デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
2節 銅像
7款 大山巌銅像建設
■綱文

第49巻 p.218-221(DK490063k) ページ画像

大正8年11月3日(1919年)

是ヨリ先、栄一、大島健一・上原勇作・大倉喜八郎・中野武営等ト共ニ、大山巌銅像建設委員トナル。是日、参謀本部構内ニ於テ、同銅像除幕式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞演説ヲナス。


■資料

中外商業新報 第一一一八三号大正六年五月二五日 ○大山公銅像醵金勧誘(DK490063k-0001)
第49巻 p.218 ページ画像

中外商業新報 第一一一八三号大正六年五月二五日
    ○大山公銅像醵金勧誘
大島陸相・上原参謀総長は二十四日午後四時より故大山公銅像建設資金醵出勧誘の為小石川後楽園に於て東京・大阪・神戸の実業家を招待し晩餐会を開催したるが、主人側として陸相・総長を初め山田次官・井口大将・福田中将、菊地・奈良両少将出席し、其他委員一同出席、睦相・総長より計画の披露の挨拶をなして資金醵出方法に付懇談を重ね、午後八時散会したり、出席実業家左の如し
 △渋沢栄一△大倉喜八郎△三井八郎次郎△中野武営△串田万蔵△豊川良平△古河代石井政吉△荘清次郎△高田慎蔵△和田豊治△有賀長文△住友代河田太三九△久原代山本秘書諸氏


竜門雑誌 第三四九号・第九七頁大正六年六月 ○故大山公爵銅像建設計画(DK490063k-0002)
第49巻 p.218 ページ画像

竜門雑誌 第三四九号・第九七頁大正六年六月
○故大山公爵銅像建設計画 大島陸相及び上原参謀総長は五月二十四日午後四時より小石川後楽園に於て、東京並に阪神の有力なる実業家を招待して銅像建設委員と共に晩餐会を開き、故大山公爵銅像建設に関する計画及び寄附金募集に就き懇談する所ありたる由にて、青淵先生も出席せられたり。


中外商業新報 第一一二二一号大正六年七月二日 ○故大山公銅像 建設漸次進捗(DK490063k-0003)
第49巻 p.218 ページ画像

中外商業新報 第一一二二一号大正六年七月二日
    ○故大山公銅像
      建設漸次進捗
故元帥大山公爵の銅像建設に関しては更に実業家方面より渋沢男・大倉男・中島男・早川千吉郎氏・中野武営氏・荘清次郎氏・高田慎蔵氏を建設委員に挙げたり、猶寄附金は特に全般に対して募集せざる模様なるも、特志者の賛助は辞退せず、八月尽日迄に第一・三井・三菱・住友・鴻池・明治各銀行本支店の内へ便宜払込めば、之が取扱を為すべしと


竜門雑誌 第三五〇号・第一三一頁大正六年七月 故大山公銅像建設事務進捗(DK490063k-0004)
第49巻 p.218-219 ページ画像

竜門雑誌 第三五〇号・第一三一頁大正六年七月
○故大山公銅像建設事務進捗 再報、故大山公の銅像建設に関し其後実業家側より青淵先生其他の諸氏建設委員となり、故公が国家の元勲たるに基き広く一般の賛同を得べく該寄附金の募集広告は差控へたる
 - 第49巻 p.219 -ページ画像 
も、特志家の賛同は之を受くべく内定し、寄附金は八月末日まで第一三井・三菱・鴻池・明治の各銀行に於て取扱ふ事となりたる由。


竜門雑誌 第三七八号・第四二頁大正八年一一月 ○大山元帥銅像除幕式(DK490063k-0005)
第49巻 p.219 ページ画像

竜門雑誌 第三七八号・第四二頁大正八年一一月
○大山元帥銅像除幕式 参謀本部境内に建設中なりし故大山元帥の銅像は愈々竣工したるを以て、十一月三日午後二時よりその除幕式を挙行せられたる由なるが、青淵先生には来賓総代として一場の祝辞演説を為され、午後二時式を畢りたりといふ。


元帥公爵大山巌 大山元帥伝編纂委員編 第八七一―八七三頁昭和一〇年三月刊(DK490063k-0006)
第49巻 p.219 ページ画像

元帥公爵大山巌 大山元帥伝編纂委員編 第八七一―八七三頁昭和一〇年三月刊
 ○第二十五章 国葬と銅像
    二 銅像
○上略
斯くて十一月三日○大正八年の除幕式当日は午後二時参列者一同式場に著席し、次に大山公爵家一族の著席、次に各宮殿下の御著席と共に、軍楽隊の奏楽あり、次に井口委員長より銅像建設に関する概況を報告して除幕の順序となり、故元師の令孫当年四歳の梓氏が母君柏公夫人武子に伴はれて銅像前に進み、衆目を一身に集めながら静かに幕条を引かるれば、馬上裕かに故元帥の爽颯たる英姿の仰がれて、拍手喝采鳴りも止まず、此の間嚠喨たる奏楽あつて盛況を極め、次に発起者総代元帥奥保鞏伯は左の除幕式文を朗読せられた。
 故内大臣元帥大山公銅像成ヲ告ケ玆ニ除幕式ヲ行フ、公少壮ニシテ会々維新ニ際シ参画スル所尠カラス、後陸軍大臣トナリ軍政ヲ料理シ、又参謀総長トナリ国防ヲ画策ス、日清ノ役ニハ第二軍司令官、日露役ニハ総司令官ヲ以テ外征シ、或ハ各省大臣ニ任シテ内ヲ治メ晩年常侍輔弼ノ重任ニ当リ、帝国枢要ノ機務ニ参与スル凡五十年、其功績顕著ニシテ中外倶ニ瞻ル所、某等同志胥謀リ其銅像ヲ作リ以テ永ク世ニ伝フ、朝野賛助、今日功竣リ開被ノ盛事ヲ挙ク、観ル者英風ヲ景仰シ以テ志気ヲ磨礪セハ、公在天ノ霊亦必莞爾タラン、是ヲ以テ式辞ト為ス
 次に元帥嗣子大山柏公の鄭重なる答辞があり、次に子爵渋沢栄一氏は陸海軍人以外の来賓を代表して挨拶○次掲を述べたる後、井口委員長より式結了の旨を宮殿下御一同に言上し奉れば、各殿下は奏楽裡に御退場あらせられ、次で諸員の退場となり、芽出度く式を畢つたのであつた。
○下略


後援 第二〇四号大正九年一月 大山公の銅像前にて 軍事と実業 男爵 渋沢栄一(DK490063k-0007)
第49巻 p.219-221 ページ画像

後援 第二〇四号大正九年一月
    大山公の銅像前にて
      軍事と実業
                   男爵 渋沢栄一
 我が国は、最近五十年の間に三大戦を経て来ましたが、然し是等の戦争は、今更申すまでもなく、単に我国民の好戦癖より出たのではありません。昔は何れの国にも、随分槍一本で、国を取らうなどゝ云ふ
 - 第49巻 p.220 -ページ画像 
野心家があつて、好んで冒険的な戦を起したものですが、近世になつてからは、単にさうした武人的野心のみで戦を挑むやうなことは稀れになつたやうであります。尤も、露国とか独逸などは、尚ほ最近まで武断的侵略主義を捨てませんでしたが、そのために国内に於ては不平党が起り、国外では諸国の憎しみを受け、今日の如き悲惨の状態に落ちて了いました。殊に、永い間の睡りから漸く眼醒めたばかりの此の頃の日本は、仲々自から好のんで他国に戦を挑むと云ふやうなことは出来なかつたのです。で、日本が、日清・日露の戦を開きましたのはよくよくの事で、自国の維持上、即ち我が国防上に、非常な危険が加へられたからであります。我が国防上、朝鮮・満蒙・支那等が如何に重大な意義を有するかは、今更呶々するまでもないことであります。朝鮮にしても、満蒙にしても、支那本国にしても、真に独立するだけの力がないと、他の国が色々関渉して来て、勢ひ我が国へも多大の危害を及ぼすに至るのであります。
 日本が敢へて戦争しなければならなかつたのは、全くそのためでありました。幸ひにして、日本は何れの戦ひにも勝を得ましたので、今日見るが如き旭日登天の国運に向ひましたが、若し不幸にして負けてゐましたら、現下の支那などよりは、更に一層惨目な境遇に落ちてゐたかも知れません。然も日本が何れの戦にも、勝を得たといふことはそれには種々の原因もありませうが、何よりも挙国一致国民全体がよく団結したことが大なる力をなしたものと私は思ひます。日本の兵は強いとよく云はれます。勿論強いから、何れの国と戦つても勝つのです。然し、日本の兵が強い原因は何処にあるか、それは、国民全体が一心同体協力一致して事に当るからであります。強ち兵のみが強いからではありません。殊に近代の戦争は、昔のやうな個人的太刀打の戦ひでなく、団体的組織的で、且つ戦闘員の直接な勇戦ばかりでなく、その背面に於ける国民全体の活動如何が又非常な影響を及ぼすのであります。それは今回の欧洲大戦争に於ても戦争の勝敗は、強ち単なる軍人単なる武器の如何にのみよるものでないことが、遺憾なく証明されて居ります。英米独仏、何れも国を挙げての総動員で、田園・工場市場に至るまで、非常な活動をやつたのです。独逸は、実戦に於ては確かに聯合国よりも勝れた強味を見せましたが、然し兵が強く、武器が精巧だつたゞけで、最後まで戦ひを続けるだけの他の方面に於ける種々な準備が出来てゐませんでした。これは実に大切なことで、殊にこれからの戦争は此の方面によく注意を怠つてはなりません。つまり独逸の敗因は、抑も最初に於て人道を無視した行為に出で、他の中立国の同情をも失墜せしめ、全くの孤立となり、そのため産業上種々の原料が不足し生産活動が中絶し、遂に武器や衣食の欠乏を来したからであります。如何に軍事的に強き独逸も、最後には如何ともすることが出来なくなり、果ては、国内にも不穏な内訌が生じたりして、之は当然とは言ひながら、今回の如き屈辱的講和を結ばねばならなくなりました。此の外尚ほ私は、軍事上にのみ信頼して他の方面を顧慮しなかつたために遂に亡びねばならなかつた国を、土耳古・露西亜等の諸国に於て見ます。で、今後の戦争は単に軍事の発達のみに信拠するこ
 - 第49巻 p.221 -ページ画像 
とは出来ません。軍事の発達と共に実業の方面に確乎たる基礎を造らなければならないと思ひます。然も実業の発展は、今日の世界の形勢では、尚軍備の発達に待たねばなりません。或意味に於て、まだ軍備は、其の国の実業を発展させるためのものとも云へるのです。然し実業が、其の国の軍備のみを手頼りすぎて、それを悪用すれば、却つて露西亜の如く、独逸の如く、土耳古の如くならねばなりません。実業には、実業として発展すべき、実業独特の手腕を要すること勿論であります。けれども、それは、軍事と相待つて、更に大なる発展をなすのであります。
 軍事と実業とは、一国の進展上、実に相即不離の、微妙な関係を有してゐるものであります。
 所で、此の事に関して早くも前見的予言をされてゐたのは、実に大山公でありました。今ではもうさうでもありませんが、一体に日本の軍人方は、実業方面の事に関しては、冷淡でありました。然るに、その時からして、大山公は、軍事と実業との密接な関係あることを前見し、あらゆる機会に、その実行を計らんとして居られたのでありますが、実にその識見の大なるには今更敬服の外ありません。
 で、我々実業家も、此度の欧洲戦争の教訓に鑑みて、愈々大山公の識見の大なりしことを思ひ出で、益々実力の養成に努め、軍事と実業とを結びつけた確乎たる基礎力の上に、世界永久の平和を維持せん事を期望して止まないものであります。(文責在記者)