デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
2節 銅像
1款 井上馨寿像由来碑
■綱文

第49巻 p.202-203(DK490057k) ページ画像

明治45年2月23日(1912年)

是日栄一、興津井上馨別邸内ノ井上馨寿像ノ側ニ建設セラルル寿像由来碑ノ撰文並ニ揮毫ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK490057k-0001)
第49巻 p.202 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二十三日 晴 軽寒
年前七時起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、後井上侯寿像碑ノ揮毫ヲ為ス、早朝ヨリ午後二時過ニ至リテ成ル○下略
   ○中略。
二月二十五日 晴 軽寒
○上略 午前十時事務所ニ抵リ○中略 由井彦太郎氏来リ、井上侯寿像ノ事ヲ談シ、揮毫ヲ交付ス○下略
   ○中略。
三月八日 曇 軽寒
午前七時半起床、半身浴ヲナシテ朝飧ヲ食ス○中略 此日ハ揮毫ノ心算ニテ午前ハ井上侯ノ寿像ヲ書ス、午後一時過キ畢リテ午飧ヲ食ス○下略
   ○中略。
三月十日 晴 寒
○上略 十時半酒井八右衛門宅ヲ訪ヘ、井上侯寿像碑ノ刻成ルヲ見ル○中略 夜飧後九時再ヒ酒井ノ家ニテ寿像碑ヲ一覧シ、十時王子ニ帰宿ス
   ○中略。
四月四日 晴 軽暖
○上略 八時三十分大磯発ノ汽車ニテ興津ニ抵リ、井上侯園遊会ニ出席ス東京ヨリ来会スル者多シ、車中喧噪タリ、十一時半侯ノ別業附近ニ於テ特ニ下車セシムル事トス、来客ヲ歓待スルノ設備甚タ鄭重ナリ、午後一時食堂ヲ開キ、立食中山本大蔵大臣ヨリ侯ノ寿杯ヲ挙テ万歳ヲ唱フ、余ハ令夫人ノ還暦ヲ祝シテ挙杯万歳ヲ唱フ、畢リテ園内ニ催フシタル素人角力ヲ一覧シ、又各所ヲ巡遊ス、寿像ニ添ヘタル建碑ハ余ノ撰文且揮毫セシモノナレハ頗ル興味ヲ添フルヲ覚フ、午後五時半ノ汽車ニテ八時半大磯ニ帰宿ス○下略
   ○栄一、四月二日ヨリ大磯長生館ニ在リ。


世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編 第五巻・第六〇七―六〇九頁 昭和九年九月刊(DK490057k-0002)
第49巻 p.202-203 ページ画像

世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編
                 第五巻・第六〇七―六〇九頁
                 昭和九年九月刊
 ○第十二編 第二章 性格及び逸事
    第五節 建築の嗜好
○上略 銅像道の中段に、天然石に公爵桂太郎の書で「親友至情、海深山秀」と刻した碑が立つてゐる。銅像敷石の前方左側には、公爵山県有
 - 第49巻 p.203 -ページ画像 
朋の書で、「かねをもて造れる君がすがたにもあかきこゝろはあらはれにけり。」と記した歌碑が立つてゐる。右側には、子爵杉孫七郎筆の詩碑あり、「儼然巨像立崇邱。影暎滄溟万里流。不算南山松柏寿。双眸睥睨幾千秋。」とあり、杉子親らこゝに地を選び樹てたものである。少しく隔てて左方に、男爵渋沢栄一の撰並びに書する所の寿像由来碑がある。
      井上侯寿像碑
 是為井上侯寿像。侯今年七十六。気力旺盛鬚髪尚黒。無毫老憊態。吾儕嘗辱侯知遇。致有今日。因胥謀請建像寿之。侯不聴。衆請弗已始見許。乃相侯之興津別墅。為置像之所。命工、閲二百余日而成。歳之十一月廿八日、値侯之誕辰、招衆賓落之。以余与侯四十余年親交、衆属余記之。侯経済功績赫著史乗、喧伝世上。而吐握下士之労実致此。王臣為国家蹇々宜如此也。夫興津之地衿富岳、帯大洋、遠控三保、近接清見。洲渚点綴、烟波渺茫、称為東海絶勝。侯夙置別墅于此。設園池築亭榭、鑿山引泉。水懸高厓而下、跳珠噴雪。望之如匹練、聴之如琹筑。侯時来遊、嘯咏自適以娯老。豈古詩所謂英雄回首即神仙者歟。且侯昔日翻攘夷、倡通好。遭反党要撃、被重創、而不死。如有神助。近歳罹病於此別墅、九死得一生。非天眷而何。天眷神助、是不独侯之幸、亦邦家之慶也。然則吾儕建像之挙不啻報知遇、亦表邦家之慶也。乃誌像之顛末、以諗後之遊此者。
  明治庚戌十一月廿八日 男爵渋沢栄一撰並書 井亀泉刻
○下略


世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編 第五巻・第二五六頁昭和九年九月刊(DK490057k-0003)
第49巻 p.203 ページ画像

世外井上公伝 井上馨侯伝記編纂会編 第五巻・第二五六頁昭和九年九月刊
 ○第十一編第三章第一次西園寺及び第二次桂内閣
    第六節 興津別邸銅像除幕式
○上略
 除幕式と園遊会とはかくの如く盛大に行はれて、銅像は公の偉風を記念すべく永遠に伝へられることとなつた。そして後日、渋沢栄一筆の「井上侯寿像碑」・杉孫七郎賦並びに揮毫の「碑詩」・山県有朋詠並びに揮毫の「歌碑」も亦この銅像の側に建設せられた。これ等の諸碑は又以て公の遺徳を後世に表彰するに足るものである。
○下略
   ○除幕式ハ明治四十三年十一月二十八日ニシテ、後日トハ前掲資料ニヨレバ明治四十五年四月ナリ。