デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
2節 銅像
9款 中野武営銅像除幕式
■綱文

第49巻 p.223(DK490065k) ページ画像

大正10年5月2日(1921年)

是日、東京商業会議所ニ於テ、中野武営銅像除幕式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第三九七号・第六六頁大正一〇年六月 故中野武営氏銅像除幕式(DK490065k-0001)
第49巻 p.223 ページ画像

竜門雑誌 第三九七号・第六六頁大正一〇年六月
○故中野武営氏銅像除幕式 東京商業会議所にては正月二日午前十一時《(五)》より前会頭故中野武営氏の銅像除幕式を挙行し、中野家及び朝野の名士百余名列席の上、故中野氏令孫千勢子嬢の手によりて除幕後、食堂を開き、藤山会頭の挨拶、遺族中野岩太郎氏の謝辞あり、続て青淵先生は故中野氏の生涯を称揚し、最後に安田善次郎氏の発声にて中野家の万歳を三唱して午後一時散会したる由なるが、像は新海竹太郎氏の製作に成れるものなりと云ふ。


東京商業会議所月報 第四巻・第六号大正一〇年六月 中野会頭銅像除幕式招待会○大正十年五月二日於東京商業会議所 渋沢子爵演説(DK490065k-0002)
第49巻 p.223 ページ画像

東京商業会議所月報 第四巻・第六号大正一〇年六月
    中野会頭銅像除幕式招待会○大正十年五月二日於東京商業会議所
      渋沢子爵演説
○上略 現会頭○藤山雷太も中野君とは別して親しくもなされましたし、又会議所の諸君及び現在の議員たらざる皆様方も同君との御懇親の厚かつたことは勿論でございまする、けれども私も亦故中野君とは別して交りを結んだ一人であります、想ひ起しますると明治十九年四日市に於て関西鉄道に御従事の頃ほひから、唯の見知でなくして共に事を談ずるやうに相成つたと思ひまする、今から三十五・六年前である。去ながらまだ其際は左様に深く御懇親を申上げたとは言ひ兼ねる、爾来此商業会議所に於て別して御親しみを重ねた、単に商業会議所に於て御親しみを重ねたと言ふよりも、更に此内地の商工業を発達して行かうと云ふことと及び我帝国が海外に関係する国交上は如何にして行つたら宜からうかと云ふことに付ては、特に御互に心を労し又其説を闘はせて種々なる苦心を致したのでございまする、而して此海外に関すると云ふ中にも特に日本国交《(米)》、日支国交、此国交に関する関係に於て或る時には扼腕奮起、或る時には長嘆息、又或る時には聊か喜ぶと云ふやうなこともあつたのでございまするが、未だ以て今日に於て中野君の墳墓に対して斯くなつたから御安心下さいと申すことの出来ぬのは実に私の慚愧に堪へぬ所であります。○下略