デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
1節 記念事業
6款 財団法人東京震災記念事業協会
■綱文

第49巻 p.65-73(DK490025k) ページ画像

大正13年9月(1924年)

是月、大正十二年九月一日ノ関東大震災遭難者ノ霊ヲ弔ヒ、本所被服廠跡ニ記念堂ヲ建設セントスル趣意ヲ以テ、東京市長設立者トナリテ、当協会設立セラル。栄一顧問トナリ、後、金千円ヲ寄付ス。


■資料

被服廠跡 東京震災記念事業協会編 第一四―二九頁 昭和七年三月刊(DK490025k-0001)
第49巻 p.65-68 ページ画像

被服廠跡 東京震災記念事業協会編  第一四―二九頁 昭和七年三月刊
  本会設立及組織
    第一節 旧協会の設立
一、設立並組織
 大正十三年八月東京市長設立者となつて、財団法人東京震災記念事業協会の設立認可を内務大臣に申請した。当時本事業の資金としては前に大震災善後会及震災同情会より本会の目的に全く一致する事業資金として市に寄附せられた五万円を有するのみであつた。内務省に於ては百万円の財団を設立するに際し其資金が僅かに五万円にては不足なりとし、之が認可を保留せられることゝなつた。玆に於て已むを得ず此の五万円を資金として通常団体として「東京震災記念事業協会」を設立し、東京市長・東京府知事・警視総監・東京市会議長・東京商業会議所会頭・東京市助役が理事に就任し、東京市長が会長となり、渋沢子爵・後藤子爵・阪谷男爵を顧問に嘱託した。
 此の所謂旧協会の規則並歴代役員及職員は左記の如くである。
    東京震災記念事業協会設立趣意書
  天災地異何レノ世カコレ無カラン、我東京市ニ在リテモ江戸ノ昔ヨリ災変ニ遭逢シタルコト幾回ナルヲ知ラズ。然レドモ大正十二年九月一日ノ震災ハ未ダ嘗テ見サル所、其惨害ノ大ナル恰モ安政ノ地震ニ明暦ノ大火ヲ併セタルノ観有リ。人文発達百事改進ノ今日、都下ノ強半ヲ焼毀シ、巨億ノ富ヲ灰燼ニ付シタルニ止マラズ、生霊幾万ヲ奪ヒ到ル処ニ正視ス可ラザルノ惨状ヲ呈シ、或ハ一場数万ノ惨死者ヲ出スニ至ル、人間傷心ノ事コレヨリ甚シキハ有ラズ、真ニ天殃避ケ難キニ由ルト雖、人事亦尽サヾル可ラズ。幸ニ危難ヲ免レタル者、深ク哀悼スル所有ル可キハ勿論、後世児孫ヲシテ永ク之ヲ記憶セシメ、斯ル不慮ノ天災ニ処スル途ヲ考慮セシムルコトハ、独リ児孫ノ為メノミナラズ、亦犠牲者ヲ安慰スルノ道ナリ。
  吾等玆ニ見ル所有リ、一般同感ノ士ト相謀リ、本会ヲ組織シ、東京市ト協力シテ、全市中最モ惨禍ヲ極メタル本所区横網町陸軍被服廠跡ニ、記念堂ヲ建設シ、附近一帯ヲ森厳ナル公園ト為シ、以テ犠牲者ヲ永久ニ追弔スルト共ニ、一面社会教化ノ機関ニ充テ
 - 第49巻 p.66 -ページ画像 
不言ノ警告ヲ百世ニ垂レント企図ス。
  本会ハ実ニ之ニ要スル浄財ノ募集並ニ施設ノ完成ヲ為サント欲スル者ニシテ、全部竣成ノ上ハ残存資産ヲ併セテ之ヲ東京市ニ寄附スルモノトス。希クハ大方ノ諸彦、本会ノ趣旨ヲ賛シテ助力翼成アランコトヲ。
  大正十三年九月
   東京震災記念事業協会々則
     第一章 名称
第一条 本会ハ東京震災記念事業協会ト称ス
     第二章 目的及事業
第二条 本会ハ東京ニ於ケル大正十二年ノ大震災ヲ記念シ併セテ遭難者ノ霊ヲ弔スル為メ、左ノ事業ヲ行フヲ以テ目的トス
 一、 東京市本所区横網町一丁目(陸軍被服廠跡)ニ記念堂ヲ建設シ、之ニ附帯スル公園施設ヲ為スコト
     第三章 事務所
第三条 本会ハ事務所ヲ東京市麹町区有楽町二丁目一番地東京市役所内ニ置ク
  ○第四章第四条―第八章第二十四条略ス。
○中略
    東京震災記念事業協会職員事務規定○略ス
      役員(創立より法人団体設立前まで)
顧問
        氏名     在任期間            備考
    子爵 故渋沢栄一  大十三年九月至大正十五年九月
    伯爵 故後藤新平  同
    男爵  阪谷芳郎  同
        永田秀次郎 同
会長
 (東京市長)      永田秀次郎  大正十三年九月   設立準備委員長大正十三年九月会長退任ト共ニ顧問トナル
 (同 )        中村是公   自大正十三年十一月
                    至大正十五年六月
 (同 )        伊沢多喜男  自大正十五年六月
                    至同年九月
理事
 (東京府知事)     宇佐美勝夫  自大正十三年九月
                    至大正十四年九月
 (警視総監)      太田政弘   自大正十三年九月
                    至大正十五年九月
 (東京商業会議所会頭) 藤山雷太   自大正十三年九月
                    至大正十四年二月
 (東京市会議長)    伯爵柳沢保恵 自大正十三年九月
                    至同年十月
 (東京市助役)     馬渡俊雄   大正十三年九月   設立準備副委員
 (同 )        岡田忠彦   自大正十三年十一月
                    至大正十五年七月
 (東京府知事)     平塚広義   自大正十四年九月
                    至大正十五年九月
 (東京市助役)     丸山鶴吉   自大正十五年七月
                    至同年九月
 (東京市会議長)    小島七郎   同
 (東京商業会議所会頭) 藤田謙一   同
○中略
二、経過
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 大正十三年九月一日は恰も大震災の一週年に相当するので、被服廠跡に建設せられた仮納骨堂に於て追悼会を行ひ此の機会に於て、一般寄附金を募集することゝし、同日は会場に於て之が取扱ひを行ひ相当の成績を挙げ得た。此外市内は各区役所、市外は府下各町村長に依頼し、全国的には各地方長官、主なる実業家等に対して夫々寄附募集の依頼状を発送し、同時に印刷物・新聞広告等に依つて広く寄附の募集に着手した。
 然るに同月永田会長が東京市長を辞任せられ、後に中村是公氏市長に就任せられたが、十一月までは事実上会長が無いことになつた。然のみならず、永田会長は事業計画を発表するや、直ちに財界の主なる方面に対して親しく寄附を依頼し、略々決定を見るまでに進行してゐたが、辞職のために種々の手違を生じて、為めに其等財界巨頭の寄附金額は極めて少額となり、其結果は一般財界方面の寄附募集に大蹉跌を生ずる原因となつた。
 十二月に至つて震災記念堂の建築様式を決定する場合に立到り、従来の仮案は事業発起の暫定的のものであれば、之が決定案は事業の性質上広く一般に其の考案を募集することが適当であるとの見解の下に準備委員は記念堂設計図案募集規定及同応募心得を作成して之を発表した。
 同時に各方面の寄附金募集にも歩を進め、十五年春に至つて記念堂建築図案決定し、愈々事業の進捗を計るべき時に至つて、一部に於て記念堂建設に就て異議が唱へられたのである。曰く帝都の大半が焦土と化し、之が復興に多大の資金を要する際に、百万円の巨額を以て形式的な震災記念堂又は納骨堂を建設すると云ふが如きは時代錯誤である。如斯不急の事業には賛成が出来ぬと云ふのであつた。
 本会に於ては此の輿論に対して、本事業は決して大震火災の犠牲者の為に単に一つの墳墓を作ると云ふのではなく、我々は平素一人の友の病死に対してすら数百人の親族知己に依つて其れを弔ひ霊を祀るものであれば、今数万の同胞が一時に惨死したことに対しては須らく、幸に其の厄を免れた数百万人の同情に依つて其れを祀り、且つ其原因を明にして後世に警告を残すと同時に犠牲の霊を永く慰むることが至当であつて、納骨堂は即ち其の一部であることを主張し、本会の目的は犠牲者の霊を祀り、其の加護に依つて将来の市民をして斯くの如き大災害に対する自警と、之に処するの途を常に考慮研究せしむる記念の場所として之を建設し、尚平素は此の記念堂を精神修養、社会教化の機関として有意義に使用せんとするもので、決して単純な墳墓を作るのが目的ではないことを機会ある毎に高唱したのであつたが、幸に此の悲惨に遭遇し困憊の極にある罹災者遺族方面は之に対して充分の理解を寄せられた。現に本所区などは非常なる熱心をもつて実に予定金額の三倍が忽にして醵出されたが、一般には災痍尚癒へざることゝて予期の成績を見ることは困難であつた。
 寄附金の募集が遅々として進まないので、之が目的を達成する為には、どうしても国の援助に俟つ外なしとして、事情を具して之を内務省に申請したところ、内務省に於ては之を諒とせられ、同年四月第一
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回補助金拾万円を下附せられた。本会はこの内務省の援助に力を得て引続き寄附金を募集し、併せて記念堂の実施設計起工の準備を進め同年九月一日大震災二周年の追悼式を行ふ日に於て、東京震災記念堂建設地鎮祭を挙行するに立到つた。
 翌十月本会の事業が畏くも 天聴に達し事業建設資金として金壱万円御下賜の 恩命を拝したのである。
 本会は只管 聖旨の優渥なるに恐懼感激し誓つて事業の完成を告げ以て聖慮に答へ奉らんことを期したのである。其後漸次に本会事業に対する理解と同情とが集り、同月兵庫県震災救護団から金拾万円の寄贈を受け、更に善隣中華民国の仏教徒から梵鐘の寄贈を受けた。
 十二月には仏教聯合会に対して仏教関係方面への寄附勧募方を依頼し、引続き寄附金の募集と記念堂建設実施設計の調査を進めた。
 翌大正十五年八月に至り、内務省から第二回補助金弐拾五万円を下附された。此処に於て本会は約七十万円の資金を有するに至つたので同年九月伊沢市長設立者と成つて、財団法人東京震災記念事業協会設立認可を内務大臣に申請し、十月之が設立を許可された。
 此処に於て東京震災記念事業協会は、事務一切を新に許可せられた財団法人東京震災記念事業協会に引継いで解散したのである。


大震災善後会報告書 同会編 第三八九―三九二頁 大正一四年一二月刊(DK490025k-0002)
第49巻 p.68-69 ページ画像

大震災善後会報告書 同会編  第三八九―三九二頁 大正一四年一二月刊
 ○第三章 第二節 救済事業ノ経営及成績
    (五)東京震災記念事業協会
一 震災遭難者祭祀堂建設          三〇、〇〇〇円
二 這回ノ大震火災ハ古今未曾有ノ大惨事ニシテ、人文発達百事改進ノ今日都下ノ強半ヲ焼毀シ、巨億ノ富ヲ灰燼ニ付シタルニ止マラス生霊幾万ヲ奪ヒ到ル処ニ正視スヘカラサルノ惨状ヲ呈シ、或ハ一度ニ数万ノ惨死者ヲ出スニ至ル、傷心之ヨリ甚シキハアラス、真ニ天殃避ケ難キニ由ルト雖モ、人事亦尽ササル可カラス、幸ニ危難ヲ免レタル者深ク哀悼スル所有ル可キハ勿論、後世児孫ヲシテ永ク之ヲ記憶セシメ、斯ル不慮ノ天災ニ処スル途ヲ考慮セシムルコトハ、独リ児孫ノ為メノミナラス、亦犠牲者ヲ安慰スルノ道ナリ、此秋ニ際リ東京市ニ於テ、同市中最モ惨禍ヲ極メタル本所区横網町陸軍被服廠跡ニ、遭難者祭祀堂建立ノ挙アリ、洵ニ意義アル事業ナリト認メ本会ハ決議ヲ経テ其建立費ノ内ニ金三万円ヲ寄贈スルコトトセリ、然ルニ其後十三年八月十四日附永田東京市長ヨリ、本件ハ市当局ニ於テ考究ノ結果該事業ハ別ニ東京震災記念事業協会ヲ設立シ、該協会事業トシテ経営スルコトトシ、其完成ノ暁ハ当該設備ヲ無条件ニテ市ニ寄附スルコトニ決定シタル旨ヲ具シ寄附変更方諒解ヲ求メ来レリ、仍テ本会ハ右事情ヲ承認シ、市ヘノ寄贈ヲ取消シ、同協会ヘ寄贈スルコトトシ、之カ交付ヲ了シタリ、同協会ハ東京府知事・警視総監・東京市長及助役・東京市会議長・東京商業会議所会頭ノ職ニ在ル者ヨリ六名以内ノ理事ヲ置キ、会長ハ理事ノ互選トシ、事務所ヲ東京市役所内ニ置キ、這回ノ大震火災ヲ記念シ併セテ遭難者ノ霊ヲ弔スル為メ、本所区横網町一丁目陸軍被服廠跡ニ記念堂ヲ建設
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シ、之ニ附帯スル公園施設ヲ為スモノトス、既ニ十四年九月一日震災三週年記念日ニ地鎮祭ヲ施行シ、一面事業資金ノ寄附募集ニ努力中ナリ、該施設計画ノ大要左ノ如シ
      東京震災記念堂施設計画大要
一、位置 本所区横網町一丁目二十番地ノ内
二、面積 五千八百六十八坪余
三、記念建造物
 記念建造物ノ設計ハ広ク公衆ノ考案ヲ募リ目下之ニ基キ更ニ設計中ナリ、其ノ設計ノ目途トシテハ、敷地ノ中央ニ約六百五十坪ノ耐久的構造ノ記念堂ヲ建設シ、其ノ中心トナルヘキ部分ハ祭壇又ハ講壇トシテ使用シ得ルモノトナシ、其ノ背後ニ納骨室ヲ設ケ遺骨及ヒ記録ヲ包蔵スル処トシ、斎壇ノ前面ハ約二千人ヲ収容シ得ヘキ会衆場トナス
四、庭園
 記念建造物周囲ノ庭園ハ北及東側ニ主要入口ヲ設ケ、園ノ東部ハ主トシテ広闊ナル芝生式庭園トナシ、其ノ内ニ建造物ノ崇厳ヲ増スヘク、其レニ対照スル池・地壇・花園等ヲ配置シ、西部ハ主トシテ静寂ニシテ風趣アル森林トナサントス
 園ノ周囲ハ一般公園ト同様非常時ニ備ヘ、又常ニ散策休養ノ地トシテ適当ナル柵並ニ植込ヲ周ラサントスルモノナリ
五、事業費概算
 総額金壱百万円
 (一)施設費    九五〇、〇〇〇円
  イ、記念建造物費  約六五〇坪  坪当一、〇〇〇円  六五〇、〇〇〇円
  ロ、庭園施設費  五、二四〇坪       四五円  二三五、八〇〇円
  ハ、設計監督費                     六四、二〇〇円
 (二)事務費    五〇、〇〇〇円
六、事業進行予定
 大正十四年九月   地鎮祭施行
 大正十五年三月   主要建造物建築着手
 大正十六年三月   主要建造物竣成
 大正十六年八月   全部竣工


東京市役所書類(一) 【(印刷物) 拝啓 時下秋冷相催候処愈御清穆奉賀候、陳者兼而御配意を得候本協会資金募集事業も…】(DK490025k-0003)
第49巻 p.69-70 ページ画像

東京市役所書類(一)           (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
拝啓 時下秋冷相催候処愈御清穆奉賀候、陳者兼而御配意を得候本協会資金募集事業も、公私各方面多大の同情と援助に因り成績の大に見る可きものあり、仍而当初希望の組織に変更方曩に内務大臣に申請候処本月一日認可相成候に付、本協会資産(左記)並事業全般は之を財団法人東京震災記念事業協会へ引継、本協会は解散致候間御諒承相成度、右御挨拶旁得貴意候 敬具
  大正十五年十月二十一日    東京震災記念事業協会
                   会長 伊沢多喜男
    (宛名手書)
    子爵 渋沢栄一殿
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      記
一金六拾九万六千七百五拾八円弐拾五銭  九月三十日現在金
一金参万七千四拾五円七拾六銭      調定未収入金
合計金七拾参万参千八百四円壱銭
 外ニ備品消耗品
         以上


被服廠跡 東京震災記念事業協会編 第三四九―三五〇頁 昭和七年三月刊(DK490025k-0004)
第49巻 p.70 ページ画像

被服廠跡 東京震災記念事業協会編  第三四九―三五〇頁 昭和七年三月刊
    会員名簿
      一、功労者
名誉会員
 東京   伊東忠太    東京   小野二郎
 同    伊沢多喜男   同    小野義一
 同    市来乙彦    同    小木千丈
 同    入山祐次郎   同    岡田忠彦
 同    井下清     同    大西一郎
 同    池田宏     同    太田政弘
 同    石橋政治    同    勝正憲
 同    萩原孝一    同    米本卯吉
 同    堀切善次郎   同    吉田茂
 同    本多静六    同    田中広太郎
 同    十時尊     同    田村瑞穂
 東京   塚本靖     東京   福田重義
 同    中川健蔵    同 男爵 郷誠之助
 同    永田秀次郎   同    近新三郎
 同    長岡隆一郎   同    荒木孟
 同    宇佐美勝夫   同    斎藤守圀
 同    牛塚虎太郎   同    佐藤功一
 同 伯爵 柳沢保恵    同 男爵 阪谷芳郎
 同    山口安憲    同    菊池慎三
 同    安井誠一郎   同    見山正賀
 同    馬渡俊雄    同    溝口信
 同    丸山鶴吉    同    宮田光雄
 同    松本忠雄    同    白上佑吉
 同    牧彦七     同故子爵 渋沢栄一
 同    藤山雷太    同    霜島幸次郎
 同    藤田謙一    同    広瀬久忠
 同    船田中     同    平塚広義


被服廠跡 東京震災記念事業協会編 第三五五―三五七頁 昭和七年三月刊(DK490025k-0005)
第49巻 p.70-72 ページ画像

被服廠跡 東京震災記念事業協会編  第三五五―三五七頁 昭和七年三月刊
    資金其他寄附者
名誉会員
 金拾万円            兵庫 兵庫県震災救護団
 金参万円            東京 震災善後会
 - 第49巻 p.71 -ページ画像 
 金弐万円            同  震災同情会
 金壱万円            同  財団法人安田修徳会
 金壱万円            同  三井合名会社
 同               同  三菱合資会社
 金四千円            同  大谷竹次郎
 金参千円            同  大倉組
 金参千円            同  古河合名会社
 金弐千円            同  日本銀行
 同               同  東京電灯株式会社
 同               同  川崎第百銀行
 同               同  住友吉左衛門
 金壱千六百円(電灯器具費指定) 同  東京菓子同業組合
 金壱千五百六拾四円四拾四銭五厘 同  勤倹奨励婦人団体常任委員会
 金壱千五百円          同  横浜正金銀行
 同               同  松竹合名会社
 金壱千弐百八拾弐円       高知 高知県仏教聯合会
 金壱千弐百参拾八円拾六銭    東京 長唄研精会
 金壱千壱百円          同  震災共同基金会
 金壱千弐拾円          同  磯部会
 同               同  不動貯金銀行
 金壱千六円           同  水田耕輔
 金壱千円            同  服部金太郎
 同               同  原六郎
 同               同  日本勧業銀行
 同               同  日本興業銀行
 同               同  日本郵船株式会社
 同               同  西脇済三郎
 同               同  堀越角次郎
 同               同  土岐竜太郎
 同               同  東京瓦斯株式会社
 同               同  東京株式取引所
 同               同  織田昇次郎
 同               同  大林事務所
 同               同  太田惣吉
 同               同  若尾銀行
 同               同  渡辺治右衛門
 同               同  鐘淵紡績株式会社
 同               同  亀田候吉
 同               同  神田鐳蔵《(公債額面ニ依ル)》
 同               同  台湾製糖株式会社
 同               同  大日本麦酒株式会社
 同               同  大日本製糖株式会社
 同               同  第一銀行
 同               同  侯爵 伊達宗彰
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 金壱千円            東京 根津嘉一郎
 同               同  村井吉兵衛
 同               同  久原合名会社
 同               同  山口誠太郎
 同               同  松橋祐善外六名
 同               大阪 藤田平太郎
 同               同  江東青物市場組合
 同               京都 天台宗務庁
 同               東京 佐野利器
 同               同  子爵 京極高光
 同               同  南満洲鉄道株式会社
 同               同  十五銀行
 同               同  渋沢事務所
 同               同  清水満之助
 同               同  日比谷新次郎
 同               同  森村豊明会


被服廠跡 東京震災記念事業協会編 第一三九―一四〇頁 昭和七年三月刊(DK490025k-0006)
第49巻 p.72-73 ページ画像

被服廠跡 東京震災記念事業協会編  第一三九―一四〇頁 昭和七年三月刊
    向拝場及前庭
 向拝場にある大賽銭箱高三尺八寸、巾三尺五寸、長九尺のものは東京三岩睦会より昭和六年三月市が寄附を受たものである。尚向拝場より直接祭場広間に入ることなく左側入口に参拝者を導くため、平時は簡単な人止柵を設けてある。
 向拝場前庭にある高さ四尺余りの鋳鉄製円錐形の花立一対は東京市に引継後、下谷区上野永藤鉄太郎氏より寄附されたものであつて、其の間に据られてある高さ九尺五寸、径五尺五寸の石造大香炉は歴代理事・監事・参事に依つて奉献されたものであつて、昭和六年十月十三日に着手し、信州産内山石、表面四辺小叩仕上の物で、表に奉献の二字を大書し、背面には次の芳名が列記されてある。
    故子爵 渋沢栄一  故伯爵 後藤新平
     男爵 阪谷芳郎      永田秀次郎
      故中村是公       伊沢多喜男
      故西久保弘道      市来乙彦
       堀切善次郎      宇佐美勝夫
       太田政弘       藤山雷太
    伯爵 柳沢保恵       馬渡俊雄
       岡田忠彦       平塚広義
       丸山鶴吉      故小島七郎
       藤田謙一       山口安憲
       松本忠雄       勝正憲
       大西一郎       宮田光雄
       小野義一       荒木孟
       船田中        白上佑吉
       田中広太郎      広瀬久忠
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       長岡隆一郎      中川健蔵
       牛塚虎太郎      菊池慎三
       十時尊     男爵 郷誠之助
       斎藤守圀      故近藤達児
       入山祐次郎      牧彦七
       近新三郎       溝口信
       安井誠一郎      田村瑞穂
       石橋政治        以上四十五名