デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
4節 史蹟保存
6款 小塚原回向院烈士遺蹟保存会
■綱文

第49巻 p.340-341(DK490120k) ページ画像

大正8年8月15日(1919年)

帝室ヨリ当会ニ金千円下賜ノ旨、沙汰アリ。是日栄一当会会長トシテ宮内省ニ出頭シテ拝受ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK490120k-0001)
第49巻 p.340 ページ画像

渋沢栄一日記 大正八年          (渋沢子爵家所蔵)
六月十二日 雨 冷気
○上略 午前九時、波多野宮相ヲ官舎ニ訪問シテ○中略 小塚原烈士墳墓保存会ニ○中略 対シ、帝室ヨリ御下賜金ノ事ヲ請願ス○下略
   ○中略。
六月二十七日 時 暑
○上略 午前九時、宮内大臣ヲ官舎ニ訪ヘ○中略 小塚原烈士墳墓保存ニ付御下賜金ノ事ヲ請願ス○下略
   ○中略。
八月十五日 曇 冷気
○上略 十一時宮内省ニ抵リ、小塚原烈士ノ墳墓整理ニ付御下賜金ヲ拝受ス○下略


竜門雑誌 第三七六号・第六〇―六一頁 大正八年九月 ○小塚原回向院烈士遺跡保存会へ御下賜金(DK490120k-0002)
第49巻 p.340-341 ページ画像

竜門雑誌 第三七六号・第六〇―六一頁 大正八年九月
○小塚原回向院烈士遺跡保存会へ御下賜金 青淵先生の会長たる同会
 - 第49巻 p.341 -ページ画像 
の事業を聞召、御補助の思召を以て金壱千円御下賜の旨御汰沙あり、青淵先生には八月十五日午前宮内省に出頭拝受せられたる由なり。
 右に就き青淵先生談として翌日の万朝報は左の如く報せり。
 維新の際、国事に奔走した為に、幕府の忌諱に触れ、小塚原で処刑された志士は百有余名あるが、それらの事蹟は余り世間に知られて居ない。今回同志の人々と右の挙を計画したので、殊に墓地の如き鉄道線路に近くあるので、見るも痛ましく荒廃してゐるから、之は忠魂堂附近へ移したい考である、事業費として過日来より弐拾万円の募集に着手してゐたが、今回補助金御下賜の恩命に接した訳で、実に感佩の次第である云々。


青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年六月廿八日(DK490120k-0003)
第49巻 p.341 ページ画像

青淵先生関係事業調 雨夜譚会編 昭和三年六月廿八日
                    (渋沢子爵家所蔵)
    小塚原回向院烈士遺蹟保存会
○上略
一、沿革        回向院住職 水野了石氏談
     ○中略
     ニ、同年○大正八年八月十五日御下賜金千円の御沙汰あり、先生宮内省に出頭せらる(竜門雑誌三七六号六〇頁参照)
      尚ほ之れと同時に東京府の名所旧蹟指定地となる。
     ホ、同年十月回向院に於て烈士報告祭催す。先生席上に於て演説せらる。
     ヘ、大正十二年九月一日回向院大震火災の厄に遭ひ焼失す。因つて青淵先生等を始めとして再建に尽力、現在の寺院即ち之れである。尚同建築は二回とも清水組の手に成る。