デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
4款 普通銀行 8. 其他 [1]高岡共立銀行
■綱文

第50巻 p.385-391(DK500074k) ページ画像

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■資料

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛 明治四三年六月八日(DK500074k-0001)
第50巻 p.385-386 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛 明治四三年六月八日(大橋半七郎氏所蔵)
華翰拝読 爾来賢台益御清適奉賀候、然者当季之銀行業ハ何処も同しく金融之閑慢ニ困却罷在候、併貴方ハ米価引立不申候ニ付売惜ミ之結果出荷少き由、随而貴行之貸出金も回収少き事と存候
右様利足之低下ニ連れ自然新事業相興り候筈之処、思ふ様ニハ其勢も相見へ不申候、乍去近来色々之計画も申出候向有之候、旁其中ニハ金融も幾分相動き利足歩合も引直り可申と存候、総而銀行ニ取りてハ余程ニ利率之低落ハ迷惑を感し候訳ニ候得共、去りとて韓国之如き高日歩之地ニ完全之銀行無之、寧ロ英国之如き利率安き地ニ正確ニして盛大なる銀行有之候を見れハ、矢張低利とても営業之余地ハ有之ものと存候、精々御勉強可被下候
 - 第50巻 p.386 -ページ画像 
右等来示ニ対する御答まて、匆々如此御坐候 不宣
  六月八日
                      渋沢栄一
    大橋賢契
       坐下
「越中国高岡市」 大橋半七郎様 拝復 「東京日本橋区兜町」 渋沢栄一
「明治四十三年」 六月八日

   ○大橋半七郎ハ当行支配人、元第一銀行員ニシテ、明治二十八年十二月当行創立ニ際シ、栄一、当行ノ需メニ依リ推薦セリ。(本資料第五巻所収「高岡共立銀行」参照)


渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛 明治四三年七月三〇日(DK500074k-0002)
第50巻 p.386 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛 明治四三年七月三〇日(大橋半七郎氏所蔵)
華翰拝読 爾来貴台益御清適奉賀候、然者貴行当季之御営業ハ世間之金融閑慢ニ拘はらす、米穀之貸金相応ニ有之候為め、収益も可なりニて例年之配当も出来可申由、右者弊行との御取引上便宜有之候云々御鄭寧なる来示拝承仕候、実ニ東京抔ハ日々余金ニ苦ミ居候次第ニて如何とも致方無之候、去り迚徒ラニ利足ニあせりたる取引ハ、多くは間違相生候ものニ付常々注意経営罷在候、貴方とても斯く閑散之場合ニ動もすれは間違を醸し候恐有之候ニ付、別而御用心可被成候、右ハ平素御疎音之御詫迄一書可得御意如此御坐候 不宣
  七月三十日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
         貴答
「越中国高岡市高岡共立銀行」 大橋半七郎様 拝復 「東京日本橋区」 渋沢栄一
「明治四十三年」 七月三十日


渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛明治四三年一〇月三日(DK500074k-0003)
第50巻 p.386-387 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛明治四三年一〇月三日(大橋半七郎氏所蔵)
華翰拝読 爾来益御清適御坐可被成抃賀之至ニ候、来示ニよれバ貴地も米作も平年以上ニ有之、殊ニ昨今田面黄金色ニ満たされ、各村落ともニ豊年を祝し居、其上関東之水害ニて米価騰上し、農家皆喜色ある之有様ニ候由一段之事ニ候、之ニ反し東京府下及近傍各県之景状ハ真
 - 第50巻 p.387 -ページ画像 
ニ惨憺を極申候、既ニ八月中之未曾有之洪水ニ苦ミ候上、爾後天候不順ニて充分之秋熟も無之歟と存候、右ニ付老生抔ハ客月来水害救済之為東西奔走いたし候得共、是以思ふ様之成績も無之義ニ御坐候
貴行金融之義ニ付而ハ、其中御出京被成候上ニて、本店ニ御相談可被成云々拝承仕候、老生よりも尚佐々木氏ヘ申通候様可致候、右不取敢御答まて匆々如此御坐候 不宣
  十月三日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
         拝復
「高岡市定塚」 大橋半七郎様 拝復親展 渋沢栄一
「明治四十三年」 十月三日


渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛明治四四年八月二日(DK500074k-0004)
第50巻 p.387 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛明治四四年八月二日(大橋半七郎氏所蔵)
拝読 炎暑之候貴台益御清適奉賀候、然者貴銀行本季之御営業も御丹精之結果、相応之御計算を得候由慶賀此事ニ御坐候、毎々弊行と御取引被下、且重要之事ハ其際佐々木氏ニ御協議被下候由其都度承及申候総而業ハ勤むるニ精にして嬉に荒むと申格言も有之候間、日々又新之御工夫専一ニ御坐候、貴方重役諸君ヘも常々前陳之義御打合被下、軽佻ニ流れす姑息ニ偏せす、能く時勢ニ応して改進ニ務むる様致度ものニ御坐候
右取込中匆々拝復如此御坐候 不宣
  八月二日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
         梧下
「富山県高岡市」 大橋半七郎様 拝復親展 「東京日本橋区」 渋沢栄一
「明治四十四年」 八月二日


渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛明治四四年一二月二一日(DK500074k-0005)
第50巻 p.387-388 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛明治四四年一二月二一日(大橋半七郎氏所蔵)
華翰拝読 爾来益御清適抃賀之至ニ候、如来示過般来清国之政変ニ付而ハ、両国之貿易上ニも影響少からさる義ニて、此上とも心痛之事ニ
 - 第50巻 p.388 -ページ画像 
御坐候、何卒一日も早く鎮静相成候様渇望仕候、昨今之模様ニてハ日英両国間ニ内議相熟し、有力之調停も有之候哉之由ニ付、其中何とか相分り可申歟と存候、当方金融ハ夫是ニ拘はらす、両三月前より追々世話敷、利足も漸く引締り候様子ニ御坐候、来春ニ相成候とも此景況ハ継続可致ニ付、利子低落ハ先無之方と御考之可被成候《(衍)》
第一銀行との御取引ニ付、毎々御丁寧之来諭拝承仕候、来書之都度、佐々木氏其外とも申合、可成貴行ニ便宜相増候様、注意為致候積ニ御坐候
右不取敢拝答如此御坐候、乍憚貴行重役諸君ヘも御伝声頼上候
                         匆々敬具
  十二月廿一日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
                               拝答
「富山県高岡市守山町」 大橋半七郎様 拝復 「東京日本橋区」 渋沢栄一
「明治四十四年」 十二月廿一日


渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛大正元年一〇月七日(DK500074k-0006)
第50巻 p.388-389 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛大正元年一〇月七日(大橋半七郎氏所蔵)
拝読 益御清適奉賀候、然者貴地金融景況ハ米価騰貴と共ニ追々引締り之模様之由拝承、当方とても同様之気勢ニて追々世話敷相成候哉と被存候、就而ハ地方御貸出も可成御注意被成、余り拡張一途ニ不相成様御取扱之方可然と存候
財政と経済之不調和ハ爾来之通弊とも可申有様ニて、目下政府ニ於て歳計予算調製之際、別而実業家之注意すへき義と心配罷在候、其中新聞紙又ハ雑誌等ニ愚見も相現れ可申ニ付御一覧可被下候、且其中右之趣旨ハ木津君ヘハ御伝声可被下候、当方も佐々木氏北海道行ニて留守中諸事捗取不申候、尤も中旬ニハ帰京と存候、北海道ニ支店相増し候為め色々と事務繁雑と相成候、自然右ニ付貴方との御関係も相生し候ハヽ御申越可被下候
右拝答まて匆々如此御坐候 不宣
  十月七日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
          拝答
「富山県高岡市守山町高岡共立銀行」 大橋半七郎様 拝復 渋沢栄一
 - 第50巻 p.389 -ページ画像 
「大正元年」 十月七日


渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛大正二年一月七日(DK500074k-0007)
第50巻 p.389 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛大正二年一月七日(大橋半七郎氏所蔵)
臘尾之華翰拝見いたし候、先以貴台益御清適奉賀候、来示之如く旧年ハ諸方とも金融非常ニ逼迫いたし、当行も中々世話敷繰廻仕候、幸ニ一月ニ入候而回収も多く相見へ候間、格別之事も無之歟と存候位ニ候乍去客年末之政変ハ議会開会後色々と政界之物議も可相生、旁以決而安心可致時期ニハ無之と存候
追々と地方之発展、鉄道之開通ニ連れ、貴行増資之必要、御考被成候云々御申越之趣拝承仕候、株主中其実力上同意せられ候程ニ候ハヽ此上もなき事と御同意いたし候、只一時之空景気とか、又ハ他之圧迫等にて無理ニ其資本之増加を議し候ハ株式会社之禁物ニ付、其辺能々御注意可被成候
令息之義ニ付御申越承知仕候、時々佐々木・石井両氏ニ承合候様可仕候、何れ当春ハ御出京と存候ニ付、其際百事御面話可仕候、右不取敢御答如此御坐候 不備
  一月七日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
 尚々乍憚高広・木津其他之諸君ヘも、御序ニ宜敷御伝声頼上候也
「高岡市定塚町」 大橋半七郎様 拝答親展 「東京日本橋区」 渋沢栄一
「大正二年」 一月七日


渋沢栄一書翰 木津太郎平宛(大正七年)一二月二日(DK500074k-0008)
第50巻 p.389-390 ページ画像

渋沢栄一書翰 木津太郎平宛(大正七年)一二月二日(木津太郎平氏所蔵)
向寒之候、賢兄益御清適御坐可被成奉遥頌候、然者先頃貴地参上之際延対寺主婦と約束いたし候拙詠、爾来種々之雑事ニ取紛れ浄書も延引ニ相成不本意此事ニ候、此程漸揮毫致し且粗末之表装を加へ、小包便ニて貴邸まて差上候間何卒楼主ヘ御伝へ被下度候、他ニ一枚相添候ハ題晩香廬壁と申拙作にて、曾而弊荘ヘ尊来之節御誘引申上候園中之小亭ニ、菊花を添へて命名せしものニ御坐候、是ハ貴方之御都合も有之候事と存し表装を加へず其儘進呈仕候、御笑留可被下候
五年ニ亘れる大戦乱も玆ニ休戦之条約締結せられ、東京ニてハ平和大使人撰に関し色々論議有之、既ニ西園寺侯御引受之由ニ付近々御発程之事と存候、此上ハ完全之議決を見候様一般国民之翹足期待する処ニ御坐候、右ニ付而も将来経済界之変動ニハ、別而当業者之注意を要す
 - 第50巻 p.390 -ページ画像 
へき事にて、東京ニ於ても銀行者間ニ勉而業務之無謀競争を避け、同時ニ合同之実を挙げ候様心掛候筈ニ御坐候、定而第一銀行頭取とハ右等御往復も有之候義とハ存候得共乍序申上候、右一書可得貴意如此御坐候 匆々敬具
  十二月二日
                      渋沢栄一
    木津賢台
       侍史
 尚々貴行頭取其他重役諸君ヘも宜御伝声頼上候、殊ニ大橋君ヘハ戦後金融上ニ付、細心之注意有之候様御申添被下度候也
   ○木津太郎平ハ当行取締役。


渋沢栄一書翰 木津太郎平宛(大正七年)一二月三一日(DK500074k-0009)
第50巻 p.390 ページ画像

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冊子版の『渋沢栄一伝記資料』をご参照ください。

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛(大正一三年)七月三〇日(DK500074k-0010)
第50巻 p.390-391 ページ画像

渋沢栄一書翰 大橋半七郎宛(大正一三年)七月三〇日(大橋半七郎氏所蔵)
過日ハ御細書被下近状詳細御報知相成逐一拝承仕候、実ニ歳月ハ如流老生抔ハ他方面之変遷推移より、自己之頽齢をも知覚致候様なる笑話
 - 第50巻 p.391 -ページ画像 
も有之候
永年御丹精被成候高岡銀行も其素地ハ出来するも、向後持続之方法満足ニ画策有之度ものニ御坐候、右ニ付而ハ御退任と共に充分之御注意希望之至ニ候、総して事業ハ其始より寧ロ有終之美を珍重致候ニ付、其辺能々地方有力者ニ御注意有之度候、右ハ爾来之御疎濶を陳謝し、且近況に関する婆心まて匆々如此御坐候 敬具
  七月三十日
                      渋沢栄一
    大橋半七郎様
         拝復
「富山県高岡市定塚町百八番地」 大橋半七郎様 貴酬 「東京日本橋区兜町二」 渋沢栄一
七月三十一日



〔参考〕銀行通信録 第七八巻第四六三号・第八四頁大正一三年八月 ○内国銀行要報 各地銀行員異動(DK500074k-0011)
第50巻 p.391 ページ画像

銀行通信録 第七八巻第四六三号・第八四頁大正一三年八月
 ○内国銀行要報
    ○各地銀行員異動
○上略
△高岡銀行(高岡市)にては今回行員に左の如き異動ありたり
○中略
 取締役を命ず         常務取締役 大橋半七郎
○下略