デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

8章 軍事関係諸事業
2節 軍事関係諸団体
5款 財団法人報効会
■綱文

第48巻 p.660-669(DK480182k) ページ画像

大正12年11月20日(1923年)

是日栄一、渋沢事務所ニ於テ、当会幹事高梨慶三郎ト面接シ、関東大震災ニヨル帝国在郷軍人会ノ活動援助ノ件ヲ協議ス。


■資料

報効会書類(一)(DK480182k-0001)
第48巻 p.660-661 ページ画像

報効会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 過日大地震ニハ何ノ御障モ無之日々為邦家御活動ノ趣キ相承乍蔭慶賀罷在候、御見舞ノ為メ早速参上致シ度所存ニ御座候ヘトモ、交通機関ハ杜絶致シ自働車サヘ徴発致サレ如何トモ致シ難ク、乍不本意失礼致シ居リ候次第何卒御海容被下度候
陳者本会事務所モ倒破後間モナク全焼致シ誠ニ遺憾ニ存ジ候、就テハ事務所ハ不取敢左記小生自宅ニ移シ候間御承知被下度候
去ル四日田中陸軍大臣ヨリ至急ノ招致ニテ陸軍省ニテ面会致シ候処、此際在郷軍人会ノ活動費、罹災在郷軍人及罹災癈兵等ノ救護ノ為メ報効会ヨリ金員支出致サレタシトノ希望有之候故、早速井上副会長・大橋理事ト協議致シ、他日会長閣下以下理事会ノ爾后承諾ヲ求ムル所存ニテ、金拾万円支出致ス事ト致シ、此旨在郷軍人会本部ヘ申出テ置キ候、最モ右金員ハ其使途ニ付キ必ス報効会ニ相談致ス事ニ相成リ居リ候、尚ホ大阪支部ヨリモ金五万円位支出方小生ヨリ去ル四日大阪支部ヘ勧誘致シ候ヘトモ未タ何等ノ返事無之候
右ノ次第ハ既ニ大橋理事ヨリ閣下ヘ申上候事ト存シ候ヘトモ、念ノ為
 - 第48巻 p.661 -ページ画像 
メ報告申上候
 右不取敢御見舞旁々得貴意候 敬具
  十二年九月十二日
                市外原宿百七十ノ八号
               報効会幹事 高梨慶三郎
   報効会々長
    子爵 渋沢栄一閣下


渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月 高田利吉筆記(DK480182k-0002)
第48巻 p.661 ページ画像

渋沢子爵親話日録 第一 自大正十二年十一月至同年十二月  高田利吉筆記
                      (財団法人竜門社所蔵)
十一月二十日
○上略
△三時半事務所にて報効会幹事高梨慶三郎氏に御面会、日本銀行総裁と手続打合の事等につき御相談せらる
○下略


報効会書類(一)(DK480182k-0003)
第48巻 p.661 ページ画像

報効会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 愈々御清穆奉賀候、陳者本会事業ニ関シ常ニ多大ノ御配慮ヲ賜リ奉感謝候、就テハ去ル九月一日ノ震災当時及ビ其後実施致候事業ハ左記ノ通リニ候間此段報告申上候 敬具
    左記
一、去ル九月大震災ニ関シ田中陸軍大臣ノ希望ニ基キ、左記費用トシテ帝国在郷軍人会本部ヘ金拾五万円寄附
  一、震災救助ノ為メ全国在郷軍人会ヨリ東京・横浜等ヘ参集セル在郷軍人約七千人ノ活動費
  二、罹災在郷軍人慰問費
  三、罹災癈兵慰問費(当会事務所全焼ノ為メ、在郷軍人会本部ニ依頼ス)
二、陸軍次官、近衛・第一両師団長希望ニ基キ、帰休現役兵ノ罹災者慰問金トシテ陸海軍省ヘ金弐万円寄附
三、本年度第一回予定事業トシテ生計困難ナル癈兵約一千四百名ニ各人金六拾円宛、遺族約弐干弐百名ヘ各人金参拾円ヲ送附ス
         以上
 大正十二年十二月二十三日
            報効会々長 子爵渋沢栄一


報効会概況 自大正九年至大正十三年 同会編 第二一―四七頁(大正一三年)刊(DK480182k-0004)
第48巻 p.661-668 ページ画像

報効会概況 自大正九年至大正十三年 同会編  第二一―四七頁(大正一三年)刊
                    (渋沢子爵家所蔵)
(表紙)
  (栄一墨書)
  大正十三年七月二十四日閲了
  各種ノ衷情ヲ吐露セル感謝状ヲ一覧シテ共ニ同情ノ涙ヲ灑サルヲ得サルナリ 栄一手記
   報効会概況 自大正九年至大正十三年

 - 第48巻 p.662 -ページ画像 
    一、特種礼状
謹啓 貴会益々御隆盛ノ段為邦家奉慶賀候
偖テ過般大震火災ニ際シ罹災在郷軍人救済ノ為貴会ノ御助力ヲ御依頼申上候処、御出費多端ノ折柄早速多大ナル金員ノ御寄贈ヲ忝フシ、玆ニ更メテ奉深謝候、御配慮ニヨリ多数ノ惨死者ノ霊ヲ慰メ遺族ヲ賑ハシ困窮者ヲ救恤シ、在郷軍人ヲシテ動モスレハ悲惨事ノ感響ヨリ起ル士気ノ沈滞、思想ノ動揺等ヲ未然ニ防遏シ、其本分ヲ全フセシムルニ深甚ノ衝動ヲ与ヘタルコトハ勿論、一般社会ニ対シ本会ノ面目ヲ保持セシムルコトニ就テモ多大ノ効果アリシコトヲ確信仕候、今尚罹災者及遺族等ヨリ続々感激ノ意ヲ通シ来リツツアル現況ヲ以テ見ルモ、彼等カ恵ニ潤ヒ恩ニ浴シ、精神並ニ生活ノ安定ノ光明ニ接シタルヲ、如何ニ欣ヒツツアルヤヲ証スヘク候
沈思是ニ至レハ感激措ク能ハス、不肖景明本会ヲ代表シ満腔ノ誠意ヲ以テ感謝ノ意ヲ表スルト共ニ、尚将来ニ於テモ本会ノ目的ヲ大成スル為何分ノ御輔導ヲ賜ハランコトヲ懇願仕リ候
右乍延引御礼迄如此御座候 敬具
  大正十三年五月十三日
          帝国在郷軍人会々長 子爵 川村景明
    報効会々長 子爵 渋沢栄一殿

謹啓仕候 時下寒冷ノ候閣下愈々御清穆之段恐悦ニ奉存候、陳者先般慰藉金ノ御贈与ヲ辱フシ候当聯隊区管下ノ癈兵遺族七十四名ヨリノ感謝状別封御手許ニ差上候間御電覧被下度、発送ニ臨ミ只今取纏メ一読仕リ不覚落涙仕候、各礼状ノ紙面ニ溢レ居候通リ、或ハ拝受シタル金円ヲ先ツ仏前ニ供シ、或ハ家族一同西ニ向ヒ合掌セリト云フ如キ、真ニ衷心ヨリノ感謝ニ可有之、拝受当時ニ於ケル家族達一同喜ヒノ様モ髣髴トシテ面ノ当リニ視ル如キ心地仕リ、涙ナクシテ読了モ出来兼候始末ニ御座候、昨今ノ世相殊ノ外面白カラサルノ時、斯ノ如キ純真ナル一面ヲ閣下ニ御照会申上候コトハ誠ニ快心ノ至リニ有之、玆ニ貴会ニ対シ謹テ敬意ヲ表シ候ト共ニ所感申述度一筆如斯ニ御座候 敬具
  二月一日     久留米聯隊区司令部
               陸軍歩兵大佐 田中源太郎
    渋沢子爵閣下

謹啓 時下向寒之砌り益々御清適奉賀候
扨而今回未曾有の大震災に際し当聯隊下士以下の家族にして之か災厄に遭遇せしもの実に百四十有余名の多きに達し、其内情に就き深く考察する時は誠に同情に不堪者幾多有之、私人としては誠に悲惨なる状態を極めし者尠からす候、然るに今回特に深甚なる御同情を賜り、部下罹災下士卒に対し多大なる金員御恵与被下候段深く肝銘仕り候、早速罹災家族に対し普く配与致し一家再興の資と致さしめ候処、何れも感涙措く能はさるもの有之、一同愈々奉公の志を厚ふせしめたると同時に、一家再興の決意を示し誠心感謝の情禁し難きもの有之候
拝趨御礼申上く可きの処玆に愚翰を呈し、部下罹災者と共に満腔の誠
 - 第48巻 p.663 -ページ画像 
意を披瀝し深謝の意を表し申上候 敬具
  大正十二年十二月六日
             騎兵第十六聯隊長 武藤一彦
    渋沢栄一殿

謹啓 益々御清穆ノ段奉大賀候、陳者這般当市在住癈兵山村六三郎外二名及遺族西タミ外六名ニ対シ、多額ノ慰藉保護金御贈与相成リ、何レモ満腔ノ喜悦ヲ湛ヘ居リ、日常不足勝チノ生活ヲ営ミ居ル者ノミニ候得ヘハ、誠ニ此上モナキ慰安ニ有之可申、就テハ玆ニ御礼申上度如此ニ御座候 敬具
  十二月二十八日
                旭川市長 岩田恒
   報効会々長
    子爵渋沢栄一閣下

謹啓 這般ハ貴会ノ御趣旨ニ基キ村内癈兵五名、戦死遺族二名ヘ多額ノ金員御恵与被下昨日ヲ以テ伝達候処、拝領者各自ハ貴会ノ御仁恤ニ感涙大ニ歓候、就テハ之ヲ永久記念シ好恰ノ家故ニ助成シ徒ラニ失費セサル様指示致候、斯カル恩沢ニ浴スルハ軈テ村内応進者ノ志気鼓吹鞭撻ニ至大ノ好範ナルコトト被存候、実ニ小職ノ歓喜ニ堪ヘサル処、玆ニ謹ミテ謝意ヲ表シ申候 敬具
  大正十二年十二月二十九日
                香川県綾歌郡
                 岡田村長 土岐安平
    財団法人報効会々長 子爵 渋沢栄一殿

拝啓 時下余寒厳敷御座候処益々御清祥奉大賀候、陳者本村出身戦死者遺族中上卯右衛門ニ対シ顆多ノ慰藉保護金御恵与被下難有、早速本人ニ其ノ旨申述ヘ交付致候処、同人ハ暗涙ニ咽ビ大ニ嬉ビ直チニ仏前ニ供シ、御芳志ニ対シ宜敷御礼方ヲ乞ヒ居リ候、先ハ御礼マデ
  大正拾参年弐月弐拾六日      滋賀県蒲生郡島村長
                      井上与三吉
    報効会御中

    二、廃兵礼状
謹啓 陳者本年も又々多大ノ金子御恵与被下難有く御厚礼申上候、昨年の大震災には東京地方は大惨事にて御貴会事務所等も御災難の由に候へ得ば、本年は御恵賜金無き者と思ひ居り処、昨日町役場より知せ有之、御恵金の事を話され候時は夢かと計り狂喜仕り候、早速郵便局にて金子受取家内一同に喜を分ち、都東の空をあをぎ三拝九拝致し申候、昨年の大震災は山間地迄も及し弊家等は東京横浜方面に親戚多く中には甚だヒサンなる者も有之、愚母の家(本所在住)などは家内五人の中老人と子供を残し三人焼死致し候、右様の儀にて昨年は入費相嵩み此の大切期(当地方ハ田舎ニテ本月末ガ大切期ニ候)を心配致し居候時とて、御恵金の
 - 第48巻 p.664 -ページ画像 
難有き事且嬉しき事の甚大なる事は文筆にては表す事出来申さず候得共宜敷御推承被下度候、先は御礼迄如斯御座候 匆々
  一月十五日
             福井県大野郡勝山町芳野八十七番地ノ九
             (戦傷第三項症(胸部銃創)元陸軍工兵二等卒)三神圭三
    報効会御中

拝啓 先達テハ貴会ノ御好意ニヨリ多大ノ救助金御恵与下サレ実ニ難有何ト謝スルニ辞ナク只々感泣ノ外無之候、思ヘバ負傷シテ兵役免除トナリシ以来ハ国家ヨリ莫大ノ恩恵ヲ受ケツツアルモ、貧困ナル上ニ身体不自由ナルタメ只一人ノ母ニ飽食ナサシムルコトサヘ覚束ナク、今更ナガラ不具ノ身ノ不甲斐ナキヲ歎ジ居タルニ、突然莫大ナル金子御恵与ニ預リ家内一同夢カト許リ嬉シ涙ヲ流シテ喜ビタル次第ニ有之候、我等貧民トシテハ実ニ多大ノ金子ニテ家計ノ助トナリ一同初メテ春ラシキ心地致候、無学ノ身ノ悲シサニハ充分ナル感謝ノ意ヲ筆紙ニテ述ベ難ク、甚ダ残念ニハ候ヘ共何卒御諒察ノ上平ニ御免シ下サレ度甚ダ乱筆ナガラ不取敢御礼申上候
      兵庫県印南郡東志方村岡二百七番地ノ二
          (戦傷第三項症(左足切断)元陸軍歩兵一等卒)田中三助
    報効会長殿

謹啓 今般御会より御懇篤なる御慰問状並に慰藉保護金として金子六拾円也を戦傷不具の身に御同情ありて御恵与被下、御会の御厚情有難奉深謝候、降て愚生儀は明治三拾七八年戦役の際、旅順要塞第三回総攻撃に参加し傷痍を受け、其結果両足を下腿部より切断し兵役免除となり帰郷し、不具身を保養に務め、一方一家生計の費を得んため不具の身に適合したる職業を求め、色々の業に苦心せしも習得するを得す目下漸やくにして陶歯製作所へ職工とし通勤し、些少なる賃銭を得一家の生計を維持居り候、顧りみれば傷後より本春を迎へる迄拾九年余間、貧窮に追はれ一年として新年の嬉を得る事あたわさりしも、本春は御会の御慰藉金を戴き一家一同御厚き御恵みに預り、長らくにして新年の気分あるお正月を致し悦び合居り候、本年は不具身を以て曾一曾家業に心を尽し子女を養育し戦傷者の体面を保ち、以て御会の御同情に添へ奉可心懸け居り申候、先は慰藉金御恵与被下し御礼まで申上候也 頓首
  大正十三年一月二十日
         石川県小松町字松住町六十四番地
           (戦傷第二項症(両脚切断)元陸軍歩兵二等卒)中富次平
   財団法人報効会々長
    渋沢栄一殿

謹啓 過日ハ御懇切ナル手紙ト並ニ沢山ナル慰藉金御恵与ニ預リ御蔭様ヲ以テ生活ノ安定ヲ得申候、御承知ノ通リ癈兵ニテ一人前ノ稼モ成シ不得、其日其日ノ口糊ニモ時折差支フルノ折柄、貴会ヨリノ御同情
 - 第48巻 p.665 -ページ画像 
実ニ何ヲ以テ此御高恩ニ報ンヤ、身ハ癈疾ノ国家ニ対シテモ何等功績モ何シ不得、頭底貴会ノ御高庇ニ報クユルノ日トテ無之、一日嬉涙ト共ニ貴会ノ空ヲ伏祈リ居リ申候、先ハ失礼ヲモ不顧愚書ヲ以テ御礼申上度如斯御座候、御同封被下候領収証ハ別紙ノ通捺印ノ上御返送申上侯間御受取被下度候
  三月二日
        高知県吾川郡小川村柳野千七百六十三番地
          (戦傷第四項症(一肢ノ用ヲ失フ)元陸軍歩兵一等卒)渡辺辰太郎
    報効会御中

謹啓 厳寒之候倍々御健勝の段邦家為め奉慶賀候、扨今回貴会の御主意に依り多額の金員御恵送くだされ誠に難有御高札申上候、実は私儀日露戦役の際負傷後不具癈兵となり為めに労働には堪へず其上種々と不幸の連発を来し、先年遂に懐しき墳墓の地を去り家族六人連にて各地に漂泊致し居り候、尤も本年よりは下賜の恩給も増額するとの事に候へ共之れも今に増額なく、若し増額あるも私に取りては六日の菖蒲十日の菊で最近は非常に苦境に沈み、小人の常とてひそかに社会の冷こくを恨みつつありし折柄、貴会の御深甚なる御同情に接し社会を恨みし昨非を悟り、心に一大光明を認め得られしは全く閣下の賜と真に感謝感激に外ならず候、何れ最近御礼の為め東上御拝顔の上御厚礼申上可候得共、取敢愚書を以て御礼申上候
     原籍香川県三豊郡笠田村大字笠岡一八九八
          (戦傷第五項症(右手ノ機能ヲ全ク失フ)元陸軍歩兵一等卒)今川滝太郎
    渋沢閣下

    三、遺族礼状
拝啓 先日は多大の金額御めぐみにあづかり厚く御礼申上候、只一人の悴をなくしてよりは何等智識も才能もなき者とて、年々いただき申す扶助料を唯一の収入として、ひたすら国家の有りがたさを心のおくより感謝いたし老の身を送り居り候、近所となりの人も昔と変りて戦死者の遺族よと見返りくるる人もなくなり、日をふればふるほどよるべなき身には昔をしのび、且つは此の長き年月御同情にあづかり申す政府の有りがたさ、社会の皆々様の御心、朝な夕なきもにめいじて神仏に礼拝し、身に過なきやう其日其日をおくり居り候、先日御通知に接し候折は夢のやうなる心地して、何度も何度もくりかへし一字づつひろひよみして、さては思ひもよらぬ有がたき事と仏前にそなへてよろこび申候、幾重にも御礼申上候、余寒きびしき折柄御一同の皆々様の御健勝を祈り上奉り候、うれしさのあまり乱筆にて御礼の御挨拶まで申上候 敬具
  大正十三年三月十二日
       名古屋市東区南外堀町二百四十一番戸
         (戦死者故陸軍歩兵軍曹鬼頭愛次郎氏ノ父)
                       鬼頭新吉
    報効会様

 - 第48巻 p.666 -ページ画像 
拝啓陳者、今日だいまい金参拾円御送り下され、御便がらとわゆい実に有難くあつく御礼申上候
私し儀七拾才に近い者、はたらきわ、出来ず、御上乃御世話に成て、とせいお、おくりております、右乃お金を手に取上げて仏前にそなゑうれしなみだお、こぼしました、ゆめでないか、うつつで、ないか、まんざら、ゆめ、うつつでも有りませなんだ、うれしなみだを、こぼしながらあつく御礼申上候
  大正拾参年壱月拾七日
       兵庫県飾摩郡妻鹿村八百六十番地《(飾磨郡)》
        (戦死者故陸軍歩兵一等卒本田庄蔵氏ノ母)
                       本田ちよ
    渋沢栄一殿

謹みて申上ます、私は過而日露の役に病没致しました故陸軍輜重輸卒赤松吉蔵の父であります、只今では病身なる愚妻と嫁めに十一歳になる孫との間に老躯を提げて、生活難を切抜けるに日も亦足らぬ有様であります
然るに貴下御方々様の熱い御同情に浴し、細々乍ら烟り立てて今日に立至りました事を感喜せずには居られません、殊に此度は過分の御慈然を頂きまして寒さも餒も打忘れ世間並の正月気分を久振りに可愛孫にも味はせ、倶共東都を拝し感泣の外御座いません、右御礼申上ます
  二月三日           恐惶頓首
       京都府与謝郡也屋村字木子二十三番地《(世屋村)》
       (戦死者故陸軍輜重輸卒赤松吉蔵氏ノ父)
                      赤松六左衛門
   報効会会長
    子爵渋沢栄一殿

謹啓 時下寒冷甚だ厳敷御座候処、貴地会長殿御始め皆々様には何の御障りも無く御機嫌能く被為居候事と奉大賀候、次に下りて私方にても御蔭げを以て老人夫婦共日々淋しくも無く候ふて日を送り居り候間何卒御休神下され度相願上候、さて一昨十二日は態々御慰問を忝く致せしのみならず、金参拾円を賜り実に思ひも寄らぬ多分なる金を頂き誠に恐入りし事に有之、老人夫婦は余り嬉敷有之候為めに夜の目も能う眠らず喜び入り候次第に有之、早速仏前へ御光りを上げ、下されし金を亡源次郎の霊に示し、且御慰問に預りし口上を相伝へ、故人を喜こばせ候間何卒御安心被下度相願上候、右は御礼御挨拶までに申述候
                           敬具
  大正十三年一月十四日
      兵庫県姫路市材木町七番地
      (戦死者故陸軍歩兵一等卒高田源次郎氏ノ父)
                      高田新蔵
   報効会々長
    子爵渋沢栄一殿

 - 第48巻 p.667 -ページ画像 
謹啓 前文御免被下度候、陳者今回夫勇儀四十三号潜水艦に於て殉死致し候に付いては、早速御懇篤なる御慰問状を給はり、尚慰藉保護金の御思召に依り多大の御贈金を被下、御芳志の段万々深謝奉候、今回の事たるや国恩の万分の一に報ぜしに外無之候に、社会一般の御深厚なる御同情に定めし亡き夫等も満足致し居候事と存じ候、御贈金は亡父の跡を受けさせて遺子を一人前の男子に育つべく成長後の学費として貯金致し、後日に御報恩の万分の一を尽さすべき心算に有之候
感謝の念は到底拙筆にては表し難く何卒御高察の程を御願ひ申上候
末筆乍貴会の益々御繁栄ならん事を祈り居り候、先づは
乱筆を以つて著金通知旁々御礼申上候 匆々頓首
  大正拾参年四月三十日
     鹿児島県姶良郡重富村平松四十一戸
     (第四十三潜水艦殉難者故海軍兵曹長中島勇氏寡婦)
                      中島柳
    報効会御中

    四、帰休兵礼状
謹啓 本年九月一日の震災は空前の勃発にして何人も予想し得ざる惨状を来し候、尊堂は是を諒とせられ、今回不肖等被害地へ帰郷する除隊兵に慰藉金を御寄贈被下実に有難御礼申上候、災害は一府六県といへども我が県は京浜に次ぐ被害地にして、然も県下第二の被害郡に有之候、幸にして拙宅は半潰にて修理を加へて暫く雨露を凌ぎ居候、小生帰郷するや家内親族を集め尊堂の御厚意を御話申候処、何れも有難涙にむせび申候、尊堂今回の御厚恩の万分の一に報ゆる為め実業を励み、一朝事有る時は命を捨て君の為めに尽す覚悟に御座候、乍筆末報効会諸君に宜敷御伝へ下され度候 敬具
  十二月一日
          千葉県君津郡青堀村大堀
                      平野寅吉
   報効会々長
    子爵渋沢栄一殿

自然ノ強大ナ試練ニ遭遇シタ私共ガ、御情アル貴会ニヨツテココニ蘇生イタシマシタ
御国ニ御奉公イタス私デモ、遠ク父母弟妹ト相去ツテヰルトソレダケ薄幸ノ彼等ノ事ドモ気遣ハレテナリマセンデシタガ、今日過分ナ御同情アル慰藉金ヲ頂戴イタシ、ソノ手デ父母ニ送リマシタトコロ、急ニ心ニユツタリトシタトコロガ生ジテ心置キナク御奉公出来得ルヤウナリマシタ。父母モ定メシ感激ノ上言葉ナキコトト存ジマス。一族ニカハリ厚ク厚ク御礼申上マス 敬白
  十二月二十六日
        甲府歩兵第四十九聯隊第五中隊
                      小島政次
 - 第48巻 p.668 -ページ画像 
   報効会々長
    子爵渋沢栄一殿


渋沢栄一 日記 大正一四年(DK480182k-0005)
第48巻 p.668 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一四年       (渋沢子爵家所蔵)
二月九日 晴 寒
○上略
午前十時工業倶楽部ニ抵リ報効会理事会ヲ開ク、大橋・大谷・高梨ノ諸氏来会ス○下略
  ○中略。
二月十八日 晴 寒
○上略 午飧後工業倶楽部ニ抵リ報効会ノ協議会ヲ開ク○下略


報効会書類(一)(DK480182k-0006)
第48巻 p.668 ページ画像

報効会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
  大正十四年二月十八日評議員会協議事項
一、大正十四年度収支予算ノ件
一、基金処置ノ件
一、財団法人帝国在郷軍人会財団ヘ指定寄附金ノ件


渋沢栄一 日記 大正一五年(DK480182k-0007)
第48巻 p.668 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正一五年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二十二日 曇 寒
午前七時起床、入浴シテ朝飧ス、畢テ○中略 高梨慶三郎氏来リ報効会ノ庶務ヲ談シ、明日評議員会ニ関スル要件ヲ協議ス○下略
二月二十三日 曇又雨 寒
○上略 正午工業倶楽部ニ抵リ報効会評議員会ヲ開ク、井上・大橋・串田・高梨ノ諸氏来会ス○下略


報効会書類(一)(DK480182k-0008)
第48巻 p.668-669 ページ画像

報効会書類(一)             (渋沢子爵家所蔵)
                  (栄一鉛筆)
                  十五年一月二十四日一覧
(印刷物)
    施設事業の現状            財団法人報効会
本会が施設事業の一端として、毎年傷痍軍人(癈兵)並に遺族に対し慰藉金を贈与致して居ますが、大正十四年八月中の遺族定期救護人員は陸軍二千二百七名、海軍三百四十九名、臨時に救護せるもの陸軍十四名、海軍二十九名、合計二千五百九十九名、又傷痍軍人の方は十二月中の定期救護者陸軍千二百五十名、海軍百五十七名、癈兵院在院者八十六名、合計千四百九十三名、この外飛行機其他公務の為めに不慮の死を遂げられし方に対して弔慰金を贈与せるもの十一名で、これ等の総計は四千百三名に達して居ます。
尤もこの数字は大正十四年の初め、各所属聯隊区並に海軍人事部からの新調査によつて救護したもので、其後調査洩れ等で追加し来る人員も日々増加する有様ですから、この書を御覧の頃には、大分増加しをるものと御推察を願ます、是等憐れなる癈兵並に遺族が、本会の慰藉に対して如何に感謝して居るかは、末尾に掲げた礼状を見ても、其の一面を窺ふに足るものがありますが、中には不具癈疾となれる自己の
 - 第48巻 p.669 -ページ画像 
写真に今迄の経歴を述べて、本会の救護に感謝の意を表はすもの、又は会長初め会員の芳名をいちいち列記して感泣にむせぶものもあります。
現在社会一般の思潮が動もすると矯激に流れ、癈兵の思想も亦之に感化せられんとする折柄、多少共一部人心を緩和し精神上に与へた影響は決して鮮少なものではなからうと考へます、然し慰藉保護の結果却つて被保護者をして不平不満の念を起さしむる様な事があつてはならんと、これに従事する職員も設立者並に会員諸賢の意を体し、常に温き心を以てこの事業に従事することに勉めて居ます。
当会に直接救護を求めに来る中には赤児を背をい、四五歳の小供の手を引き、如何にも生活苦其者の様な青ざめた顔の婦人や、又は松葉杖にすがりて辛うじて歩行し得るが如き癈兵等、一つとして同情の念を喚起しないものはありません、従つて慰藉金の贈与を受けたものから礼状等を当会に差出さるゝが如き事は元より期待しては居りませんが然し甚だしきに至つては礼状は愚か金員の受領書さへも出さない者もあり、再参催促して漸く其提出を見る様なものもあります、これが癈兵よりも寧ろ遺族中に多いのは時代の推移とは云へ、誠に遺憾に堪へない次第であります、さは云へ何れも曾ては君国の為めに其の一命を賭して戦場に馳駆した勇士や又其の遺族の方で、然も恵まれずして今日不遇の状態にあるものばかりで、この点は誠に同情の至に堪へぬものばかりであります。
会員諸賢宜しくこの事情御洞察下さつて、向後益々本会の目的達成の為めに御尽力を給はらん事を期する次第であります。
  大正十五年一月
  ○以下礼状七通路ス。