デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
3款 凱旋将士歓迎会
■綱文

第48巻 p.513-514(DK480148k) ページ画像

大正4年1月25日(1915年)

是日、小石川後楽園ニ於テ、陸軍大臣岡市之助主催凱旋将士歓迎会開カレ、栄一陪賓トシテ出席ス。


■資料

中外商業新報 第一〇三三一号大正四年一月二五日 ○凱旋歓迎会 本日後楽園の盛宴(DK480148k-0001)
第48巻 p.513 ページ画像

中外商業新報 第一〇三三一号大正四年一月二五日
    ○凱旋歓迎会
      本日後楽園の盛宴
二十三日東京に凱旋せる青島攻囲軍凱旋部隊幹部堀内・山田両少将を始め長堀・松前・加藤・大内・高野・高柳各歩兵大佐、高橋砲兵大佐以下二十一名は廿四日午前十一時迄に陸軍省に出頭したるが、二十五日正午小石川後楽園に於て陸軍大臣より之等各将校及び阪谷東京市長・渋沢男・中野東京商業会議所会頭・花房赤十字社長等を招待し、陸軍側よりは各局長・各課長並に参謀本部各部長等出席盛大なる午餐会を催す由、尚廿六日前記凱旋将校全部は葉山御用邸に伺候、午前十時拝謁仰付けらるゝ筈也と


東京朝日新聞 第一〇二四八号大正四年一月二六日 ○祝賀の盃を上げて ▽凱旋将校を迎ふ(DK480148k-0002)
第48巻 p.513-514 ページ画像

東京朝日新聞 第一〇二四八号大正四年一月二六日
    ○祝賀の盃を上げて
      ▽凱旋将校を迎ふ
青島攻囲軍凱旋部隊幹部たる堀内・山田両少将以下各部隊長三十六名の歓迎会は、岡陸軍大臣の主催にて二十五日正午から小石川砲兵工廠内後楽園で催された、風さへもなき霜晴の午前十一時過ぎ、武勲を飾る胸間の勲章美々しく多くは腕車を駆つて参着したが、当日の陪賓たる阪谷市長・渋沢男・中野商業会議所会頭を始め主人側たる陸軍大臣以下省内の各局課長等の自動車・人力車此間を点綴し、日影輝く正午には主客合せて約百名の
△将星と名士 等が園の中央なる涵徳亭の卓を囲んで着席した、斯くて定刻に至るや岡陸軍大臣は珍らしくも喜悦満面にて起立し、熱誠なる口調を以て凱旋祝賀の意味を述べ併せて列席諸将が武運の長久を祈つたが、之れに対し温顔春風の如き短躯の堀内将軍は一同を代表して胸底を披瀝せる一場の謝辞を述べた、右終つて直に午餐に入り、主人側なる岡陸相を中央に山田良水少将、長堀・松前・加藤・大内・高野・高柳の各大佐以下重砲隊の緒方中佐、航空隊の有川中佐等壮烈なる戦談の中心となり、渋沢・中野の各実業家等と極めて打寛ぎたる
△食卓を交へ 歓呼笑声湧くが如く、前面の小池に夢円なる水禽の眠
 - 第48巻 p.514 -ページ画像 
りを驚かした、日脚漸く移つても興は却々に尽きず、主客共に十分の歓を尽し、陛下の万歳を三唱して全く散会したのは三時過ぎであつた


東京日日新聞 第一三七二八号大正四年一月二六日 ○諸将酒を酌んで陣中の労苦を語る 昨日の陸相の招待宴(DK480148k-0003)
第48巻 p.514 ページ画像

東京日日新聞 第一三七二八号大正四年一月二六日
    ○諸将酒を酌んで陣中の労苦を語る
      昨日の陸相の招待宴
二十三日より二十四日に亘りて入京せる青島攻囲軍参加の堀内・山田両少将を初め三十余名の各隊長は、昨日午前十時半陸軍省会議室に参集し、岡陸相・大島次官以下各局長列坐の席にて一々戦況を報告したる後、懇談に時を重ねたり、正午各将校は
△陸軍大臣の招宴 に列すべく小石川後楽園に向ふ、こゝには陪賓たる阪谷市長・渋沢男・中野市会議長・花房日本赤十字社長あり、会場は砲兵工廠内の後楽園にして、前に大池を控へ後なる西湖堤に臨める涵徳亭には、雪白の布を以て覆はれたる食卓凹字形を作りて並び、上には瀟洒たる花鉢を配せり、零時三十分開会、岡陸相は立つて開会の辞を述べ、参集諸氏が
△戦地にて嘗めた る労苦を慰め其勲功を称すれば、花房子爵来賓を代表して謝辞を述べ、午後一時漸く宴を開く、西洋式の事とて酒杯飛び歓談湧くに至らずして午後二時席を徹するに至りしも、宴後の談話室には尚紅茶に代へて酒杯を用ゐたれば、飲み足らぬ勇将は盛に満を引き、談論中々に尽きず
△堀内将軍は浮山 の苦戦其穴居生活の愉快を語れば、山田将軍は中央部隊の苦戦を語り、有川中佐亦航空隊員の勇気と技術を誇り、緒方中佐は深山重砲隊の砲撃力を談じ、戦地の自慢話、失敗談は興に興を添へて散会せるは午後三時過ぎなりき