デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

7章 行政
1節 自治行政
3款 東京市長銓衡
■綱文

第48巻 p.323-327(DK480095k) ページ画像

大正15年7月1日(1926年)

是ヨリ先六月、東京市長中村是公辞職ス。

是日栄一、市長候補者伊沢多喜男ニ書翰ヲ送リテ市長就任ヲ懇請シ、且内務大臣浜口雄幸ニ説得ヲ依頼ス。二日、市会議員大橋新太郎ヲ、伊沢ノ旅行先熱海ノ宿所ニ派遣シテ勧誘ス。後、伊沢多喜男市長ニ就任ス。


■資料

索引政治経済大年表 年表編 東洋経済研究所編 第六一一頁昭和一八年九月刊(DK480095k-0001)
第48巻 p.323-324 ページ画像

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渋沢栄一書翰控 伊沢多喜男宛 大正一五年七月一日(DK480095k-0002)
第48巻 p.324 ページ画像

渋沢栄一書翰控  伊沢多喜男宛大正一五年七月一日   (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 其後ハ御疎情ニ打過候得共閣下益御清適之御事と遥祝仕候、然者突然玆ニ一書を以て懇請仕候ハ、目下東京市民一同之瞻仰致居候東京市長御就任之事ハ定而御迷惑之御義と恐察致し候へとも、既に市民全体之要望ニも有之候ニ付万一御拒絶とも相成候ハヽ東京市之将来如何相成可申哉と、老生等市民中之年長者殊ニ市内各種之社会事業ニも今尚ほ微力相添居候旁以別而憂慮罷在候、右ニ付而ハ昨今政府部内に於ても現ニ浜口内相杯ハ種々御心配之由にて、頃日来再三御内話致候処全然御同情被下切に閣下之御奮発を希望いたし候趣ハ今朝も其官邸ニ於て長時間対話致候義ニ御坐候、加之一般市民之状態ハ寸時も早くと市長之確定を翹望致居候、事情前陳之有様ニ付同志数名相会し唐突ながら老生より一書を以て敢而閣下ニ懇請仕候次第ニ候間、何卒切迫之事情御諒察被下此際枉而御承諾相成候様祈上候、右ニ付而ハ同志者申合せ玆ニ大橋新太郎氏総代として御旅行先まて拝趨仕候ニ付而ハ、当地之状況委曲同氏より御聞取被下偏ニ御聴容之程懇願仕候、尚相洩候義ハ大橋氏口頭より可申上候 匆々敬具
  大正十五年七月一日
                     渋沢栄一
    伊沢多喜男様
        侍史
 尚々老筆且取急候為め書不尽意之点多く且不文之段ハ御海恕被下度候 不宣


(増田明六)日誌 大正一五年(DK480095k-0003)
第48巻 p.324 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年       (増田正純氏所蔵)
大正十五年七月一日 水 午前雨後霽
                         出勤
午前八時半飛鳥山邸ニ参上したるニ、既ニ子爵ハ浜口内務大臣訪問の為め出掛けられたる後なりき、用件ハ過る六月 《(欠字)》日市会ニ於て市長の第一候補者ニ当選したる伊沢多喜雄氏《(伊沢多喜男)》カ、容易く之を受けさるを同大臣より説得せらるゝ様懇願の為なりと承はる、不相変東京市民と市政とに対し憂慮せらるゝ御精神寔ニ感激の至りなり
○下略


中外商業新報 第一四四九五号大正一五年七月三日 伊沢氏市長に就任受諾の決心 一週間各方面を観望して後藤長官と会見後;総督と長官と六時間の長談議 長官曰く四百万島民を如何 総督曰く二百万市民の為も(DK480095k-0004)
第48巻 p.324-326 ページ画像

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中外商業新報 第一四四九七号大正一五年七月五日 伊沢氏いよいよ市長就任を受諾(DK480095k-0005)
第48巻 p.326-327 ページ画像

中外商業新報  第一四四九七号大正一五年七月五日
    伊沢氏いよいよ市長就任を受諾
      けふ午後熱海から上京して
        正式の手続を踏む
熱海四日電話=川崎内務次官及び後藤台湾総務
 長官 は、何れも四日午前熱海来着、直に佐々木別荘に伊沢台湾総督を訪問、総督は先づ後藤氏から前日総督の命をふくみて、塚本翰長川崎次官・渋沢子その他との会見顛末について詳細報告を受けた後、川崎次官と会見、次官よりは浜口内相の意を伝へて懇々東京市長就任受諾の決意を表示したので、更に総督・川崎・後藤の三者鼎座して今後の手続きその他につき種々協議を重ね、川崎氏は同夜午後八時十分の列車で帰京した、三者
 会見 後伊沢氏は
 この度は諸君にもいろいろと迷惑をかけたが、いよいよ自分の決心もついたので、何れ上京の上イエスかノーか諸般の手続を踏んだ上で表明する考へである
と語つて、市長受諾の意を暗示したが、氏は此程風邪に冒されて医師よりなほ安静を要するといはれて居るも、特別の変化なき限り、五日
 - 第48巻 p.327 -ページ画像 
午後上京、直に若槻首相・浜口内相とも会見の上、正式発表するものらしく後藤氏と共に上京する予定である
      川崎・後藤
        各別に熱海へ
熱海電話=伊沢総督の内命を帯び政府筋の諒解を得るため上京した後藤総務長官の東京における運動は意外に手間取り、昨夜来熱報告する運びに至らなかつたので、伊沢氏は後藤長官の帰来を待ちわびて居つた様子であつたが、四日午前十一時九分熱海着の列車で図らずも川崎内務次官が来熱し、直に佐々木別邸に伊沢氏を訪ひ、浜口内相初め政府筋の意嚮を伝へた上市長受諾方の勧説に努めた、なほ後藤総務長官は午後零時四十九分着列車で来熱し、直に総督・次官・長官の三氏鼎座して種々協議を凝らした