デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

  詳細検索へ

公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.425-430(DK500086k) ページ画像

明治43年2月22日(1910年)

是日栄一、東京銀行集会所ニ於ケル、貴衆両院議員中ノ銀行家並ニ東京組合銀行有志ノ第四回連合懇親会ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四三年(DK500086k-0001)
第50巻 p.425 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年       (渋沢子爵家所蔵)
二月二十二日 晴 寒
○上略 午後五時、銀行集会所ニ抵リ懇親会ニ出席ス、食卓上一場ノ挨拶ヲ為ス、夜十一時王子ニ帰宿ス○下略


銀行通信録 第四九巻第二九三号・第四六―四七頁明治四三年三月 ○録事 第四回議員銀行家連合懇親会(DK500086k-0002)
第50巻 p.425-426 ページ画像

銀行通信録 第四九巻第二九三号・第四六―四七頁明治四三年三月
 ○録事
    ○第四回議員銀行家連合懇親会
貴衆両院議員中の銀行家及東京銀行集会所組合銀行・東京交換所組合銀行並銀行倶楽部会員中の有志者は、二月二十二日午後五時より東京銀行集会所に於て、第四回連合懇親会を開きたり、当日出席者氏名左の如し
 - 第50巻 p.426 -ページ画像 
  貴族院(十六名)
 市川文蔵(山梨)   糸原武太郎(島根)   保坂潤治(新潟)
 本間千代吉(群馬)  土居通博(岡山)    千阪高雅(東京)
 岡谷惣助(愛知)   加藤宇兵衛(青森)   鎌田勝太郎(香川)
 田島竹之助(埼玉)  辰巳楢太郎(奈良)   室田義文(山口)
 山田義三郎(宮城)  佐藤秀蔵(岩手)    桜木嘉右衛門(高知)
 森広三郎(福井)
  衆議院(二十八名)
 岩下清周(大阪)   稲村辰次郎(千葉)   井上僖作郎(奈良)
 筏井甚吉(富山)   春田祐清(愛知)    細野次郎(群馬)
 富安保太郎(福井)  太田清蔵(福岡)    川崎安之助(京都)
 粕谷義三(埼玉)   河井重蔵(静岡)    柏原左源太(福島)
 景山甚右衛門(香川) 高木益太郎(東京)   多木粂次郎(兵庫)
 津久居彦七(栃木)  永江純一(福岡)    上柳喜右衛門(長野)
 熊本寿人(福岡)   松尾寅三(山口)    佐竹作太郎(山梨)
 佐々木鉄太郎(福島) 西能源四郎(富山)   宮古啓三郎(茨城)
 水間此農夫(宮崎)  神保東作(富山)    日向輝武(群馬)
 鈴木辰次郎(静岡)
  組合銀行(三十八名)
 池田謙三(第百)   稲延利兵衛(日本通商) 今清水乾三(両羽支店)
 早川千吉郎(三井)  戸次兵吉(正金)    豊川良平(三菱)
 川島忠之助(正金)  河合徳兵衛(麹町)   加納友之介(住友支店)
 吉井友兄(日本)   吉田久弥(下野支店)  田中武兵衛(田中)
 内藤尚(十九支店)  上田保三郎(万世)   串田万蔵(三菱)
 山口宗義(日本)   安田善八郎(安田)   安田善助(明治商業)
 山田丈太郎(八十四) 山中隣之助(浪速支店) 松方巌(十五)
 松尾吉士(正金支店) 益子右馬助(四十二支店)安藤浩(川崎)
 佐々木勇之助(第一) 佐々木慎四郎(二十)  佐藤長之助(尾張屋)
 迫田七郎(六十三支店)木村清四郎(日本)   岸田常三郎(伊藤支店)
 三村君平(三菱)   志村源太郎(勧業)   渋沢栄一(第一)
 清水虎吉(第三)   清水宜輝(丁酉)    土方久徴(日本)
 平沼八太郎(横浜)  諸葛小弥太(森村)
斯くて晩餐後、渋沢男爵発起人を代表して開会の趣旨を述べ、続いて同氏及佐竹作太郎氏の米国見聞談あり、右に対して千阪高雅氏一同を代表して謝辞を述べ、最後に豊川良平氏の演説あり、夫より別室に移り各自歓談の上、午後十時散会せり


銀行通信録 第四九巻第二九四号・第二七―三〇頁明治四三年四月 ○両院議員中銀行家並東京組合銀行有志第四回懇親会席上演説(四十三年二月二十二日) 渋沢男爵の演説(DK500086k-0003)
第50巻 p.426-430 ページ画像

銀行通信録 第四九巻第二九四号・第二七―三〇頁明治四三年四月
  ○両院議員中銀行家並東京組合銀行有志第四回
   懇親会席上演説        (四十三年二月二十二日)
    ○渋沢男爵の演説
臨場の諸君、今夕の御会合は誰が主人、誰が御客と云ふではございませぬ、相集つた御方が皆主人とも称せられ、又御客とも自ら思ひ得られるのでございまする、全く無意味な懇親会ではございますけれども
 - 第50巻 p.427 -ページ画像 
無意味の中に亦大なる意味が具へてある筈なのでございます、数年前より致しまして銀行者にして貴衆両院に御列席の御方々と、京浜の銀行経営の人々とが、此議会の開けた場合に相会したならば、殊に依つたら時事問題に付て充分に裨益することもあるであらう、又政治の議論を窺ふて吾々は大に智識を増す場合もあるであらう、或は又議会に出ぬ同業者中から、斯る希望を有して居ると云ふことを申上げると云ふことも、議場に上つた場合の御参考に資することが或はありはしないか、懇親も厚ふし利益を兼ねて時々例会を開くやうにしたいと云ふのが抑々此会を起した所以でございました、引続いて毎年此会合を催しまして、今申述べましたやうな意味が事実に於て左程奏効されたとは申しませぬけれども、併し議場に御出なさる御方と、議場に出ぬ同業者との意思疏通は蓋し一会毎に進んで居ると申上げて宜からうと思ふのでございます、而して本年も右等の理由から恒例に依つて開会したら宜からうと言ふて、私共発企者の一人に立つて此処に御列席の貴衆両院の御方々と御打合を致しまして、皆様の御会同を御促し申して此の如き盛会を開き得られたのは御同様洵に幸慶此上もございませぬ私共議席に顔を出すことの出来ない身体ではございますけれども、斯る機会に或は宅地価修正の御話なり、所得税の御意見なり、工場法は斯様な考を持つて居る、斯様な修正意見があると云ふことは縦令食卓上の談話としても補益する所が尠くなからうと思ふのでございます
本務に付て御互に考へて見ますると、経済界の有様は金融上から申せば、順調ではございますけれども、併し事業は相変らず沈衰の姿で、昨年下期などには、モウ少し拡張の気運を見はしなひかと思ひましたが、米の豊熟したのが却て気勢を損したと云ふやうに見えまして、未だ以て佳境に入ると云ふことは、都会も地方も同様に見得られぬやうにございます、此原因が抑も何であるかと云ふやうな事に付いては、今夕此に攻究会を開く意味ではございませぬから、私は別に自分の意見を申上げる必要は無いけれども、想ふに大体我邦の財政経済はどうしても権衡を得ぬ、民業の割合よりは財政の力が重い、此力の重いことは一昨年あたりから大に制限せられた、反響が何処までも継続して行くものではない、若し之をして景気を附けやうと欲して財政を膨脹せしめたならば、或は附け景気が出来るかも知れませぬ、併しながら是は或る場合に、果して世の中を利益するとは申上げ得られぬやうである、果して然らば政治上の費用を節約せしむると云ふことが、自然に商工業界に沈衰を与へたと申さなければなりませぬ、一歩進んで言ふたならば、財政よりも経済が大に進むと云ふ時代を見るやうになりましたならば、或は経済の力が財政に打勝つやうになりはしないか、併し是は此席に居る御互が如何に苦心したところが、俄に求め得られることではなくして、全体の大勢が其処に到るのを期さなければならぬのでございます、さう云ふやうに考へて見ますると、俄に景気の附くことを求める訳にもいきませぬ、さればと云ふて唯だ大事を取ることばかり考へて居れば、経済界の進歩を段々に鈍らせてしまふといふ虞を持たねばならぬやうになる、こゝらは金融界に従事して居る御互銀行者は、商売や工業に対しては原動力ともなるべき地位に居る御同
 - 第50巻 p.428 -ページ画像 
様でありますから、常に其点に注意して、或る場合には相当な力も添へ、道理ある事業の成立は努めて助けると云ふことを、御同様務めなければならぬと考へるのでございます、現在の有様が沈衰して振はぬと云ふことは、前に申す観察が或は中つて居るとすれば、俄に此財政の拡張を期することは、却て薬を求めて害を来すと云ふやうなことが無いとも申されませぬ、どうぞ自ら進んで経済界の発達を図ると云ふことに、心掛けざるを得ないと斯う思ふのでございます、蓋し諸君が夫等に付て、御攻究の御意見もございませうから、斯る御会合に、吾吾唯だ東京にて始終其事を研究し尽したと云ふ次第ではございませぬ故に、地方の諸君の御意見をも斯る機会に伺ふは、大に利益あることと思ひます、特に御指名は申上げ兼ねまするが、御説がございましたならば、御発言のあることを希望仕ります
右様な趣意に因て開会しました此会でありますが、先刻千阪君から、私が昨年亜米利加旅行を致したに付て、帰京後種々なる席で旅行談はしたやうにも聞及ぶけれども、同業者として今日此席に居らるゝ御方の中には未だ其事を親しく聴かぬ方が多いに依つて、縦令陳腐な話であつても聴くことを御好みになる御方もあらうから、一言申添へよと云ふ御指図がございました、但し此処に御出席なされました諸君の中に米国旅行をなしたのは、独り私ばかりではございませぬ、隣席の佐竹君或は多木君、其他一・二人あるかも知れませぬ、亜米利加談は私の専売とは申されませぬ、併し此処に立ちましたのでございますから亜米利加の旅行談を一言添へまして、さうして未だ御聴取りのございませぬ諸君が、成程左様であるかと云ふことで、若し御参考の一端にもなりましたらば、大きに仕合と考へるのでございます
昨年の亜米利加旅行は、御聞及びの通り八月半ばに出立致しまして、十二月半ばに帰りました、故に四箇月の間の大旅行で、大陸の汽車旅行も三箇月でございましたが、其道行は略しまして、見ました事柄に付て大体の観察を一・二申上げて置きたうございます、但し工業上に付ての事などは、寧ろ佐竹君が後に御話のある積りになつて居りまするで御聴取あることを希望致します、独り佐竹君のみならず成るべく斯う御集りの処でございますから、どうぞ議会に席を持つて居らるゝ御方、又は地方の諸君に於て、新見解・新智識を以て、充分御論説のあらつしやるやうに希望仕りまする、仮に私が此会の司会者として見たところが、どなたに御演説の御指名を申上げると云ふことは致し兼ねまするが、先づ隣席におゐでの御方などには是非御願ひ申上げる積りでござます、そこで私が今亜米利加の旅行談を取摘んで申上げて、此開会の趣旨とともに談話を終らうと考へますが、亜米利加の一般の有様は、百般の事業を頻りに大きく網羅するやうに考へて居るやうでございます、一例を申すと製鉄事業の如き、市俄古のゲリーと云ふ処に合衆国の鋼鉄会社が特に大工場を開いて、殆んど鉄事業を集中してしまふと云ふやうな経営をして居るやうでございます、「トラスト」と云ふ言葉が数年前から聞えて居りまして、或る場合には壟断を意味するが如き嫌があるやうに思ひましたけれども、さう云ふ性質の「トラスト」も無いではないか知れませぬが、事業をして区々に経営する
 - 第50巻 p.429 -ページ画像 
のは、生産費を余計掛けるのと、販売に付て世間の見渡しを間違へる要りもせぬ物をどしどし造り、右の方から左の方へ持つて来るかと思ふと、又左から右へ往くと云ふ弊害が多い、そこで其弊害を少なからしめるのは、成るたけ此事業を集中して、一番良い方法を以て工事は分業にして、支配は集権にする、斯う云ふ趣意を執つて居るかと見えますやうです、総ての事業にさう云ふ事が為し得られるかどうか、疑問でございますけれども、果して今申す有様が私の観察にして中るとすれば、今日の我国の有様は余り分立に過ぎて居る、と云ふ虞がありはせぬか、若し余り分ち過ぎて居るのであれば、今申すやうな集中主義の亜米利加の事業とは迚も闘ふと云ふことは出来ぬかと、斯う考へますると、どうも今御互が銀行ばかりでなしに、或る事業を経営することに付ては、モウ少し集中すると云ふことの考が生じはしないかと斯う思ふのでございます、是等はどうも一事に付て総ての物を律し得るかどうかは疑問ではございますけれども、亜米利加の有様はどうもさう見えまするので、斯かる御席に自分の感想を申上げて、イヤさうでないと云ふ御説があれば伺ひたい、若し果して然りとすれば、御互が心掛けて、成るべく小さい物を大きくする、二つの物を一つにする十の物を五つにすると云ふやうな経営を、心掛けねばならぬことではなからうかと思ふのでございます
更に一つ申上げて見たいのは、亜米利加人のする仕事は、悪く申すと乱暴と言ひたい位に、良いと見ると直ぐに着手すると云ふ気風でございます、如何にも直情径行、勇敢果断と云ふやうに見受けられます、併しさう云ふ気象に似合はず学問を重んじて、其果断する所作が総て学理に合ふと云ふことを深く考へて居られるかと思ふやうでございます、要するに亜米利加人は学問とか法律とか云ふものに対して、常識の発達を深く心掛ける、是は其性格がさう云ふ方に長じて居るためかと思はれる、吾々日本人と較べて見ますると、少し軽卒と云ふ嫌がある、併し俗にいふ学問酔ひがするとか、法律負けがするとか云ふことが少いやうに思ふ、是は御互に余程心掛けて、一般に此風習を興すことを考へねばならぬと思ひます、現に目下我邦の有様は総て議論づくめになつて、甚しきは法律が人を使ひ学問が人を支配するやうになりはしないか、若しさうなると、即ち学問負け法律酔ひと云ふことになつて、自身が法律を使ふのでなく、人が学問を応用するのでなくして学問が人を支配するやうになる、亜米利加の有様は全く反対に見える此等は我も人も心して、モウ少し常識から仕事を仕出すと云ふことを心掛けなければ、国家の進運に不充分な嫌がありはすまいかと懸念されるのであります、要するに亜米利加の大体の風俗に付て観察するに日本に対する感情から申しますると、或は其間に客を愛する情合とか或は客を迎へる工合と云ふことも、ありましたらうけれども、五十三箇所巡回致した所の様子で見ますると、到る処誠に快活に、能く其土地の現況を見せ、頗る深切に迎へて呉れまして、又吾々共も努めて亜米利加人に対して、日本人は押並べて良い感情を持つて居ると云ふことを説明しました、彼国人も其事を能く聴き受けて、頗る同情を表すると云ふて、益々交誼を厚うし、歓喜の間に経過致しました、吾々旅
 - 第50巻 p.430 -ページ画像 
行の有様は、風を観、俗を察し、或は交誼を厚うすると云ふことに付ては、所謂漫遊ではございましたけれども、大体に於ては左まで欠点は無かつたと申上げて宜からうと思ふのでございます、見聞した事の驚くべきもの、盛なること抔は或は今申上げました製鉄所のこと、又は原料多き鉄山の有様、若しくは各都市の商店の模様とか、工場の設備とか、或は公園とか、学校とか、州庁とか云ふやうな事に付ては、何処の土地で斯る物を見た、其宏大なる有様は斯様であると云ふことは、ナカナカ申上げ切れぬ位でございます、且つ是等は申上げても余り価値の無いことでありますから略しますが、先づ米国の商工業の有様は、分業にすると同時に集中させると云ふ精神を以て、進行して居ると見受けられます、それから個人の働きが頗る直情径行で、且つ敢為でありながら学問を重んずる、而して其学問に酔はない、法律に制されぬ人気であると云ふことは、吾々の十分に学習したいと考へるのでございます、亜米利加に対する大体の観察は、帰国後種々なる席で申上げて、今日では耳古いことでございますけれども、見たところの目が一つしかなかつたために、申上げることも変つた事を言ひ得ぬのであります故に、初めて御目に懸つた方々には、或は御参考にならうかと思うて、隣席から一言添へよと云ふ御言葉に従つて、亜米利加観察の概況を申上げた次第でございます(拍手)



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四三年(DK500086k-0004)
第50巻 p.430 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四三年       (渋沢子爵家所蔵)
四月二十二日 曇 軽暖
○上略 銀行集会所ニ抵リ、銀行者ヨリ案内セラレタル宴会ニ出席ス、食卓ニテ小山健三氏ヨリ挨拶アリ、依テ其謝辞ヲ兼ネタル奨励的一場ノ演説ヲ為ス、夜九時半散宴帰宿○下略