デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
3款 特殊銀行 1. 株式会社日本銀行
■綱文

第50巻 p.289-290(DK500055k) ページ画像

大正2年2月24日(1913年)

是日、大蔵大臣高橋是清、栄一ニ日本銀行総裁タランコトヲ勧ム。翌二十五日栄一之ヲ辞ス。


■資料

渋沢栄一書翰控 高橋是清宛 大正二年二月二五日(DK500055k-0001)
第50巻 p.289 ページ画像

渋沢栄一書翰控  高橋是清宛 大正二年二月二五日   (渋沢子爵家所蔵)
 大正二年二月廿四日午後三時、高橋新蔵相より至急面会を求められ其邸を訪問せしに、日本銀行総裁就職之義ニ付、種々之理由を以て懇切に勧誘せられしも、宿志不可動と固辞せしに、頻に再考を望まれしかは其日は引分れ、翌廿五日午前此書状を以て之を謝絶したり
粛啓 益御清適奉賀候、然者昨日貴邸拝趨之際意外なる御推薦を以て縷々御示諭被下候一条ニ付而ハ、夜来再三熟慮いたし候得共、四十年来之宿志今更変更難仕候ニ付、頑固不堪用者と御看做相願候外無之候但し方今内外経済界之状勢御達観之上、挺身邦家之為め御尽瘁被成候老閣之御勇気ニ対してハ、如何にも卑屈固陋、只々慚愧ニ堪へす候も当初より之意志自分に於ても奪ふへからさるもの有之候ニ付、呉々も御用捨被成下、他日又何か微力ニ適する御用途も可有之と、何卒此際ハ愚衷御諒納可被下候、右昇堂拝復可仕之処余り無面目之義ニ付、乍略儀書中奉得芳意候 匆々敬具
  二月廿五日                渋沢栄一
    高橋男爵閣下
         侍史


渋沢栄一 日記 大正二年(DK500055k-0002)
第50巻 p.289 ページ画像

渋沢栄一日記  大正二年           (渋沢子爵家所蔵)
二月二十五日 雪 寒
○上略 佐々木勇之助氏来話ス、高橋大蔵大臣ヘ書状ヲ発シ、昨日内話アリタル日本銀行総裁推薦ノ件ヲ謝絶ス、新聞記者数名来話ス○下略


中外商業新報 第九六四一号 大正二年三月一日 日銀総裁任命事情 正金頭取後任如何(DK500055k-0003)
第50巻 p.289-290 ページ画像

中外商業新報  第九六四一号 大正二年三月一日
    日銀総裁任命事情
      正金頭取後任如何
日本銀行総裁の後任は愈々別記の如く三島正金頭取任命さるゝに至りしが、此後任選定に付ては何分帝国金融の中枢たるべき重要機関の首脳者たることとて、高橋新蔵相も其人選頗る意を用ひしものゝ如く、初め渋沢男を擬し男と蔵相との会見あり切に就任を勧めしに、男は固辞して之を受けざりし由にて、尚二・三の候補者ありしも遂に予報の如く三島子に任命を見るに至りしと、尚正金銀行頭取の後任は未だ確定に至らざるが結局水町日銀副総裁をして兼任せしむることゝならん
  ○是年二月二十日桂内閣総辞職、伯爵山本権兵衛新内閣ヲ組織シ、同日ヲ以
 - 第50巻 p.290 -ページ画像 
テ日本銀行総裁男爵高橋是清、大蔵大臣ニ任ゼラレタリ。依テ後任者トシテ栄一ヲ推薦シタルニ承諾ヲ得ザリシカバ、改メテ三島弥太郎ニ交渉シ、同月二十八日ソノ就任ヲ見タリ。