公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15
第49巻 p.532-537(DK490184k) ページ画像
大正12年10月30日(1923年)
是日、渋沢事務所ニ於テ当会評議員会ヲ開キ、関東大震災ニヨル罹災会員ノ慰問方法ヲ協議ス。栄一出席ス。栄一、慰問金トシテ金千円ヲ寄付ス。
集会日時通知表 大正一二年(DK490184k-0001)
第49巻 p.533 ページ画像
集会日時通知表 大正一二年 (渋沢子爵家所蔵)
十月三十日 火 午後二時 埼玉県人会ノ件(事務所)
(増田明六) 日誌 大正一二年(DK490184k-0002)
第49巻 p.533 ページ画像
(増田明六) 日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵)
十月三十日 火 雨
出勤
午後二時渋沢事務処ニ於て埼玉県人評議員会《(会脱)》を開催す、会長渋沢子爵副会長加藤政之助・同山川義太郎氏、評議員熊倉良助・同諸井恒平の両氏、及小生の外坂本・石川両幹事列席
会員中圧焼死者・類焼者・住宅倒壊者ニ対し、夫々見舞金を贈呈する事として、其資金は会員中罹災せさる有力者、及埼玉県庁ニ於て醵集したる救助金の内より寄附を受くる事とし、先つ子爵は金千円を寄附する事を約されたり、埼玉県庁ニ対してハ、加藤政之助氏、前記両幹事之ニ当る事、会員中ニ対してハ、寄附金依頼状を発送する事と決したり
埼玉県人会会報 第五号・第五七―六〇頁 大正一三年九月刊 大震火災慰問記事(DK490184k-0003)
第49巻 p.533-536 ページ画像
埼玉県人会会報 第五号・第五七―六〇頁 大正一三年九月刊
○大震火災慰問記事
九月一日の大震火災は我国空前の大惨事にて、会員の被害甚大なるに由り、本会は会員慰問に関し左記の事を行ひたり、記して報告に代ふ
九月三日 石川幹事は阪本幹事を訪問し、大震火災に付会員の罹災状態を調査し、慰問方法に関し協議す
同 五日 石川・阪本両幹事は山川副会長を訪問協議す
同 六日 阪本幹事は増田明六氏を日暮里に訪問す
同 七日 石川幹事は相田幹事の病気を見舞ひ、加藤副会長の移転先きを訪問す
当時交通機関不備なるを以て腰弁当草鞋穿にて活動
同 十日 県人会事務所を山川副会長宅に仮設す
同 十三日 会長渋沢子爵兜町事務所災害状態を承合す
同 二十日 相田幹事病気未だ全快せざるを以て当分石川・阪本両幹事にて其事務に当ることゝす
同 二十五日 山川副会長宅に役員会を開く、山川・加藤両副会長、阪本・石川両幹事出席し、左項の決議をなす
県人会員に向て取敢へず見舞状を発し動静を尋ぬることゝす、当時印刷所焼失し印刷に就て相当苦心す
十月五日 左記見舞状を発す
拝啓 然は去九月一日京浜及其の他地方に於ける大震災は我国有史以来の大惨にて、日を経るに従ひ益々惨禍の甚大なること相分り洵に痛心の至りに御座候、就ては貴家並に御家族の御安否如何候哉拝承致度候間、乍御手数別紙端書にて御回示被下度候、次に当日小生は兜町事務所に出勤中なりしも幸に無事避難する事を得、二日以来震災善後の為め微力を尽し居候、御省念被下度候
- 第49巻 p.534 -ページ画像
右御見舞旁如斯御座候 敬具
大正十二年十月 日
埼玉県人会々長 渋沢栄一
追て当分仮事務所左の処に移転仕候
東京府下巣鴨町上駒込伝中九八 山川義太郎方
伺度事項
貴下の御安否
御家族の御安否
御住宅倒潰若は延焼せられし哉
御移転先
氏名
十月二十日 副会長山川氏宅に役員会を開く、山川・加藤両副会長、阪本・石川両幹事出席、見舞状の回答に就て第一回の調査を行ふ
渋沢会長及埼玉県知事訪問の件決す
同 二十三日 阪本・石川両幹事は埼玉県庁に出頭し、県人会会員罹災者慰問金の件に付陳述す
同 二十五日 山川・加藤両副会長、石川・阪本両幹事は渋沢会長を飛鳥山邸に訪問し、評議員会招集の件を議す
同 二十六日 阪本幹事は増田明六氏を訪問す
同 三十日 麹町区八重洲町古河銀行内渋沢事務所に於て評議員会を開く
渋沢会長、山川・加藤両副会長、阪本・石川両幹事、諸井恒平・熊倉良助・増田明六氏来集、会員中有志より罹災者慰問金募集の件を議決す、尚事務所を当事務所に移す
十一月三日 左の勧誘状を会員中数十名に配布す
拝啓 時下益御清適奉賀候、然は今回の大震火災により本会会員中不幸にして悲惨の最後を遂げられ、或は住宅及家財全部を空しく烏有に帰せられたる者尠からざるに付、此程評議員会相開き種々協議の上、会員中の有志者より御義捐を仰ぎ、本会の名を以て右の御遺族及び罹災の御人々に対し御同情の意を表する為め、相当の御慰問を為す事決議仕候に付ては、貴台に於ても御同様直接間接の御損害少からざる義と拝察仕候へ共、何卒右趣旨御賛同の上、相当の御義捐被下度懇願仕候、幸御快諾被下候はゝ、東京麹町区八重洲町一ノ一渋沢事務所内渋沢栄一宛御送金被成下度願上候、右拝願迄如此御座候 敬具
大正十二年十一月三日
埼玉県人会々長 渋沢栄一
同 副会長 山川義太郎
同 同 加藤政之助
尚々勝手の義には候へ共、御義捐金は一口金五拾円と致、御随意口数御引受被下度添て申上候
十一月十二日 会員罹災者に付調査会を開く、坂本・石川・相田三幹事出席、寄附金勧誘のため会長の命に由つて会員某々氏を訪問す
- 第49巻 p.535 -ページ画像
寄附金集り高
金四千九百弐円九拾弐銭也 総収入
内訳
金壱千円也 埼玉県庁より交附金
金参千八百九拾円也 寄附金
金壱千円 会長 渋沢栄一
金五百円 松崎半三郎
金参百円 小倉常吉
金弐百五拾円 松本真平
金弐百円宛 外山政蔵 木村清五郎
今井利喜三郎
金壱百円宛 松谷正太郎 諸井恒平
尾高幸五郎 渋谷正吉
出井兵吉 山川義太郎
金五拾円宛 石井健吾 増田明六
粕谷義三 柴田愛三
綾部利右衛門 松岡三五郎
河田大三九 高田早苗
滝沢吉三郎 山川一郎
金弐拾五円宛 矢沼伊三郎 松崎伊三郎
金弐拾円宛 小久江成一 山中勇
金五拾円 別に一名
金拾弐円九拾弐銭也 利子
以上
追申 前記収入の部金五拾円別に一名とあるは当時混雑の際寄附金取扱者に於て氏名伺洩れと相成りしものに候間、誠に恐縮の至に候へ共御心当の方は何卒幹事迄右氏名御一報被下度候
十二月廿日 寄附金分配法に付役員会を開き左の標準に由り寄贈することゝす、山川・加藤両副会長、三幹事出席
甲、会員乃ち本人の焼死せし者 金七拾五円
乙、家族焼死且自宅焼失せし者 金五拾円
丙、家族の焼死若くは圧死せし者 金参拾円
丁、住宅或は店舗の焼失せし者 金弐拾五円
戊、店舗事務所焼失せしも別宅若くは住宅の安全たりし者
金弐拾円
十二月廿二日 左記印刷物を調製し、之を添へて慰問金を寄贈することゝす
拝啓 這回の大震災は実に空前の大惨事にて被害の甚大なること元より筆紙の能く尽くす処に無之候、貴家は不幸にして類焼の厄に罹らせられ候由拝承致、本会々員一同深く御同情申上居候、就ては甚だ軽微乍ら別包金円右御見舞之印迄に贈呈仕候間、何卒御受納被下度候、右得貴意度如此御座候 敬具
大正十二年十二月 日
埼玉県人会々長 渋沢栄一
- 第49巻 p.536 -ページ画像
副会長 山川義太郎
同 加藤政之助
殿
十二月二十八日 坂本・石川・相田三幹事は前記慰問状に金包を携へ罹災会員を訪問し、一々慰問金を贈呈す
当時会員の住所変更甚だしく、一々之を探すため苦心一方ならざりき
同 二十九日 同上の行動
同 三十日 同上の行動
同 三十一日 同上の行動
報告書 ○略ス
(加藤政之助) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一二年)一一月五日(DK490184k-0004)
第49巻 p.536 ページ画像
(加藤政之助) 書翰 渋沢栄一宛 (大正一二年)一一月五日
(渋沢子爵家所蔵)
(別筆)
十二、十一、六、
御自筆返事済
謹啓 過日評議員会の席上御依嘱之件ハ、翌日県知事ニ面会懇ニ引継の件申談候処諒承の旨回答を得、其翌日元田知事ニ面会仕候処、子爵閣下より御話も有之必らす相運候様可取計との事ニ御坐候間、三・四千円の程度迄回金致呉可申と存候、不取敢右御報仕候 敬具
十月五日 政之助○加藤
渋沢子爵閣下
〔参考〕(増田明六) 日誌 大正一二年(DK490184k-0005)
第49巻 p.536 ページ画像
(増田明六) 日誌 大正一二年 (増田正純氏所蔵)
十一月五日《(六)》 火 晴
定刻出勤
○中略
大川平三郎氏を事務処に訪問し、埼玉県人会員中の震災罹災者救助の為め、同会に金千円寄贈せられ度旨子爵の命を以て懇談した
○下略
〔参考〕埼玉県人会会報 第五号・第七四頁 大正一三年九月刊 役員会(DK490184k-0006)
第49巻 p.536 ページ画像
埼玉県人会会報 第五号・第七四頁 大正一三年九月刊
○役員会
○上略
○大正十三年一月三十一日 山川・加藤両副会長、石川・相田・阪本三幹事出席、特ニ渋沢会長代理トシテ増田評議員列席セラレ、震災慰問ニ関スル報告ヲ聴聞セラル
○下略
〔参考〕(増田明六) 日誌 大正一三年(DK490184k-0007)
第49巻 p.536-537 ページ画像
(増田明六) 日誌 大正一三年 (増田正純氏所蔵)
五月九日 金 晴
○上略
- 第49巻 p.537 -ページ画像
埼玉県人会幹田相田延一氏《(事)》ニ、同会員にして罹災したる人々ニ対し昨年醵集したる義捐金の残額全部を引渡す、右残額は先きニ義捐金者の承諾を得て同会に引継く事を決定したるなり