公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第49巻 p.514-515(DK490178k) ページ画像
大正5年4月15日(1916年)
是日、大正第四回埼玉県人会ニ於テ、栄一会長ニ推薦セラル。当日栄一ハ出席セズ、後之ヲ受諾ス。
埼玉県人会会報 第二号・第一五―一九頁 大正六年一〇月刊 大正第四回埼玉県人会(大正五年四月十五日)(DK490178k-0001)
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埼玉県人会会報 第二号・第一五―一九頁 大正六年一〇月刊
○大正第四回埼玉県人会(大正五年四月十五日)
開会通知 前記準備会○準備会ノ記事略スの協定に基つき左の通知状を発せり
拝啓 愈々御多祥之段大慶之至りに奉存候、却説大正第一回並に第二・第三回埼玉県人懇親会は、多数有志の賛同を得、驩声場裡に享楽の実を得たるは御承知の事と存せられ候、本年も来る四月十五日(第三土曜日)を期し、上野精養軒に於て其第四回を開催致度、就ては第三回当時の申合せに基き、埼玉県出身の先輩たる貴下此の際万障御繰合せ下され、御知己御勧誘、奮て御来会相願度、此の段御案内申上候 敬具
日時 四月十五日午後四時開会(午後五時一同写真撮影)
会場 上野精養軒
会費 金弐円(当日御持参の事)
幹事(順序不同)○氏名略ス
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四月十四日迄(出席有無)準備の都合も有之候間御回答被下度候
当日の次第
一、開会の辞
二、講演 野口弘毅氏の欧米視察談
三、食堂開始
四、五分演説
五、万歳……閉会
以上
当日の概況 大正五年四月十五日、この日宛も春の半桜花尚散り失せず、都人士の競ひて遊楽の好時節なりしかば、定時開会の時刻を待たず集ひ来るもの引きも切らず、受附接待員共に目を廻す許なりき、午后五時已に予定数に達せしかば、幹事諸井恒平氏起つて開会の辞を述べられ、引続き新帰朝者野口弘毅氏を紹介せられたり、氏は戦時に於ける経済状態視察のため米国より欧州に渡り、去る十二日帰朝せられたるところのものなり、其講演の大要に曰く
○講演略ス。
講演終ると共に一同は食堂の宴席に移れり、幹事を代表せる福田又一氏の挨拶、続いて常任幹事よりの報告及び会員の五分演説あり、各自氏名・職業・住所・本籍地並に所感に就て述ぶるところあり、最後に滝沢吉三郎氏より左の協議案を提出せらる。
一、渋沢男爵を埼玉県人会々長に推薦すること
二、埼玉県人会申合せとして法三章的の規則を作ること(説明略)
一同拍手喝采賛成を表す
斯くて十分歓を尽し、本多静六氏の発声にて埼玉県人会万歳を三唱し和気靄々中に散会せり。
因に当日男爵の出席なかりしは一同の遺憾とするところなりき。
出席者○氏名略ス
○栄一、是年三月下旬ヨリ湯河原ニ転地シ、四月十六日帰京ス。
埼玉県人会書類(DK490178k-0002)
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埼玉県人会書類 (渋沢子爵家所蔵)
渋沢子爵埼玉県人会々長推薦
第四回県人会
大正五年四月十五日滝沢吉三郎提案、満場一致賛成
埼玉県人会会報 第二号・口絵写真 大正六年一〇月刊 会長御承諾(DK490178k-0003)
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埼玉県人会会報 第二号・口絵写真 大正六年一〇月刊
会長御承諾
我が県人会々長には嚮に第四回県人会の際、男爵渋沢栄一閣下を仰がんとの多数会員の希望に基き常任幹事は其手続を行ひしに、幸ひ男爵閣下の御承諾を得たれば玆に其旨を発表す。