デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.451-454(DK500095k) ページ画像

明治44年3月3日(1911年)

是日、大清銀行理事王秉釣・伊集院駐清公使・白仁関東都督府民政長官・柳生台湾銀行頭取等ヲ招待シテ、銀行倶楽部第八十五回晩餐会開カル。栄一出席シテ、来賓ニ挨拶ヲ述ブ。


■資料

銀行通信録 第五一巻第三〇五号・第五一頁明治四四年三月 ○録事 銀行倶楽部第八十五回晩餐会(DK500095k-0001)
第50巻 p.451 ページ画像

銀行通信録 第五一巻第三〇五号・第五一頁明治四四年三月
 ○録事
    ○銀行倶楽部第八十五回晩餐会
銀行倶楽部にては三月三日午後五時三十分より伊集院駐清公使・白仁関東洲民政長官・柳生台湾銀行頭取・市原韓国銀行総裁、及過般欧米より帰朝の村井吉兵衛、並に今回渡来の大清銀行重役一行を招待して第八十五回会員晩餐会を開きたり、而して当日早川委員長は病気欠席に付、渋沢男爵委員長を代理せられ、一同晩餐の後渋沢男爵起て来賓其他に対する挨拶を述べ、之に続いて伊集院公使及白仁長官の演説あり、清国側に対しては鄭永邦氏之を通訳し、夫より大清銀行重役陳宗嬀氏亦一場の演説を為し、一行中の劉崇傑氏之を通訳し、更に柳生頭取及市原総裁の演説並に村井氏の挨拶あり、終て席を別室に移し、各自歓談の上、午後十時散会せり


竜門雑誌 第二七四号・第七二頁明治四四年三月 ○銀行倶楽部晩餐会(DK500095k-0002)
第50巻 p.451-452 ページ画像

竜門雑誌 第二七四号・第七二頁明治四四年三月
    ○銀行倶楽部晩餐会
 銀行倶楽部にては三月三日午後六時より、大清銀行理事王秉釣・監事朱邦献・委員陳同紀・度支部左丞陳宗嬀を主賓として晩餐会を開けり、陪賓としては伊集院清国公使・白仁関東都督府民政長官・柳生台湾銀行頭取・市原韓銀総裁・村井吉兵衛の諸氏来会、主人側より松尾・高橋日銀正副総裁、青淵先生、早川・池田・園田・三村諸氏、会員七十余名出席、七時食卓を開き、青淵先生は起つて貴賓の来臨を謝し、次で其来朝の目的は財政整理、中央銀行に関する我制度の調査にあれば我政府並に財界の有志は充分の便宜を与へざるべからずと冒頭を置
 - 第50巻 p.452 -ページ画像 
き、日清両国経済上の連絡を計るは緊要の事にて、古来百般事業の発達が金融制度の機宜に基く点より推して、清国来賓の使命の偉なるを称し、過去四十年間日本並に欧米先進国に於ける銀行家の歴史に顧み清国に於ける制度の改善有望なるを説き、次で伊集院公使・白仁民政長官の演説あり、之に対し度支部左丞陳氏は、今回来朝の目的は財政整理、銀行制度の改革に関し貴国の制度を視察せんとするにあり、大蔵省の調査結了次第、不日銀行の調査に着手せんとする筈なれば御尽力を乞ふ旨を述べ、終つて柳生頭取・市原韓銀総裁の談話あり、九時半散会せりと


銀行通信録 第五一巻第三〇六号・第一七―一八頁明治四四年四月 ○銀行倶楽部晩餐会演説(明治四十四年三月三日) 渋沢男爵の演説(DK500095k-0003)
第50巻 p.452-453 ページ画像

銀行通信録 第五一巻第三〇六号・第一七―一八頁明治四四年四月
  ○銀行倶楽部晩餐会演説     (明治四十四年三月三日)
    ○渋沢男爵の演説
閣下並に諸君、今夕の当倶楽部の晩餐会には生憎委員長が所労でございまして、私が臨時代理を致しまするのでござります、総ての設備は不十分でござりますけれども、幸ひに予て願ひ置きました諸来賓は、伊集院公使閣下・白仁民政長官・陳大人其他清国よりの来賓、及柳生・市原・村井の諸君も皆御賁臨下さいまして、倶楽部の晩餐会に光彩をお添へ下されましたことを深く感謝致しまする次第でござります、倶楽部の晩餐会は毎月一回催しまして、常に内に居つて財務に齷齪して居りまする銀行業者が打寄つて互に知識を交換するばかりでなく、或機会に遠方より尊来のお方若くは外国へ旅行するお方の送別会を催して、銀行業若くは一般実業界に裨益するお話を伺ふことを無上の楽みとして居るのでござります、然るに今夕は、特に我々が将来に最も厚い関係を有しつゝ往かねばならぬ所の清国の陳大人其他の諸君が御来臨下され、恰も好し伊集院公使閣下、白仁民政長官抔、皆深い関係のある諸君の尊来を得ましたのを喜ぶのでござります、又前に申しました柳生・市原の諸君は、我々の同業者ではござりますけれども、方面違ひの銀行業者であつて、斯く一同にお会ひの出来る今夕に於て、生憎委員長の欠席は頗る遺憾でござります、故に今夕の晩餐会はお客は満足でござりますが、お客満足で主人不満足と思ひます、是よりして閣下諸君の各地に亘るお話を伺ふことを得まするが、折角此処に清国の諸君をお迎へしたに就て、私は一言清国のお方々に向つて、此の晩餐会の成立ち及銀行の組立に就て、極く簡単に申上げ置きたいと思ふのでござります
日本の銀行業の起りは年久しいことで、明治五年に条例が発布されましてから既に四十年近い歳月を経て居ります、併し銀行の起りました当初は至つて微々たるものでござりました、四十年後の今日も未だ盛大と云ふ訳には参りませぬが、之を既往に比較しますれば聊か面目を改めたと申して宜からうと思ふ、其初は国立銀行条例と云ふ制度に依つて造られた、それから十年ほど経過して日本銀行即ち中央金庫の制度が設けられまして、そこで銀行の組織と云ふものが一変致してござります、其頃から銀行者相集つて相互の便利を増し、相互の知識を交換することを努め来りて居ります、此倶楽部の会合と申すのは十数年
 - 第50巻 p.453 -ページ画像 
しか経ちませぬが、銀行者相会して且つ談じ且つ楽むと申すやうなことは、殆ど三十余年を経過して居るのでございます、承りますれば陳大人其他の諸君今度の御来遊は、清国に於て中央銀行制度のお設けがあり、又同時に之に対する財政方面のお取調もある、即ち諸君が其の用務を帯びてお越しとの事である、斯様に我々と縁故深い諸君をお迎へして玆に一夕の歓を罄しますことは、最も我々の悦ぶ所でござります、是までも清国よりの来賓を迎へた事は度々あるが、未来に於て金融上にも実業上にも種々なる方面に交誼を厚うし、親睦を重ねゝばならぬことは我々日本人が総て希望して居ると同時に、清国の皆様方も矢張り同じやうにお感じをもつて居られうと思ふのでござります、而して商売の本源はどうしても銀行事務が確実に成立ち、又其の事業が拡張せねば十分に商売を誘導して往くことは出来ぬやうに思ひます、三・四十年の日本の経験に徴し、又更に書物に依つて欧米の事実に徴して過なからうと思ひますれば、清国の未来は追々其域に進められ、益々我々と金融界に於て商業界に於て関係を増し、懇親を進めて往くであらうと深く悦びますのでござります、お客様方の段々面白いお話を伺ふことは我々の最も希望する所でありますから、私の御挨拶は之で止めまして、是より公使閣下、長官閣下、又清国の諸大人及柳生・市原・村井諸君に御演説を願ふ積りでござります、会員諸君清聴あらんことを希望致します、玆に諸君と共に来賓閣下諸君の御健康を祝します


銀行通信録 第五一巻第三〇六号・第二一―二二頁明治四四年四月 ○清国度支部左丞陳宗嬀君の演説(劉崇傑君口訳)(DK500095k-0004)
第50巻 p.453-454 ページ画像

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