デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 普通銀行 3. 株式会社帝国商業銀行
■綱文

第50巻 p.372-374(DK500069k) ページ画像

大正12年1月(1923年)

是月栄一、帝国商業銀行現重役ト、大株主タル神田鐳蔵トノ間ニ起レル紛争ノ調停ニ努ム。


■資料

渋沢栄一 日記 大正一二年(DK500069k-0001)
第50巻 p.372-373 ページ画像

渋沢栄一 日記 大正一二年          (渋沢子爵家所蔵)
一月十九日 晴 寒
○上略 夜飧後東京ヨリ長野護《(永野護)》、岩倉具光二氏来訪シテ帝国商業銀行ノ失態ニ付、和田豊治氏其整理ニ助力シアルモ、事神田鐳蔵氏ニ関係シテ或ル《(ハ)》恐ル経済界ノ紛議ヲ惹起セント、依テ之ニ対シ善後ノ処置ヲ講セラレン事ヲ乞ハル、右ニ付両氏ヨリ詳細ニ該事件ノ真想《(マヽ)》ヲ聞取リ終明日帰京《(マヽ)》シ之レカ調停ヲ為サン事ニ決ス、長野氏等ハ其夜帰京ス ○下略
   ○栄一十四日ヨリ湯河原ニ在リ。
一月二十日 晴 寒
○上略 十一時半東京駅ニ着ス、直ニ事務所ニ抵ル ○中略 午後三時頃来客去リテ後、和田豊治氏ト帝商銀行ノ整理ニ関シ、神田氏ノ事ニ付種々ノ協議ヲ為シ、更ニ神田氏ヲ事務所ニ招来シテ爾来ノ真想ヲ聞取リ、又
 - 第50巻 p.373 -ページ画像 
佐々木勇之助氏ニ会見シテ其意見ヲ徴シ○下略
一月二十一日 半晴 軽寒
○上略 神田鐳蔵氏来リ昨日来種々協議セシ帝商銀行関係ノ件ヲ談ス、十時頃和田豊治氏来リ、同シク帝商銀行整理ノ事ニ関シ神田氏トノ調停ニ付協議ス、依テ和田・神田両氏ノ会談ヲ慫慂シテ一坐ニ於テ種々討論セシモ終局ニ至ラス、明早朝更ニ会談スヘキ事ヲ約シテ両人共ニ他ノ交渉ニ努ムル為メ辞去ス○下略
(欄外記事)
  帰京後和田・神田氏等ト交渉スル帝商銀行ノ事ニ付、帰宅後モ諸方ニ電話交換ヲ為ス
  ○下略
一月二十二日 曇 軽暖
○上略 九時過和田豊治氏来リ、帝国商業銀行整理ノ事ニ付神田鐳蔵氏トノ交渉ヲ協議ス、十時頃神田氏来リ和田氏ト共ニ会話ス、安田銀行結城豊太郎氏来リ、帝国商業銀行関係ノ事ニ付事情ヲ陳ヘラル、和田・神田二氏トノ談話正午ヲ過クモ調和ニ至ラス、依リテ湯河原行ヲ午後三時ト改定ス、且神田氏ハ其際停車場ニ於テ決答セラレン事ヲ約シテ去ル○中略 二時過中央停車場ニ抵リ、神田氏、長野護・岩倉具光二氏来リ送ル、依テ神田氏ト要務ヲ談シ、且其決案ヲ井田ヲ以テ和田氏ニ電話セシメ、又佐々木氏ニ伝言ス
   ○中略。
一月三十日 曇 寒
○上略 午後二時工業倶楽部ニ抵リ○中略 頃日来種々調停シ来レル帝商銀行ニ関シ、和田氏・神田氏其他ト種々ノ協議ヲ為シ調停ニ努ム○下略


(増田明六)日誌 大正一二年(DK500069k-0002)
第50巻 p.373-374 ページ画像

(増田明六)日誌 大正一二年      (増田正純氏所蔵)
一月二十日 土 晴
今朝十一時廿七分子爵閣下湯河原ヨリ急ニ帰京、東京駅ニ安着セらる其前事務処ニ来訪の神谷忠雄氏と共ニ同駅ニ出迎へ、急用を自動車内にて済ます
○中略
子爵の急遽帰京ハ昨日神田鐳蔵氏部下の永野護・岩倉具光の両氏、子爵を湯河原ニ訪問して、旧冬来神田氏と帝国商業銀行現重役との間ニ蹯る紛争を子爵ニ訴へ、調停を請ひしが為なり
帝国商業ハ高山長幸氏頭取ニして、藤山雷太氏等平取締役たり、同行営業近年益不振(貸付金中回復不能ニ属するもの過半あり)にして、到底其儘営業を継続するとセハ他日預金者取付騒きの起らんも難期状況なれハ、重役連ハ此際其資本を半減して、其減したる資金を安田一派より支出を受け、其代り営業権を同家ニ譲り渡さんと、既に重役と同家重役との間ニ協議成立しあるを大株主たる神田氏聞き伝へ、予め大株主に協議セさるを責めて右の協議に反対を唱へ、事態頗る危険の有様なりしが、重役ハ断乎として神田氏の行動を斥け、所期の通断行セんとセしかは、神田氏にして必す所信を貫かんとして若し成らさる時ハ其立場頗る窮するに至るべきを以て、永野・岩倉両氏之を憂ひ、
 - 第50巻 p.374 -ページ画像 
子爵を訪問したる次第なりとハ表面の言辞にして、実ハ神田氏の内命を帯ひて行きたるものならんと思考セらるゝなり
○下略


渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正一二年)二月五日(DK500069k-0003)
第50巻 p.374 ページ画像

渋沢栄一書翰 増田明六宛(大正一二年)二月五日(増田正純氏所蔵)
○上略
過日東京出立之際、内話致候諸井四郎之義ニ付、和田豊治氏ヘ之伝言ハ詳細御申入被成、大橋氏とも打合候云々承知いたし候、恒平之行動ニ付而ハ和田・大橋両氏之諒解を得候様相成候ハヽ重畳之事と存候
帝商銀行ニ関する神田氏説得之事ハ、少しく威圧之嫌有之候へとも、兎も角も破裂ニ至らさりしハ微功とも可申歟、右ニ付和田・大橋両氏之喜悦云々過分之報告と承り申候
○中略
  二月五日湯河原客舎ニ於て        渋沢栄一
    増田明六様
        貴酬


銀行通信録 第七五巻第四四八号・第一〇七頁大正一二年二月 ○内国銀行要報 帝国商業銀行の改革(DK500069k-0004)
第50巻 p.374 ページ画像

銀行通信録 第七五巻第四四八号・第一〇七頁大正一二年二月
 ○内国銀行要報
    ○帝国商業銀行の改革
 ○帝国商業銀行は高山長幸氏を会長とし、藤山・郷諸氏によりて、主として株式取引所機関銀行として経営し来りしが、経済界の反動期に際し其貸付金の固定を招き、一部回収の不能なるものを生じ、之れが整理を断行する必要に迫られて、過般来奔走中なりしが、和田豊治氏等の仲介斡旋により今回株主間の諒解を得て、去月三十一日臨時株主総会を開き、資本金を半減して二百万円となし、資産を切下げ内容を堅実にして、改めて五百万円に増資し、増資株は旧株主に於て旧株対増資株一株を引受け、其他及び株主中引受なきものは総て安田家に於て引受くることに決し、取締役に安田善兵衛・原田虎太郎・横田好実・藤山雷太・郷誠之助男を、監査役に安田善雄・兵須久・渡辺善十郎諸氏を選任して散会せり