デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
3節 碑石
7款 東久邇宮稔彦王殿下手植松月桂樹記念碑
■綱文

第49巻 p.243-244(DK490078k) ページ画像

大正7年5月11日(1918年)

是ヨリ先栄一、粕壁町田村新蔵ノ邸内ニ建設スル「東久邇宮殿下御手植の樹の碑」ノ撰文並ニ揮毫ヲナス。是日、其除幕式挙行セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

集会日時通知表 大正七年(DK490078k-0001)
第49巻 p.243 ページ画像

集会日時通知表 大正七年         (渋沢子爵家所蔵)
五月十一日 土 午前八時 粕壁町ヘ御出向ノ約
             浅草停車場(萩野由之氏御同行ノ約)


東久邇宮殿下御手植の樹の碑拓本(DK490078k-0002)
第49巻 p.243 ページ画像

東久邇宮殿下御手植の樹の碑拓本      (渋沢子爵家所蔵)
  東久邇宮殿下御手植の樹の碑
大正五年十一月、近衛・第一の両師団対抗演習を埼玉・千葉両県下に行はれし時、東久邇宮稔彦王第一師団附の軍職を以て之に参加せられ粕壁町なる田村新蔵君の邸に宿らせ給ふこと二日なりき、其二十日殿下手づから月桂樹と松樹を其中庭に植ゑて記念となさせ給へり、君は世々商業を営ミ、多額納税者として県下の富豪たり、現に粕壁銀行の頭取に推され、其他二・三の銀行の重役をも兼ねて名望高く、又文雅を愛して五楽堂佳祥の号あり、君此光栄に感激し碑を建てゝ子孫に遺さむとし余に文を求めらる、おもふに君が斯かる光栄を得たるは蓋積善の余慶なり、されは君の子孫たるものも亦、家を治むるには孝友和信にして、以て父祖の遺業を大にし、世に処するには公益を広め世務を開き、以て
皇恩に報い奉らむことを期せさるべからす、能く此心を以て此樹に対し朝に夕に省察する処あらば、田村氏の名誉は必月桂樹の名に肖え、其子孫は必常磐の松と共に千代に八千代に繁栄すべからむ
  大正六年一月         男爵 渋沢栄一 撰并書
                         田鶴年刻


東洋生命保険株式会社社報 第六三号・第二〇―二一頁 大正七年五月 粕壁代理店祝賀会(DK490078k-0003)
第49巻 p.243-244 ページ画像

東洋生命保険株式会社社報 第六三号・第二〇―二一頁 大正七年五月
  ○粕壁代理店祝賀会
 埼玉県粕壁代理店は同県下多額納税者たる田村新蔵氏を主幹とし、代理店開設後数年を経過したる今日契約高七万余円を管掌せり。埼玉県下に於ける東洋生命の代理店として、数字上よりは敢て偉とするを得ざれども、其の内容に至りては実に賢実無比にして、開設以来未だ一件の解約をも出さゞる程なり。大凡代理店の経営には幾多の方法あるものなれども、其が土地と時とに順応し、而して総司令官たる主幹の処世上の主義と一致する方法にあらずんば、立派なる効果を挙ぐべきものにあらずと信ず、粕壁代理店の如き此の意味に於て推賞措く能
 - 第49巻 p.244 -ページ画像 
はざるものなり。
 契約高七万円到達の祝賀会は五月十一日を以て挙行せられたるが、当日は田村家に取り更らに紀念すべき会合催されたり。それは去る大正五年十一月、近衛・第一両師団対抗演習の折、東久邇宮殿下田村邸に宿泊せられ、御手植として月桂樹・松樹を庭園に残されたり、其の光栄を永く子孫に遺されむが為め、渋沢男爵の撰文並に揮毫を得て記念碑を建立せられ、当日其の除幕式の盛典を挙行せられたるなり。
 渋沢男爵・福島常務取締役及び萩野文学博士の一行は午前九時粕壁駅に到着、直ちに腕車を連ねて田村邸に向ひ暫時休憩の後、講演場たる小学校へ案内せられたり、最初に萩野博士「学問の力」と題して述べられ、次に渋沢男爵は「所感」と題して講演せられたるが、特に物質文明のみに偏重する近代の思潮を警告せられ、併せて地方有為の青年が家業を軽視し都会生活に憧憬するの不心得を戒められたり。講演会終了後保険契約者だけを別室に集め、会社を代表して福島常務取締役より一場の挨拶を述べられ、東洋生命の沿革より説起して組織改革以後に於ける社業の旭日昇天的大発展の状況並に原因を詳説せられ、最後に粕壁代理店の経営振りを賞揚し、而して新契約の益々増加することは即ち契約者の利益となる以外、株主も従業者も何等の利益なきが東洋生命の制度上の特色なることを述べ、契約者の援助を求めて降壇せられたり。当日の代理店祝賀会に参列せし契約者数は百二十名にして、契約者総数は百三十名とのことなれば、僅かに十名の欠席なりしは異数の成功と謂ふべし。来会者は皆鄭重なる午餐の饗応を受け、一同大満足裡に散会せり。今後の発展期して待つべきものあらん。
 午後一時より田村氏邸内に於て紀念碑の除幕式を挙ぐ、式は主幹令嬢の除幕に始まり、渋沢男・成毛内務部長(知事代理)其他中学校長町長・小学校長の祝辞又は祝文の朗読あり、万歳を三唱して式を閉ぢたり。それより主幹の案内にて同地の名所として知られたる藤並に牡丹園を巡覧し、四時半の列車にて一同帰京の途につきたり。
    当日の主なる来賓
 男爵 渋沢栄一氏、宮内事務官 金井四郎氏、文学博士 萩野由之氏、県内務部長 成毛氏、衆議院議員 上野松次郎氏、県会議員 田中源太郎氏、県会議員 今井晃氏、郡長 鎗倉恒松氏、中学校長 松崎求已氏、税務署長 坂大次郎氏、警察署長 松岡庄三郎氏、町長 鈴木久太郎氏、
 会社側より
 福島常務取締役、古田外務部長、金井支部長、吉村埼玉県監督、
   ○栄一ノ講演筆記ヲ欠ク。