デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
3款 特殊銀行 7. 株式会社日露銀行
■綱文

第50巻 p.357-362(DK500065k) ページ画像

大正6年10月(1917年)

是ヨリ先栄一、日露貿易振興ノタメ日露銀行設立ニ斡旋セルガ、是月栄一等ノ発起ニヨリ、株式会社日露銀行ヲ設立スルコトトナル。


■資料

渋沢栄一 日記 大正四年(DK500065k-0001)
第50巻 p.357 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正四年          (渋沢子爵家所蔵)
六月廿三日 晴
○上略 十二時銀行集会所ニ於テ午飧シ、後、朝日新聞社員ノ露国視察談ヲ聴ク、後日露貿易ニ付意見ヲ開陳ス○下略


竜門雑誌 第三三七号・第九二頁 大正五年六月 ○日露銀行設立問題(DK500065k-0002)
第50巻 p.357-358 ページ画像

竜門雑誌  第三三七号・第九二頁 大正五年六月
○日露銀行設立問題 左の一篇は東京日々新聞記者が日露銀行設立問題に就て、青淵先生の意見を問ひて六月三日の同紙上に掲載せるものなり。
 過般露国銀行家ユンケル氏歓迎会の席上に於て、話題に上りたる日
 - 第50巻 p.358 -ページ画像 
露銀行設立問題は、未だ決して実際的の問題となりしにあらず。同席上予は主人側を代表して歓迎の辞を述ぶると共に、吾人に対し希望せらるゝ所は十分に開陳せられん事を望む旨を以てしたるに、ユ氏は其希望として、現在日露両国間の為替関係は非常の変調を呈し現に英の磅に対する留及円の為替の比較と、日露間の円留の為替比較は巨額の差違を生じ居れり。斯の如きは日露貿易の発展上至大の障碍たるを免れず。尚日露両国の貿易隆盛を期する上に於ては、是非共完全なる金融機関の創設を必要なりと述べられたるを以て、予は更に正金頭取井上氏と共に、現在の日露為替状態は我国より巨額の軍需品供給の結果に依る反響に外ならず。斯の如く甚しき片為替となりたる場合は、常に多大の変調は免れざる所なるが、這回の場合の如きは、寧ろ貴国政府の方針如何に俟つべきもの多きを信ず。而して之が平調に帰するは吾人に於ても切望する所なるを以て、互に相協力して其事に当られんことを望む旨を述ぶると同時に、所謂日露銀行設立問題に就ては、貿易の発達を期する上に完全なる金融機関の必要なるは、固より論を俟たざる所なるも、一方又之に伴ふて運輸交通機関を完備せざるべからず、然るに日露両国間の輸送機関の現状は、此点に於て甚だ遺憾とする所あるのみならず、日露貿易上重大の難関とするは、貴国に於ける輸入品の関税は極端なる高率を課せられつゝある一事にして、之ある以上両国間の貿易発達は到底望み難きが如し、此点に就ては特に注意せられん事を望むと述べたるに、同氏も略同感の旨を物語りたり。要するに日露銀行の設立は後藤男の説の如く予等も其必要を認むる所なるも、之が先決問題として(一)従来植民地に設立せしめたる特種銀行の如き制に依る事(二)日露間海陸運輸機関の改善(三)露国の関税改正、此三者の行はるゝにあらざれば容易に設立する事能はざるべし云々。


銀行通信録 第六一巻第三六号・第四九頁 大正五年六月二〇日 ○内国銀行要報 日露銀行設立の議(DK500065k-0003)
第50巻 p.358 ページ画像

銀行通信録  第六一巻第三六号・第四九頁 大正五年六月二〇日
 ○内国銀行要報
    ○日露銀行設立の議
欧洲戦乱発生以来、日露両国の経済的関係は著しく密接となれるも、只適当なる金融機関なき為め、彼我共に多大の不便を感し、日露銀行設立の急務を唱ふるものありしが、過般渡来せる露国銀行家ユンケル氏は、新任露国公使クルベンスキー氏を介して、非公式に市内某々大銀行家に対し、日露銀行設立の議を提起したる由にて、其内容として伝ふる所に依れば、日露銀行は両国資本家より半額宛出資し、為替の取扱を為すの外、露国内地に於ける商工業に投資し、又は露国蔵券に応募せしめんとするに在りと云ふ


竜門雑誌 第三三八号・第二二―二三頁 大正五年七月 ○日露協約成立に就て(DK500065k-0004)
第50巻 p.358-359 ページ画像

竜門雑誌  第三三八号・第二二―二三頁 大正五年七月
    ○日露協約成立に就て
七月七日政府より発表せられたる日露協約に就て、青淵先生が各新聞記者の訪問に対し語られたる所感の大要は、左の如くなりといふ。
                        (編者識)
 - 第50巻 p.359 -ページ画像 
○上略
○報知新聞所載 史を案ずるに、日露両国人が接触の機会を得たるは米国提督彼理の来航以前に属し、当時の両国人は互に来往する事ありしも、言語の不通其他の不便に制せられて親しく相知るに至らず、有体に言へば双方互に忍び足に探りを入れ合ふが如き状態なりき、従つて屡々両国間に感情上の衝突を惹起し、其極安政の交、露国が千島に侵略的行動を執るに至り、我国よりは川路左衛門・溝口原三等遣露の事と為りしが、英国の後援により漸く解結の緒を開けり、然るに其後水戸烈公等が猛烈に攘夷を唱ふるに及び、両国民の感情は又々大なる疎隔を来し、我国民の露国に対する先天的誤解の動機を作れり、爾来所謂不喰嫌ひに相嫉視し、久しく両国民が深く相知るの機会を失し、遂に日露の大戦役を見るに至れるは、遺憾ながら亦止むを得ざる結果と云ふべし、然るに雨降つて地固るの俗諺に背かず、日露の大衝突が軈て両国民融和の機会を齎らし、爾後相互の関係は漸く密接を加へ来れり、而して這回の欧洲大戦を見るに及び、両国民の親交は遽かに緊密の度を加へ、延いて通商貿易の発達を招徠し、最近両国金融機関の設立を唱道する迄に接近せるが、此機会に於て両国間に新たる攻守同盟的協約の締結を見たるは、大に歓迎すべき処にして、居常国際道徳を念とせる予輩の国民と共に慶賀に堪へざる次第なり、両国の利害並に地位に鑑み、日露の衝突を回避せざるべからざるは勿論、啻に政治上の親善、軍事上の接近に満足せず、今後は努めて通商貿易の進展接近を図り、協約成立と同時に、両国民は一大負担を自覚し、各責任を以て精神上・物質上の親善関係を一層厚からしめざるべからず、露国の関税並に両国間の輸送聯絡を改善し、通商上一段の進境を策する如き刻下の急務なり、最後に予輩が国民に一顧を煩はさゞるを得ざるは「新しきに親しみ古きに疎なる」人情の弱点に想到し、新協約国との交情和親を計ると同時に、旧締盟国との関係を傷けざる用意を怠らざること是なり。


渋沢栄一 書翰 杉田富宛(大正六年)八月二五日(DK500065k-0005)
第50巻 p.359-360 ページ画像

渋沢栄一 書翰 杉田富宛(大正六年)八月二五日   (杉田富氏所蔵)
○上略
昨日神戸発金子と申名にて別紙之電報到着候も、鈴木商店之金子氏なるや他ニ心附候人も無之ニ付、不取敢電信落手之旨ハ回答せしも、何等注意之致方も無之候、就而ハ金子直吉君之発信ニ候哉、又ハ他ニ其人有之候歟、早々御取調御申越被下度候、而して金子直吉氏より之申越ニ候ハヽ、其手続も御聞合被下、老生ニ於て何等之心配方要望せられ候哉も、御相談之上来示有之度候、もし又他ニ其人有之候而、賢契御知合ニ候ハヽ是又御引合之上、何分之事御申越被下度候、右等過日之尊書拝答旁当用拝願まて 匆々再拝
  八月廿五日               渋沢栄一
    杉田賢台
       侍史
(別紙、別筆)
    大正六年八月二十四日午後三時四十分着電
 - 第50巻 p.360 -ページ画像 
                     神戸
府下滝野川町西ケ原                 金子
    渋沢栄一殿
露都弊店出張所ヨリ左ノ通リ来電アリ、御移牒申上グ
(シホフスコウコウ)(コンシンシ)(露国国立銀行前総裁ニシテ目下露国商工銀行ノ総裁タリ)及ヒ其他主ナル露国銀行家ハ日露銀行組織ヲ決定セリ、之カ為メ(コンシンシ)ハ松永ノ一行ニ加ハリ、来週日本ニ向フベシ

「神戸市山本通一丁目廿ノ三」 杉田富様 緊要親展 「東京市日本橋区兜町二」 渋沢栄一
八月廿五日発


渋沢栄一 書翰 杉田富宛(大正六年)八月二七日(DK500065k-0006)
第50巻 p.360 ページ画像

渋沢栄一 書翰  杉田富宛(大正六年)八月二七日  (杉田富氏所蔵)
拝啓 益御清適奉賀候、然者此程書中申上候露国銀行家来朝之事ニ付而ハ、電報落手之夜、金子直吉氏より書状到来いたし、要旨了解仕候ニ付御承引可被下候、右ニ付今朝老生ハ、勝田大蔵大臣ニ面会いたし種々相談之上、幸ニ右露国銀行家之企望が当方之意志と一致候様なれ
ハ、此際政府ニ於ても相当之援助を以て、日露銀行成立之端緒相開申度と打合置候事ニ御坐候
○中略
  八月廿七日               渋沢栄一
    杉田賢契
       坐下
 尚々金子氏へも回答ハ相発し候得共、御逢之節宜御打合可被下候、且本文之銀行到着候《(家脱カ)》ハヽ、早々企望之要点御聞取被下、御通知有之度と存候ニ付、其辺も御相談可被下候也

「神戸市栄町第一銀行支店」 杉田富様 親展 「東京日本橋区兜町弐」 渋沢栄一
                
    八月廿七日発


中外商業新報 第一一三六五号 大正六年一一月二三日 ○日露銀行協議 渋沢男熱心斡旋(DK500065k-0007)
第50巻 p.360-361 ページ画像

中外商業新報  第一一三六五号 大正六年一一月二三日
    ○日露銀行協議
      渋沢男熱心斡旋
莫斯科商工銀行頭取にして、露国一流の富豪ゴンシン氏は、日露両国
 - 第50巻 p.361 -ページ画像 
為替取組殆ど不可能にして、両国通商上至大の困難を来せる為、日露銀行設置の目的を以て来朝し、直に渋沢男を訪問する所あり、其結果曩に日本銀行に於て、日銀・朝鮮両銀行総裁並に渋沢男、ゴンシン四氏の会談凝議する処となりたるが、目下露国の政局に鑑み多少懸念する所ありと見做せるも、此儘にして放任せば遂に日露通商の杜絶に至るやも計り難く、渋沢男の如き最も熱心に斡旋に努め居れば、近々四氏の間に於て大体の具体的方針を決定するに至るべしと


男爵目賀田種太郎 同伝記編纂会編 第六四三頁 昭和一三年六月刊(DK500065k-0008)
第50巻 p.361 ページ画像

男爵目賀田種太郎 同伝記編纂会編  第六四三頁 昭和一三年六月刊
 ○第九章 第六節 遣米特派財政経済使節
(七)日露銀行援助問題 欧洲大戦勃発以来、日本は巨額の軍需品を露国に供給したるが、之れと共に日露間の金融機関設置の必要に迫り、大正六年十月渋沢男等の発起を以て、株式会社日露銀行を露都「ペトログラード」に設立することゝなり、資本金五百万留二万株とし、日露両国人各一万株を引受け、重役及び評議員も両国均分選出し、差当り支店を東京・莫斯科に置き、業務発展に伴ひ、必要の地に支店及び代理店を開く予定であつた。○下略


集会日時通知表 大正七年(DK500065k-0009)
第50巻 p.361 ページ画像

集会日時通知表  大正七年        (渋沢子爵家所蔵)
九月廿五日 水 午前十一半 日露銀行ノ件(ホテル)



日露貿易振興関係雑件 第一巻(DK500065k-0010)
第50巻 p.361-362 ページ画像

日露貿易振興関係雑件 第一巻       (外務省所蔵)
(表紙)

  野村基信
   日露貿易ニ就テ        大正四年六月
    露国東邦協会沿黒竜支部ニ寄セタル講演草稿

 ○第二章 日露通商関係ノ発達並ニ改善方策
    第六節 貿易金融機関
通商ノ発達ハ先ツ第一ニ専門的金融機関設置ニ之ヲ待タサルヘカラス新聞紙ノ伝フル所ニ依レハ、今次戦乱ノ為メニ独逸ノ外国貿易悲境ニ陥ルヤ、其商工業代表者会議ハ、外国貿易振興策ニ関シ審議スル所アリタルカ、其内外国貿易銀行ノ設立ヲ第一必要トセリ、斯ル金融機関ハ吾人ニトリテモ同様ニ必要ナリ、日本ニハ外国貿易ノ金融機関トシテ横浜正金銀行アリ、同銀行ハ支店及出張所ヲ倫敦・里昂・紐育・桑港・布哇・孟買・香港及支那ノ各大都市ニ有シ、其中哈爾賓ニモ出張所ヲ有ス、長春及哈爾賓ニ於ケル出張所ハ、日本企業者殊ニ大豆商ノ金融ヲ図リ居レルカ、此援助アルカ為メニ日本輸出商ハ、北満洲ニ於テ相当ニ広ク活動スルヲ得タリ、然ルニ同銀行ノ事業ハ露国内ニ及ハス、而シテ浦潮斯徳市ニ於ケル西伯利商業銀行・露亜銀行・松田銀行部等モ、日露貿易ノ要ニ応スルヲ得ス、或ハ地方市場ノ需要ニ応シ得ヘキヤモ知レサレト、国際貿易上ヨリ見ルトキハ其事業ハ余リニ狭少ナリト云ハサルヘカラス、亦日本・住友・第百銀行ノ如キ、外国銀行
 - 第50巻 p.362 -ページ画像 
ト「コレスポンデンス」ノ関係ヲ有スルモ、日本ノ外国貿易ノ為メニ広ク資スルヲ得サルノ状態ニアリ
金融機関ノ無キ為メ、時トシテ商取引ノ極メテ困難ナルコトアリ、前ニ言ヘルカ如ク、日本生糸ハ従前仏国里昂ヲ通シテ露国ニ輸入セラレタルカ、斯ル輸入方法ヲトルニ至リタルハ、里昂ニ横浜正金銀行ノ設立セラルルアリテ、日本当業者ハ其金融ヲ利用セサルヲ得サリシニ由ルモ、其一因トス
斯ノ如ク専門ノ日露貿易銀行ノ設立ハ緊要ノコトニシテ、露国ノ如キ商取引ノ習慣トシテ長期ノ延取引ノ行ハルル所ニ於テ特ニ其必要ヲ見ルナリ、現今両国ノ金融財政家、商工業者間ニ、日露貿易銀行設立ノ計画アル由ナルカ、右計画ハ時宜ニ適スルモノニシテ、吾人ハ大ニ之ヲ歓迎セント欲ス
  ○本講演草稿ハ大正四年六月八日、在浦潮斯徳総領事代理野村基信ヨリ、外務大臣男爵加藤高明ニ送付上申シタルモノニシテ、露国東邦協会沿黒竜支部ノ招請ニ応シ、ハバロフスク市ニ於テ日露貿易ニ関シ講演スル筈ノ処、偶々日支交渉危機ニ瀕セリトノ政府電報ニ接シ、講演ヲ中止、草稿ノミ該協会ニ送レルモノノ訳文ナリ。(外務省所蔵「日露貿易振興関係雑件」所収文書ニヨル)