デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
1節 第一次世界大戦関係
4款 聯合国傷病兵罹災者慰問会
■綱文

第48巻 p.529-533(DK480152k) ページ画像

大正6年1月20日(1917年)

是日当会、東京ノ各新聞・通信社ヲ帝国ホテルニ招待シテ午餐会ヲ開キ、総裁徳川家達当会設立ノ趣旨ヲ説明ス。次イデ栄一、経過ヲ述ベテ其尽力ヲ乞フ。


■資料

竜門雑誌 第三四五号・第一〇五―一〇六頁 大正六年二月 ○聯合国傷病兵罹災者慰問会の義金募集(DK480152k-0001)
第48巻 p.529-530 ページ画像

竜門雑誌  第三四五号・第一〇五―一〇六頁 大正六年二月
○聯合国傷病兵罹災者慰問会の義金募集 聯合国傷病兵罹災者慰問会設立の計画に関しては前号に於て青淵先生の談話を摘録したるが、去る一月十七日寺内伯爵には華族及貴衆両院議員の主なるもの並に東京・京都・大阪・横浜・神戸・名古屋に於ける主なる実業家及新聞社・雑誌社・通信社の各代表者を首相官邸に招待して種々協議せらるゝ所あり、後役員を選定したるが、超えて廿日市内各新聞社員を招待して懇談会を開き、総裁徳川公爵より同会設立の趣意を述べ、次に青淵先生及び島田衆議院議長の演説ありて懇談会を終り、午後二時散会したる由なるが、同会に於ては同月末全国に向つて寄附金募集を発表したり、即ち
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左の如し。
    聯合国傷病兵罹災者慰問会寄附金募集広告
 欧洲の一角に於ける砲声は史上空前の大戦を惹起して欧亜の天地は戦塵の蔽ふところとなり、科学は殺人の用に供せられ技巧は破壊の具となり、爆弾の発する所万里朱を灑ぎ毒煙の迸る所枕骸野に遍し、而して兵結びて解けざること已に三年、幸に戦場の鬼と為らざるも或は傷き或は病みて臥牀に呻吟する者亦其数を知らず、夫死して寡となりし婦、父斃れて孤となりし子の悲痛して旻天に号泣する者其幾百千万人なるを知らず、噫傷心惨目此より甚しきは莫し、我帝国亦夙に聯合に加盟して現に交戦国の列に在り、但戦禍の中心を距ること遠きの故を以て、嘗て青島及南洋に事有りし後国民復た暴骨流血の苦を知らずと雖も、眼を挙げて西欧の天を望み聯合軍艱苦悲惨の状況を想へば誰か心目に悁悁たらざる者あらん、此に於て有志胥謀り洽く天下の同情に訴へ、広く大方の義金を会し、専使を派遣して聯合軍傷病兵及罹災者を慰問し、以て同憂の誠を輸さんと欲す、志士仁人冀くは本会の趣旨を賛し、奮て此挙を助成せられん事を
      東京衆議院内
        聯合国傷病兵罹災者慰問会
                総裁  公爵 徳川家達
                副総裁 男爵 渋沢栄一
                副総裁    島田三郎
  大正六年一月
一、寄附金は金十円以上のこと
一、寄附金募集締切は本年三月三十一日限りとす
一、寄附金は本会(振替貯金口座東京三三七〇〇)宛便宜御郵送若くは左の指定銀行へ御払込被成下度候
  第一銀行・十五銀行・第百銀行・三井銀行・三菱銀行・安田銀行・住友銀行東京支店・鴻池銀行東京支店
○下略


渋沢栄一 日記 大正六年(DK480152k-0002)
第48巻 p.530 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正六年        (渋沢子爵家所蔵)
一月二十日 快晴 寒
午前七時起床洗面シテ朝飧ヲ食ス、後市郎ノ葬儀ニ関シテ注意ヲ与ヘ墓標及名旗ヲ書ス、午前八時血洗島ヲ辞シ深谷駅ニ抵リ九時発ノ汽車ニ搭ス、車中雑誌類ヲ一覧ス、十一時二十分王子着、直ニ自働車ニテ帝国ホテルニ抵リ、聯合軍慰問会常務委員会ニ出席ス、新聞記者通信社等ノ各員ニ対シ本会ノ趣旨ヲ陳述シテ賛成ヲ乞ヘ、共ニ午飧ス、会スル者四十人許リナリ、徳川総裁・島田副総裁ト共ニ一場ノ演説ヲ為ス、食後常務委員会ニ於テ本会ノ要件ヲ協議ス○下略
  ○一月十九日午後、栄一、渋沢市郎ノ死去ニ就キ血洗島ニ赴ク。


聯合国傷病兵羅災者慰問会報告書 同会編 第一一―一三頁 大正六年一二月刊(DK480152k-0003)
第48巻 p.530-532 ページ画像

聯合国傷病兵羅災者慰問会報告書 同会編  第一一―一三頁 大正六年一二月刊
    二 新聞社の尽力
本会の事業は素より広く江湖の同情を得て成立すべきものなるが故に
 - 第48巻 p.531 -ページ画像 
周ねく本会の計画を世に知らしむる必要あり、此の必要を行ふ上に於て新聞通信社の尽力に依らざるべからざるは言を待たず、是を以て本会は一月二十日東京の各新聞通信社を帝国ホテルに招待し、徳川総裁・渋沢・島田両副総裁・会計監督及常務委員出席の上、徳川総裁より本会の趣旨を述べ、渋沢副総裁より本会設立の動機由来より此際広く義金を募り、慰問使を派遣して、聯合国の傷病兵及罹災者を慰問するの急務なるを述べ、而して往年東北の饑饉及桜島の爆発の当時も、便宜上衆議院に事務所を設けて、同情者の義捐金を募集したるに、総額百八十万円に達する寄附金を得るに至れり、当時国内の経済状態は決して豊富ならざりしも、此の如き義捐金を得るの盛況なりしが、現今の経済界を以て之を其当時と比較すれば、其余裕あるは何人も異存なき所なり、各新聞通信社の助力に依り多大の慰問金を募集致たき旨を演説し、次に島田副総裁よりも挨拶を述べたり、東京朝日新聞社松山忠次郎氏は之に対し至極同感なるを以て、各新聞通信社は先年に於ける臨時水害救済会及東北九州災害救済会に対し尽力したる如く、本会に対しても賛助を吝まざるべき旨を述べられたり、当時出席の諸氏左の如し
  報知       添田寿一   東京朝日   松山忠次郎
  東京日々     日下輝二   東京毎夕   菱沼菱歌
  中央       大沢定吉   中外商業   小田政五郎
  読売       青野季吉   万朝     山岡起舟
  やまと      佐々政徳   国民     山川瑞三
  都        平山壮太郎  時事     知覧健彦
  ジヤパンタイムス 段隆介    大阪朝日   安藤正純
  大阪時事     八田武治   大阪新報   山上鷲郎
  日本通信     漆間真学   日本電報通信 森本大八郎
  独立通信     中沢推蔵   朝野通信   土居貞弥
  大東通信     斎豊三郎   自由通信   郡山幸男
  実業通信     江間百一   日本経済通信 沼田一郎
  中外通信     端山喜三郎  千代田通信  井原豊作
  ジヤパンメール  城谷黙    愛国通信   吉田文外
  中央通信     小松八良   東京時事通信 山本岩夫
  内外通信     多田満長   大勢     大平喜代松
  帝国新報     山野好恭   大陽通信   米沢雄
  明治通信     綾部勉    国際通信   伊達源一郎
寄附金募集広告無料掲載の件は、前記一月二十日帝国ホテルに於ける各新聞通信社招待席上に於て、各社とも総て先例に依り取扱はるゝ申合せありしが、広告時期及方法等に就き、二月九日東京各新聞社営業部主任を帝国ホテルに招待協議する所ありたり、又地方新聞二百四十社に対し、右と同様の趣旨を以て依頼状を発送したりしに、是亦概ね承諾且賛助を与へられたり、本会寄附金募集広告を掲載せられたるとき、及之に対する広告料金は之を本会に通知せられんことを請ひ置きしに、其照会に応じ寄附金募集広告掲載したる旨のみを通知せられたる新聞社四十社なり、又広告料金を通知し之を寄附せられたる新聞社
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四十三社にして、其料金総計八千九十三円八十一銭五厘に達せり、又寄附金募集広告を掲載せられたるに拘はらず、本会の照会に対し回答を与へられざりし新聞社も尠からざるべしと信ず、本会は実に各社の厚意に依り一銭も費さずして大広告を為すを得たり、加之新聞通信社に於て絶えず本会に関する記事を掲載して江湖の義捐を奨励せられたる等、本会の成功に対して各新聞通信社の寄与する所実に大なりと謂ふべし


中外商業新報 第一一〇五九号 大正六年一月二一日 ○聯軍慰問協議 新聞通信代表者招待(DK480152k-0004)
第48巻 p.532 ページ画像

中外商業新報  第一一〇五九号 大正六年一月二一日
    ○聯軍慰問協議
      新聞通信代表者招待
聯合国傷病兵罹災者慰問会は、二十日午前十一時、都下の新聞通信代表者五十余名を帝国ホテルに招待し、協議を兼ね午餐会を催したり、当日主人側より徳川総裁・渋沢・島田副総裁・柳田・岡崎・大橋の常務委員、会計監督大倉喜八郎男以下数名出席、劈頭徳川公より
 今回本会を成立せしに付ては国民全体の賛同を受くる必要あり、就いては新聞通信事業に従事する諸君より多大の同情援助を仰き、此目的を貫徹せんと欲す、具体的の協議は副総裁より聴取あらんことを望む
との挨拶あり、次で渋沢男・島田議長は副総裁の資格を以て、徳川総裁の挨拶を補演し、終つて食事に入り、午後一時半宴を撤し、別席に於て協議会を開き、結局新聞紙の賛助は東北救助会の前例に依り醵出者の姓名を新聞に無料広告する方法を執る申合せを為し、尚其程度に付いては各社幹部と本会と協議決定することゝ為し、午後二時半散会せり


東京日日新聞 第一四四五四号 大正六年一月二一日 ○振つて同情せよ 聯合国の哀れなる人々へ 慰問会の寄附募集(DK480152k-0005)
第48巻 p.532-533 ページ画像

東京日日新聞  第一四四五四号 大正六年一月二一日
    ○振つて同情せよ
      聯合国の哀れなる人々へ
        慰問会の寄附募集
聯合国傷病兵罹災者慰問会は昨日正午帝国ホテルに常務委員会を開き各新聞社員を招待して寄附金募集に関し報告会を開催せり、主人側より総裁徳川家達公・副総裁渋沢男爵・同島田三郎氏以下常務委員一同正午開会、徳川総裁立つて「本会に対し国民一般が多大なる同情を寄せられん事を希望す」と述べ、次で
 ▽渋沢男爵は 徐に十七日首相官邸に於ける発起人会の経過を簡単に説きたる後「欧洲大戦乱の惨禍は、人道上より見て黙過すべからざる事であり、吾日本も同じ渦中にあると雖も、其罹災する所甚だ他に比し薄い感があり、即ち本会は重い罹災者に対し同情の結果設立されたもので、仮令募集金類は他に比して僅少なりと雖も、吾人の同情ある誠意を彼の国の人々に知らしたい、洩れ承はるに、恐れ多くも皇室より
 ▽本会に対し 御下賜金あるとの事である」と述べ、続いて島田副総裁は曰く「我日本は欧洲戦乱によりて○中略」と述べ終り、食堂を開
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き午後二時散会せり


向上 第一一巻・第三号 大正六年三月 悲しみと喜び 新春の所感 顧問 男爵 渋沢栄一(DK480152k-0006)
第48巻 p.533 ページ画像

向上  第一一巻・第三号 大正六年三月
    悲しみと喜び
      ――新春の所感――
                 顧問 男爵 渋沢栄一
○上略
 ○聯合国傷病兵慰問使
 次は聯合国傷病兵慰問の事である。これは私一人の発起と云ふ訳では無いが、幸に私も此挙に関係し得るを喜ぶのである。抑も此発端は欧州より帰朝する凡ての人々から聯合軍の惨憺たる有様を語られて、実に同情に堪えぬのであつた。而も此等聯合国傷病兵は与国の為めに戦場に立ちて斯くも悲惨な有様に立到つたのである。我国は幸に戦争の中心点から隔離してゐる為めに、青島や南洋沿岸での戦争も今日では過去の事となり@、寧ろ戦争がある為めに我国は経済上非常に利益を受けてゐるのである。
 前述の如き与国人の苦しみが我国の喜びとなると云つては、武士道を以て立つこの大和民族としては実に面目ない事から、せめてはその苦しめる傷病兵又は罹災者の為に同情を寄せて之を慰めねばならぬといふ事が、昨冬から実業界の仲間にて評議があつた折柄、独墺の提唱で講和問題が起つたから暫く其成り行きを見て居ると、十二月三十日になつて講和は不成立となつたから、再び其決議を継続する事にして一月八日に私は中野武営君と共に寺内首相を其官邸に訪問してその趣旨を話したら、首相も非常に賛成せられ、現内閣もこれに力添へをして、貴衆両院長が其会の正副総裁になられる事に相談が熟して、一月十七日には総理大官臣邸で発起者の会合が開かれました。其時私は発起の沿革と慰問使の必要とを詳細に会衆に向つて演説しましたら、全会一致で賛成されまして、其二十日には各新聞社の人々に其趣旨を述べて協力を請ふたのでありました。慰問会の事務所は衆議院内に設け一切の事務は其方で取扱ふ事になつた。
 慰問使は未だ確定せぬが多分知名の人を一、二名政府から任命して派遣される事になるだらうと思はれます。各国に対する慰問の方法は事情に応じて違はねばなるまいと思ふから、まだ何等定まつては居りませぬ。
 各新聞社に於ても非常に此挙を賛成されて、中には社説を以て、此の際充分なる寄附金を集めねばならんと熱心に論じて居る向もあります。果して其結果が私の希望に副ふや否やは未だ解りませんが、幸に一般の同情を得たのは、私としては真に歓ばしい事であります。
○下略