デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
4節 史蹟保存
7款 玉川史蹟猶興会
■綱文

第49巻 p.350-353(DK490122k) ページ画像

大正12年3月(1923年)

是月栄一、玉川碑陰記ヲ撰文・揮毫シ、且ツ寄付募集ニツキ斡旋ス。栄一、金二千五百円ヲ寄付ス。


■資料

渋沢栄一書翰 石井扇吉宛 (大正一一年)一二月三〇日(DK490122k-0001)
第49巻 p.350 ページ画像

渋沢栄一書翰 石井扇吉宛 (大正一一年)一二月三〇日 (石井扇吉氏所蔵)
貴翰拝読益御清適之条奉賀候、然は玉川建碑之件ニ付詳細之表示且羽場氏面会之摸様も一々了承いたし、御申越ニ任せ金五百也御立替之為羽場氏へ相渡候間、右ニ御承引可被下候
右建碑ニ関する御施設も余り過大ニ不相成、精々節約を主として総計金五千円以内位を以て御取纏相成度、而して其半額ハ拙生御寄附致可ニ付、他之半額ハ東京市内有力之人士ニ依頼し、其他之事ハ貴御村方ニ於て御負担有之度と当初より愚見申上候次第、定而御承知之上他之諸君とも御協議之事と存候、右等ニ付一月早々ニ一会相願候方可然との羽場氏申出も有之候旁、一月二日頃拙宅ニ尊来被下候ハヽ緩々御相談可申上と答置候、是又御聞取之上尊来と申義ニ候ハヽ其旨御一報被下度候、尚委曲ハ羽場氏へ申談置候ニ付御聞合可被下候
拝復匆々如此御坐候 不宣
  十二月三十日                 渋沢栄一
    石井扇吉様
        拝復

渋沢栄一 日記 大正一二年(DK490122k-0002)
第49巻 p.350-351 ページ画像

渋沢栄一日記 大正一二年         (渋沢子爵家所蔵)
一月二日 少曇 寒
午前八時起床、洗面シテ衣服ヲ改メ直ニ新正来賀ノ人ニ接ス、多麻川建碑ノ事ニ関シテ狛江村村長石井扇吉氏其他ノ関係者四人来訪ス○下略
   ○中略。
一月二十三日 晴 寒
○中略羽場順承氏来ル、狛江村建碑ノ事ヲ談シ、又真鶴村ニ関スル依頼
 - 第49巻 p.351 -ページ画像 
アリシカ、船舶ヲ以テ港湾ヲ巡回スルハ寒気ノ候之ヲ謝絶シ、若シ希望アラハ、有志者等客舎ニ来訪スルアラハ談話スベキ旨ヲ告ケテ、帰村セシム○下略
   ○中略。
二月一日 晴 軽寒
昨日ヨリ風邪気ニテ午前八時過起床、洗面シテ朝食ス○中略 羽場順承氏来リ、多麻川建碑ノ事ヲ談話ス○下略
   ○中略。
三月四日 晴 寒
○上略 十二時頃○中略 書類ヲ整理ス○中略 猶興会ニ付与スル書翰案ノ作文等種々文書ノ調査ヲ為ス○下略
   ○栄一、一月二十二日ヨリ湯河原ニ在リ、同月二十七日帰京ス。


渋沢栄一書翰 石井扇吉宛 (大正一二年)三月七日(DK490122k-0003)
第49巻 p.351 ページ画像

渋沢栄一書翰 石井扇吉宛 (大正一二年)三月七日 (石井扇吉氏所蔵)
拝啓 益御清適奉賀候、然者曾而御委嘱之玉川碑陰之記文揮毫之儀ハ追々遅引ニ相成申訳無之候、実ハ今日執筆之積ニて原稿熟覧候処、別紙之如く石井正義・羽場順承二氏之名のミにて賢台之名を欠き候ハ如何之ものニ候哉と懸念仕候ニ付、特ニ御相談申上候、且其他之文字ももし貴方ニ於て御不同意ニても有之候而ハ遺憾之次第ニ候間、能々御考慮被下御申越被下度候、将又東京市内之有力者ニ寄附金勧募之為一書相添候書状ハ別紙○後掲参照之通り取調候ニ付、是又御一覧被下度候
勧進帳ハ当方ニて作成し、趣意書及規程等既ニ記載致候ニ付、老生之寄附金も右帳首ニ記入して差上可申と存候、右ニ付もし尊来御面話被下候様なれハ、早朝ニ候ハヽ王子拙宅へ、午後なれハ多くハ兜町ニ御越可被下候、此段可得貴意如此御坐候 拝具
  三月七日                 渋沢栄一
    石井扇吉様
         梧下
   ○別紙欠ク。右書翰ニヨレバ、碑陰記ノ揮毫ハコレ以後ニ行ハレタルナルベシ、日時未詳ナレドモ、姑ク綱文月次ヲ三月トセリ。


玉川碑陰記(DK490122k-0004)
第49巻 p.351-352 ページ画像

玉川碑陰記        (東京府北多摩郡狛江村所在)

武蔵玉川の地古より苧麻蚕糸に富む、里人之を織り玉川に晒して朝廷に献納す、是れ万葉集に玉川に晒す手作の歌ある所以なり、文化の初松平楽翁公里人の請により、万葉集の歌を書して碑を建てしめたるに文政十二年の洪水に河堤壊決して之を失ひしより、今方に百年に及べり、狛江の里人石井扇吉・石井正義・羽場順承等之を惜み、数次発掘を試みたれども遂に得ること能はず、因て玉川史蹟猶興会を起し、旧碑の拓本を摸刻し以て此地を顕彰せんとす、余が楽翁公に私淑し又名勝保存の志あるを以て援助を請ひ、且事由を碑陰に記さしむ、顧ふに玉川の地、万葉の時には東鄙の一水郷のみ、然るに皇都の東京に奠められしより、輦轂に近邇するを以て、冠帽屐常に山紫水明と相映ず、今又貞石を建てゝ近く名相の芳躅を伝へ、遠く奈良朝の古風を追懐せ
 - 第49巻 p.352 -ページ画像 
んとす、是亦昭代の恩徳ならずや、此地を過ぎて此碑を覧る者、希くは感発する所あれ
  大正十一年十二月二十七日
       正三位勲一等子爵渋沢栄一撰并書  
   ○揮毫ノ日ヲ十二月二十七日トセルハ、松平定信ノ誕生ノ日ヲ記セルナリ。
   ○原本ハ本資料編纂当時他ノ資料ト共ニ杉本寛一氏所蔵ス。


玉川史蹟猶興会寄附金依頼状(DK490122k-0005)
第49巻 p.352 ページ画像

玉川史蹟猶興会寄附金依頼状         (石井扇吉氏所蔵)
(印刷物)
拝啓 益御清適奉賀候、然ハ此一書を以て特ニ御助力相願候は、旧臘府下北多摩郡狛江村有志者申合せ玉川史蹟保存之為め猶興会なるものを創設し、文化之末年同地方に建設せし玉川碑之再建を計画し、会長石井扇吉其他之人々より老生ニ賛同を要求せられ候に付篤と実状承合候処、右玉川碑之文字ハ松平楽翁公之揮毫にて、玉川を記念せる万葉集之古歌を彫刻せしものなるも、文政度之水害にて埋没いたし爾来放棄致居候に付、此際其再建を企図するの趣にて、文運進展之今日に於て頗る適当之事に有之、平素楽翁公崇拝之老生に於ては切に其成功を翹望し、直に同意を表して実地に踏査し、地方有志諸氏と種々審議致候処、建碑敷地其他之雑事ハ地方有志者之尽力にて恰好之場所選定せしも、碑石並文字彫刻之費途概算五千円以上六千円を要し候に付、大都接近之土地にも有之、東京市内有力之諸君より幾分之御援助相願候ハ、将来史蹟保存之好方便とも可申と地方有志者一同之希望により、遂に老生より一書相添候次第に候間、何卒委曲石井会長其他之有志者より御聞取之上願意御許容被下度候、此段御紹介旁得貴意候 敬具
  大正十二年三月十日 渋沢栄一
 副申 本文御寄付金之義ハ当初之関係より主として老生引受可申とハ存候へとも、史蹟保存等之関係も有之、幾分にても大方諸君之御賛同を得度と、地方有志之希望も有之得貴意候次第に付、小額にて結構に候間何卒御賛助被下度候


玉川史蹟猶興会書類(DK490122k-0006)
第49巻 p.352-353 ページ画像

玉川史蹟猶興会書類           (渋沢子爵家所蔵)
    寄附金申込者芳名簿
 一金弐千五百円也            渋沢栄一
 一金壱百円也              服部金太郎
 一金壱百五拾円也            大倉喜八郎
 一金壱百円也              大橋新太郎
 一金壱百円也              和田豊治
 一金五拾円也              児玉謙次
 一金五拾円也              小野英二郎
 一金壱百五拾円也            森村開作
 一金壱百円也              内藤久寛
 一金五拾円也              梶原仲治
 一金五拾円也              串田万蔵
 一金壱百円也              伊東米治郎
 - 第49巻 p.353 -ページ画像 
 一金壱百円也              団琢磨
 一金壱百円也              佐々木勇之助
 一金五拾円也              池田謙三
 一金壱百円也              清水釘吉
 一金壱百円也              小池国三
 一金五拾円也              成瀬正恭
 一金五拾円也              石塚英蔵
 一金壱百円也              安田善次郎
 一金壱百円也              原邦造
 一金五拾円也              藤山雷太
 一金五拾円也              神田鐳蔵
 一金参百円也              三菱合資会社
                       以上


集会日時通知表 大正一二年(DK490122k-0007)
第49巻 p.353 ページ画像

集会日時通知表 大正一二年      (渋沢子爵家所蔵)
六月二日 土 午後五時 石井扇吉氏来約(兜町)


玉川史蹟猶興会書類(DK490122k-0008)
第49巻 p.353 ページ画像

玉川史蹟猶興会書類          (渋沢子爵家所蔵)
謹啓 此度ノ震災ハ実ニ空前絶後ノ大惨害ニて、市内外其他近県被害多大ノ折柄
閣下始メ御同族各位如何御避難相成り候半、附テハ最速ニ御邸へ伺候可致なれ共、当地方も彼是被害の為メ御無沙汰仕候、何卒不悪御諒察被下度候、先ハ以紙上御見舞迄如斯ニ御座候 早々敬具
 追テ玉川碑ハ倒レ候モ毛頭被害無之ニ付キ、聊か御安堵被下度願上候也
右貴下ヨリ可然御執奏被下度候也
  九月十二日○大正一二年
               東京府北多摩郡
               狛江村 玉川碑蹟猶興会《(史)》
                  石井扇吉
    渋沢執事殿



〔参考〕江戸花暦巻三(DK490122k-0009)
第49巻 p.353 ページ画像

江戸花暦巻三
    玉川碑陰記              白河広瀬典譔
                       同藩大冢桂書
水名玉川天下凡六在武州為其一而水道屡移問而莫淂平井董威考索旧跡
有年近者認之請我
老公書其古歌一首以勒碑樹之於多麻郡猪方村而後古蹟屹然与貞石共立世夫微顕闡幽春秋之志董威其蓋学此乎況
老公之信貽証于後世而有余也而以為表乎
  文化二年乙丑臘月
   ○右記ハ杉本寛一所蔵写真ニヨルモノニシテ、年号ハ訂正ヲ加ヘタルモノナリ。
   ○右ハ文政十二年ノ洪水ニヨリテ流失セル、旧碑ノ碑陰記ナリ。