デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
3款 凱旋将士歓迎会
■綱文

第48巻 p.514-518(DK480149k) ページ画像

大正4年1月28日(1915年)

是日、帝国ホテルニ於テ東京市及ビ市内実業家共同シテ、青島ヨリ凱旋セル陸海軍将士ノ歓迎会ヲ開ク。栄一出席ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK480149k-0001)
第48巻 p.514 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
一月廿八日 曇
○上略 四時帝国ホテルニ抵リ、青島出征ノ陸海軍将校凱旋ノ歓迎会ヲ開キ、数百名ノ夜飧アリ、席上歓迎辞ノ朗読アリ、夜九時頃陸海軍将校ノ講演畢リテ散会、十時帰宿ス


東京駅開業祝賀会及凱旋将軍歓迎会報告書 同会編 第六四―八〇頁大正四年四月刊(DK480149k-0002)
第48巻 p.514-517 ページ画像

東京駅開業祝賀会及凱旋将軍歓迎会報告書 同会編 第六四―八〇頁大正四年四月刊
    八、山屋・堀内・山田陸海軍将官以下凱旋陸海軍将校歓迎会
○上略
     ハ、案内状
      主賓案内状
 拝啓 愈々御清穆賀上候、陳者今般御入京に付御慰労の微意を表し
 - 第48巻 p.515 -ページ画像 
度候間、来る二十八日午後四時帝国ホテルへ御賁臨の栄を得度、此段御案内申上候 敬具
  大正四年一月二十三日
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
        宛
      陪賓案内状
 拝啓 今般上京の凱旋陸海軍将校を招待し、来る二十八日午後四時帝国ホテルに於て歓迎会相開き候間御光来被下度、幸に御臨席を得ば光栄の至りに御座候、此段御案内申上候 敬具
  大正四年一月二十三日
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
        宛
 追而当日此案内状御持参被下度希望仕候
 御服装は通常服(フロツクコート)又は通常礼装に願上候
  (五) 開会
維れ時大正四年一月二十八日山屋・堀内・山田、三将官以下凱旋陸海軍将校歓迎会を帝国ホテルに開く、定刻に前後して正賓・陪賓会場に来著し設備の休憩所に集合するや、当日の余興たる永田錦心の薩摩琵琶「乃木大将」「城山」二曲の弾奏あり、午後五時食堂を開き歓迎の宴を張る、酒数行発起人総代阪谷男爵は徐ろに起ちて一場の挨拶を為し、且つ料理に国産品のみを用ゐたること等を陳べたる後、左の歓迎文を朗読す
      歓迎文
 海軍中将山屋他人閣下
 陸軍少将堀内文次郎閣下
 陸軍少将山田良水閣下並出征陸海軍将校各位
 閣下及各位は日独開戦以来幾多の困難を排して勇悍なる敵軍に当り健戦奮闘或は青島要塞を攻略し、或は南洋方面の地点を占領し、水陸を警備し以て大に我が陸海軍の威力を発揚し国光を中外に顕彰せられたり、是れ偏に閣下及各位が国家の為に身を忘れ義勇奉公の忠節を全ふせられたるに依らずむば、焉ぞ能く斯の如きを得む哉、惟ふに今次の戦乱たる世界有史以来の事変にして、我が陸海軍の戦勝は実に此の世界的事変に際し、一層我が帝国の武力を四表に宣揚したるものと謂ふ可く、閣下及各位の労功又随て偉且つ大なりと謂ふべし、今や閣下及各位の入京に際し、其の灼々たる勲功を憬仰し感激敬慕の情自ら禁ずる能はず、某等乃ち玆に歓迎会を設け満腔の赤誠を披瀝し以て聊か犒労感謝の意を表す、閣下及各位、冀くは某等の微衷を諒とし幸に之を享受せられむことを
 - 第48巻 p.516 -ページ画像 
  大正四年一月二十八日
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
続いて山屋海軍中将・堀内陸軍少将答辞を陳ぶ、右了るや海軍軍楽隊は全員起立の裡に君が代の国歌を吹奏し、次で阪谷男爵《(渋沢)》の発声にて
大元帥陛下の万歳、中野武営氏の発声にて帝国陸海軍の万歳、更に阪谷男爵の発声にて凱旋陸海軍将校各位の万歳を三唱し、夫れより山屋中将・堀内少将の講話あり、而して山屋中将は先づ今次の戦役に於て我が国が軍事的に占領したる南洋諸島の風土・気候より人類・習慣・物産等に就き精細なる実見談及批評を試み、一同に斬新なる知識を提供し、又堀内少将は始めに青島陥落の速かなりし主因と題して、日本人精神の威力及日本武器の効力並青島の地形・土質・天候等を説き、次に(一)独逸国の金の使ひ方及独逸人の各階級の統一勢力(二)有形の青島は亡ぶるも無形の青島は亡びずして各所に出没活躍す(三)大和民族の前途如何等の題目を掲げて縷々数万言、説き去り説き来りて卓厲風発の名論を演述し、一般会衆に対して多大の感興を与へたり、斯くて午後八時阪谷男爵の挨拶ありて宴を撤し、和気靄々の裡随時散会し終れり
  (六) 山屋海軍中将及堀内陸軍少将に挨拶
本会挙行後発企人総代阪谷男爵・中野会頭・渋沢男爵は左の挨拶状を山屋・堀内両将官に送り以て当夜に於ける臨席及講話の謝意を表せり
 拝啓 愈々御勇健為国家賀上候、陳者昨日は御繁用の際且つ雨天にも不拘御臨席の栄を辱ふし感謝致候、尚有益なる御講話被成下陪席者一同深く肝銘致候処に御座候、玆に不取敢御厚礼申上度如此御座候 早々敬具
  大正四年一月二十九日
                発企人総代
                   男爵 阪谷芳郎
                      中野武営
                   男爵 渋沢栄一
    海軍中将 山屋他人殿
               (各通)
    陸軍少将 堀内文次郎殿
○中略
  (九) 収支精算書
    収入
一金壱万壱千六百弐拾九円五拾四銭也
              総収入
    内訳
 金五千五百七拾九円五拾四銭 東京市出金
 金五千五百五拾円      有志者出金
 金五百円          日本橋区六ノ部有志者寄附金
     支出
一金壱万壱千六百弐拾九円五拾四銭也
 - 第48巻 p.517 -ページ画像 
              総支出
    内訳
 金参千六百弐拾六円     神尾・加藤・栃内陸海軍中将歓迎会場内外装飾費及饗宴費
 金弐千九百弐拾八円四拾六銭 東京駅開業祝賀会場内外設備費
 金弐千六百五拾七円     同上饗宴費
 金九百九拾円四拾六銭    同上余興費
 金壱千八円八拾六銭     山屋・堀内・山田陸海軍将官以下凱旋陸海軍将校歓迎会場装飾費饗宴費
 金百拾九円九拾七銭     案内状印刷費
 金四拾七円八拾四銭     徽章費
 金百弐拾五円九拾五銭    通信費及雑費
 金弐拾五円         写真費
 金百円           報告書印刷費及発送費
右収支精算に関しては大正四年二月二日発企人総代に於て之を是認せられたり


中外商業新報 第一〇三三五号大正四年一月二九日 ○凱旋歓迎 勇士一堂に集る(DK480149k-0003)
第48巻 p.517-518 ページ画像

中外商業新報 第一〇三三五号大正四年一月二九日
    ○凱旋歓迎
      勇士一堂に集る
東京市にては廿八日青島攻撃の勇将堀内・山田両少将及び其幕下の陸軍将校二十余名、並に遠く南洋に出動して武勲を建てし山屋海軍中将を始め十余名の海軍将校を帝国ホテルに招請して、盛大なる凱旋祝賀の歓迎会を開いた、当日は
△主客二百余名 の多数に及び、海軍側からは八代海相・島村軍令部長、陸軍側からは大島次官・明石参謀次長等の出席あり、先づ休憩室に於て永田錦心は得意の琵琶を弾じて、乃木大将と城山との二曲を吟じ、来会の勇士何れも感に堪へ兼ねた風情であつたが、午後五時設けの食堂を開き、軈てデザートコースに入るや、阪谷市長は主人側を代表して歓迎の辞を朗読し、之に対して
△山屋海軍中将 は荘重にして而も謙遜なる答辞を述べ、次で堀内陸軍少将も朗々たる声を張揚て答辞を述べた、山屋中将のは只長い航海をしたといふ他に何の功もないのに、這麼盛宴を張つて鄭重な歓迎の辞を頂くのは汗顔の至りであるといふやうな意味であつた、堀内少将のは青島攻略は戦死傷者の義勇奉公の精神によりて遂げられたのである、吾々生き残りの者は帰隊の上
△戦死者の墓前 に詣でゝ斯る厚き饗応と懇ろなる歓迎の辞を頂いた事を告げるであらうといふやうな深い感慨を寓したものであつた、殊に当夜の料理は国産奨励の意味を以て内地品のみを用ゐたものであつたのが、余程来賓側のお気に召したやうであつた、挨拶の交換が終ると君が代の奏楽が森厳な諧調を伝へ、一同起立して敬意を表し、次で
△渋沢男の発声 に和し陛下の万歳を三唱、中野武営氏の発声で帝国陸海軍の万歳を、又阪谷市長の発声で凱旋将校諸氏の万歳を三唱し、靄々たる和気に包まれつゝ盃を乾し、軈て又山屋中将の発声で東京市民の万歳が三唱された、外には雨が降つて居たが、歓声は屋を振はす許りに動揺めいた、終つて山屋中将の南洋談、堀内少将の青島攻略に
 - 第48巻 p.518 -ページ画像 
関する所感談があつて、八時過に散会した


東京日日新聞 第一三七三二号大正四年一月三〇日 ○東京市と実業家凱旋将士を犒ふ 帝国ホテルの招待会(DK480149k-0004)
第48巻 p.518 ページ画像

東京日日新聞 第一三七三二号大正四年一月三〇日
    ○東京市と実業家凱旋将士を犒ふ
       帝国ホテルの招待会
東京市及市内実業家は一昨日午後帝国ホテルに於て、凱旋せる山屋海軍中将、堀内・山田両陸軍少将以下陸海軍将校六十五名の歓迎会を開けり、会者実に三百名、正賓たる将士は胸間に輝く勲章の間に一様に白き薔薇の花を挿す、五時に食堂開かれ、
△阪谷市長司会者 席に就き、両側には副賓八代海相・島村軍令部長・大島陸軍中将・明石参謀次長等を中央に、凱旋将士は中央部に席を占め、料理は総て日本産のものを用ゐたるもゆかし、宴酣にして阪谷市長立つて歓迎の辞を述べ、山屋・堀内両将軍、海陸軍を代表して謝辞を述べ、終れば別室に控へし音楽隊は
△荘厳なる君ケ代 の譜を奏す、即ち諸員皆起立して敬意を表し、後渋沢男の発声にて大元帥陛下の万歳を三唱し、会食は午後六時靄々の気に満てる中に終れり、是より山屋・堀内両将軍の講話あり、山屋中将は我陸海軍は青島を占領したるもこは真の占領にあらず、今後実業家が商戦の上占領するに非ざれば何等意味なきものとなり終るべしと結びて喝采を博し、午後八時散会


竜門雑誌 第三二一号・第六五―六六頁大正四年二月 ○凱旋将士歓迎会(DK480149k-0005)
第48巻 p.518 ページ画像

竜門雑誌 第三二一号・第六五―六六頁大正四年二月
○凱旋将士歓迎会 青淵先生・男爵阪谷市長・中野市会議長等の発起にて、一月廿五日午後一時より、先きに凱旋入京せる堀内・山田両少将以下出征軍各団隊長諸氏を後楽園に招待して官民聯合歓迎会を催し越へて廿八日午後六時より東京市主催にて、右諸氏並に遠く南洋に出動して武勲を樹てし山屋海軍中将以下十余名の海軍将校を帝国ホテルに招待して凱旋祝賀会を催し、軈てデザートコースに入るや、阪谷市長は主人側を代表して歓迎の辞を朗読し、之に対して山屋中将の謙遜なる謝辞あり、最後に青淵先生の発声にて天皇陛下の万歳を三唱し、次いで中野武営氏の発声にて帝国陸海軍の万歳を、阪谷市長の発声にて凱旋将校諸氏の万歳を、又山屋中将の発声にて東京市の万歳を三唱して、午後八時散会せる由