デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

1部 社会公共事業

9章 其他ノ公共事業
7節 関係団体諸資料
3款 埼玉県人会
■綱文

第49巻 p.548-564(DK490189k) ページ画像

昭和3年10月21日(1928年)

是ヨリ先、大正十五年十一月十四日、小石川植物園ニ開カレタル当会秋季懇親会ニ於テ、栄一ノ米寿祝賀ノ議起リ、委員ヲ選定シテ祝賀方法ヲ協議ス。次イデ昭和二年七月三日、当会第十七回総会ハ委員会決定案ヲ承認ス。是日、飛鳥山邸内ニ於テ、当会主催ノ栄一米寿祝賀会開カル。栄一、病気ノタメ出席セズ、嫡孫敬三代理トシテ出席シ、挨拶ヲ述ブ。


■資料

埼玉県人会会報 第八号・第二四―二九頁 昭和二年九月刊 秋季懇親会記事(DK490189k-0001)
第49巻 p.548-549 ページ画像

埼玉県人会会報 第八号・第二四―二九頁 昭和二年九月刊
  秋季懇親会記事
   一、日時 大正十五年十一月十四日
   一、会場 小石川植物園
   一、会費 金弐円
   一、次第
     開会 余興 会員沼尻作平君 薩摩琵琶(那須与一)
     開会の辞(山川副会長)
 皆さん本日玆に本会の秋季懇親会を開催致しましたところ、斯く多数御出席下さいまして誠に有難い次第で御座います、本会も皆さんの御尽力に由り年と共に隆盛に赴き且会員相互の関係も益親密を加へ本会の目的に近づきつゝあることは御同慶の至りで御座います、尚本日
 - 第49巻 p.549 -ページ画像 
は会長渋沢子爵が御出になつて親しく皆さんに御挨拶を述ぶる筈で御座いましたが、御高齢のため医師の御注意に由り御見合せになりましたことは誠に遺憾の次第で御座います、其れで私から皆さんに宜敷申す様にとの事で御座いましたから何卒御承知を願ひます、偖て此より予定の順序に由り講演に移ります。
○中略
協議(山川副会長)
 本日の懇親会に当りまして会員有志より建議案が提出されましたから御謀り致します。
 会長渋沢子爵は明年米寿に相当するを以て、本会として適当に祝賀の意を表し度いと思ふ、如何
 加藤政之助氏 此は至極適当の事であると共に、本会としては是非取行ひたいと思ひますが皆さん如何ですか
一同賛成
 山川副会長 就きましては如何なる方法に由りませうか
 加藤政之助氏 私は取敢へず拾五名の委員を挙げて一切の事を御任せ致し度いと思ひます、而して其委員は座長の指名と云ふことに致し度いと思ひます、どうか御賛成を願ひます
一同賛成
 山川副会長 座長は委員指名に就ては考慮の上発表致し度いと思ひますが差支ありませんか
 差支なし、然らば何れ御指名を致しますから其際は御辞退なく御引受の上御実行下さる様希望致します
協議事項は此で終りましたから此から懇親会に移ります。
○下略


埼玉県人会会報 第八号・第四八―五〇頁 昭和二年九月刊 会長渋沢子爵米寿祝賀に関する経過(DK490189k-0002)
第49巻 p.549-550 ページ画像

埼玉県人会会報 第八号・第四八―五〇頁 昭和二年九月刊
    ○会長渋沢子爵米寿祝賀に関する経過
一、祝賀委員設置 大正拾五年十一月十四日秋季懇親会の際協議せし会長渋沢子爵米寿祝賀に就ては、別項(二八頁記事参照)記載之如く座長より拾五名の委員指名の事に一決し、左記拾五名指名せられたり。
拝啓 厳寒の候に候処貴下益々御壮栄之段奉賀候、陳者本年は会長渋沢子爵米寿に相当致し候に付、本会として適当なる祝賀の意を表し度昨年十一月十四日秋季懇親会の際協議致候処、不取敢拾五名の委員を挙ぐることに相決し其指名を托され居候、就ては貴殿を右委員に御依頼申候間、何卒御承諾被下度右得貴意候 草々敬具
  追て本月中旬第一回協議会開催之予定に付御諒承被下度候
                埼玉県人会
                  副会長 加藤政之助
                  副会長 山川義太郎
  昭和二年二月一日
        殿
  繁田武平殿    大川平三郎殿   本多静六殿
 - 第49巻 p.550 -ページ画像 
  河田大三九殿   粕谷義三殿    滝沢吉三郎殿
  松岡三五郎殿   増田明六殿    綾部利右衛門殿
  斎藤善八殿    諸井恒平殿    野口弘毅殿
  矢作栄蔵殿    渋谷正吉殿    平沼久三郎殿
          以上
二、委員会 昭和二年二月廿五日渋沢事務所に於て祝賀委員会開催、渋谷正吉・滝沢吉三郎・河田大三九・増田明六・粕谷義三・平沼久三郎・諸井恒平・矢作栄蔵・大川平三郎氏代武藤忠義、以上諸氏の外山川・加藤両副会長及石川・相田・増田・福島・高山・井田幹事出席協議の結果、先づ委員長・副委員長を置く事とし左記二氏を挙げ、其承諾を得たり。
        渋沢子爵米寿祝賀委員長 粕谷義三氏
        同      副委員長 滝沢吉三郎氏
 斯くて次回迄に祝賀方法を各自持寄ることゝして当日は散会せり。
三、第二回委員会及祝賀方法決定 同年六月二日渋沢事務所に於て第二回委員会開催左記四案を可決し、委員長粕谷義三氏より山川・加藤両副会長宛報告ありたり。
○会長渋沢子爵米寿祝賀方法委員会決議報告
 会長渋沢子爵祝賀委員は渋沢事務所に於て委員会開催、祝賀方法に付協議の結果、左の四案を可決す
右報告候也
  昭和弐年六月弐日
            会長渋沢子爵米寿祝賀
                 委員長  粕谷義三
                 副委員長 滝沢吉三郎
    副会長 山川義太郎殿
    同   加藤政之助殿
第一案 会員各自署名の賀帖を贈呈する事
 右経費、通信費、調製費、雑費金壱千円
第二案 子爵の油絵を調製して之を埼玉会館に寄贈し掲ぐる事
 右経費金壱千円
第三案 紀念品を調製して会員に頒つこと
 但し実費を要す
第四案 来春大祝賀会を開催する事
          以上
以上の四案は本年七月三日第十七回総会に報告せられ、満場一致可決したり、而して其実行方法に就て協議中なれば、詳細決定と同時に一般会員へ通知せらるゝ筈なり。
 因に我が県人会以外に別に全国的に財界一流知名の人々は大橋・団・木村・結城・郷・中島・佐々木・土方・門野・服部・森村諸氏発起者となり、子爵の銅像を市内に建設せんとの計劃ありと云ふ。


埼玉県人会会報 第八号・第一―八頁 昭和二年九月刊 第十七回総会記事(昭和二年七月三日小石川植物園にて)(DK490189k-0003)
第49巻 p.550-552 ページ画像

埼玉県人会会報 第八号・第一―八頁 昭和二年九月刊
    第十七回総会記事(昭和二年七月三日小石川植物園にて)
 - 第49巻 p.551 -ページ画像 
一、開会通知
      埼玉県人会第十七回総会通知
 拝啓 貴下益々御壮栄の段御喜び申上げます、偖て来七月三日左記○略ス の通り本会第十七回総会を開催致しますから、何卒御繰合せ御出席の程希望いたします、尚今回は会長渋沢子爵米寿祝賀方法に付き特に御協議申し度き事も之有りますから、多数御出席下さる様致したいものです 謹言
  昭和二年六月 日     東京市麹町区丸ノ内廿八号館内
               渋沢事務所内
                      埼玉県人会
○中略
一、開会の辞 山川副会長
 本日玆に本会の第十七回総会を開きましたところ、暑気の候に拘はらず斯く多数御出席を得ましたことは誠に欣喜の至りに堪へません、総会は毎年五・六月の頃開く筈になつて居りましたが、本年は種々なる都合上多少遅れまして暑気になりました事は申し訳御座いません、尚会長渋沢子爵にも御出席の筈でしたが、昨日塙検校の遺績たる温故学会の会館落成式に御出席に成り、余り長く御席にありしため著しく御疲労を感ぜられ、本日此処に御出席出来ませんのは、皆様と共に甚だ遺憾に存ずる次第で御座います、偖て本会も年々予定の通り進行し益々発展するのは、諸君と共に御喜び申す訳でありますが、尚一層盛大にならんことを希望致します、此には会員諸君の共力一致を切に希ふ次第で御座います。此より庶務及会計の報告を幹事から致します。
一、庶務報告 石川幹事
 私は昨年度に於ける庶務の報告を致します、勿論其一部は已に会報に掲載されましたから御承知の所もあらうと思ひます、
○中略
一、会長渋沢子爵米寿祝賀に関する件 本会は世界の偉人たる渋沢子爵を会長に戴く光栄として、昨年十一月十四日の秋季懇親会の際可決になりました会長の米寿祝賀の件で御座います、当日座長より十五名の委員を御指名になりました。委員は数回会合の結果決定する所がありました、其は本日委員長たる粕谷義三氏より御報告がある筈で御座います。
○中略
  会長渋沢子爵米寿祝賀に関する報告
                委員長 粕谷義三氏
 私は山川・加藤両副会長の御名前を以て会長渋沢子爵米寿祝賀委員の御指名を受けました、勿論名誉の事でありますから快く御引受致しましたが、偖て委員会を開くに当りまして私に委員長に成る様にとの事でしたから断て御辞退申しましたが、然し此の御目出度い事をするのですから単に断るのは如何かと思ひまして御引受致した訳で御座います、そこで委員会の結果を此処で御報告申します、委員会では次の四つの案を決定致しました。
第一案 会員各自署名の賀帖を贈呈する事
 - 第49巻 p.552 -ページ画像 
 右経費、通信費、調製費、雑費、金壱千円
第二案 子爵の油絵を調製して之を埼玉会館に寄贈し掲ぐる事
  右経費、金壱千円
第三案 紀念品を調製して会員に頒つこと
  但し、実費を要す
第四案 来春大祝賀会を開催する事
          以上
 以上の次第で御座います
 異議無し異議無し
 山川副会長 総会は此で大体終りました、これから大川氏の御講演を願ひます。
○下略


埼玉県人会会報 第九号・第二七―二九頁 昭和二年一二月刊 会長渋沢子爵米寿祝賀に就て 昭和三年五月祝賀会挙行の予定 賀帖署名用紙配布(DK490189k-0004)
第49巻 p.552-554 ページ画像

埼玉県人会会報 第九号・第二七―二九頁 昭和二年一二月刊
    会長渋沢子爵米寿祝賀に就て
      昭和三年五月祝賀会挙行の予定
      賀帖署名用紙配布
 会長渋沢子爵米寿祝賀に就ては前号に其大要を報告せしが、其後粕谷委員長、山川・加藤両副会長及各委員の名に由つて、左記書面を会員一般に配布し賛成を求めしに、続々申込あり、同時に本会よりは賀帖用署名用紙を送附せしに、会員は之に「寿」「賀」若くは和歌・漢詩等を認め返送せらる、該署名用紙は短冊にして、雲形を上にし之に渋沢家の紋所柏の葉表裏を表はしたるものなり、署名の上部には各自思ひ思ひの祝賀の意を表し得る様大体其位置を示せり。
 送金期限は更に昭和三年一月末日迄に延期し、署名品は二月十五日迄に到着せるものを賀帖に調製せらるべき計劃なり。
 会員には決して無理強ひは致さゞるも、成るべく多数会員の力に由つて効果を挙たきものなり。
 会員外にて単に祝賀の計劃にのみ参加賛成を申込むものあるを以て之を受付くることゝせり。
 此の企てに就て秩父長瀞館主小埜摠次郎氏は鄭重なる書面に金拾八円八拾銭寄附申出でたり、此は八十八に因めるなり、其篤志と好意を感謝す。
 拝啓 秋冷之候愈々御壮栄之段奉賀候
 陳者本会々長渋沢子爵米寿の高齢に躋られ候に就ては、会報第八号に記載せらるゝ如く、本会は誠心誠意所謂去華就実之主意に於て適当なる祝賀の意を表せんため、昨年十一月十四日右祝賀に関する委員拾五名を挙げ、委員は爾後数回協議の結果其の大綱を定め、之を本年七月本会第十七回総会に御報告致候処、満場一致承認せられ候に付、更に其実行方法に関し協議致し、玆に左記方法決定致候間、改めて会員諸君に御通知申上候、何卒御一覧の上協力一致之が麗はしき成果を奏する様、会員諸君の御賛同を熱望致候次第に御座候
                         草々敬具
  昭和二年十月吉日
 - 第49巻 p.553 -ページ画像 
             埼玉県人会副会長 山川義太郎
             同        加藤政之助
             祝賀委員長    粕谷義三
             同副委員長    滝沢吉三郎
             同委員      繁田武平
             同        本多静六
             同        大川平三郎
             同        河田大三九
             同        野口弘毅
             同        矢作栄蔵
             同        松岡三五郎
             同        増田明六
             同        綾部利右衛門
             同        斎藤善八
             同        渋谷正吉
             同        平沼久三郎
             同        諸井恒平
                       (いろは順)

    会長渋沢子爵米寿祝賀実行方法
第一 会員は左記要項に依り各自署名の賀帖を贈呈すること
 (イ)本会は一定の用紙二葉を会員に送附す
  会員は之れに署名の上其の一葉を本会に廻送すること
 (ロ)右用紙上部余白に詩歌・俳句・書画等を以て適当なる祝意を表するも差支無し
 (ハ)用紙に御署名の上は本年十一月十五日限り相違なく本会宛御廻送の事(一月迄延期)
 (ニ)右賀帖は永久に渋沢家に御保存を願ふものとす
 (ホ)賀帖調製通信其他一切の費用は会員一人宛金五拾銭也御負担のこと
第二 渋沢子爵の御肖像を額面(油絵)に調製し之を埼玉会館に寄贈し同館内に掲ぐること
 右経費会員一人宛金壱円也御負担のこと
第三 子爵の御高徳にあやかるべき記念品を調製し之を会員に頒つこと
 右経費会員一人宛金壱円五拾銭也御負担のこと
第四 以上一乃至三項経費合計御一人分金参円也別紙振替(振替口座 東京六一〇四二)貯金用紙に依り本年十月三十一日限り相違なく本会御送金を願ふこと(二月十五日迄延期)
 但し第一項記載の署名用紙は右金額到着次第送付す
第五 来春適当の時期を選び祝賀会を開催し祝賀文を添へて前記賀帖を献呈すること
 右祝賀会費は当日出席者の負担とし其の金額並に日時は追つて御通知申上ぐること
 - 第49巻 p.554 -ページ画像 
第六 前記祝賀に関し金銭・物品等の御寄贈ある場合は難有受領すること
          以上
  昭和二年十月吉日
 注意 此の計劃を御忘れの方も之有る様に思はれ候、切角会員各位の御援助を願上候、郵税に就て不足税の請求を受けられ候方は御申出下され度く弁償可致候


埼玉県人会会報 第一〇号・第四六―四九頁 昭和三年一〇月刊 会長渋沢子爵米寿祝賀に就て(DK490189k-0005)
第49巻 p.554-556 ページ画像

埼玉県人会会報 第一〇号・第四六―四九頁 昭和三年一〇月刊
    ○会長渋沢子爵米寿祝賀に就て
 会長渋沢子爵米寿祝賀に就ては会報第九号に計劃方法を紹介し、本年五月挙行の筈にて其れ其れ準備に着手せしが、子爵には四月廿一日風邪に罹らせられ、翌廿二日当選代議士並に大川氏勅選祝賀会にも出席の筈の処此亦御見合となり、医師の注意に由り専ら療養せられ、其結果漸次快方に向はせられたれば、六月中旬祝賀会挙行の予定なりしが、時宛も梅雨期に際したれば別紙通知の如く更に延期し、十月中旬挙行の事に決せしなり、而して子爵には其後益々快方丸内事務所にも出勤せられ、種々なる事業に従事せられしが、八月中旬伊香保に避暑せられたり、今米寿祝賀に就ての大要を左に再録す。
 (一)祝賀に関する委員長並に委員
            埼玉県人会副会長 山川義太郎
            同        加藤政之助
            祝賀委員長    粕谷義三
            同副委員長    滝沢吉三郎
            同委員      繁田武平
            同        本多静六
            同        大川平三郎
            同        河田大三九
            同        野口弘毅
            同        矢作栄蔵
            同        松岡三五郎
            同        増田明六
            同        綾部利右衛門
            同        斎藤善八
            同        渋谷正吉
            同        平沼久三郎
            同        諸井恒平
                      (いろは順)
 (二)祝賀方法
  (イ)飛鳥山邸に於て祝賀会を開く。
  (ロ)賀帖贈呈。
   (1)会員各自署名の短冊を賀帖に調製す。
   (2)祝賀文を添ふ。
   (3)県出身左記画但に揮毫を乞ひ賀帖に加ふ。
 - 第49巻 p.555 -ページ画像 
  勝田蕉琴氏    上原桃畝氏    森脇雲渓氏
  菊沢武江氏    金子米軒氏    益田楳岳氏
  宮崎桃斎氏    吉原雅風氏    山田広清氏
  蜂須秀雲氏    野本小湖氏    松村翠雲氏
  北沢楽天氏    平井呉鳳氏    橋本秀邦氏
  村田栄輝氏    橋本永邦氏    斎藤幸鴻氏
  森田恒友氏    小茂田青樹氏   田端雲鱗氏
  田野素鳩氏    小泉草風氏    大曾根武草氏
  落合盛雲氏    小杉香雪氏    粕谷素山氏
各画伯には左記書状を発送せり。
 拝啓 愈御健昌奉賀候、陳者本会々長渋沢子爵米寿祝賀に付、本会は一定せる短冊に会員各自署名の上紀念賀帖に調製贈呈の計劃に御座候得共、更に本県出身の諸画伯の御潤筆を之れに挿加するに於ては一層の光彩を増すべきを以て、予て申上候通去る七日諸名家の御参集を仰ぎ御協議の結果、左記の如く決定仕候間御賛同御揮毫を賜り度、御願旁々貴意を得度如斯御座候 早々敬具
   一、賀帖は縦に作成すべきに付構図は必ず縦となすこと
   二、材料は縦一尺二寸五分横九寸の絹本及紙本の二種とす
    (一)絹地は本郷区湯島切通坂町二四西尾商店(電話小石川七五八八番)に托し二枚送付す内一枚に揮毫されたし
    (二)紙本の用紙は各位の随意とす
   三、揮毫は絹本には密画、紙本に粗画
   四、画題は随意、但米寿祝賀に付仏画は避くること
   五、出来期は八月末日限り、出来品は前記西尾商店に取纏を托しあれば同店に御交附ありたし 以上
  昭和三年七月 日
     埼玉県人会副会長    山川義太郎   埼玉県人会副会会 加藤政之助
     渋沢子爵米寿祝賀委員長 粕谷義三    同副委員長    滝沢吉三郎
     賛助員         勝田蕉琴    賛助員      金子米軒
     同           北沢楽天    同        森脇雲渓
     埼玉県人会幹事     石川雄之助   同        相田延一
     同           高山信吉             増田丑蔵
     同           福島嘉重    同        関口児玉之輔
    先生
      侍史
  (三)子爵の御肖像を油絵に調製す
  (四)記念品を調製し会員に頒つこと
  (五)右経費として会員一人金参円出金すること
     但し祝賀会当日の費用は出席者一人金弐円の予定なること
  (六)前記祝賀に関し金銭物品の御寄贈ある場合は難有受領すること
  寄附申込(今日迄の申込)
   長瀞館小埜摠次郎氏より金円
   関根一柳氏より当日装飾挿花申込
 - 第49巻 p.556 -ページ画像 
   某氏よりビール、シトロン寄附申込
          以上

 謹啓 向暑の候愈々御壮栄の段奉賀候
 陳者本会は本年五月春季総会を兼ね会長渋沢子爵米寿祝賀会開催の予定に有之其旨御通知申上置候処、子爵には四月廿一日以来少々御病気に渡らせられ喘息をも併発候間、我等幹事は会員を代表し親しく御見舞申上切に御快復を祈居り候、尚同邸に於かせられては専ら主治医の指導に基き治療罷在殆ど御回復相成候に付、総会を兼ね祝賀会開催の計劃致候、然るに六月梅雨期七月向暑期の祝賀会は万事不如意に有之、寧ろ秋季迄延期する方好都合ならんとの評議員諸氏の御注意も有之候間、来十月中旬に延期することに相成候、従て総会に於ける庶務会計の報告、役員改選等も其際可致併て御諒承被下度、右御通知申上候 草々敬具
  昭和三年七月 日
                      埼玉県人会
                        副会長
                        幹事一同


埼玉県人会書類(一)(DK490189k-0006)
第49巻 p.556 ページ画像

埼玉県人会書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
拝啓 秋冷之候愈御壮栄の段奉賀候
陳者会長閣下には昨年米寿に躋られ候に付、我県人会は閣下の御高齢と御高徳にあやかりたく、昨年七月第十七回総会に於て満場一致閣下の米寿祝賀の式を挙行することに相成、来る十月二十一日閣下の御邸内に於て閣下の米寿祝賀会相催候間、閣下始御一族各位の御出席を仰き度、右御案内申上候 敬具
  昭和三年十月吉日
                埼玉県人会
                  副会長   山川義太郎
                  同     加藤政之助
                会長米寿祝賀会
                  委員長   粕谷義三
                  同副委員長 滝沢吉三郎
                        外委員一同
    子爵 渋沢栄一閣下


埼玉県人会書類(一)(DK490189k-0007)
第49巻 p.556-557 ページ画像

埼玉県人会書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
(印刷物)
    総会の順序(昭和三年十月二十一日於王子渋沢子爵邸)
一、第十八回総会
   開会の挨拶
   庶務会計報告
   議事
   役員改選の件
 - 第49巻 p.557 -ページ画像 
   閉会
   会長渋沢子爵米寿祝賀会の順序
一、祝賀式
   開会の辞
   祝賀文の朗読
   賀帖の捧呈
   祝賀演説
   謝辞
   閉会の辞
一、余興
   講談大島伯鶴
   西洋手品天洋一座
            食後
   説教節若松太夫
一、摸擬店開始
一、随時解散

      記念品
一、本日出席者には記念短冊、記念盃を差上ます。
一、祝賀帖捧呈に加入したる方には引換券にて記念色紙並に記念写真を差上ます。


中外商業新報 第一五三三五号 昭和三年一〇月二二日 埼玉県人の祝賀会 渋沢子邸で(DK490189k-0008)
第49巻 p.557 ページ画像

中外商業新報 第一五三三五号 昭和三年一〇月二二日
    埼玉県人の祝賀会
      渋沢子邸で
廿一日午前十時から埼玉県人会主催で、王子の渋沢子爵邸に老子爵の米寿祝賀会が開かれた、宮脇同県知事・林内務部長・粕谷義三氏・矢作博士などを初め多数の来会者があり、折悪く雨ではあつたがすこぶる盛会であつた、この日老子爵は風邸の気味で静養中とて席上には出られなかつたが、一同は歓を尽して子爵の長寿を祝した


埼玉県人会書類(一)(DK490189k-0009)
第49巻 p.557-559 ページ画像

埼玉県人会書類(一)          (渋沢子爵家所蔵)
我ガ埼玉県人会々長子爵渋沢栄一閣下
昨年米寿ノ高齢ニ達セラレタルヲ以テ、会員胥謀リ玆ニ本日ヲ卜シテ祝賀会ヲ開ラキ、恭シク記念賀帳ヲ閣下ニ捧呈シ、聊カ生等慶祝ノ微忱ヲ表セントス
顧ミレバ我ガ県人会ハ大正二年創立以来于玆十有六年、常ニ会長閣下ノ熱心ナル指導ト優渥ナル誘掖トヲ忝ウシ、会運日ニ月ニ発展シテ今日ニ至ル、而シテ会員カ閣下ノ高徳ヲ景慕スルコト宛モ父子ノ情誼ニ彷彿タルモノアリ、嚮ニハ大正九年晩秋ノ候杖朝ノ寿並ニ陞爵ノ賀筵ヲ催シ、其ノ喜ヲ共ニ分チタリシニ、本日亦米寿ノ祝賀会ヲ閣下ノ邸内ニ挙行スルコトヲ得タルハ、寔ニ本会ノ幸福ニシテ会員ノ歓喜何物カ之レニ如カンヤ
 - 第49巻 p.558 -ページ画像 
惟フニ閣下既往ノ事功ハ天下万衆ノ斉ク識ル所ニシテ、今更ラ絮説スルヲ要セスト雖モ、明治維新ノ際閣下ハ風雲ノ変ヲ望ミテ勤王ノ志ヲ抱キ、同志ヲ糾合シテ国事ニ奔走セラレ、世局稍収マルヲ見テ遠ク海外ニ歴遊シ、其ノ文物ヲ視察シテ帰朝スルヤ、大蔵少輔ノ重職ニ擢用セラレタルモ、固ヨリ閣下ノ素志ニアラザルヲ以テ、幾モナクシテ官ヲ辞シ、専ラ力ヲ殖産興業ノ方面ニ傾注セラル、則チ率先第一銀行ヲ創立シ自ラ其ノ頭取トナリ、以テ我国ニ於ケル銀行経営ノ基ヲ開カル爾来実業界ノ羅針盤トナリ各種事業会社ヲ創設シ、或ハ之ヲ後援セラルヽ等、其ノ関係セル諸会社ハ実ニ六十有余ノ多数ニ及ヒ、以テ一般商工業ノ振興ト国富ノ増殖トヲ策セラル、蓋シ我カ国産業ノ発達今日アルヲ致セルモノ、洵ニ是レ閣下ノ達識炯眼能ク時運ノ推移ヲ洞察セラレ、実業ト道徳トノ結合ヲ基調トシ、経営指導其ノ宜ヲ得ラレタルノ賜ト謂ハサルヘカラス
閣下ハ大正五年喜寿ノ佳辰ヲ機トシ、実業界ヲ退隠シテ後進ノ為メニ途ヲ開カレタルカ、閣下ノ崇高ナル人類愛ノ熱情ハ、従来ノ努力ヲ挙ケテ社会公共ノ事業ニ一転セラレ、或ハ社会ノ改善ニ、或ハ感化救済ニ、或ハ教育ノ振興ニ、或ハ労資ノ協調等閣下ノ指導援助ニ依ル諸団体ハ現在三十有余ヲ算スヘク、其ノ他ノ関係団体ヲ合スレハ実ニ一百有余ノ多キニ及フ、世人其ノ精力ノ絶倫ニ感歎スルト共ニ、憂国愛民ノ至誠ニ感激セサル莫シ、閣下ハ更ニ力ヲ国際的平和事業ニ効サレ、特ニ日米ノ関係ニ至リテハ常ニ其ノ友誼増進ニ意ヲ注カレ、彼ノ加洲学童問題、或ハ日本人排斥問題等相踵イテ起リ両国ノ国交上頗ル憂フヘキモノアルヤ、蹶然老躯ヲ提ケテ彼地ニ航シ、朝野ノ有力者ヲ訪フテ赤誠ヲ披瀝シ、日米関係ノ将来ヲ説キ相互ノ諒解ニ努ムル等、身ヲ以テ問題ノ解決ニ当ラル、又隣邦支那ニ対シテモ親シク彼地ヲ訪ヒ、東洋平和ノ大局ヨリ両国親善ノ急務ナルヲ説キ、彼我国情ノ疏通ニ寄与セラル、其他世界平和ノ為メ、人類ノ幸福ノ為メニ、国際間ノ各方面ニ於テ鋭意尽瘁セラルルモノ挙ケテ数フヘカラス、宜ナリ、世界各国ノ政治家・実業家・学者・宗教家等ノ我国ニ来ルモノ必ラスヤ閣下ヲ訪フテ其ノ謦咳ニ接スルヲ光栄トスルニ至リタルヤ、乃チ閣下ハ所謂印綬ヲ帯ヒサル外相ニシテ、実ニ国民外交ノ代表的第一人者ト称スヘク、其ノ国交上ニ貢献スル所尠少ナラサルハ全国民ノ感謝ヲ値スルモノアリト謂フ可シ
又近時我カ国民思想上憂慮スヘキ現象ヲ見ルヤ、率先シテ之レカ善導ニ心胆ヲ砕カレ、各種団体ヲ通シテ最善ノ努力ヲ効サル、而シテ我カ県人会ニ対シテモ懇切ニ嚮フ所ヲ示シ、以テ会員ノ奮起ヲ促サレタリ蓋シ閣下ハ常ニ論語ヲ以テ処世ノ指針トセラレ、実践躬行範ヲ天下ニ示サル、殊ニ大義名分ヲ重ンシ尊皇愛国ノ念燃ユルカ如シ、彼ノ二十有余年ヲ費シテ編纂セラレタル徳川慶喜公ノ伝記ノ如キ、其ノ精神内容水府義公ノ大日本史ニモ比スヘク、思想善導モ閣下ノ提唱ニ依リテ始メテ力強キモノアリトス
嗚呼閣下ハ拮据経営七十年、敢テ一日ノ安逸モ貪ラス、至誠一貫国利公益ニ尽サル、其ノ人格ノ崇高ナル以テ国民ノ典型トスヘク、其ノ勲業ノ偉大ナル以テ青史ニ伝フヘシ、洵ニ是レ帝国ノ一大誇リニシテ、
 - 第49巻 p.559 -ページ画像 
斯ノ如キ世界的偉人ヲ我カ埼玉県ニ出シタルハ、我等県民ノ至大ノ光栄ト謂フ可ク、生等会員ノ驩喜ノ至情ハ豈ニ筆舌ノ能ク竭クス所ナランヤ、閣下冀クハ国家ノ為メ益々自重自愛セラレ、他日更ニ期頤ヲ賀スルノ欣幸ヲ得セシメラレンコトヲ、玆ニ本日ノ吉辰ヲ卜シテ閣下ノ米寿祝賀会ヲ開ラキ、謹ミテ生等会員ノ赤誠ヲ罩メタル記念賀帳ヲ捧呈シ、以テ慶祝ノ微忱ヲ表シ、併セテ閣下ノ寿康ヲ祈ル
  昭和三年十月二十一日
           会長渋沢子爵米寿祝賀会
                  委員長 粕谷義三
   ○右ハ「竜門雑誌」第四八二号(昭和三年十一月)ニ収録サル。


埼玉県人会会報 第一一号・第一七―二九頁 昭和四年二月刊 第十七回総会並《(八)》に会長米寿祝賀会概況(DK490189k-0010)
第49巻 p.559-563 ページ画像

埼玉県人会会報 第一一号・第一七―二九頁 昭和四年二月刊
    ○第十七回総会並《(八)》に会長米寿祝賀会概況
一、日時 昭和三年十月廿一日午前九時より
一、会場 王子飛鳥山渋沢子爵邸内
一、通知
 拝啓 愈々御壮栄之段奉賀候
 陳者十月二十一日(日曜日)左記之通り本会第拾八回総会並に会長渋沢子爵米寿祝賀会開催致し候間、皆様多数御誘ひの上万障御差繰り御来会被成下度、右御案内申上候 草々敬具
  昭和三年十月 日
      東京市麹町区丸ノ内廿八号館内渋沢事務所内
               埼玉県人会
         副会長        山川義太郎
         同          加藤政之助
         会長米寿祝賀会委員長 粕谷義三
         同     副委員長 滝沢吉三郎
                    外委員一同
      殿
一、日時 十月二十一日(第三日曜日)午前九時受付開始
一、会場 王子飛鳥山渋沢子爵邸内
一、会費 金弐円
一、総会次第
 (一)開会之挨拶
 (二)報告(庶務・会計に就いて)
 (三)議事
 (四)役員選挙
 (五)閉会
一、会長米寿祝賀会次第
 (一)開会之辞
 (二)祝賀文朗読
 (三)賀帖贈呈
 (四)祝賀演説(有志)
 (五)余興
 - 第49巻 p.560 -ページ画像 
 (六)閉会
一、模擬店開始(午後一時)
 追而会長渋沢子爵の御高徳にあやかるべき紀念品御頒布申上べく候
          以上
概況 抑も会長祝賀会は一昨年十一月開会の予定なりしが、時宛も諒闇中なるを以て昭和三年四五月頃開会すべき旨会員一同に通知せしが偶々会長閣下御風邪に渡らせられ、一般の祝賀皆延期になりしかば本会も延期することゝせり、其間幹事一同は屡々御病状を御見舞申上げ且御快復を祈りしに、幸六月頃御全快せられしかば玆に開会せんとせしに、折しも梅雨期に遭遇せしを以て寧ろ秋期に行はんとて再び延期の通知を発せり。会長は其後益々御壮健に渡らせられ八月には伊香保に避暑せられ、九月廿九日には竜門社、十月一日には実業家側の祝賀会を受けさせられたり。
十月廿一日 此日折悪しく朝より降雨霆々として降りしが、来会者は之を意とせず続々詰めかけ、予定数三百五拾余名に達し、天ント内殆ど満員の盛況を呈せるは、会長閣下御成徳の為らしむる所なることを一般に感ぜしめたり。
総会
 庶務・会計に就て石川幹事より報告す
 役員選挙 粕谷座長より会員一同に謀る、曰く「本年四月改選期なるも已に半年を経過せり、且山川・加藤両副会長も欠席なれば更に半年延期して来年四月迄現在役員にて、御苦労を願ふことゝしては如何」と申されしかば、一同異議なく賛成を表し延期に決す。此にて総会も終り、直に米寿祝賀会に移る
○会長米寿祝賀会
 開会に先だち副委員長滝沢吉三郎氏より一同に相談す其主意は「本日の会に当り会長且主賓たる渋沢子爵の御来臨を御願申すは当然なれども、我々は此邸内にて祝賀会を開会すること已に温情籠て居る、而して子爵には御座敷に居らるゝ故に、強て此席に御出が無くとも互に情味は通じて居る事故、寧ろ御出席は我々会員より御止を御願申し其代りとして御令孫敬三様に御出を願ふことゝしては如何であるか」と謀りしかば、一同至極結構なりとて賛成を表せられしかば、改めて御令孫敬三様の御出場を願ひたり。
渋沢子爵代理敬三氏臨場
粕谷委員長の挨拶 本年四・五月頃開会すべき筈の処会長閣下御風邪のため延期せしが本日開会することゝなりました事は、満場の諸君と共に御喜び申す次第で御座います、本日は折悪しく雨天に拘はらず斯く多数の御出席を得ましたことは厚く御礼を申上げます
 玆に会長閣下の御令孫の御来臨を得ました事は非常な光栄で御座います、此より祝賀文の朗読を致します
祝賀文朗読
    (巻頭に掲く)
記念祝賀品目録
    奉呈
 - 第49巻 p.561 -ページ画像 
渋沢子爵代理令孫敬三氏御挨拶
 本日は祖父の米寿祝賀会のため斯く多数、然かも或る方には遠方から御出で下さいました事は何共感謝の至りに堪へません、祖父も此の状況を別室で聞きまして非常に喜び皆様の御厚志を心から厚く感謝して居る次第であります。本日は折悪しくも斯様な天候になり且つは祖父も此席へ出られませんのは、竜を描いて眼を点ずるのに私が代理しては宛も入れ眼であるかの如き感じが致してまして甚だ遺憾であります。先刻私は祖父の前に参り何か皆様に申上ることはないかと尋ねましたら、祖父の答に「お前が私の口真似をしたところで何もならないが、只私が心から有難く感じて居ると云ふことを能く伝へて呉れ、尚序に、由来埼玉の地は昔から大大名が無かつたから住民はリベラルな即ち自由な民であつて人に頼らず独立といふ特徴であつたが、其反面には纏ることが困難で、所謂共同一致又は先輩を推すと云ふより人を排除して己れ駈け脱けんとする様な精神が強い様に思はれる、けれども玆に県人会の如き有力な団体も出来て来た様な訳であるから、此上は弥が上に一層之を活用して協力一致の実を挙げて貰ひたいものだ」之を能く伝へよと云はれました、私の云ふ言葉が甚だ拙で祖父の意を十分に表はすことが出来ませんが、大体の主意を御諒解下さいます様御願ひ致します。祖父の状態も大して悪いと云ふ方ではなく、過日郷里八基村に帰り少し運動が過ぎたので風を引き、医者から外出を止められて居るので、心ならずも皆様に失礼致した訳でありますから、此点を御容赦を御願ひいたします。幾重にも厚く御礼を申し上げます。
林埼玉県内務部長
 私は埼玉県庁に職を奉ずる者でありますが、本日此盛典に列席し得ました事は大に光栄に存ずる次第であります。
 子爵閣下の御高徳は内地に止らず海外まで喧伝されております事は先刻粕谷先生の御読みになつた祝賀文にあつた通りで、私が此の上蛇足を加へます事は却つて閣下の御高徳を傷けますので差控へますが、斯る偉人を出せる埼玉県をして日本に出色せる県たらしめたい、との考で県政を執つております事を皆様に御承知置き願ひたいのであります、従て益々閣下の御健康を祈り、其徳にあやからんことを希ふ次第であります。
染谷安次郎氏
 甚だ僭越乍ら祝辞を一言申上げます、本年私は六十八才になりますが、子爵閣下の米寿祝賀会と云ふので、欣喜雀躍措く所を知らず罷り出た次第であります。
 彼の法華経は空想に過ぎないが日蓮上人をつれて来ると活々として来ると同様に、論語読み論語を知らずと申すか論語其れは今日殆ど顧みられません、然し子爵の如く、論語に魂を打ち込まれると活きて参るのであります、内地は申すに及ばず海外にまで大なる功徳を示された渋沢子爵、其の子爵は論語の遵奉者であらせらる事を思ひますときに、論語の力亦大なりと云はざるを得ないのであります、我々は益々其徳に接したいと思ひます。
山岸利三郎氏
 - 第49巻 p.562 -ページ画像 
 由来我埼玉は武人・文人として著名な士を数多く出して居るが、今亦渋沢子爵の如き傑出せる偉人を出した事は我々県人の大に誇りとする所であります。
 今後も加藤・粕谷・大川氏の如き人々に力添へをして、将来の日本は埼玉の人によらなければ維持する事が出来ないと云ふ程の底力ある様にいたしたいのであります。
細田義弘氏
 私は比企郡出身で尾崎行雄先生に仕へてゐる者でありますが、本日此会に出まして感じました事は、降雨にも拘らず婦人・子供迄も出席された事は、如何に子爵の徳が大であるかを示された事であります。而して本日は子爵の尊顔を拝し得ないのは誠に残念でありますが、然し亦一方に大なるよろこびを得た事を私は云いたい、夫は先刻此処に御立ちになつた御令孫敬三様の容貌態度演説が子爵にそつくり似てゐまして、御後嗣として申分ない方であると思ひます、之は単に渋沢御一家に止らず埼玉県否日本と致しましても慶すべき事であると思ひます、感激の余り一言祝辞を申す次第であります。
高窪喜八郎氏
 子爵は先刻の祝賀文にもある如く、政治家であり、学者でもあり、非凡なる力を持つた方であるが、殊に功績を樹てられたのは実業方面に於てゞある。先日調物をした中に明治十八年頃の日本全国の銀行の資本金総額は僅か五千万円足らずであつた、然るに今日は一銀行、一会社で一億円の資本金は敢て珍しい事ではなく、之が全部を合するときに百億円の巨額に達する状態であります、此の変遷の過程に子爵は離るべからざる方で、明治初年官界より民間の人となり実業方面の指導者となられましたが、子爵が多年唱導されて来た産業開発と商業道徳は近頃起つて来たロータリー運動に似てゐると思ひます。実業は唯儲けさへすればよいと云ふのは謬見で、利すると共に亦サービスをせねばならないといふのがロータリー運動の精神であるが、此の新しい理想を子爵は夙に実行されておつたので我々の敬服してやまざる次第であります。此の偉人を戴くことの出来るのは我々の幸福と光栄の至りで、此を永久に続く様に致したいと思ふ次第であります。
加藤房五郎氏
 私は明治十二年有志と相謀り埼玉協友商工会なるものを起し子爵閣下に会長をお願ひし、不肖は理事となつて驥尾に附して参りました、いろいろお世話になりました其の報恩の一端にもと、今日玆に席末を汚した訳であります。
福田又一氏
 本日は雨天であるから定めし出席者も少いだらうと思つてゐた処、此の様に多数お集りになり盛大なる祝典を挙げられた事は誠によろこばしく存じます。子爵閣下は医師から外出を禁ぜられてゐる為に御出席なきとかで遺憾でありますが、然し一方考へて見ますれば本日御出席なきは千年の長寿を保たれる上に於て、却て望ましい事ではなからうかと思ひ、玆に謹みて御自愛を祈る次第であります。
来賓
 - 第49巻 p.563 -ページ画像 
 男爵 阪谷芳郎  知事 宮脇梅吉  内務部長 林寿夫
    矢作栄蔵     高窪喜八郎      平沼久三郎
    諸井恒平     滝沢吉三郎      松崎半三郎
    渋谷正吉     三浦信太郎      繁田武平
    小埜摠次郎    熊倉良助         以下略
余興
 講談     大島伯鶴氏
 西洋手品   天洋一座
 落語     柳屋小三
 説教節    若松若太夫
園遊会 雨天なればテント内にて弁当・正宗瓶・おでん・汁粉・団子・甘酒等の品々を配布しシンミリした一場の懇親会が開かれました、其間若松若太夫氏には特に千両幟と云ふ目出度き段物を語られ会員に満足を与へられたり。
 特記 園遊会々場に就ては子爵邸の御厚意御配慮は元より、事務所各員白石・渡辺・井田諸氏の御厚意は会員一同深く謝意を表す。
配布記念品 当日出席者には特に左の短冊及記念杯を配布し、祝賀会員には表頭に示せる色紙及子爵の御写真を配布す、当日欠席の祝賀会員には朝鮮・満洲・台湾を始め各地へ小包郵便にて郵送す。

図表を画像で表示--

  業精于勤荒于嬉行成  于思毀于随 渋沢栄一 



贈呈
祝賀記念品内容
 祝賀会員(金参円也払込者)各自署名和歌短冊・俳句・詩・詩等配《(マヽ)》せる短冊並に左記県出身画伯二十七名に絹二枚宛祝賀の意を込めたる揮毫を乞ひ之を交ぜ張り、緞子美製上下二巻の賀帖と――上巻々首には別記祝賀文(粕谷委員長揮毫)下巻々末には加藤副会長の詩を跋に書し目録を添へて贈呈せり。
  県出身廿七名画伯
 勝田蕉琴   松村翠雲   小杉香雪
 森脇雲渓   平井呉鳳   落合盛雲
 金子米軒   村田栄輝   粕谷素山
 宮崎桃斎   斎藤幸鴻   田端雲鱗
 山田広清   森田恒友   野本小湖
 北沢楽天   小茂田直樹  橋本秀邦
 益田楳岳   橋本永邦   吉原雅風
 上原桃畝   蜂須秀雲   菊沢武江
 小泉草風   田野素鳩   大曾根武草
記念
   会長御肖像画(目下調製中)
  祝賀会員(金参円也払込者)○氏名略ス
特別寄附者○氏名略ス
 - 第49巻 p.564 -ページ画像 

埼玉県人会会報 第一五号・第四三頁 昭和五年一月刊 埼玉会館に永久掲揚さるゝ郷土の大先輩渋沢子爵画像 米寿祝賀会より献呈(DK490189k-0011)
第49巻 p.564 ページ画像

埼玉県人会会報 第一五号・第四三頁 昭和五年一月刊
    埼玉会館に永久掲揚さるゝ
      郷土の大先輩渋沢子爵画像
                    米寿祝賀会より献呈
 渋沢子爵米寿祝賀会より埼玉会館に献呈すべき本会々長渋沢子爵画像は、旧臘十二月十二日、祝賀会委員長粕谷義三氏は洋画家倉田白羊氏の筆に成る画像を齎し、埼玉会館楼上に於て県知事細川長平閣下に手交献呈したのであつた。当日は内務部長・学務部長・商工課長・県会議員多数列席し、粕谷氏は『かねて閣下に渋沢子爵画像掲揚方を申出でたところ先頃御許可を得ましたので本日持参いたしたのであります……』と献呈の挨拶をのべ、細川知事は『県民の日夕尊敬いたして居ります渋沢子爵閣下の立派なる画像を祝賀会より贈呈いたされましたことを感謝いたします、県民の多数会合いたします埼玉会館に掲げまして、県民教化の標的といたし、御寄贈下さいました御趣旨に添ひ度いと存じます』と感謝の挨拶を述べ、後一同食卓を囲み、石川幹事より本会を代表して挨拶し、会食の後横川県議より本会に対する希望意見、満鮮視察談あり、少憩の後紀念撮影をなし県会に引き上げたのであつた。
○下略