デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
3節 碑石
25款 牛島謹爾碑
■綱文

第49巻 p.274(DK490096k) ページ画像

昭和2年4月(1927年)

是月栄一、牛島謹爾ノ碑文ヲ撰書ス。


■資料

竜門雑誌 第四六四号・第八三―八四頁昭和二年五月 牛島謹爾君之碑(DK490096k-0001)
第49巻 p.274 ページ画像

竜門雑誌 第四六四号・第八三―八四頁昭和二年五月
    牛島謹爾君之碑
 牛島謹爾君ハ大日本国福岡県三瀦郡鳥飼村ノ人ナリ、父ヲ弥平ト云フ、君少小ヨリ大志アリ、年二十五ニシテ奮然米国ニ航シ、加州ニ於テ一大農場ヲ興シ、独特ノ方法ヲ以テ大ニ農産ノ発展ヲ計リシモ、未ダ完成ニ至ラザルニ客年三月俄ニ疾作リ、其二十七日溘然長逝セリ、享年六十又三、嗚呼哀イ哉、君資性剛毅ニシテ愛国ノ念深ク、夙ニ日米国交ノ睽離ヲ憂ヒ、在米ノ邦人ト謀リテ日本人会ヲ桑港ニ組織シ、其会長トナリテ両国ノ親善ニ尽瘁スルコト殆ド二十年ニ及ベリ、君下村氏ヲ娶リ三男一女ヲ生ム、長男東豪家ヲ嗣グ、頃日在米知友相謀リ碑ヲ建テヽ君ヲ不朽ニセントシ、文ヲ余ニ請ハル、余ハ日米国交ニ於テ君ト憂ヲ同クシ努力スルコト玆ニ年アリ、誼辞スベカラズ、乃チ嘗テ君ガ著ス所ノ別天詩集ニ題セシ一絶ヲ録シテ、以テ銘詞ニ代フ
 一出郷関四十年異邦早已令名伝欽君独闢別天地事業風流両得全
  昭和二年西暦千九百廿七年三月
               子爵 渋沢栄一撰並書


牛島謹爾氏関係往復書類(DK490096k-0002)
第49巻 p.274 ページ画像

牛島謹爾氏関係往復書類          (渋沢子爵家所蔵)
(控) 昭和二年五月四日
  在米日本人会 滝本為三様
○上略 先般ハ故牛島氏墓名並碑文の義ニ関し電報往復致候が、右は貴電御申越の通り、去る廿八日横浜出発の同氏令夫人ニ相託し置候間、御受取被下度候○中略
又碑文は浮田博士○和民承知致呉れられす、無余義子爵に於て選且書するに至リ候、選文に就いてハ可なり苦心被致候○中略
                       増田明六


(牛島しめ子) 書翰 増田明六宛昭和三年四月一〇日(DK490096k-0003)
第49巻 p.274 ページ画像

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