デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
3節 碑石
12款 阪谷恭子寿碑
■綱文

第49巻 p.254(DK490083k) ページ画像

大正9年1月18日(1920年)

是日栄一、阪谷朗廬夫人恭子ノ寿碑ノ題額ヲ揮毫ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正九年(DK490083k-0001)
第49巻 p.254 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正九年         (渋沢子爵家所蔵)
一月十八日 晴 軽寒
○上略 午後阪谷俊作来ル、老母《(祖母)》ノ寿碑題額ノ揮毫ヲ乞フ為ナリ、依テ積善多慶ノ四字ヲ書シ遣ス○下略
   ○栄一、大磯ニ滞在中。


余が母 阪谷芳郎著 第五八―五九頁 大正一四年四月刊(DK490083k-0002)
第49巻 p.254 ページ画像

余が母 阪谷芳郎著 第五八―五九頁 大正一四年四月刊
    余か母後篇 自明治四十四年至大正十三年 十四ケ年間
○上略 余か母の米寿記念の為め余は寿碑を備中後月郡芳井町字梁瀬妙善寺の境内に建設せり、妙善寺は余か母の生れたる本山成氏宅の前にあり、題額は積善多慶の四字にて渋沢子爵の書なり、碑文は余之れを撰す、其書は林経明氏なり、碑文左の如し
 慈母君寿碑
先考朗廬先生の中備に於ける徳業は同州人皆之を仰敬せさる莫し、先生をして此に至らしめたるは吾か慈母君内助の力与りて尠からさりしなり○中略 今や君の米寿に躋れるを慶ひ、児孫相会して恭しく寿觴を進め、且寿碑を生地に建て以て聊か其老懐を慰め奉ると云ふ
  大正八年十二月
         男従三位勲一等法学博士 男爵 阪谷芳郎謹撰
○下略


阪谷恭子寿碑拓本(DK490083k-0003)
第49巻 p.254 ページ画像

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