デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
5節 祝賀会・表彰会
19款 佐々木勇之助古稀祝賀会
■綱文

第49巻 p.430-432(DK490145k) ページ画像

大正13年2月11日(1924年)

是日、帝国ホテルニ於テ、佐々木勇之助ノ古稀寿祝賀会開催セラル。栄一出席シテ祝辞ヲ述ブ。


■資料

竜門雑誌 第四二六号・第五〇―五二頁大正一三年三月 ○佐々木勇之助君古稀寿祝賀会(DK490145k-0001)
第49巻 p.430-432 ページ画像

竜門雑誌 第四二六号・第五〇―五二頁大正一三年三月
○佐々木勇之助君古稀寿祝賀会 第一銀行頭取佐々木勇之助君は、昨年を以て古稀に相当せるより、曾て同君の指導を受けたる渋沢篤二君外十四名の諸氏発起となり、聊か祝賀の意を表する為め、茗香佐々木先生古稀寿祝賀会を組織し、昨春来その準備を進めつゝありしが、折柄震災の為め一先づ延期し、改めて去二月十一日紀元節の佳節を卜し午後五時より、帝国ホテルに於て記念品贈呈式並に祝宴を開催したるが、当日主賓として佐々木君及令息謙一郎君始め同修二郎君・同和三郎君・同重雄君・岡実君・立石信郎君・関原忠三君、又陪賓として青淵先生・石井健吾君・杉田富君・西条峰三郎君・明石照男君並に会員二十七名出席の上、発起人総代渋沢篤二君の左記祝辞朗読ありて、青淵先生の揮毫になれる篇額及会員名簿を記念品として贈呈し、佐々木君の懇篤なる答辞あり、式終つて伯鶴の講談ありて後祝宴に移り、渋沢発起人総代の挨拶に次ぎ、青淵先生は五十年前佐々木君と相識りし以来の意味深き懐旧談を祝詞と共に述べられ、尚ほ同君の為め杯を挙げて一同と共に健康を祝され、次に会員各自現在の職務等に就き自己紹介あり、最後に佐々木君の答辞ありて宴を閉ぢ、更に別室に於て快談時余に及び、一同和気靄々裡に十時散会せる由。
    祝辞
 第一銀行頭取佐々木勇之助殿にはいつもお健にて本年は御年も古稀に達せられ、尚益々御元気にて矍鑠などゝ申上る事は如何にもお年寄扱に致す様でおかしい位に、お見上げ致した所も亦御精力も共に少しもお変なく不相変百事行務を御統轄の事は、御一家は申上ぐる迄もなく銀行の為め又我邦経済界の為め如何計りか大慶の次第と謹で御祝を申上げます、就きましては嘗て同行に勤務致し御懇切なる御指導を受け、其後お暇をいただいて夫々他の方面に御蔭を以て無事に働き、尚不相変始終同行へ出入致し引続き御懇情を蒙り居る私共一同申合せ、茗香佐々木先生古稀寿祝賀会と申す会を組織致し、御祝と共に多年の御恩顧に対し御礼の微意を表する記念として、青淵先生御揮毫の賀詩を彫刻致しました扁額を贈呈致し、其額の裏に其趣旨を併せて彫刻致して御座います故、又同じ事を申上げますのは重複致しますが、会員名簿を添へて差上ぐる事に致しましたから其のはし書き旁々此品を夫れに撰びました理由を御祝と御礼と共に繰返して玆に申上たう存じます。
 佐々木頭取さんは雅号を茗香とおつしやいます故、茗香先生と申上させていたゞきますが、先生には明治六年第一国立銀行創立と同時
 - 第49巻 p.431 -ページ画像 
に二十歳のお年にて帳面方に御就職、爾来満五十年一日の如く行務に御尽力相成り、其間に永年支配人として先頭取青淵先生を御輔佐遊ばされ、大正五年青淵先生の後を御継承にて頭取に御就任、其後愈々御壮健にて本年古稀の寿齢を迎へられし事は誠に慶賀の至りに存じます、而して第一銀行の益々隆昌を極め、本年は五十年の御祝を遊さる様御繁栄の事は、前頭取の御功労は勿論なれ共、一は茗香先生の御力に依る事と存じます、殊に先生の如き勝れたる御才能と徳望の高き御方にして、他の事業に御関係なく始終一貫、誠心誠意第一銀行にのみ御尽瘁下さる事は、同行株主並に関係者諸君の常に感謝致し居らるゝ所にて、所謂一人一業の模範を示さるゝ事は後進の以て亀鑑と致すべき事と存じます、で私共一同も皆其所を得て、幸に大なる過もなく相勤め居りますのも、全く多年の御懇篤なる御指導の賜と感銘致し謹で御礼申上る次第で御座います、何卒先生にはいつ迄も御元気にて虬松千尺払晴天と詩の通り末永く御栄え遊ばし、銀行の為め経済界の為め御尽力下さる様願上ます
 そこで此度の古稀の御祝には何か御気に召す様な品を調へ贈呈致し度くと一同色々協議致しました処、あれこれと申すよりもいつそ最も深いお間柄なる青淵先生の御揮毫によつて出来上つたものを差上なば、或は却てお喜び下さるやも知れずと存じまして其の事に相定め、同先生に願ひました処、外ならぬ茗香翁の御祝なれば喜んで引受くるとて早速賀詩を御揮毫下されましたにより、川合玉堂氏の推薦されました新間静村氏に彫刻を依頼致し此扁額が出来上りましたにより、本日謹で贈呈致します次第で御座います、併木材等は至て粗末の品にて御祝と共に多年の御恩顧に報ゆる御礼の記念と致しましては余まりに失礼で御座いますが、品物は兎に角、御関係上意義ある品を選びました積りで御座います、何卒私共の微意を御汲み取り下され御笑納下されなば本懐の至りで御座います、右の次第を御祝と御礼の詞と共に申上ます。
  大正十二年八月吉辰
            茗香佐々木先生古稀寿祝賀会
                      会員一同
 附言 八月が先生のお生れ月で御座いますから右の通り聊か準備致し、昨年秋冬の頃吉日を卜し贈呈式を挙行致します手筈で御座いました処、九月一日の大震火災の為め凡て延期致し遂に今日迄延引致しました事を悪しからず御諒承願上ます、併あの大災厄に先生並に御家族御一統様及び今日特に御臨席を願ひました青淵先生にも、何の御障もなく益々御元気の事は実に邦家の為め慶賀の至りと謹で御祝を申上ます、又会員一同にも皆恙なく今日の佳辰に此の目出度き御席に列する事を得ました事は誠に仕合せの至りにて、凡てが一層お目出たき義と存じ上げます、玆に謹で先生並に御一家及び青淵先生の御健康を御祝し申上げます。
  大正十三年二月十一日紀元節佳辰
尚ほ青淵先生揮毫の扁額は左の如し。
  一門栄顕豈徒然 七秩看君晩節堅
 - 第49巻 p.432 -ページ画像 
  欲擬多年耐霜雪 虬松千尺払晴天
    賀
   茗香佐々木翁古稀寿
    癸亥八月           青淵 時年八十又四
   ○栄一ノ演説筆記ヲ欠ク。


(増田明六)日誌 大正一三年(DK490145k-0002)
第49巻 p.432 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一三年        (増田正純氏所蔵)
二月十一日 月 曇
○上略
午後二時半出てゝ帝国ホテルニ至る、三時半着、四時より第一銀行頭取佐々木勇之助氏古稀祝賀会を催す準備の為め少し早く参着した次第である
ホテルの一室には同氏に贈呈すべき記念額面と佐々木茗香先生古稀祝賀会々員名簿とを装り付け、他の一室に待合室を取り、又食堂を別ニ出来して同先生及家族の来着を待つ、四時半先生を始め先生の令息及女婿各位来着、会員も亦揃つたので、右の記念品を装り付た室に於て献呈式を行つた、先つ同会委員長たる渋沢篤二氏ハ起つて会員名簿に認めたはし書きを朗読した、此はし書ハ同会を組織した理由から記念品として額を特製した訳を詳述したものである、謹読了りて恭しく之を献呈した、次きて先生より鄭重の謝辞があつて式を終つたのである
○中略
次きニ待合室ニ於て伯鶴の講談(長講)一席あり、六時半食堂ニ移る来賓は青淵先生と委員長たる渋沢篤二氏を中心として着席を請ひ、会員一同ハイロハ順ニ着席したのである、デサートコースに於て委員長より一場の挨拶ありて後、青淵先生の茗香先生に対する頌徳の演説あり、又乾杯ありて、次ニ会員はイロハ順次ニ起ちて自己の氏名及勤務先を披露し、最後ニ茗香先生の謝辞及会員ニ対する乾杯ありて宴を了り、再度待合室ニ至り青淵先生の希望に依り杉田・木村両氏の囲碁あり、午後九時散会す
○下略