公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第49巻 p.191-194(DK490054k) ページ画像
昭和5年2月(1930年)
是月栄一、徳富猪一郎ヨリ、是年四月青山会館ニ於テ当展覧会開催ニ付、特別協賛員タルコトヲ請ハル。栄一之ヲ受諾ス。
山県有朋公記念会書類(DK490054k-0001)
第49巻 p.191 ページ画像
山県有朋公記念会書類 (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 愈御安康為邦家恐悦至極奉存候、偖而先般山県有朋公記念事業会の依嘱を受け爾来同公の伝記を編纂中に有之候、就而は之が伝記資料蒐集の目的を以て博く朝野名流の御協賛を請ひ、同公の遺風を追慕し併せて其の偉勲を表彰せむが為め、山県有朋公伝記編纂所主催、青山会館並に東京日日新聞社後援の下に、来る四月二日より向五日間青山会館に於て、別紙○後掲の如く山県有朋公遺墨展覧会を開催可仕候条何卒右趣旨御賛襄の上本会特別協賛員たることを御許諾被成下度、此段奉懇願候、尚幸に御許諾を賜り候共御迷惑は一切相懸申間敷、此旨御諒承奉願上候 敬具
昭和五年二月
徳富猪一郎
(宛名手書)
子爵渋沢栄一閣下
追伸 乍御手数同封の葉書にて折返し御回答奉願候、尚乍失礼御回答無御座候節は御許諾を賜り候ものと拝承仕度、予め御諒承所願候
青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第二五頁 昭和六年一二月刊(DK490054k-0002)
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青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
竜門雑誌第五一九号別刷・第二五頁昭和六年一二月刊
昭和年代
年 月
五 二―山県有朋公遺墨展覧会特別賛助員―昭五、四。
山県有朋公記念会書類(DK490054k-0003)
第49巻 p.191 ページ画像
山県有朋公記念会書類 (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
山県有朋公遺墨展覧会
特別協賛員芳名(いろは順)
子爵渋沢栄一○外二三二名氏名略ス
山県有朋公記念会書類(DK490054k-0004)
第49巻 p.191-192 ページ画像
山県有朋公記念会書類 (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
謹啓 愈御多祥奉賀候、陳者別紙趣意書之通り来る四月二日より向五日間、青山会館に於て山県有朋公遺墨展覧会を開催仕り、二日を以て招待日と致候条何卒御来観被成下度、此段御案内申上候 敬具
昭和五年三月
東京市赤坂区青山南町六丁目
青山会館内
山県有朋公遺墨展覧会
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追而御来観の節は此の御案内状御持参の上、会場受付へ御渡被成下度奉願候
(別紙、印刷物)
山県有朋公遺墨展覧会
天下は西郷南洲先生・大久保甲東先生・木戸松菊先生を以て維新の三傑と称し、三条実美公・岩倉具視公を以て維新の両卿と唱ふ。是等の人々は、何れも皆、明治中興の大舞台に活躍して顕著なる勲労を効されました。然かも、上は維新の両卿三傑に連接し、下は大正の御宇に及び、文武両方面に於て、明治・大正両朝の元勲として、内外上下の倚信崇重する所となり、身を以て天下国家の安危休戚に任じて、維新の偉業を大成したるものは、独り山県有朋公を推さねばなりませぬ是に於て本会は、同公の偉業を不朽に伝ふる為に、博く朝野名流の御協賛を請ひ、青山会館並に東京日日新聞社後援の下に、山県有朋公遺墨展覧会を開催いたし、大方の諸君子と共に、其の遺墨遺品に接して当年を偲び、併せて同公の遺風を追慕いたしたいのであります。幸に江湖の御賛襄を得、特別の御後援を賜らば、独り本会の光栄たるばかりではなく、また之に依て、同公の伝記纂編上に新らしき資料を得れば、洵に仕合せに存じます。
昭和五年二月 山県有朋公伝記編纂所主催
山県有朋公遺墨展覧会
後援 財団法人青山会館
東京日日新聞社
△会期 (毎日午前九時より午後五時まで)
△四月二日(水曜) 特別招待日
△四月三日(木曜神武天皇祭) 一般公開
△四月四日(金曜) 一般公開
△四月五日(土曜) 一般公開
△四月六日(日曜) 一般公開
△会場
△青山会館別館(青山南町六丁目市電明治神宮表参道前)
△出品
△同公の遺墨及び遺品を蒐集して展覧に供します。
△出品は三月十日を以て締切ます。
△出品に関する一切の御問合は青山会館内展覧会事務所へお願ひいたします。
〔参考〕山県有朋公記念会書類(DK490054k-0005)
第49巻 p.192-193 ページ画像
山県有朋公記念会書類 (渋沢子爵家所蔵)
(謄写版)
拝啓陳者
山県有朋公伝記編纂上の資料蒐集の目的を兼ね、明春を期し青山会館に於て同公遺墨展覧会開催致度旨徳富猪一郎氏より申出有之、其の費用約弐千円を要すへき見込の由に御座候処、右は予て御同意を経たる同公記念事業の予算以外の支出に属し候為め、小生独断を以て同意致難き事情も有之候
- 第49巻 p.193 -ページ画像
乍去元来該計画は資料蒐集の一方法とも相成、且は同公記念の意味にも考へられ候に付、此際本会より上記金額を支出し尽力方一切同氏に依嘱相成候ては如何やと愚考仕候、依て発起人総代・伝記編纂特別委員及会計監督各位の御意見相伺度、乍略儀右以書中得貴意候、御手数誠に恐縮に存候得共、左記に御賛否御記入の上御返付被成下候はゝ仕合に奉存候 敬具
昭和四年十一月二十七日
山県有朋公記念会事務所
入江貫一
〔参考〕渋沢栄一秘書役書翰 控 入江貫一宛昭和四年一二月六日(DK490054k-0006)
第49巻 p.193 ページ画像
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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。
〔参考〕山県有朋公記念会書類(DK490054k-0007)
第49巻 p.193-194 ページ画像
山県有朋公記念会書類 (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 陳者山県有朋公遺墨展覧会開催ニ付経費支出方に関し御照会の趣拝承、更に倶体的巨細可申出旨御指図ニ依り、重複を省ミず左に開陳仕候条、老子爵閣下へ可然御説明願上候
一 委員各位より徳富猪一郎氏に山公伝記編纂の事を一任相成候事は老子爵閣下御承知の通りなる事、(予算印刷配本を除き約四万五千円)
一 其後徳富氏監督の下に着々事業進捗中の処、此の程同氏より資料蒐集の目的を以て山公遺墨展覧会開催致度、其の費用金弐千円を山公記念会より支出可能なるや否や(元より前記予算外)の問合せ有りたる事
一 右展覧会は従来徳富氏主催監督の下に、維新志士等の遺墨展覧会を開催したると同一方法に依る事、経費は従来の例に依れば、一会金弐千円乃至五千円を要したるが、山公の遺墨展覧会は其の範囲も広からず、且つ節約を旨とすべきに依り、金弐千円程度を以て足るべき事
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一 期節は明春三月頃とし広く諸家所蔵の品を集め展覧する事、従て世上に散在する資料及未知の資料を得るに依り、資料蒐集の手数と経費とを節し得べき事
一 右に関し小生は該経費は当初発起人及実行委員の承認を得たる予算外なるを以て、小生独断を以て支出を承認する事能はざる旨答弁し置きたる事、乍去資料蒐集の一方法ともなり且は山公記念の意味も存する事故、発起人総代・実行委員及会計監督各位の御同意を得るに於ては不可なかるべしと思料し、上記各位の御意見を伺ふ可き旨約束致したる事
一 以上の意味を以て此際御多忙中御会同を願ひ御議決を乞ふも如何や、加之御会同を願ひても全部御出席を予期する事能はずと存じ、書面を以て御意見伺出たる次第なる事
以上は此程書面を以て申上たる事を稍々敷衍したるに過ぎず候へ共、略御了承を得る事と存じ候
尚ほ本会事業の収支関係は従来逐時御報告申上候に依り御推察の事と存じ候へ共、為念大要申添候
一 本日までに収受したる寄附金金額 約弐拾弐万五千円
寄附申込済、未収受額 約弐万円
計 約弐拾四万五千円
一 支出予定額
銅像原型及基石製作 金九万円
同 鋳造及運搬 金参万円
同 土地制理《(整)》、除幕式其他雑費 金七千円
伝記編纂 金四万五千円
寄附金募集費其他雑費(印刷費其他ヲ含ム) 金壱万五千円
計 金拾八万七千円
右の外伝記印刷製本及配本費未定。之を四万五千円とすれば支出総計金弐拾参万弐千円
尚ほ前陳展覧会費を加算すれば金弐拾参万四千円ニ有之候
以上甚だ乱雑ニて申訳無之候へ共、御判読の上可然様老子爵閣下へ御説明願上候、尚ほ御不明の点有之候はゝ重ねて御推問被下度願上候
匆々敬具
十二月九日○昭和四年 (ゴム印)
東京府豊多摩郡戸塚町戸塚
七四二入江貫一方
山県有朋公記念会
入江貫一
渋沢栄一閣下
秘書役御中