デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
1節 記念事業
5款 山県有朋公記念会
■綱文

第49巻 p.55-64(DK490024k) ページ画像

大正11年7月26日(1922年)

是月十二日、栄一、華族会館ニ開カレタル当会発起人協議会ニ出席シ、資金募集事務主幹並ニ発起人総代ノ一人ニ推サル。是日、資金募集ノタメ実業家数十名ヲ華族会館ニ招待ス。栄一、資金募集ノ要旨ヲ演説ス。後、金三千円ヲ当会ニ寄付ス。


■資料

集会日時通知表 大正一一年(DK490024k-0001)
第49巻 p.55 ページ画像

集会日時通知表  大正一一年       (渋沢子爵家所蔵)
七月 十二日 水 午後二時 故山県公記念事業ニ関スル件(華族会館)
  ○中略。
七月二十六日 水 午後三時 故山県公記念事業之件(華族会館)


竜門雑誌 第四一二号・第六二頁 大正一一年九月 ○故山県公記念事業計画(DK490024k-0002)
第49巻 p.55 ページ画像

竜門雑誌  第四一二号・第六二頁 大正一一年九月
○故山県公記念事業計画 青淵先生・清浦子爵・後藤男爵等諸氏に依りて発起せられたる故山県公爵銅像建設及び伝記編纂に付き夫々準備中の処、七月廿六日午後一時より華族会館に於て故公爵を敬慕せる朝野の名士と会合し、右事業の速成に関して協議を遂げ、寄附金の募集に着手することゝなりし由


山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編 第一九九―二〇三頁 昭和八年一二月刊(DK490024k-0003)
第49巻 p.55-57 ページ画像

山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編
                     第一九九―二〇三頁 昭和八年一二月刊
 ○第三 山県有朋公記念事業経過報告
    一 事業ノ発端ト停頓
山県有朋公記念ノ為銅像ヲ建設シ伝記ヲ編纂シタイトノ企画ハ、大正十一年同公薨去ノ直後カラ有志者間ニ起ツタノデアリマシタガ、漸次其ノ議ガ熟シマシテ同年ノ六月二十七日ニ清浦子爵・平田子爵・田中男爵・安広伴一郎氏等会合商議ノ結果大体左ノ様ニ協定セラレマシタ
 一 記念事業トシテ銅像ヲ建設シ伝記ヲ編纂スルコト
 一 発起人ハ左ノ方々ニ依頼スルコト(順序不同)
  西園寺公爵  毛利公爵  松方侯爵
  井上侯爵   前田侯爵  清浦子爵
  平田子爵   伊東子爵  曾我子爵
  三浦子爵   牧野子爵  浜尾子爵
  石黒子爵   後藤男爵  田男爵
  古市男爵   大森男爵
  東郷元帥   奥元帥   長谷川元帥
  井上元帥   河村元帥  上原元帥
  田中大将   大島大将  山梨大将
 - 第49巻 p.56 -ページ画像 
  三井男爵   岩崎男爵  渋沢子爵
  大倉男爵   益田男爵  藤田男爵
  安川男爵
 一 記念事業ノ分担ヲ左ノ通トナスコト
  伝記編纂   平田子爵  大島中将
  銅像建設   田中大将  児島中将
  資金募集   後藤男爵  山下亀三郎氏
 一 事務所ハ安広氏考慮スヘキコト
 一 発起人ニ左ノ案内ヲ発シ会同ヲ求ムルコト
  拝啓 故元帥山県公記念の為銅像建設並伝記編纂の発起に関し、兼而御内意相伺置候次第も有之候処、今般右に付一応御集会相願ひ、具体的計画に関し御相談申上度、御繁用中御迷惑とは存候得共、来十二日午後二時華族会館へ御光臨被成下候はゝ仕合に存候先は右得貴意度如此御座候 草々敬具
    大正十一年七月七日      子爵 渋沢栄一
                      山梨半造
                   子爵 清浦奎吾
其ノ結果七月十二日ニ華族会館デ協議ノ会合ガ開カレマシタガ、出席者ハ(順序不同)
  清浦子爵   井上侯爵   平田子爵
  三浦子爵   牧野子爵   曾我子爵
  後藤男爵   古市男爵
  東郷元帥   長谷川元帥  井上元帥
  河村元帥   大島大将   田中大将
  山梨大将
  渋沢子爵   益田男爵
ノ十七氏デアリマシテ、協議ノ結果
 一 発起人総代ニ左ノ三氏ヲ煩ハスコト
  清浦子爵   山梨陸軍大臣  渋沢子爵
 一 各事務ノ主幹トシテ左ノ諸氏ヲ煩ハスコト
  銅像建設   田中大将   児島中将
  伝記編纂   平田子爵   大島中将
  資金募集   後藤男爵   益田男爵
         渋沢子爵   山下亀三郎氏
 一 顧問及評議員若干名ヲ依頼スルコト、其ノ人選ハ発起人総代ニ委任スルコト
 一 幹事若干名ニ庶務ノ担当ヲ依頼スルコト、其ノ人選ハ発起人総代ニ委任スルコト
 一 各事務ノ主幹ニ於テ事業執行ノ方法ヲ立案シテ提示セラルベキコト
等ヲ定メラレマシタ。
 右ノ次第デ、本事業発起ノ基礎ハ成立ヲ見ルニ至リマシタガ、其ノ実行ハ、何ト云フテモ資金ノ募集ガ第一ノ緊要事デアリマシテ、先以テ財界ノ有力者ノ助力ニ俟タネバナリマセン為、七月二十六日ニ我国
 - 第49巻 p.57 -ページ画像 
実業界ノ重鎮デ特ニ山県老公ニ縁故ヲ有スル名士数十名ヲ華族会館ニ招待スルコトヽナリマシタ。此ノ会合ノ招待状ニハ、初メカラ山県公記念事業ノ為援助ヲ請ヒ度イト思フカラ御会合ヲ願フト云フ様ナ意味ノコトヲ明記致サレマシタガ
  大倉男爵   団男爵    浅野総一郎
  大橋新太郎  和田豊治   渡辺治右衛門
  加藤正義   渡辺勝三郎  神戸挙一
  小池国三   神田鐳三   根津嘉一郎
  志村源太郎  森俊六郎
等ノ財界ノ巨頭ヤ
  清浦子爵   渋沢子爵   田中大将
  後藤男爵   上原元帥   児島中将
  入江貫一
等ノ発起人側ノ出席ガ有リマシテ後藤男爵・渋沢子爵カラ資金募集ノ趣旨ヲ演述セラレ、二・三質問ノ後、本日招待ノ人々ノ外ニ更ニ京阪地方ノ実業家ヲ追加シ一同発起人トシテ尽瘁スルコト及資金ノ大部ハ右発起人ニ於テ負担スベキコトヲ申合セテ散会致シマシタ。尚ホ当日記念事業ノ趣意書案トシテ提示セラレタルモノハ左ノ通デアリマス。
 故元帥山県有朋公ハ、夙ニ維新ノ大業ヲ翼賛シテ陸軍ノ創設ニ力メ至誠純忠、出テハ将、入リテハ相トナリ、頻リニ帷幄ノ機務ニ参シ屡閫外ノ重寄ニ膺リ、又市町村制ヲ定メテ自治ノ基ヲ開キ、国政ヲ塩梅スルコト久シク、常ニ国家ノ休戚ヲ念ヒ、恪勤躯ヲ揖テ匡輔ノ大任ニ服ス、其ノ徳望丕績ハ中外ニ顕彰シテ百世ノ儀表タリ、元帥薨シテ玆ニ数月、追懐日ニ切ニシテ敬慕加々深シ、依テ同志相謀リ銅像ヲ適地ニ建立シ、伝記ヲ編纂シ、以テ欽仰ノ意ヲ致サムト欲ス同感ノ諸賢此ノ挙ヲ賛襄セラレムコトヲ冀フ
 右ノ如ク協議ガ定マリマシタノデ、各主幹ノ下デ具体的ノ案ヲ立テテ実行ニ入ルコトヽナリマシテ、伝記ノ係ニ於テハ人ヲ派シテ只スラ材料ノ蒐集ニ力メ、又募集ノ係デハ各方面ニ就寄附ノ内交渉ヲ進メマシタガ、当時大正九年以来ノ財界不況ノ影響ヲ蒙ルコトガ意外ニ深酷デアリマシテ、迂濶ニ手ヲ染メテハ資金募集ノ計画ガ或ハ失敗ニ帰シハセヌカト懸念セラレルヤウナ情況デ、或ハ今少シク時期ヲ待ツ方ガ得策デハ無イカトノ説サヘアリマシテ、之ガ為本計画ヲ一般ニ発表スルコトヲ差控ヘ、只内部ニ於テ準備ヲ整ヘ好時機ノ到来ヲ待チツヽ、何時カ一年余ヲ経過シテシマヒマシタ。然ルニ大正十二年九月一日彼ノ関東地方ノ大震災ガ突発シ、遂ニ本事業ハ一時全ク停頓スルニ至リ只僅カニ一・二ノ嘱託員ヲ置イテ伝記ノ資料蒐集ニ当ラシムルニ止マルノ情態デ、空シク数年ヲ経過スルノ已ムナキニ至リマシタ。


中外商業新報 第一四九五三号 昭和二年一〇月五日 山公銅像協議 首相有力者招待(DK490024k-0004)
第49巻 p.57-58 ページ画像

中外商業新報  第一四九五三号 昭和二年一〇月五日
    山公銅像協議
      首相有力者招待
田中首相は来る十四日午後六時より外務大臣官邸に清浦・後藤・渋沢・石黒各子、平山・田・益田・藤田各男、児玉伯、大倉喜八郎・安広伴
 - 第49巻 p.58 -ページ画像 
一郎・団琢磨・二上兵治・添田寿一・入江貫一・大島健一中将・木村久寿弥太・藤田四郎・有吉忠一・山下亀三郎・野崎広太・大橋新太郎・有賀長文・久原房之助・高橋義雄諸氏の朝野有力者を招待、晩餐会を開催し、故山県公の伝記編纂及び銅像建設について協議する筈


寄附金依頼ニ関スル来書 【(謄写版) 前略 故山県有朋公記念事業計劃に関し…】(DK490024k-0005)
第49巻 p.58-59 ページ画像

寄附金依頼ニ関スル来書          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
前略
故山県有朋公記念事業計劃に関し、昭和三年四月十三日外務大臣官邸に催されたる田中首相御招待の協議会の次第、大要別紙の如くに候条為御参考申進候
  昭和三年四月十四日   故山県有朋公記念事業
                      発起人総代
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
(別筆)
参千円寄付セラルヽ旨 三・六・一四承ル 明六
(別紙)
昭和三年四月十三日午後零時三十分田中総理大臣の主催に依り、裏霞ケ関外務大臣官邸に於て故山県有朋公記念事業計劃に関する協議会を開く、席上田中総理大臣の談話あり、次て後藤子爵の挨拶あり、食後懇談の末、別記の諸氏は各頭書の通り事業資金の寄附を申出られ午後三時散会せり
    出席芳名
 男爵 田中義一殿  男爵 藤田平太郎殿 男爵 大倉喜七郎殿
 男爵 古河虎之助殿    根津嘉一郎殿    木村清四郎殿
    野崎広太殿     山下亀三郎殿    団琢磨殿
    結城豊太郎殿    末延道成殿     井上準之助殿
    室田義文殿     飯田新七殿     松岡洋右殿
    服部金太郎殿    野々村金五郎殿   佐々木勇之助殿
    白仁武殿      中山太一殿     堀啓次郎殿
    松永安左衛門殿   藤山雷太殿     原邦造殿
    窪田四郎殿     西脇済三郎殿    湯川寛吉殿
    渡辺勝三郎殿    田中文蔵殿  侯爵 井上勝之助殿
 伯爵 児玉秀雄殿  子爵 後藤新平殿  男爵 古市公威殿
 男爵 平山成信殿     一木喜徳郎殿    江木千之殿
    二上兵治殿     有吉忠一殿     中村芳治殿
    白川義則殿     岩原謙三殿     串田万蔵殿
    福井菊三郎殿    大島健一殿     入江貫一殿
    金子武麿殿
     寄附金申出芳名
 金五千円也          田中男爵殿
 金壱千円也          後藤子爵殿
 金弐万円也          大倉男爵殿
 金五千円也          白仁武殿
 金壱万円也          住友男爵殿
 - 第49巻 p.59 -ページ画像 
 金参万円也          三井男爵殿
 金壱万円也          藤田男爵殿
    (外ニ原料銅)
 金五千円也          井上準之助殿
 金五千円也          末延道成殿
 金参千円也          大橋新太郎殿
 金五千円也          服部金太郎殿
 金壱万円也          中山太一殿
 金参千円也          原邦造殿
 金参千円也          渡辺勝三郎殿
    田中総理大臣談話要領
本日は御多忙中に拘らず御来会下さつた事を深く感謝致します
此の機会に於て故山県有朋公の記念事業に関し各位の御助力を御願ひ致し度いと存じます
同公の銅像建設及伝記編纂の事は数年前より有志の間に屡々其の議が有りましたが、今日まで時機を得ず実行に入る事が出来なかつたのであります
昨年の秋数名の方々に準備の事を御願ひし玆に大体の案を得ました故此の際是非各位の御賛助を得て成就したいと希望致す次第であります経費は此の際出来得る限り節約して銅像十二・三万円、伝記編纂六・七万円(無料配本共)位で仕上げたい考へでありますが、御承知の通りの節柄にて其の資金の集りも如何と思はれます故、偏に各位の御考慮を煩はし度いと存じます
尚資金を募集したり材料を聚集したりするに当り、余り多くの発起人の名を連ねるのは煩はしい事でもあります故、五・六名の総代を定めては如何かと存じます
 私の考へでは清浦子爵・後藤子爵・渋沢子爵の外に尚ほ実業家から益田男爵・大倉翁と軍人側から再三名に発起人総代を御願ひしては如何かと思ひます、私も必要あらば名を連ぬる事は辞しませぬ
其の外実務に当つて尽力を願ふ可き世話人と、各種の相談に与かつて下さるべき相談役若干人を御願ひする必要が有るかと考へますが、之等は発起人総代に御一任しては如何かと存じます


寄附金依頼ニ関スル来書 【(謄写版) 謹啓 山県有朋公記念事業に関し…】(DK490024k-0006)
第49巻 p.59-61 ページ画像

寄附金依頼ニ関スル来書          (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
謹啓
山県有朋公記念事業に関し発起人総代御名義を以て、寄附内諾の各位及び賛助員へ別紙の通り書面差出置候間、右御諒知置被下度此段御含迄申進候
  昭和三年五月十一日      山県有朋公記念事業
                       世話人
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
(別紙、印刷物)
謹啓
 - 第49巻 p.60 -ページ画像 
予て得貴意置候山県有朋公記念事業に関しては其後追々諸般の準備も相整ひ、愈々実行に着手致すことゝ相成候、是れ偏に御高庇に依ることゝ深く奉感佩候、就ては御寄附金の儀も取扱銀行等相定め拝受のことに取計置候間、御繁用中恐縮の至に存候得共、御便宜に従ひ別記銀行○略ス の内へ御払込被下候か、又は振替貯金御利用御払込被下候はゞ幸甚に奉存候、先は右御礼旁々御願申上度如斯御座候 敬具
  昭和三年五月三日   山県有朋公記念事業発起人総代
                   男爵 田中義一
                   子爵 清浦奎吾
                   子爵 後藤新平
                   子爵 渋沢栄一
                   男爵 益田孝
                      白川義則
                      大島健一
(印刷物)
拝啓 時下愈御清穆之段奉恭賀候、陳者枢密院議長元帥陸軍大将従一位大勲位功一級公爵山県有朋公薨去せられしより既に七年を経過仕候処、下名等相謀り山県有朋公記念事業の計画相立て、故公の銅像を鋳造し禁城域外に建設して英風を千載に伝へ、又伝記を編纂して江湖に頒布し以て故公の偉蹟を後昆に遺さんことを発議仕、玆に博く有志諸賢の御賛同を懇請致す次第に御座候
顧ふに故公八十六年の生涯は明治・大正の活歴史とも申すべく、明治維新の大業に翼賛せるを始めとし、内外諸制度の制定、特に地方自治制度の創設、陸軍組織の樹立、国民徳育の涵養、教育制度の普及等文といひ武と云ひ関り知らざる無く、奇兵隊活動の当初より戊辰役、十年役、日清・日露の両役、其他大小の諸戦役に際し参画せられざりしもの無之候、此の間又内閣を組織せらるゝこと前後両回、枢密院議長たること通じて十数年に及び、其劬労の偉大なること殆んど他に類例も無之と存候、世途兎角多端にして動もすれば適帰を失はんとする現今に於て、故公を追憶し記念せんとするの業は啻に先輩を瞻仰する吾人後進の私情のみには無之ことを確信仕候、但何分にも之か為め巨大の費資を要すべき儀に有之候へば、何卒右の趣旨御賛同の上本計画に対し御出捐相仰度、右記念事業発議に際し懇請申上度如斯候 敬具
  昭和三年五月 日   山県有朋公記念事業発起人総代
                   男爵 田中義一
                   子爵 清浦奎吾
                   子爵 後藤新平
                   子爵 渋沢栄一
                   男爵 益田孝
                      白川義則
                      大島健一
      追白
 一、山県有朋公記念事業規約概要別記の如くに有之候
 - 第49巻 p.61 -ページ画像 
 一、御寄附金御払込は乍御手数本年十月末日までに願上候
○下略

  山県有朋公記念会規約概要
一、本会ノ名称ハ山県有朋公記念会トス
二、本会ハ山県有朋公ヲ記念スル為其銅像ヲ建設シ、且伝記ヲ編纂頒布スルヲ目的トス
三、本会ノ事務所ハ当分ノ内東京市麹町区内山下町一丁目一番地東洋ビルデイング内ニ置ク
四、本会ノ目的ヲ達成スル為必要ナル経費ハ、知友故旧等ノ有志者ノ寄附金ヲ以テ之ニ充ツ
五、本会ノ目的ヲ賛助シ金十円以上ヲ寄附シタル向ニハ、本会ノ編纂スル山県有朋公伝記一部ヲ贈呈ス
六、銅像ノ様式、建設ノ地位、製作者、伝記ノ様式、其編纂者、其頒布先其他重要ナル事項ハ発起人総代ノ協議ニ依リ之ヲ決定ス
七、本会ノ事務ヲ分掌スル為、発起人総代ノ協議ニ依リ委員若干名ヲ依嘱ス
八、本会ノ事業ニ関スル金銭ノ出納ハ之ヲ明確ニシ、事業完了ノ後之ヲ報告ス
九、本会ノ経費ニ余剰ヲ生シタルトキハ、銅像ノ維持資金トシテ発起人総代ノ協議ニ依リ適当ナル方法ヲ以テ之ヲ保存ス
  相当ナル額ノ維持資金ヲ置キテ尚ホ余剰アルトキハ発起人総代協議ノ上山県有朋公記念ノ為之ヲ使用スルコトヲ得
      以上
   備考
い、本事業ノ経費ハ銅像建設関係約金拾参万円、伝記編纂頒布関係約金七万円合計約金弐拾万円ノ予定トス
ろ、銅像建設ノ場所ハ略ホ東京市麹町区永田町陸軍用地内ニ予定ス
は、本事業ハ著手後二箇年ヲ以テ完成スヘキ見込トス


(増田明六) 書翰控 山下亀三郎宛 昭和三年六月二〇日(DK490024k-0007)
第49巻 p.61 ページ画像

(増田明六) 書翰控  山下亀三郎宛 昭和三年六月二〇日
                     (渋沢子爵家所蔵)
(控)
    山下亀三郎様
拝啓 益御清適奉賀候、然ば過日尊話の故山県公爵記念事業に対する渋沢子爵寄附金の義は金参千円御寄附申上候事と相成候間、御序に記入帳簿御廻し被下度候、乍延引右御通知申上候 敬具
  昭和三年六月二十日           増田明六
 尚々可相成ハ本文寄附金三年賦位ニ致度候ヘ共御都合如何哉、御考被下度候
  ○次掲資料ニ寄附金ヲ二〇〇〇円トナス。変更アリシモノカ。


山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編 第一八頁 昭和八年一二月刊(DK490024k-0008)
第49巻 p.61-62 ページ画像

山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編
                    第一八頁 昭和八年一二月刊
 - 第49巻 p.62 -ページ画像 
  第二 山県有朋公記念事業賛助者芳名録
○上略
二、〇〇〇・〇〇           子渋沢栄一
○下略


山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編 第二四六―二五一頁 昭和八年一二月刊(DK490024k-0009)
第49巻 p.62-63 ページ画像

山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編
                   第二四六―二五一頁 昭和八年一二月刊
 ○第三 山県有朋公記念事業経過報告
    七 事業完了及事務終結
 以上ノ如ク本会ノ目的タル山県有朋公ノ銅像ノ建設及伝記ノ編纂配布ノ事業ハ玆ニ完了ヲ告グルニ至リマシタ故、昭和八年六月十四日東京会館ニ於テ(椿山会集会前)委員ノ会合ヲ開キ左ノ件ヲ協議致シマシタ
  一 収支計算報告
  二 徳富氏外関係者ニ謝礼ノ件
  三 資産処分ノ件
○中略
      山県有朋公記念会規約
 一 本会ハ故元帥公爵山県有朋公ヲ記念スルヲ目的トス
 二 本会ハ前項ノ目的ヲ遂行スル為左ノ事業ヲ行フ
   イ、銅像ノ保存
   ロ、記念祭典ノ執行
   ハ、其他本会ノ目的達成ノ為適当ト認メタル事項
 三 本会ノ資産ハ左ノ如シ
   イ、山県有朋公記念事業委員ヨリ継承シタル資金
   ロ、有志者ノ寄附金其他ノ収入
 四 本会ノ事務所ハ当分ノ内左ノ場所ニ置ク
   東京市麹町区富士見町六丁目十四番地公爵山県有道方
   ○五―九、及ビ初代役員氏名略ス。
 右ノ如ク本会所期ノ事業ハ完了ヲ告ゲ残務ノ処置ニ付テモ決定ヲ見ルニ至リマシタノデ、十一月三十日資産ノ全部ヲ新ニ設立セラレタル山県有朋公記念会ニ引継ヲ了リ、玆ニ本会ノ目的ヲ達成シテ芽出度解散致スコトヽナリマシタ。
 最後ニ一言附加致シ度イコトハ、本会ノ創立前ヨリ一方ナラズ御配意下サレ、又事業遂行ニ当ツテモ発起人総代トシテ非常ナル御尽力ヲ預リマシタ
                   男爵 田中義一
                   伯爵 後藤新平
                   子爵 渋沢栄一
                   男爵 白川義則
 諸閣下ハ事業ノ完成ヲ待タズニ薨去セラレタルノミナラズ、多大ナル御援助ヲ蒙リマシタ
                   伯爵 平田東助
                   男爵 大倉喜八郎
 - 第49巻 p.63 -ページ画像 
                   男爵 平山成信
                   侯爵 井上勝之助
                   公爵 伊藤博邦
                   男爵 田健次郎
                   男爵 中村雄次郎
                   男爵 団琢磨
                      江木千之
                      江木翼
                      井上準之助
                      湯川寛吉
                      本山彦一
                      長岡外史
                      賀古鶴所
                      畑英太郎
                   子爵 上原勇作
 其他幾多ノ方々モ世ヲ辞セラレマシテ、親シク事業完成ノ御報告ヲ申上ゲルコトノ出来ナイノハ甚ダ遺憾ニ堪ヘヌコトデアリマス、玆ニ謹デ其ノ尊霊ニ対シ御報告ヲ兼ネ拝謝ノ意ヲ表スル次第デアリマス。


山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編 第一―四頁 昭和八年一二月刊(DK490024k-0010)
第49巻 p.63-64 ページ画像

山県有朋公記念事業報告書 山県有朋公記念事業会編
                    第一―四頁 昭和八年一二月刊
 ○第一 山県有朋公記念事業収支計算報告
      収支計算書
   収入
                           円
一、寄附金収入(内訳別記ノ通)     二四八、五九九・〇〇
一、利子収入               一四、八八四・八三
  合計                二六三、四八三・八三

   支出
一、事務所費                八、六六七・六八
     内
   人件費                五、二九五・〇〇
   通信印刷費              一、〇六二・九九
   事務所借入費             一、四九七・五二
   雑費                   八一二・一七
一、伝記編纂費              六四、七七三・八〇
     内
   編修費               四〇、三〇〇・〇〇
   遺墨展覧会費             二、〇〇〇・〇〇
   印刷製本費             二二、四七三・八〇
一、伝記配本費               一、三九一・六三
一、銅像建設費             一二五、〇二四・五七
     内
   原型製作及建立費 北村西望請負   九五、〇〇〇・〇〇
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   銅像鋳造費 陸軍砲兵工廠委託    二七、五〇〇・〇〇
   敷地整備費 陸軍省官房委託      二、二二四・五七
   謝儀                   三〇〇・〇〇
一、銅像除幕式費              一、九三七・二四
     内
   手当諸費                 三九九・五一
   記念品費                 八八一・〇六
   通信印刷費                四二七・〇四
   式場設備費                一九〇・七〇
   雑費                    三八・九三
一、銅像保存費                 二八四・五〇
一、記念品費及謝儀             八、五一〇・〇〇
     内
   贈呈古文書購入料           六、〇〇〇・〇〇
   伝記編纂所員四氏ヘ謝儀        二、〇〇〇・〇〇
   事務所手伝人五人ヘ謝儀          五一〇・〇〇
一、報告及事務終了諸費             八五六・四九
     内
   報告書印刷製本費             四九〇・六六
   報告書発送費               一三四・〇〇
   報告会費                 一〇〇・九五
   報告書調成関係者ニ謝礼          一〇〇・〇〇
   雑費                    三〇・八八
  合計                二一一、四四五・九一
収支差引残額               五二、〇三七・九二
 右山県有朋公記念会会長伯爵清浦奎吾代田中文蔵ヘ引渡済
  ○当会ノ事業タル銅像建設ハ昭和五年十一月一日除幕式行ハレ、伝記刊行ハ昭和八年二月ニ至リテ完成ス。依ツテ当会ハ昭和八年十一月三十日新タニ組織セラレタル同名ノ記念会ニ資産ヲ引継ギテ解散セリ。


公爵山県有朋伝 徳富猪一郎編 上巻例言・第一―六頁 昭和八年二月刊(DK490024k-0011)
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公爵山県有朋伝 徳富猪一郎編  上巻例言・第一―六頁 昭和八年二月刊
    例言
一 山県公の伝記編纂は、同公記念事業会の企画に係るものにして、予は同会より、伝記編纂に関する一切の任務を挙げて附託された。予が総裁の下に、公爵山県有朋伝記編纂所を設け、本書の編纂に著手した。而して本書編纂に就ては、先づ公の一生の本領、一代の事功、即ち公の等身像とも云ふ可き輪廓に就き、予の所見を提示し、而して後その編纂の執筆は、専ら紫山川崎三郎君の任ずる所と為つた。乃ち本書が予定の期日を違へず、著々其功を終りたるは、偏に君の力に由る。
○中略
  昭和七年十二月上浣      蘇峰 徳富猪一郎識