デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
7節 関係団体諸資料
1款 社団法人日本橋倶楽部
■綱文

第49巻 p.494-495(DK490171k) ページ画像

明治43年1月17日(1910年)

是日栄一、日本橋倶楽部ニ於ケル、当倶楽部月次会ノ晩餐会ニ招待ヲ受ケ、出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK490171k-0001)
第49巻 p.494 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年        (渋沢子爵家所蔵)
一月十七日 曇 寒
○上略 六時日本橋倶楽部ニ抵リ月次会ノ饗宴ヲ受ク、卓上一場ノ演説ヲ為ス(米国旅行中ニ感セシ要件ノ二・三ヲ述ヘタリ)食後種々ノ談話アリ○下略


中外商業新報 第八五一九号 明治四三年一月一八日 ○日本橋倶楽部晩餐会 渋沢男・山本総裁演説(DK490171k-0002)
第49巻 p.494-495 ページ画像

中外商業新報 第八五一九号 明治四三年一月一八日
    ○日本橋倶楽部晩餐会
      渋沢男・山本総裁演説
日本橋倶楽部は十七日夜六時月次会を開き、渋沢男並に山本勧銀総裁を招待して其所見を聴けり、宴の将に終らんとするや、大橋新太郎氏は主人側を代表して簡単に一場の挨拶を述べ、一同と共に来賓の健康を祝せんと乾杯し、先づ渋沢男の演説を請へり、依て男爵は立て渡米当時の感想を語て曰く
 米国の我が実業団を遇するや実に懇篤を極め、一行為めに多大の面目を施せり、左れど一面既に斯る面目を得たる以上は永遠に之を保持せざるべからざるの責め重且つ大なるを感ずると共に、彼の東洋に雄飛せんとするの念頗る篤きを認めし上は決して油断は出来ざる也、而して其国富充実の跡一見実に羨望に堪へざる所なるが、当初西部を見ては彼の今日ある上に天与の恩恵大なるあるに帰因すと感じたるが、漸次東部に入るに及んで必ずしも天与のみに依て然るにあらず、寧ろ人為的奮闘の結果なるを確信するを得たり、於是乎予は吾人の覚悟如何に依て彼に拮抗すること遂に難きにあらざるを信ぜしめたり、而して之れと共に彼我企業の風潮を観るに、彼は学理と法律に束縛せらるゝなきに反し、我れに於いては徒らに学理に馳せ、総てを法律づくめに決せんとするの弊あり、若し夫れ此弊風を去て、学理と法令をして事実の後に随従せしめ、一方国民挙て奮闘するあらば、蓋し商工業の発達期して待つを得べし云々
と結び、次で山本勧銀総裁は曰く
 勧業銀行は農工資金供給の機関として立ち、商業界とは直接関係する所なきが如しと云へど、国民五千万の内三千万は既に農民を以て占むる以上、之が購買力の如何は延いて商工業の消長に関係する所大なるを観ては、必らずしも然らざるを信ずるなり、而して従来勧銀が供給資金として吸収し得たる資金の多くは、何づれも零砕たる
 - 第49巻 p.495 -ページ画像 
を免れざりしが、今後は遂に有力資本家の供給をも仰ぐの時期到来すべく、此処に諸君の援助を請はざるを得ざる也云々
了て高木益太郎氏営業税其他に関し注意を促す所あり、九時散会、会するもの主賓を始め七十余名に達し、頗る盛会を極めき
   ○「竜門雑誌」第二六一号(明治四三年二月)ニモ同様ノ記事アリ。



〔参考〕青淵先生職任年表(未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編 竜門雑誌第五一九号別刷・第一三頁 昭和六年一二月刊(DK490171k-0003)
第49巻 p.495 ページ画像

青淵先生職任年表 (未定稿) 昭和六年十二月調 竜門社編
                竜門雑誌第五一九号別刷・第一三頁昭和六年一二月刊
    明治年代
 年 月
四〇 (頃) 日本橋倶楽部会員―昭和六、一一。