デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
5節 祝賀会・表彰会
1款 横浜開港五十年祝賀会
■綱文

第49巻 p.365-369(DK490127k) ページ画像

明治42年7月1日(1909年)

是日栄一、横浜税関埋立地ニ於ケル、横浜開港五十年祝賀会ニ出席シテ祝辞ヲ朗読ス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四二年(DK490127k-0001)
第49巻 p.365 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四二年        (渋沢子爵家所蔵)
七月一日 曇 冷
○上略十一時二十分新橋発ノ汽車ニテ横浜ニ抵ル、開国五十年ノ祝賀会ニ列スル為ナリ、十二時横浜着、石井・左右田二氏等ニ誘ハレテ式場ニ抵リ《(ル)》、海岸新経営ノ税関敷地ナリ、先ツ午餐会ニ出席シ畢ツテ、式場ニ抵ル、祝辞ヲ朗読ス、式畢テ余興ヲ観、午後四時四十分横浜発ノ汽車ニテ蒲田ニ抵リ○下略


竜門雑誌 第二五四号・第五九頁明治四二年七月 ○横浜開港五十年の紀念祝辞(DK490127k-0002)
第49巻 p.365 ページ画像

竜門雑誌 第二五四号・第五九頁明治四二年七月
○横浜開港五十年の紀念祝辞 七月一日横浜開港五十年の紀念大祝典挙行の際、青淵先生の朗読せられたる祝辞左の如し
 維れ明治四十二年七月一日、横浜開港五十年紀念の祝典を挙行せらる、真に空前の盛事と謂ふ可し、余幸に此式場に登るの栄を荷ふ、懐旧の情自ら禁ずる能はず、謹で蕪言を呈し以て慶賀の意を表せんと欲す
当年を回想すれば此地は索寞たる漁村に過ぎざりき、開港の案一たび定まるに及び、山を斫り、海を塡め、街衢日に開け、坦路月に通じ、店舗櫛比し帆檣林立し、貿易の業駸々相進んで遂に東洋の一大港と為りしは、独り横浜市の幸福のみならず、実に世界貿易の大勢に副ひたるものと謂ふを得可し
惟ふに横浜開港の挙は端を米国の唱導に啓き、寛永以来対外の方針を一転して有無相通の公道に基き、取捨長短の計に従ふものたり、已にして維新の鴻業を拡張せらるゝや、全国の生産大に振興し、国家の資力随て増進し、輸出入の額年に其数を増加して以て今日の壮観を呈するに至れり、是固より黽勉人事を尽せるに起因すと雖も、抑又天の我邦に幸ひするに非らずんば、安ぞ此長足の進歩を見る可けんや、余輩実業に従事し横浜市と関係の最も深きものに在つては祝賀の情殊に切なると共に、当初欧米先進国の誘掖、我邦先覚者の尽瘁と、維新以降台閣諸公が縦横経綸の功蹟とを感謝し、併せて一般国民が間接・直接に、或は通商貿易に従事し、或は生産を振興し以て国家富強の計に与て力ありし事を紀念せざる可からず、今や此盛典を挙行せらるゝに当り、歓喜措く能はず、恭しく所懐を述て以て祝詞と為す

 - 第49巻 p.366 -ページ画像 

横浜貿易新報 明治四二年七月三日 開港五十年祝賀大祭記 空前の盛観、無比の壮麗(DK490127k-0003)
第49巻 p.366-368 ページ画像

横浜貿易新報 明治四二年七月三日
    開港五十年祝賀大祭記
      空前の盛観、無比の壮麗
砲声暁きを払ふて明治四十二年七月一日は市民歓呼の裡に明けたり、見渡せば彩旗門に翻へつて瑞気四街に満ち、紅緑枝を交へて闔都百花を飾り、横浜海陸の面目一夜にして革まる、実に是れ空前の盛観、無比の壮麗にして、全市の子女今を盛りに装ひを凝らし、此の千載一遇の大祭典を祝すべく、各方面に進出せり、就中伊勢山大神宮の神官は新記念横浜会館の
      地鎮祭
を執行すべく、旧会館跡に天幕を張り、宮壇を設け、四隅に青竹を樹て幔幕を廻らし、準備悉く備はるや、午前十時と云ふに蚤く既に祝賀会々長三橋市長、副会長ヘンソン会議所会頭、大谷・平沼・若尾・渡辺(副)・石川・左右田・大浜・渡辺(文)・来栖・金子・斎藤(松)・斎藤(忠)・脇沢・田中(利)・田中(茂)等の専務委員、新聞記者等数十名式場前左右に併列すると同時に、神官大麻行事を執行し、建築敷地を祓ひ清むるの式あり、次に次席神官壇前に進み降神の詞を奏し引続いて司祭神官竜山親祗氏神前に三拝して左の地鎮祭祝詞を捧読し各員最敬礼を表せり○中略
斯くて秋山司祭以下神官一同は玉串を奉り壇を退くや、三橋会長委員等参列者一同も玉串を捧げ、此間神官は四隅の青竹の下に鎮地清土の祓式を行ひ是にて式を終り、壇を撤し号砲殷々万歳天に轟きつゝある間に解散し、竜山社司は更らに伊勢山司祭執行の為め馬車にて直ちに帰山せられ、委員等は東京よりする来賓出迎の為め打揃ふて横浜停車場に向ふ
      午餐会
東京よりせる朝野の諸名士は午前十時より十一時半までの横浜駅着列車にて前後来港、委員諸氏懇切に出迎ひ、予ねて用意せる馬車又は人車にて会場に送り休憩室に案内せしが、重もなる東京来賓左の如し
 司法大臣岡部長職子・徳川家達公・仏国大使・米国代理大使・蜂須賀茂韶侯、大隈重信・樺山資紀両伯、高島鞆之助・青木周蔵両子、阪谷芳郎・浜尾新・沖守国・久保田譲・正親町季董・高橋是清・牧野伸顕・渋沢栄一・目賀田種太郎各男、内田嘉吉・森林太郎・古市公威・阿部東京府知事・石井外務次官・若槻大蔵次官・仲小路逓信次官・片山工学博士・浅田徳則・橋本大蔵主計局長・坂田総理大臣秘書官・加藤正義・尾崎東京市長・添田勧銀総裁・益田孝・塚原周造・大岡育造・中沢彦吉・雨宮敬次郎・日比谷平左衛門・安田善四郎・鎌田栄吉・馬越恭平・肥塚竜・小久保喜七・高橋新吉・徳富猪一郎・島田三郎・福沢捨次郎・豊川良平・池田謙三・本野盛亨・相馬永胤・箕浦勝人・浅野総一郎・大倉喜八郎・早川千太郎・大江卓・阿部泰蔵・大橋新太郎等諸氏
尚横須賀よりは上村鎮守府司令官・同府参謀副官・藤井要塞司令官・同参謀副官等参集され、在港各国軍艦よりは艦隊司令艦長等上陸参集し、一同休憩室に於て此処彼処三々伍々椅子を廻らし懐旧談を為すも
 - 第49巻 p.367 -ページ画像 
のあり、此日の晴れを祝することあり、或は五十年の前に遡ぼり横浜の状態を説き、或は外交の幼稚を語り、談柄に富める大隈伯の如き三橋市長を擁しては会の盛んなるを和唱し、和服の雨宮敬次郎氏を捉へては開港当年の貿易額僅々たるを説き、今日と対照し此多数広大なる上屋を必要とするに至れるは隔世天涯の感ありと嘆じ、徳川公は大公使領事団と頻りに辞令を交換し、更らに高島子と目下の選挙を談じ、橋本局長は記者に向つて□より此上屋に充つる貨物を積むべき新なる責任が、横浜市民の上に加はれりと注意し、バンゼンベルヒ氏は外人側一般の祝賀会に対する感想を語り、第一に今日の天候は会及び市民に幸ひし、第二に会場を此建物にし海陸設備の完成急務を朝野人に示せるは智恵ある事なりなど述べ、大橋博文館主は横浜人士の意気は、日本孰れの都市人に比べても一段の異彩を有し事に処するに熱烈なりと褒しつゝある間に、三橋会長は頻りに群集中を忙はしさうに物色しつゝあるものゝ如く右に縫ひ左に歩き居れるは、此日の来賓主席たる岡部法相を繹ね午餐会に案内せんとするにありき、斯くて来賓一同は席次表に依り宴の将に終らんとする頃、岡部法相は邦人一同を代表し締盟各国君主・大統領の健康を祝すと述べ、此間海軍の楽隊は仏国々歌を奏し、次に仏国大使ゼラール氏は外国使臣一同を代表して君ケ代奏楽中、日本 天皇陛下の健康を祝すと述べ、次に三橋市長は来賓諸氏の健康を、英国総領事ホール氏は横浜市長以下主人側の健康を迭ひに祝せしが、乾杯の式は宴と共に終りを告げ、一旦休憩室に引揚げたる後ち会長・委員等は来賓を
      祝賀会
の式場に導びけり、時に午後二時に近かりしかば、一般市内の会員続続入場し式場外は漸やく殷賑を極めしも爾かも喧囂の声を聞かず、唯だ式場来賓の入口にて東京各社写真部員が委員に対して入場撮影を要むるに方り、多少意志の疏通を欠きたる点ありしが、此一団を来賓の後部に置く事として解決し、夫より重なる来賓は式壇の左に、主人側委員は右に占座し、壇下正面の椅子には来賓及び夫人・令嬢着席し、其両側には市立小学校より撰抜せる男女生徒数百名を椅らしめ、其両側後部には一般会員の自由に臨席するを得る事とせり、座定まるや軍楽隊の壮麗雄渾なる節調の下に君ケ代を奉奏するに始まり、諸員一同最敬礼を表し、次に森鷗外氏新作の市歌を奏するや、両側の生徒は声朗らかに調べを揃へて唱ひ出し、満場耳を欹たてゝ熱心に此新歌を謹聴し、外人の如きも曲譜を聞きて聞き取りつゝありき、奏楽終つて三橋会長は壇の中央に進み出で左の式辞を朗読せり○中略
次に内閣総理大臣秘書官坂田幹太氏は桂首相出席の筈なりしに、已み難き用務の為め欠席せるは遺憾なりとの伝言を前提して、左の祝辞を代読せり○中略
次に外国使臣長仏国大使ゼラール氏は、左の意味の祝辞を朗読せり○中略
次に我が神奈川県知事周布男爵は満場に響き渡る声を張り上げて、左の祝辞を喝采の裡に朗読せり○中略
次に英国総領事ゼー・シー・ホール氏は各国領事団を代表し、紀念品
 - 第49巻 p.368 -ページ画像 
(銀製大コツプ)を横浜市へ寄贈すべく、左の辞を述べらる○中略
之に対し三橋会長は英語にて簡単に謝辞を呈し、次に男爵渋沢栄一氏は左の祝辞を述ぶ○中略
次に横浜商業会議所会頭小野光景氏は、左の祝辞を朗読せり○中略
次に外国人商業会議所会頭エツチ・ヴイ・ヘンソン氏は居留外人総代の資格にて祝辞を朗読せり
此外に大蔵省臨時建築部長工学博士妻木頼黄氏の祝辞ありしも、是は朗読を省略する事とせしに依り併せて玆に掲載する事とせり○中略
最後に三橋会長は来賓及び会員の多数来臨せるを謝し、且つ多数諸氏の祝辞を拝受せるを謝して閉会を告げたり、斯くて来賓会員は各種の余興場に就き観覧し、五時前後思ひ思ひ退散せり


東京経済雑誌 第六〇巻第一四九八号・第八二―八三頁明治四二年七月一〇日 ○横浜開港五十年祝賀会(開港以来の賑合ひ)(DK490127k-0004)
第49巻 p.368-369 ページ画像

東京経済雑誌 第六〇巻第一四九八号・第八二―八三頁明治四二年七月一〇日
    ○横浜開港五十年祝賀会
            (開港以来の賑合ひ)
△地鎮祭及午餐会 横浜開港五十年祝賀会は七月一日午後二時三十分より、横浜税関埋立地第五号上屋に於て開かれたり、先づ午前十時紀念館地鎮祭の式より初まる、早旦本町一丁目紀念館敷地に祭場を設置し、諸般の準備全く成れば、軈て定刻今日の祭主伊勢大神宮立山社司祝賀会長三橋市長以下諸員参列、先づ大麻行事の後祭主降神の式を行ふ、祝詞を奉り恭しく地鎮祭を行ひたる後、祭主会長以下順次参拝して式を終る、正午十二時より午餐会を開き、京浜両市の賓客二百余名列席し、三橋会長の右に主賓仏国大使ゼラール氏着席、会長と対して岡部司法大臣着席せり、食堂に着く者主客を合して四百余名とぞ聞えし、宴闌にして岡部子爵は起ちて、締盟列国君主及大統領の健康を祝し、仏大使ゼラール氏は我 天皇陛下の万歳を唱へ、三橋会長は来賓に対して簡単なる謝辞を述べたり、宴終りて食堂を出れば、祝賀の式に招待せられたる紳士淑女、或は車或は徒歩にて雲の湧くが如く会場前に来着す、来賓一同は午後二時半式場に入れり、之れに少しく先ちて祝賀会員約四千人の入場するあり、場内は寧ろ喧騒に過ぐる程の盛況を呈したり、式の始まると共に君が代の奏楽あり、横浜各小学校生徒の市歌の唱歌あり、続て祝賀会長三橋信方氏は大要左の如き式辞を朗読せり
 嗚呼、開港以来僅に半世紀のみ、長足の進歩真に一世を驚動し、吾人も亦た自ら顧て隔世の感なくんばあらず、顧ふに其進境克く此に至りたるもの実に開国 皇謨の賜にして、列国交誼の敦厚に由ると雖も、抑も亦た本市市民が拮据経営以て之れに貢献したるの致す所ならずんばあらず、然れども眼を転じて欧米の大都市を視ん乎、庶般の設備尚ほ未だ至らざるあり、帝都の関門として而かも東洋の要港たる地位に対し吾人未だ以て自ら足れりとすべからず、本市民たるもの自今益々奮励を加へ、大に力を致して世界的大横浜を造り、以て上は開国の 皇謨を翼賛して聖恩の万一に膺へ、下は公益の増進を企図して範疇を後昆に貽さゞるべからず
次に総理大臣秘書官阪田幹太氏は桂首相の祝辞を代読せり、其の要旨
 - 第49巻 p.369 -ページ画像 
左の如し
 惟ふに往時の一荒村にして年を累ぬること僅に五十、当港今日の殷盛を致せる所以の者、蓋し帝都の門戸にして交通の衝に当り、其地理と設備とは克く世界の進歩と帝国興隆の機運とに随伴するを得るに依ると雖も、市民諸君が刻苦勉励公私営経に努めたるの結果大に力ありと言はざるべからず、而して諸君の堅忍不抜なる、将来都市発展の趨勢をして益確乎たらしめ、以て世界の一大商港たるの実を挙ぐる事、必らず期待して衍るなかるべきを信ず
仏国大使ゼラール氏は目下在留の先任大使なるを以て、外国使臣を代表し、仏語にて左の意味の祝文を読めり
 当港が一千八百五十九年創めて開かれて以来、僅々五十年間斯くの如き驚くべき発達を遂げ世界の大港となりたるは、前世紀後半の一紀念物として称賛するに足る、此間日本の進歩は実に長大足なるものあり、今や却つて自ら進んで文明の交換を為し、智識を呈出するに至れり、昨年の貿易額は三億五千万円に達し、尚著々進歩発達すべき確実なる理由を有す、日本の此進歩は偶然のものに非ずして、勉励激奮の獲物なり、而して当港の形勝は以て世界の重要港として将来益々進歩すべく、世界の欠くべからざる要港たるべし
次で神奈川県知事周布男祝辞を述べ、之に続て外国領事筆頭英国総領事ホール氏は紀念品(外国領事団より横浜市へ)寄贈の辞を述べ、三橋市長之に対して答礼をなし、次に渋沢男爵の祝辞あり、横浜商業会議所会頭小野光景氏も亦た祝辞を読み、横浜に於けるヂヤデン・マヂソン会社の代表者ヘンソン氏は居留外国人総代として祝詞を述べ、最後に三橋会長の謝辞あり、奏楽を以て式を終り、其より直に余興に移り、来会者一同歓を尽して午後一時卅分閉会せり
尚横浜市は此を機として紀念展覧会を催ほし、我国の開国に関する図書物品を公衆に観覧せしめ、同時に横浜開港五十年史なる浩澣の史冊を発行せり、一般市民は五日まで各種の趣好を凝らして祝意を表し、之を観んとて東京其の他附近より集るもの頗る多く、歓天喜地実に開港以来の大賑合なりき