デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
3節 碑石
3款 望月久知報徳碑
■綱文

第49巻 p.237(DK490074k) ページ画像

大正3年1月4日(1914年)

是日栄一、埼玉県大里郡八基尋常高等小学校元校長望月久知報徳碑ノ撰文並ニ揮毫ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正三年(DK490074k-0001)
第49巻 p.237 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正三年         (渋沢子爵家所蔵)
一月四日 快晴 風アレトモ寒気強烈ナラス
○上略 望月久知氏ノ報徳碑ヲ揮毫ス、夜十時過ニ至リテ畢ル○下略


望月久知報徳碑 (埼玉県大里郡八基尋常高等小学校校庭所在)(DK490074k-0002)
第49巻 p.237 ページ画像

望月久知報徳碑
         (埼玉県大里郡八基尋常高等小学校校庭所在)
  (篆額)
  報徳碑
天香望月君維新後教授郷党誠意啓迪以良師穪焉数千弟子視君如父兄為設師恩会将有所報君聴之懌甚亡何物故不及見之会員乃欲建碑於八基学校境内伝其功績以致素志属銘於余余与君同郷国自乃父相識義不得辞君諱久知天香其号望月氏以嘉永戊申十一月生于武蔵国岡部藩考諱久𡬾班老職妣菅沼氏君幼穎異聡敏年甫十三賦詩属文長修兵学善撃剣初為藩文学後参預郡政及廃藩置県退隠手計村開塾教育旧藩子弟明治六年学制公布小学校創立出為横瀬学校教員兼岡村学校教員横瀬手計両校長十一年兼埼玉県四十五聯校督業進訓導為十六学校監督後辞監督十三年大日本帝国教育会選挙功労者君当其選十五年累進二等訓導十六年文部省録勤労賜一等賞十八年遷本庄学校長兼其高等小学校長二十四年転刀水高等小学校三十二年任大里郡視学翌年辞之為八基学校長三十五年文部省賞勤勉賜物三十八年天長節文部省賜功績状又郷邑諸会挙謝恩頌徳等典君毎晨自脩課業又教塾生而後登校授徒帰後灯下亦従事筆硯三十六年如一日嘗慨新学之偏乎智育与同志謀設有志教育会月刊会誌以奨励徳育又入西村茂樹弘道会設深谷支会為其副長尽瘁于斯道又欲使郷邑青年脩養文思結社発行雑誌以精研詩歌文章是以不暇常理家計配須永氏有閫徳能内助俾君無後顧憂君今夏為二豎所侵十月二十七日終不起享年六十有五瘞岡部村源勝院先塋之次君有一女養橋本又十郎第三男久岳妻之以為嗣挙孫女二著有明治中興詩文集師恩会印行其若干以頒同志夫明治中興文学才幹之士競就仕途而君特留郷国黽勉育英不敢顧他者蓋在使後生小子尊重徳義不流澆漓宜哉郷校済済出多士勤労邦家不乏其人其功豈止于西武一隅乎哉銘曰
 立志教育卅年克勤西武庠序徳風亝薫実効維期不覓虚聞文府銓選褒賞酬勛講学弘道仁耕義耘行践余力乃詩乃文
大正二年癸丑夏六月
         従三位勲一等 男爵 渋沢栄一 撰并書
                      吉川黄雲刻