デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
3節 碑石
2款 田島武平墓碑
■綱文

第49巻 p.236(DK490073k) ページ画像

大正3年1月4日(1914年)

是日栄一、田島武平墓表ノ撰文並ニ揮毫ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正三年(DK490073k-0001)
第49巻 p.236 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正三年         (渋沢子爵家所蔵)
一月四日 快晴 風アレトモ寒気強烈ナラス
○上略 午前十一時頃ヨリ田島武平墓表ヲ揮毫ス、午後三時頃成ル○下略


田島武平墓碑 (群馬県佐波郡島村新地所在)(DK490073k-0002)
第49巻 p.236 ページ画像

田島武平墓碑          (群馬県佐波郡島村新地所在)
(題額)
  「田島武平君墓表」
蚕之為物躯小功大黼黻之貴錦繍之美皆其所出而其質之良否一帰乎飼養縿繹之巧拙蚕糸之業亦大矣哉上毛古来長于蚕糸其名洽布於海之内外而尽瘁其業報国家者不乏其人田島武平其錚錚者也君歿之三年従兄渋沢喜作擕其状来請表於其基蓋以喜作妻君之妹也君諱保寿通称武平以天保四年癸巳生于上野国佐位郡島村田島家五世武兵衛保信長子也母栗原氏君幼失怙恃為王父母所鞠育稍長継家専尽心養蚕学奥之信夫伊達地方飼養法刻苦精研大有所得焉明治二年己巳為名主尋為郷長見許佩刀三年庚午為蚕種製造人大総代其年創立島村勧業会社奨励蚕種製造法四年辛未
后宮始設蚕室於吹上御苑君奉命供技師及工男女数名成蹟甚宜八年乙亥為蚕種製造組合頭取九年丙子踏査野州鬼怒川思川両岸開桑田起蚕室産出年加焉其年為群馬県養蚕世話掛重立取締十一年戊寅群馬県勧業世話掛兼農事通信委員十二年己卯為群馬県島村戸長尋挙勧業会社副頭取専努養蚕十三年庚辰航欧洲為輸出蚕種之計翌年赴北海道試蚕種之業十八年乙酉西郷農商務卿賞其夙改善蚕種同業洽恵功労甚大賜金若干尋挙群馬県会議員四十一年戊申冬罹疾荏苒不愈四十三年庚戌六月十六日歿于家享年七十有八仏諡曰達観院畯毅精徹保寿居士妻福田氏挙五男六女長子格平分産別居次渾一立平九一賛一皆夭長女舒為叔父林平所養次実夭次道次仲夭次稲栄皆分産養姪栗原文八郎以道配之嗣家是為今代武平君以蚕桑立志大興公利至使天下蚕業家知上毛島村有無其人可謂能達観内外発揚郷国之精粋者矣
  大正元年壬子十一月下澣
         従三位勲一等 男爵 渋沢栄一 撰并書