デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

7章 行政
1節 自治行政
3款 東京市長銓衡
■綱文

第48巻 p.323-327(DK480095k) ページ画像

大正15年7月1日(1926年)

是ヨリ先六月、東京市長中村是公辞職ス。

是日栄一、市長候補者伊沢多喜男ニ書翰ヲ送リテ市長就任ヲ懇請シ、且内務大臣浜口雄幸ニ説得ヲ依頼ス。二日、市会議員大橋新太郎ヲ、伊沢ノ旅行先熱海ノ宿所ニ派遣シテ勧誘ス。後、伊沢多喜男市長ニ就任ス。


■資料

索引政治経済大年表 年表編 東洋経済研究所編 第六一一頁昭和一八年九月刊(DK480095k-0001)
第48巻 p.323-324 ページ画像

索引政治経済大年表 年表編 東洋経済研究所編
                      第六一一頁昭和一八年九月刊
    大正十五年昭和元年(紀元二五八六年西暦一九二六年)
○上略
 - 第48巻 p.324 -ページ画像 
六・七 ○中略 東京市長中村是公辞職
○下略
  ○右ハ刊行ニ際シテ追補ス。


渋沢栄一書翰控 伊沢多喜男宛 大正一五年七月一日(DK480095k-0002)
第48巻 p.324 ページ画像

渋沢栄一書翰控  伊沢多喜男宛大正一五年七月一日   (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 其後ハ御疎情ニ打過候得共閣下益御清適之御事と遥祝仕候、然者突然玆ニ一書を以て懇請仕候ハ、目下東京市民一同之瞻仰致居候東京市長御就任之事ハ定而御迷惑之御義と恐察致し候へとも、既に市民全体之要望ニも有之候ニ付万一御拒絶とも相成候ハヽ東京市之将来如何相成可申哉と、老生等市民中之年長者殊ニ市内各種之社会事業ニも今尚ほ微力相添居候旁以別而憂慮罷在候、右ニ付而ハ昨今政府部内に於ても現ニ浜口内相杯ハ種々御心配之由にて、頃日来再三御内話致候処全然御同情被下切に閣下之御奮発を希望いたし候趣ハ今朝も其官邸ニ於て長時間対話致候義ニ御坐候、加之一般市民之状態ハ寸時も早くと市長之確定を翹望致居候、事情前陳之有様ニ付同志数名相会し唐突ながら老生より一書を以て敢而閣下ニ懇請仕候次第ニ候間、何卒切迫之事情御諒察被下此際枉而御承諾相成候様祈上候、右ニ付而ハ同志者申合せ玆ニ大橋新太郎氏総代として御旅行先まて拝趨仕候ニ付而ハ、当地之状況委曲同氏より御聞取被下偏ニ御聴容之程懇願仕候、尚相洩候義ハ大橋氏口頭より可申上候 匆々敬具
  大正十五年七月一日
                     渋沢栄一
    伊沢多喜男様
        侍史
 尚々老筆且取急候為め書不尽意之点多く且不文之段ハ御海恕被下度候 不宣


(増田明六)日誌 大正一五年(DK480095k-0003)
第48巻 p.324 ページ画像

(増田明六)日誌  大正一五年       (増田正純氏所蔵)
大正十五年七月一日 水 午前雨後霽
                         出勤
午前八時半飛鳥山邸ニ参上したるニ、既ニ子爵ハ浜口内務大臣訪問の為め出掛けられたる後なりき、用件ハ過る六月 《(欠字)》日市会ニ於て市長の第一候補者ニ当選したる伊沢多喜雄氏《(伊沢多喜男)》カ、容易く之を受けさるを同大臣より説得せらるゝ様懇願の為なりと承はる、不相変東京市民と市政とに対し憂慮せらるゝ御精神寔ニ感激の至りなり
○下略


中外商業新報 第一四四九五号大正一五年七月三日 伊沢氏市長に就任受諾の決心 一週間各方面を観望して後藤長官と会見後;総督と長官と六時間の長談議 長官曰く四百万島民を如何 総督曰く二百万市民の為も(DK480095k-0004)
第48巻 p.324-326 ページ画像

中外商業新報  第一四四九五号大正一五年七月三日
    伊沢氏市長に就任受諾の決心
      一週間各方面を観望して
        後藤長官と会見後
六月二十五日東京市長に選挙せられて以来一週間、各方面の状勢を観望して未だ諾否の意見を発表しなかつた伊沢台湾総督は、二日後藤総務長官と会見の結果、台湾の事情と東京市及東京市会その他の事情と
 - 第48巻 p.325 -ページ画像 
を綜合した結果、東京市長就任受諾を決心したと観測さる
    総督と長官と六時間の長談議
      長官曰く四百万島民を如何
      総督曰く二百万市民の為も
熱海電話=東京市長問題を解決すべき重大使命を持つた後藤台湾総務長官と伊沢総督との会見は、二日午前十一時より熱海佐々木別邸において六時間余に亘りて行はれたが、先づ
 伊沢総督 より其後の病状等より説き起し、今回東京市長に選挙せられたる経過、並に浜口内相その他各方面より懇切なる就任勧告を受けたる実状を詳説したるに対し
 後藤長官 よりはその後の台湾統治上に関する概要を報告したる後総督が東京市長に選挙せられたる報一度台湾に達するや、台湾官民の各方面より総督留任を懇請し来れる実情を述べて、この際市長就任を拒絶し四百万台湾民のため更に一層努力せられたき旨を真情を吐露し勧説したるに対し
 伊沢総督 は更に台湾四百万島民の運命に関しては充分これを考慮するも、今や各方面において困難な立場にある二百万東京市民の為に各方面よりの懇請に対しても考慮せなければならない、特に今朝渋沢子爵の如き大橋新太郎氏を使者として、この際復興途上にある東京市のために蹶起就任勧告するの懇切叮嚀を極めたる書面を寄せられたが事情が右の如くであるから荏苒日を曠しうするにおいては、浜口内相その他東京市政当面の責任者に対し迷惑を及ぼす次第等を縷々説明するところがあつたが
 この会見 は単に両者の意見を述べたに止まり何等最後的決定を見ずして午後五時半に終り、後藤総務長官は直に同邸を辞して同五時四十五分発列車で東上した
      渋沢子から就任懇談
        大橋氏を派して
既報の如く伊沢台湾総督の東京市長就任は種々込み入つた事情あるため未だ決定を見るに到らないが、東京市政に尽瘁せられてゐる渋沢子爵はこれを憂ひ、二日午前十時熱海着の列車で大橋新太郎氏を派し、佐々木別邸に伊沢氏を訪問せしめて、市長就任を懇談せしむるところがあつた
      後藤長官
        けふ内相訪問
二日夜帰京した後藤台湾総務長官は同夜帝国ホテルに入つたが三日午前中浜口内相を訪問するに先だち川崎内務次官に会見する予定であるが、なほ時間の都合で塚本書記官長・黒金拓殖局長等をも訪問し総督の進退問題に関聯して種々打合せをなすはずであると

図表を画像で表示--

      一日も早く返答しよう        後藤君との会見は参考        になつた……伊沢氏談 



◇…後藤君からは台湾の事情について詳しく聞いたおかげで私は諾否の決心を為す上に非常な参考になつた訳だ、東京市の方でも急い
 - 第48巻 p.326 -ページ画像 
でゐるであらうから自分としても一日一刻も早く、イエスかノーの返答をしなければならぬのでさう永くはかゝるまい
◇…後藤君からは台湾官民大多数の意向であるとて熱心に帰任を勧告されたが、自分も浜口内相をはじめ、東京市会からも渋沢子その他各方面からも、熱心に市長就任を勧告されてゐる事情を諒解したらしく、同君の主張も大分軟いだ模様である
◇…しかし自分の決心はまだ何れとも決してゐない、何れにしても若槻首相にも又浜口君・渋沢子その他の人々にも逢つて事情を述べなければならぬ、もし受けるとなれば勿論首相には諒解を求めなければならぬが何時上京するか全然解らぬ
◇…まあまあ今明日中は上京することはむづかしい、要するに私の現在は一言にして云へば考慮中だ、世間では僕の考へを憶測して或はグラついてゐるかのやうに伝へてゐるが、自分は始めから考慮中といふ一本調子である
    伊沢氏の決意で後任総督の物色
      首相と内相後図の策議
伊沢多喜男氏は浜口内相の使命を帯びて熱海に急行した中島秘書官に対し、正式には内相と会見の上回答するが、内相並に市会の意向を汲んで内諾する旨の暗示を与へたので、中島秘書官は帰京後二日早朝その旨を浜口内相に伝達した、よつて浜口内相は閣議散会後首相官邸において若槻首相と会見し、伊沢氏が市長に就任すべきことは確実になつた旨を報告し種々協議したが、市長就任は勿論、後任台湾総督の決定は極めて急を要するを以て、伊沢氏から正式回答のあり次第、直に後図を策するやう、予め後任総督の人選等についても熟議したのであると


中外商業新報 第一四四九七号大正一五年七月五日 伊沢氏いよいよ市長就任を受諾(DK480095k-0005)
第48巻 p.326-327 ページ画像

中外商業新報  第一四四九七号大正一五年七月五日
    伊沢氏いよいよ市長就任を受諾
      けふ午後熱海から上京して
        正式の手続を踏む
熱海四日電話=川崎内務次官及び後藤台湾総務
 長官 は、何れも四日午前熱海来着、直に佐々木別荘に伊沢台湾総督を訪問、総督は先づ後藤氏から前日総督の命をふくみて、塚本翰長川崎次官・渋沢子その他との会見顛末について詳細報告を受けた後、川崎次官と会見、次官よりは浜口内相の意を伝へて懇々東京市長就任受諾の決意を表示したので、更に総督・川崎・後藤の三者鼎座して今後の手続きその他につき種々協議を重ね、川崎氏は同夜午後八時十分の列車で帰京した、三者
 会見 後伊沢氏は
 この度は諸君にもいろいろと迷惑をかけたが、いよいよ自分の決心もついたので、何れ上京の上イエスかノーか諸般の手続を踏んだ上で表明する考へである
と語つて、市長受諾の意を暗示したが、氏は此程風邪に冒されて医師よりなほ安静を要するといはれて居るも、特別の変化なき限り、五日
 - 第48巻 p.327 -ページ画像 
午後上京、直に若槻首相・浜口内相とも会見の上、正式発表するものらしく後藤氏と共に上京する予定である
      川崎・後藤
        各別に熱海へ
熱海電話=伊沢総督の内命を帯び政府筋の諒解を得るため上京した後藤総務長官の東京における運動は意外に手間取り、昨夜来熱報告する運びに至らなかつたので、伊沢氏は後藤長官の帰来を待ちわびて居つた様子であつたが、四日午前十一時九分熱海着の列車で図らずも川崎内務次官が来熱し、直に佐々木別邸に伊沢氏を訪ひ、浜口内相初め政府筋の意嚮を伝へた上市長受諾方の勧説に努めた、なほ後藤総務長官は午後零時四十九分着列車で来熱し、直に総督・次官・長官の三氏鼎座して種々協議を凝らした