デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
3節 碑石
4款 神田家家系碑除幕式
■綱文

第49巻 p.238(DK490075k) ページ画像

大正4年4月3日(1915年)

是ヨリ先栄一、神田鐳蔵家ノ家系碑ノ題字ヲ揮毫ス。是日、愛知県海東郡蟹江町大字須成ニ於テ除幕式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK490075k-0001)
第49巻 p.238 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正四年        (渋沢子爵家所蔵)
四月三日 朝来雲深ク天雨ナラントス
午前七時起床入浴シテ朝飧ス、伊東守松氏・中井巳次郎氏其他数人来訪ス、神田鐳蔵氏来リテ蟹江行ノ手順ヲ談ス、午前九時過名古屋停車場ニ抵リ蟹江ニ赴ク、神田氏家系碑除幕式ノ為メナリ、松井知事・阪本市長其他地友《(方カ)》ノ人士多数来聚ス、蟹江停車場ヨリ自働車ニテ須成村ニ抵リテ神田氏旧宅ニ於テ小憩ス、夫ヨリ人車ニテ建碑ノ場処ニ抵ル一寺院中ニ小公園ヲ設ケテ建碑スルナリ、雨天ナカラ来会者多人数アリ、式場ニ於テ一場ノ祝辞演説ヲ為ス、知事・市長相次テ演説アリ、式畢リテ園中ニテ立食ス、畢テ再ヒ蟹江ヨリ名古屋ニ抵リ○下略
   ○栄一、京阪神旅行ノタメ二日東京ヲ発シ、其夜名古屋丸文楼ニ投宿ス。


竜門雑誌 第三二四号・第六七頁 大正四年五月 ○神田鐳蔵氏の祖先建碑除幕式(DK490075k-0002)
第49巻 p.238 ページ画像

竜門雑誌 第三二四号・第六七頁 大正四年五月
○神田鐳蔵氏の祖先建碑除幕式 東京市日本橋区阪本町合資会社紅葉屋商会主神田鐳蔵氏の祖先建碑式は三日同氏の郷里なる海東郡蟹江町大字須成に於て挙行、来賓として招致されたる松井知事・阪本市長を始め県下並に市の官民有力者百数十名は、出迎の為め出張せる同会店員の案内にて名古屋駅より買切列車にて蟹江駅に着したり、式に入り建碑委員後藤直蔵氏の式辞あり、神田氏の除幕と共に東別院輪番導師十数名僧侶の読経あり、終つて青淵先生は左の演説をなしたり
 石碑の文字は私が書いたのであります、未来迄恥を残すは恥づべき次第と思つたが懇請に依て書いた、凡そ人が祖先を祭ることは最も喜ぶべきことであつて、帝国臣民としても孝道を尽さなくてはならぬ、神田君が功を立てたのも畢竟善の家に余慶ある訳である、元来尾張の地は今より三百年前に豊臣秀吉を出し、之についで加藤清正福島正則・前田犬千代等を出したが、これ治国平天下のことであつたが、今日は実業家に限ると思ふ、而して今や神田君の如き実業家が出て、三百年間の英雄と勲を等ふすることは大に賀すべき次第である、古語に錦を着て故郷に帰るといふことがあるが、桜を着て古郷に帰るといふも讃辞でないと思ふ云々
夫れより松井知事・阪本市長の祝辞、中野武営氏の祝電を朗読し、神田氏の挨拶ありて式を閉ぢ、園遊会に移り、予て設けの模擬店を開き主客歓を尽して午後四時散会せりとなり