デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

7章 行政
1節 自治行政
5款 深川区関係 2. 浅野セメント深川工場降灰問題
■綱文

第48巻 p.336-341(DK480104k) ページ画像

明治44年3月27日(1911年)

是ヨリ先、深川区民、浅野セメント合資会社深川工場ノ降灰ニヨル被害ニ抗議シテ同会社ニ工場ノ移転ヲ迫ル。栄一、会社側ノ代表者トシテ区民代表者ト協議ヲ重ネタルモ解決ヲ見ズ。仍テ浜口吉右衛門・河野広中・中野武営・柿沼谷蔵仲裁者トナリテ斡旋ス。是日、仲裁人ニ対スル双方ノ無条件委任ニ依リ作成セラレタル仲裁事項ヲ承認シテ、当問題解決ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK480104k-0001)
第48巻 p.336-337 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
二月十二日 晴 寒
午前八時起床、風邪気ナルニヨリ、半身浴ヲ為シ、後朝飧ヲ食シ○中略 浅野総一郎氏来リ、深川セメント工場烟害ノ事ニ付、種々協議スル所アリ
○下略
   ○中略。
二月十八日 晴 寒
○上略 午飧シ、後事務所ニ抵リテ、深川区会議員ノ訪問ニ接シテ、セメント工場ノ苦情ヲ聞ク、又近隣各町総代ヨリモ同様ノ苦情申出ヲ受ク
○下略
 - 第48巻 p.337 -ページ画像 
二月十九日 晴 寒
○上略 二時過キ散会○帝国劇場披露会夫ヨリ深川区ニ抵リ、セメント降灰ノコトニ関シ地方人ノ請求ニ応シテ実地ヲ一覧ス、中村・岡田・山崎其他ノ諸氏案内シテ各町ノ実況ヲ視察ス、午後四時一覧畢テ王子ニ帰宿ス


竜門雑誌 第二七三号・第六七頁明治四四年二月 ○青淵先生の降灰被害視察(DK480104k-0002)
第48巻 p.337 ページ画像

竜門雑誌 第二七三号・第六七頁明治四四年二月
○青淵先生の降灰被害視察 浅野セメント合資会社の降灰事件に付き青淵先生は同会社出資社員たるの故を以て、被害者委員諸氏より被害の現状視察を請はれたるにより、其請ひを快諾して二月十九日午後二時半先づ材木町中村清蔵氏方に到り、同家庭園は勿論屋内を隈なく視察したる後ち、実行委員有志諸氏の案内にて大住町辻市兵衛・松村伊助両氏宅、佐賀町一丁目三井倉庫を視察し、夫より仙台堀附近中川町亀住町・一色町・黒江町・永堀町辺を戸毎の如く仔細に視察し、尚ほ亀住町・黒江町の堺に架せる黒亀橋上に立ちて各方面に降灰する模様を視察したる後、委員諸氏に向ひて二十日直ちに出資社員の集会を催し充分除害の方法を協議すべしと云ひ残して帰邸せられたり


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK480104k-0003)
第48巻 p.337 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二十三日 半晴 寒
午前八時起床、浅野泰次郎氏来リ、セメント工場ノコトヲ談ス○下略
   ○中略。
三月十一日 雪 寒
○上略四時○午後新堀浅野氏ノ事務所ニ於テセメント降灰ノコトニ関シ社員会アリ、種々ノ評議ヲ尽ス○下略
三月十二日 晴 寒
○上略浅野総一郎氏、阿部吾市・高橋波太郎ト同行来訪シテ粉害事件ニ関スル協議アリ○下略
三月十三日 曇 寒
○上略 森久保作蔵氏来リセメント工場ノコトヲ談ス、三時浅野総一郎氏新堀事務所ニ抵リテ、セメント粉害ニ関シテ深川区青年団員等ト談話ス、来訪者六名ニシテ各頑強其旨ヲ主張シ夜十一時散会ス
   ○中略。
三月十五日 晴 寒
○上略事務所ニ抵リテ多数ノ来人ニ接ス、新聞記者尤モ多シ、浅野総一郎氏・加賀某モ来話ス、夜七時王子ニ帰宿、後書状数通ヲ裁ス
○下略


(八十島親徳)日録 明治四四年(DK480104k-0004)
第48巻 p.337 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治四四年      (八十島親義氏所蔵)
三月十三日 曇 昼前ヨリ暖気トナル
○上略 浅野セメント降灰事件セメント側ヨリ深川青年団へ回答ハ今日也青淵先生三時浅野事務所ニ赴カル、物情恟々、警察ノ警戒サヘ厳ナリトイウ、青淵先生御苦労千万也
○下略
 - 第48巻 p.338 -ページ画像 

東京日日新聞 第一二三一四号明治四四年三月一四日 深川降灰問題の手詰の談判 青年団頗る強硬(DK480104k-0005)
第48巻 p.338 ページ画像

東京日日新聞 第一二三一四号明治四四年三月一四日
    深川降灰問題の手詰の談判
      青年団頗る強硬
深川区民対浅野セメント会社降灰問題手詰の談判は愈々昨十三日を以て開かれたり、記者は談判開始に先ち会社側の意見として
△渋沢男の意見を問ふ 曰く「今回の問題に就き我々の意見は出来得る限り充分の除外工事を施し、降灰を防止するに努めるつもりである而し除外工事も奏功せず、如何しても降灰の害毒を防ぐことが出来なければ、其の上は又研究をしなければならぬのは無論であるが、青年団の立退要求には目下の状況上之に応することは甚だ困難である、今回の問題が持ち上つてから会社でも充分除外工事の取調べを為し工事費に力を尽して、尚除外工事の効を奏しない場合には其の時にこそ
△移転問題を研究 する積りでゐる」と語り、尚語を続けて「深川のセメント会社は明治四年創立したるもので当時工部省の所属であつたが、明治十四年該建物及敷地等を必ずセメント製造に使用し、将来は盛んにセメント事業の拡張を計るべしと云ふ契約で政府から浅野の手に払ひ下げとなつたのである」云々と、渋沢男の言に依れば、昨日最後の会見前に於て会社側は
△移転する意志 無きこと明かなるが、事態は玆に一転するの已むなきに至れるが如し
○下略


竜門雑誌 第二七四号・第七六頁明治四四年三月 ○深川降灰問題に就ての会見(DK480104k-0006)
第48巻 p.338 ページ画像

竜門雑誌 第二七四号・第七六頁明治四四年三月
○深川降灰問題に就ての会見 浅野セメント工場降灰問題に就ては予て青淵先生及同社長浅野総一郎氏等が被害地有志者青年団の委員諸氏に三月十三日午後三時を期し会見の約あるを以て、青淵先生を始めとし社長浅野総一郎・令息泰次郎・支配人高橋忠治郎・技師長坂内冬蔵庶務課長高橋浪太郎諸氏は青年団の委員諸氏六名を日本橋北新堀浅野事務所楼上製図室に迎えて会見したり、当日浅野社長は委員諸氏の問ひに対し、自分は勿論資本主側に於ても早晩工場移転を行はざる可らずと予期し居れども、未だ適当の敷地も定まらざることとて、此際移転期日を確答すること能はず、依て移転の準備整ふまでは力の及ぶ限り除害工事を施し降灰のなきやう十分注意を加ふべし、此際会社側にも種々の事情あるを以て、是非此意を諒せられたし」と懇に答ふる所ありしが、委員諸氏は一向聞入れず「是非共移転期日確答を得たし」と要求して止まざるより押問答の末、更に出資社員と協議の上、来る二十四日何分の返答を為すことに折合ひ付きて袖を分ちたるは午後十一時頃なりき、尚ほ深川区会議員中の委員諸氏十五名は三月十五日午前十一時兜町の渋沢事務所に青淵先生及び浅野総一郎氏と会見して懇談する所ありし由(三月十九日稿)


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK480104k-0007)
第48巻 p.338-339 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年        (渋沢子爵家所蔵)
三月二十一日 曇 寒
○上略 午前十時新堀浅野事務所ニ抵リテ、セメント工場ニ関スル合資会
 - 第48巻 p.339 -ページ画像 
社々員会ヲ開キ要件ヲ議ス○下略
   ○中略。
三月二十四日 曇 軽寒
○上略 九時半新堀浅野氏ノ事務所ニ抵リ深川青年団ノ人々ト会見ス、セメント工場ニ関スル談判ナリ、立会人中野・柿沼・浜口、河野ノ代服部綾雄氏等来会ス、十時ヨリ午後二時ニ至ルモ双方ノ主張折合ヲ得スシテ散会ス○下略


(八十島親徳)日録 明治四四年(DK480104k-0008)
第48巻 p.339 ページ画像

(八十島親徳)日録 明治四四年    (八十島親義氏所蔵)
三月廿三日 曇 少雨
○上略 夕兜町へ阪谷男来訪、明日深川青年団ト青淵先生会見ノ際危険ノ惧ナキヤ護衛等ノコト如何トノ注意ノ為也、予ハ左程危惧ノ要ハナカルヘキ旨ヲ説明ス、但相当ノ注意ヲ払ヒツヽアルコトヲモ説明ス○下略
三月廿四日 少雨後曇
朝倉庫ヘ出勤、今日ハ浅の事務所ニテセメント撤退要求事件ニテ青年団ト浅野側ト最後ノ会見日ニシテ、男爵モ列席セラル、多少ノ不穏モアランカト憂フルニ付帰途予ハ新堀ヲ通過ス、別段ノコトナシ○下略


渋沢栄一 日記 明治四四年(DK480104k-0009)
第48巻 p.339 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四四年      (渋沢子爵家所蔵)
三月二十六日 曇 軽寒
午前七時起床、半身浴ヲ為シテ朝飧ヲ食ス、後○中略中野・柿沼二氏来リテセメント工場移転問題ニ付内談セラル○中略浅野総一郎氏来リセメント工場ノ事ニ関シ協議スル所アリ○下略
   ○中略。
三月三十一日 曇 軽寒
○上略 夕五時両国深川亭ニ抵リ中野・浜口・柿沼氏等ノ催ス処ノ仲裁宴会ニ出席ス、浅野氏等来会、一方ニハ青年団員数名来会ス、九時頃退席帰宿ス○下略
   ○中略。
四月八日 晴 軽寒
○上略 浜町岡田ニ抵リ中野・柿沼・河野・浜口四人ヲ招宴ス、浅野セメント工場ニ関シテ深川青年団トノ中間ニ立入り仲裁ノ労ヲ取ラレシヲ謝スル為設ケタルナリ、午後十時ニ散会○下略


竜門雑誌 第二七五号・第六九―七〇頁明治四四年四月 ○降灰問題の落着(DK480104k-0010)
第48巻 p.339-340 ページ画像

竜門雑誌 第二七五号・第六九―七〇頁明治四四年四月
○降灰問題の落着 浅野セメント会社対深川区民の降灰問題は数ケ月に亘りて紛糾を重ねしが、其後会社側も青年団側にても双方の立会人に凡てを無条件にて委任する事となりしより、三月廿七日午前十時日本橋倶楽部にて双方の立会人会見の結果愈々明治四十九年十二月末までに工場全部を移転せしむる事に決し、同月廿八日午前九時大住町の辻市兵衛氏方にて双方の調印を終り、左の仲裁書を作り、是にて降灰問題は全く落着を告ぐるに至れりといふ、仲裁書は即ち左の如し。
    仲裁書
浅野セメント合資会社の作業上より生ずる粉灰飛散して、附近に降灰
 - 第48巻 p.340 -ページ画像 
の惨害を及ぼす事甚しきに因り、深川区民と浅野セメント合資会社との間に確執を来たし、双方の希望相容れず、紛議数ケ月に亘り、遂に帰着する処を知らず、玆に於て浜口吉右衛門・河野広中は深川区民に中野武営・柿沼谷蔵は浅野セメント会社に各立会人たる事を依頼せられたるに依り、詳細に双方の主張を聴取したり、而して更に浜口吉右衛門・河野広中は深川区民より、中野武営・柿沼谷蔵は浅野セメント合資会社より、各本件に関し仲裁裁判を為すため無条件にて一切の全権を委任せられたるを以て、右四名は審議協商を遂げ、左の仲裁事項を決定す。
 来る明治五十年は大日本博覧会開設開始の期限なるを以て、浅野セメント合資会社は明治四十九年末迄に深川に於ける現在の工場を撤廃する事
  明治四十四年三月二十七日
           仲裁人
             浜口吉右衛門 河野広中
             中野武営   柿沼谷蔵
本書は三通を作成し、後日の為め一通は深川区役所に、一通は深川区民の代表者に、一通は浅野セメント合資会社に於て保存するものとす
 前記の仲裁事項を承諾す
             浅野総一郎  渋沢栄一
             菊地量平   中村富三郎


竜門雑誌 第二七五号・第七〇頁明治四四年四月 ○浅野セメント降灰問題落着祝宴(DK480104k-0011)
第48巻 p.340 ページ画像

竜門雑誌 第二七五号・第七〇頁明治四四年四月
○浅野セメント降灰問題落着祝宴 久しく紛糾せる浅野セメント降灰問題も仲裁者浜口吉右衛門・中野武営・柿沼谷蔵・河野広中の四氏等が熱心なる斡旋に依り円満なる解決を告げたるを以て、仲裁者側主人となり、三月三十一日午後五時深川亭に於て会社側より青淵先生・浅野総一郎・同泰次郎・阿部吾市・坂内冬蔵・高橋忠次郎諸氏六名、又深川代表者側より菊地量平・村上市太郎・青山定助・佐々木作太郎外有志総代中村富三郎氏等の七名を招待し・事件落着の祝宴を張りたるが、席上双方胸襟を開きて談笑し、歓を尽して午後九時散会せりといふ。


浅野セメント合資会社報告書 明治四四年上半季明治四四年七月(DK480104k-0012)
第48巻 p.340-341 ページ画像

浅野セメント合資会社報告書 明治四四年上半季明治四四年七月
             (浅野セメント株式会社所蔵)
    社員総会
○上略
弐月弐拾日午前拾時出資者臨時総会ヲ本社ニ開キ、セメント飛粉防遏ノ為メ弐月拾七日警視庁ヘ出願ノ設計ヲ報告シ、其工費金五万九千八百九拾八円六拾銭支出ノ承諾ヲ得、許可次第急速着手ノコトニ決議シ午後零時参拾分散会セリ、
参月拾壱日午後参時社員臨時総会ヲ新堀浅野邸ニ開キ、参月九日警視庁ヨリ垂示ノ防粉設備ノ考料ニ因リ、最初ノ設計ヲ変更シ、金拾六万弐千七百参拾六円ヲ投シ、完全ノ防粉設備ヲ施スコトニ議決シ、兼テ
 - 第48巻 p.341 -ページ画像 
将来ノ方針ヲ協議シ、午後七時ヲ以テ散会ス、
参月弐拾壱日午前拾時出資者臨時総会ヲ新堀浅野邸ニ開キ、向フ拾年ヲ期シ新ニ地ヲ卜シテ工場ヲ建設シ、深川工場ヲ移転スルノ議ヲ提出シ、其承認ヲ得、之ニ要スル資金ノ概要ヲ議シ、午後壱時散会セリ、
    処務要件
明治四拾四年弐月拾七日警視庁ニ防粉設備ノ認可ヲ申請ス、
参月弐拾日警視庁垂示ノ考料ニ因リ、弐月拾七日出願ノ防粉設備ヲ変更シ、完全ナル設計ヲ以テ至急認可アランコトヲ出願ス、
四月拾参日警視庁ヨリ左ノ如ク許可セラル、
明治四拾四年弐月拾七日願セメント製造所除害設備ノ件許可ス
 但本工事落成ノ上、尚粉末其他ノ発生物ニ因リ危害ノ虞アリト認ムルトキハ、警視庁ハ更ニ適当ナル除害ノ装置ヲ命シ、又ハ工場ノ一部若ハ全部ノ使用ヲ停止シ、又ハ之ヲ禁止スルコトアルヘシ、
   ○浅野セメント株式会社ニ関シテハ本資料第十一巻所収同会社ノ条参照。
   ○深川工場ハ当時深川区清住町一番地ニ在リ。