゐるから是非とも二百万市民のためけつ起するやう極力慫慂することゝなつたが後藤子は井上氏に再勧告するための何か新しい理由でもあるかと委員連に質したが何等新理由のなきを知り、既に市会の代表者が二回にわたつて懇請したに拘らず拒絶した以上、再び努力するの余地なしと
 再勧告 を断り、山本男は後藤子程強い言葉を避けたが、気乗りのしない態度を示した模様で、既に後藤子・山本男等の井上氏昵懇者が斡旋を避けた以上、渋沢子は如何に努力しても九分九厘までは拒絶するものと見られて居る、何れにしても十九日の市会協議会後における渋沢・井上両氏の会見により最後の起否がわかる訳である


中外商業新報 第一三八四五号大正一三年九月二〇日 渋沢子迄出席し井上氏の承諾を懇請決議 市会全員協議会(DK480094k-0005)
第48巻 p.319-320 ページ画像

中外商業新報  第一三八四五号大正一三年九月二〇日
  渋沢子迄出席し
    井上氏の
      承諾を懇請決議
      市会全員協議会
東京市会全員協議会は、十九日午後三時半市会控室に開会、全員八十余名中僅に四十余名出席、柳沢議長から
 今日渋沢子爵が市参与の資格で協議会へ出席し、井上氏出廬のため御尽力下さることゝなつて居る
と報し、満場拍手裡に渋沢子出席の上、市会代表者の依頼によつて去る十五日井上氏と会見した顛末の報告があり、年長者島田藤吉氏は左の決議文を朗読し、これまた予定の如く全員一致で可決し、次いで柳沢議長は井上氏の出廬方に関し渋沢子の労を謝し更に今後尽力を懇請し同子快諾、次いで決議文をもたらして井上氏を訪問のため柳沢・近藤正副議長及び長谷川(自治会)・鎌田(新友会)・大石(市正会)片山(新交会)・小久江(十日会)氏等各派一名づゝの代表者を選出し、同四時散会した
 東京市会全員協議会は、井上準之助君を市長候補者として適任者と認め、満場一致を以て同君の承諾を懇望す
    再び井上氏と交渉
      熟考を促がす
別項十九日の東京市会協議会の決議をもたらして、柳沢・近藤正副議長以下各派代表者は、同夜十時麻布三河台町の井上氏邸を訪問会見し柳沢義長から
 曩に市長就任を懇請し、一旦拒絶されたが本日市会協議会で是非貴下が蹶起されるやう再考方を懇望して居る
と述べ重ねて市長たらんことを懇請し、なほ廿日早朝渋沢子の訪問が
 - 第48巻 p.320 -ページ画像 
ある筈であるから、是非再考の上市会の意を容れられたいと、るゝ陳述して、約三十分後一同井上氏邸を引あげたが、結局引受けさうにもない模様であると
    口説落しに
    井上氏を訪問
      二十日渋沢子が
別項十九日の市会協議会で井上氏口説き落としの重任を引受けた渋沢子は、廿日午前七時頃、麻布区三河台町の井上氏邸を訪問し、市会協議会の模様を述べて、復興の大事業に当面した東京市政の難局に立たるゝやう懇請し、井上氏が市長就任拒絶の理由たる経済聯盟の如きも今直に片付く訳でもないから、市長の職にあつて徐にその方の計画を進められたいと、極力井上氏の出馬を求める筈である


中外商業新報 第一三八四六号大正一三年九月二一日 井上氏断然拒絶 拒絶理由を発表す;井上氏の拒絶で市長銓衡逆戻り 廿四日委員会開会の筈;後藤子擁立の企もあり 市長銓衡混沌、何れ猛烈な争にならう(DK480094k-0006)
第48巻 p.320-321 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

中外商業新報 第一三八五七号大正一三年一〇月二日 渋沢子に頼んで、後藤子を口説く 両子は卅日午後会見したが後藤氏矢張不承諾(DK480094k-0007)
第48巻 p.322 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

中外商業新報 第一三八五八号大正一三年一〇月三日 予定の段取りで中村氏担ぎあげ(DK480094k-0008)
第48巻 p.322-323 ページ画像

中外商業新報  第一三八五八号大正一三年一〇月三日
    予定の段取りで
      中村氏担ぎあげ
 後藤子 が市長就任をキツパリ拒絶したので、同子を推薦した市会の自治・十日会両派は反対派に対しすこぶる苦境に陥り、かつ一面一般市民に対する責任の重大なるに鑑み、最早藤子の出廬が絶対に見込無きに至つたに拘らず体面維持のため、その真相を糊塗せんと藤子に頼んで一切新聞記者を遠ざけんとしたり、あるいは既報二日回答席上藤子が一般市民に対し市長就任辞退の理由を明かにして、二百万市民に告ぐといふ長文のステートメントを発表せんとするや、周章狼狽これが発表を阻止するなど、極端なる陋劣手段を弄するに至つたが、二日夜
 自治会 の近藤・小坂・松尾・吉田・尾後貫・安東・鈴木(弥)・長町・宇都宮・金子、十日会の本田・磯部・宮島・小久江・角野諸氏は後藤子邸を訪ひ、折柄後藤子不在のため邸内応接室に約二時間余待合せ、八時過ぎ漸く会見、長時間にわたり就任の懇請を繰返したが、到底辞意を翻へす見込なきより、本田氏は
 閣下が就任出来なければ然るべき善後策に就て御考へありませんか
 - 第48巻 p.323 -ページ画像 
と泣き込むや藤子は
 別にソンナ事は考へてはないが、然し諸君から善後策に就て頼まれれば別問題である
と斡旋の労を辞せざる色を示し、漸次予定の筋書たる中村是公氏担ぎ出しの問題に辿りついたが、当夜会見の内容は極秘に附して居るが、結局藤子に向ひ中村是公氏の出馬に対し尽力を懇請し、なほ新市長の
 御用党 たらしむべく最近成立した復興クラブの今後における活動等に関し協議し、深更に至り一同漸く辞去した、なほ後藤派の幹部は同夜伊東巳代治伯邸を訪ひ、後藤子出廬の説得役を頼まんとしたが果さなかつた模様である


中外商業新報 第一三八六二号大正一三年一〇月七日 中村是公氏就任を承諾す 六日後零時半 正式回答(DK480094k-0009)
第48巻 p.323 ページ画像

中外商業新報  第一三八六二号大正一三年一〇月七日
    中村是公氏就任を承諾す
      六日後零時半 正式回答
東京市会各派から出廬を懇請された中村是公氏は「自治の経験はないが、兎に角諸君の推薦を受けたのを光栄とし、慎重の考慮を重ねた上何分の回答をなすべし」とて、六日午後零時半を期し正式回答をなすことゝなつたが、いよいよ六日約束の時刻に中村氏は芝区高輪の私邸に柳沢市会議長を訪問し、柳沢氏及び近藤副議長と会見の上「市及び市会の現状について自分は相当心配してゐる、従つて一身上のことは顧みず、市長就任の推薦をお受けすることに致す」と承諾の旨を正式に回答して同一時辞去した


索引政治経済大年表 年表編 東洋経済研究所編 第五八九頁昭和一八年九月刊(DK480094k-0010)
第48巻 p.323 ページ画像

著作権保護期間中、著者没年不詳、および著作権調査中の著作物は、ウェブでの全文公開対象としておりません。
冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。