デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.454-462(DK500097k) ページ画像

明治44年6月21日(1911年)

是日栄一、東京銀行集会所・東京交換所・銀行倶楽部合同主催ニヨリ帝国ホテルニ於テ開カレタル、日本銀行新総裁高橋是清・同前総裁松尾臣善・横浜正金銀行新頭取三島弥太郎・同前頭取高橋是清ノ送迎会ニ出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

銀行通信録 第五二巻第三〇九号・第五七―五八頁明治四四年七月 日本銀行総裁及横浜正金銀行正副頭取送迎会(DK500097k-0001)
第50巻 p.454-455 ページ画像

銀行通信録 第五二巻第三〇九号・第五七―五八頁明治四四年七月
    日本銀行総裁及横浜正金銀行正副頭取送迎会
東京銀行集会所・東京交換所及銀行倶楽部三団体にては、六月二十一日午後六時より帝国「ホテル」に於て、日本銀行新旧総裁及横浜正金
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銀行正副頭取の送迎会を開きたり、当日出席者は主客合計百十九名にして、其氏名左の如し
      来賓(十名)
 松尾日本銀行前総裁 高橋日本銀行総裁 三島正金銀行頭取 井上正金銀行副頭取(以上主賓)
 桂大蔵大臣 若槻大蔵次官 水町財務官 勝田理財局長 長島書記官 森銀行課長
      主人側(百九名)
 山口宗義(日本)渋沢栄一(第一)○外氏名略ス
斯くて午後七時食堂を開き、宴酣なる頃渋沢男爵主人側を代表して一場の挨拶を述べ、次で松尾旧総裁・高橋新総裁・三島新頭取及桂大蔵大臣の演説あり、最後に豊川良平氏当日の座長たる渋沢男爵の労を謝し、夫より別室に於て歓談の上、午後十時三十分散会せり


銀行通信録 第五二巻第三一〇号・第五五―五七頁明治四四年八月 ○日本銀行総裁及横浜正金銀行正副頭取送迎会演説(DK500097k-0002)
第50巻 p.455-462 ページ画像

銀行通信録 第五二巻第三一〇号・第五五―五七頁明治四四年八月
  ○日本銀行総裁及横浜正金銀行正副頭取送迎会演説
六月二十一日帝国ホテルに開きたる日本銀行総裁、及横浜正金銀行正副頭取送迎会演説左の如し
    渋沢総代の演説
来賓諸閣下及諸君、今夕は東京銀行集会所・東京交換所及銀行倶楽部の三団体申合せまして、今般松尾男爵が日本銀行総裁を御辞職なされ高橋男爵が之に御代りになり、又高橋男爵も日本銀行に専任となられましたるに付て、横浜正金銀行頭取に三島子爵が御代りになり、更に井上君が副頭取に御任じになりましたに就て、吾々銀行業に関係致して居る所の今夕此の席に集つた諸氏に於ては、日本銀行と申し正金銀行と申し金融機関の枢機であつて吾々の頭脳である、此頭脳の最も敬愛する諸君の御更迭でございまするで、此際申し合せて一方には御慰労を申し一方には就職を祝するといふが為めに此宴会を開きました次第でございます、折からに大蔵大臣閣下及大蔵省の諸閣下の臨場を乞ひ上げましたるに、主賓たる松尾男爵を始め総ての諸君の尊来を得ましたのは会員相互に此の上もない光栄であり、而して斯の如き盛況を以て来賓に吾々の熱情を御覧に入れまするのは洵に喜ばしい次第と思ひます
凡そ一部局の更迭に際して送迎の辞を申上げるのは頗る申上げ悪いものでございます、若し旧の御方に対して切に惜み深く悲む情を申しますると、新しく御任じなすつた御方に対しては自然と嫌ふが如き意味を為す虞があるのでございます(笑)、さらば新任の御方を誠に歓び迎へんか、古いのは何やら弊れたる履を捨るといふやうな感じを生ずる虞がある(笑)、故に此間の言辞は、私如き不弁の者にはなかなか申上げられませぬ、已むを得ず形式上の言詞になる嫌があるのです、先づ「至極有難うございます」、「何分宜しく」などゝ申す常套語を繰返すに外ならぬのでございます、併し私は松尾男爵を送り高橋男爵を迎へ又三島・井上両君を祝すに於ては左様な形式上の所謂御定りの御挨拶を致したくないと思ふ、仮令今夕は三団体申合せの百余名の会合、殊
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に大蔵大臣の御臨席をも願ひましたから半公式の宴会と言ひ得るかは知らぬけれども、衷情を打明けて慶びは慶び、未来の希望は希望として申述べるのが即ち最も尊ぶべき賓客に対する尊敬の所為と思ふのでございます(拍手)、蓋し満場の諸氏も此点に於ては皆私に御同情を下さるであらうと思ふ(拍手)、併し次に申す私の言詞が果して諸氏の心を忖度し得るや否やは疑問でございます
先づ第一に私は松尾君に対して深く謝意を表さねばならぬと思ふのです、独り諸氏に代つて職前の謝意を表するのみならず、個人として私は古い御交誼がございます、少し諸氏に対しては序でを以て私の義理を達すといふやうな嫌があつて、甚だ失礼になるかは知れませぬが暫時清聴を煩はしたい、私は松尾君とは四十三年ばかりの御交りでございます、私もこれでも維新の際は暫く大蔵省の端くれに勤務を致したものでございます、丁度明治二年の冬大蔵省に出仕致しました時に、松尾君は既に大蔵省に勤務致されて居つた御方であつて、其頃より財政の事に御鞅掌に相成つたのでございます、確か通商司といふものがございまして其の通商司の権大佑でございましたと思ひます、其時の通商権正が吹田久則といふ人であつたと記憶致します、当時松尾君は既に経済界に於て頭角を現はしてござつた、今も決して老いたりとは申しませぬけれども、私が其時二十九か三十でございましたから、松尾君は三つ私よりお下でありますから、今日から云ふと未だ青年、僅に学校を出た位の御年輩であつた、然るに其才幹は業に既に大蔵省を動かすといふ位の力を持ちましたのでございます、唯々同君の温良謹厚なる決して気鋭を以て人を圧するといふやうなことはございませぬが、実に事理明晰紛糾の間に能く事務をお運びなすつたといふことは私は其頃から記憶致して居るのでございます、数年を経て私は官を去りましたから境遇を異にしまして、お顔を拝することは屡々ございましたけれども、共に其意見を商議することはございませなんだ、併し引続いて大蔵省に於て理財の局に精励なされたことは、私が玆に喋々するまでもなく諸君御熟知のことである、或は国債局に或は理財局に始終官辺に於て財務に御従事なされたのでございます、而して日本銀行総裁に御任じになつたのは多分明治三十六年の秋頃でございましたか、何でも九月か十月頃であつたやうに思はれます、松尾君の日本銀行に御任じの時は即ち日本の最も記憶すべき時期である、此事に付ては豊川君は殆んど月も日も刻限も悉く御記憶であるから浮かりしたことを申上げると、隣席から注意を受けますので、私も自分に多少記憶を持つては居りますけれども、豊川君の在る以上は余り喋々と申上げられませぬ(笑)、併し是は独り豊川君ばかりでなしに如何に健忘症のお方でも、明治三十七・八年のことを忘れるといふお方は此の席には一人もあるまいと思ふ、其時に松尾男爵は日本銀行の総裁として種々なる御経営を為すつた、我国に於て最も困難最も多事の時に任務を尽されたといふお方でございます、既に大蔵省にあつて理財に十分なる熟練を積まれて、所謂内に満を引いたるものが時も時最も大切なる国難に際して大なる働きを為された、玆に於て日本銀行の事務は如何に拡大されたといふことは、私共事実に於て拝見致すのでございます、
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爾来七、八年の間此席に集つて居る諸氏は、同総裁の日本銀行経営の下に種々なる御面倒を掛け御引立を蒙り、公けに私に容易ならぬ御指導御幇助を蒙つたことは、実に吾々感謝に言葉がないのでございます而して今日お望みに依つて其職を辞され、一時閑地にお就きなされるといふのでありますけれども、斯の如き有為のお方は仮令最早七十に垂々とするとも、私は決して未だ世の中が何時までも君を閑地に安んぜしむることを許すものであるまいと思ひます、但し私が此場合に於て君の御身上を忖度して斯様なことは申上げたくはございませぬけれども、社会の上から論じたならば決して之を以て御引退なさるものではなからう、先づ一段落として玆に職を解かれて一時閑地にお就きなさるといふことは、同君には相当なる御順序であらうと思ひますから吾々数年の間薫陶を受けて居りまする者は実に愛惜の念に堪へませぬのでございます
併し私は同君を深く惜むと同時に其後任にお立なすつた高橋君は如何であるか、不幸にして私が高橋君とお交を重ねましたことは松尾君の久しきに比ぶれば年限が甚だ短いと申さねばならぬのでございます、高橋君と私との御交際は十四、五年の間と思ひます、殊に正金銀行に御従事の初め頃に種々なることで御面倒を掛け、御助力を受けたことは今も尚記憶致して居るのでございます、其後日本銀行に松尾君の事務をお助けなすつて、又今申上げた明治三十七・八年の頃に於ては特に一方面の容易ならぬ御任務を御引受になつて、同君あつて始めて大戦役も都合好く果し得られたと申すは決して過言ではないやうに思ひます(拍手)、嘗て同君が欧羅巴から御帰りになつた時に、前の内閣の時分でございました、大蔵大臣の官邸に於て時の総理大臣が御出席になつて、同君をお迎へ申す言葉に、国の任務の重きを荷ひ、其使命を全くしてお帰りなすつた有様は、例へば英吉利の南阿戦争の勲功を奏したロバート、キチネル等の将軍が帰つて来たるが如き価値のあるお方であるといふ事を演説されたのを私は聴聞して、如何にも此経済界の人の他邦に其任務を果して帰られた場合に、左様に看做して呉れることが唯此総理大臣・大蔵大臣ばかりでなく、社会からも同様にありたいものだと深く感じたので今尚ほ記憶して居るのでございます、斯の如き任務をお遂げになり、殊に久しい間銀行業に於て其の方針を一にし、且つ日本銀行総裁を補助し相提携して其職に当られた所の高橋君が、松尾君に代つて日本銀行の専任となられたといふことであれば吾々は即ち不断の言葉を以て「相変らず」と申上げるのが、決して紋切形でない真実の言葉であると申上げ得られるだらうと思ふのでございます、故に高橋君が日本銀行の総裁として吾々各銀行を率ゐて日本の経済界を料理調節するは、必ず今申す常套語の「相変らず」で十分足り得るであらうと期待致すのでございます(拍手)
三島子爵に対しましては大分私と年齢が違ひますから、殆んどお親みは薄いやうでございますが、併し私は古い事ばかりを申上げるやうでございますが、寧ろ子爵の御先代に就ては今の松尾男爵とのお親みより尚数年以前であつて、私が二十五の年に一橋家の奉公を始めました時、薩摩の藩士で折田要蔵といふ人がありまして、之が幕府の命に依
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つて大阪にお台場築造の御用を申付られ大阪へ下られた、其時に私は折田要蔵の塾生として之に随従致したので、子爵の御尊父三島君が薩摩藩の御留守居添役といふ名に依つて折田氏に附添へ居られた、故川村純義伯も与十郎と言はれて同しく折田氏に附添て居た、此お二人が一緒に土佐堀二丁目の松屋といふ宿屋の隣家にお宿りであつた、蓋し折田氏が松屋に止宿されたのである、其頃私は子爵の尊大人に別して御懇親を辱ふし、独り御懇親を辱ふしたばかりでない、或る場合には大に喧嘩をして刺違へて死なうとまで論じたことがある(笑)、子爵に対しては年齢の違ひ等より御別懇ではございませぬけれども、宿縁は甚だ深いと云ふことを御記憶を願ひたいのでございます、而して同君は政治界に経済界に、所謂両手に花をお持ちなさるお人であるといふて決して過言でなからうと思ふ、是から先は政治三分、経済七分となさつて、今までの位置をどうぞ反対して戴きたいと申上げるのは、是は故大人と御懇親の厚い為めに私をして老人の一言として、若しお聴分下すつたならば洵に喜ばしい次第でございます(拍手)
井上君の今度の御新任は最も深く慶び且つ将来を嘱望するのである、私から申上げると井上君はまだお若い方である、御当人は十分老成の思召でありませうが、年齢の比較から末頼母しきお方と申上げざるを得ないのでございます
斯様な極くお親しい諸君の移り代りに当りて、始終交を厚うする満堂諸君の代表者として、玆に私が此の御祝辞を申上げ得られるは自身に於ても是ぐらゐ愉快のことはございませぬ、斯様に日本銀行・横浜正金銀行とも代る代る有為の方々がお揃ひ下され、吾々も亦奮励して経済界の進歩発達を図りつゝ居りまするけれども、併し世の中は何事も満足に進んで行くとのみは申されぬやうでございます、斯く申上げると政治の主脳たる総理大臣、財政の機軸たる大蔵大臣に対して多少御係り合の言葉になるか知れませぬけれども、金利の安いほどには世の事業が進歩せぬといふことは独り私が申しまするばかりでない、殆んど世の中の通論になつて居る、是は吾々も大に注意していつも通論だ常套の言葉だと申して安んじては居られぬのです、是非どうかして此有様を回復すると云ふことに吾々銀行者が努めねば、商工業者の努めるを唯待つては居られぬと思ふのでございます、而して此事に付て大蔵大臣は、此程慶応義塾の集会に、人に存すると云ふことを仰せられた、実に其通りである、英吉利の盛なるは何であるか、人である、西班牙の衰へたるは何であるか、人であると云ふて宜しいやうでございます、故に大蔵大臣のお言葉は千載不易吾を欺かぬ言葉に相違ない、併し私の大に憂慮するのは、其大蔵大臣の仰しやつたのは未成年の学生に対しての御演説である、是から先学ばうといふ人であつて未だ社会には何等骨折らぬ者である、国家の隆替、事業の盛衰は全く人であるといふことは実に金言であるけれども、若し此御言葉を吾々が我身に取りて熟慮したならば頗る面目ない、吾々は今社会に立つて働いて居る、現在の事物の進歩せぬのが人に在るとすれば、即ち吾々が悪いと言はれた言葉になる、若し其お言葉が真理とするならば、吾々は大蔵大臣の面前に叩頭謝罪をしなければならぬ(笑)、唯学生に言われた
 - 第50巻 p.459 -ページ画像 
のだから宜い、大蔵大臣の言葉は御尤千万だと申して、安閑と賞讚して止むべきものではなからうと思ふのである、故に吾々は大蔵大臣のお言葉は真理と思はなければならぬ、果して思ふならば其の所謂人といふは吾々である、吾々は即ち人であるから是非とも之を改善するの責任があると、御互に自覚せねばならぬではございませぬか(拍手)、但し此点に付ては松尾男爵に不足を申上げねばならぬ、何故ならば私は男爵の従来の功績をお讚め申上げたが、其男爵が今日此儘に社会を引退されると、松尾君一人は賞讚のみあつて、責任なき人になつてしまふ(笑)、私は男爵より三つ上の年齢でありますが、まだ責任ある人である、是は松尾男爵が余り虫が好すぎると言はねばならぬ(笑)、即ち私が前に、男爵を未だ閑地に置くを許さぬであらうと申上げた所以である(拍手)
今夕諸閣下の臨場を辱うしまして、斯の如き盛宴を以て来賓に御礼を申上げることを得ましたのは、会員一同の深く喜ぶ次第でございます玆に盃を挙げて臨場の諸閣下の御健康を祝します
 (起立乾盃)

    ○松尾日本銀行前総裁の演説
会長閣下並に諸君、今夕は三団体の御聯合を以て此盛宴を御催しになり、私も御招待を蒙りまして此席に列することを得ましたのは、最も光栄と致しまする所でございます、唯今渋沢男爵閣下より私が大蔵省に奉職して居りました時、及日本銀行の総裁を奉職して居りました際に、何か多少の功績もあるかの如き御讚辞を戴きましてござりまするが、是は私の敢て当る所ではござりませぬ、顧みますれば丁度明治三十六年の十月日本銀行の総裁を拝命致しまして、本月一日まで年を算へますれば九箇年に亘る長期間勤務致したのでござります、併しながら此長期間の内に、何等国家に対し貢献致したこともござりませぬことは、甚だ汗顔の至に堪へぬ次第でござります
私が日本銀行総裁を拝命致しました際は、日露の間最も風雲急を告ぐるの時でござります、其後引続いて戦争となり又戦後の財界に於きましても、波瀾動揺することが屡々ございまして甚だ多事の際でござりました、此多事の際に纔に任務を遂行致しましたのは、是れ偏に政府当路の周到なる御指導と、又渋沢男爵閣下初め此お席に御列席になつて居らるゝ諸君の深厚なる御同情とに依りましたに外ならぬのでござります、此点に就きましては今日此お席に列しました機会を以ちまして厚く謝意を表します、而して私の辞任を致しました後任は、私の同僚たりし所の高橋男爵閣下が日本銀行総裁の職に就かれました、今や国運の進歩に伴ひまして内外に対して経済状態の発展を促すこと益々急なる時期でござります、此時期に際して同君が日本銀行の総裁を拝命せられましたことは、最も適当なる人を得たることでありまして、深く悦びとする所で、我国家に取りまして慶賀の至りに堪へぬ次第でござります
終りに臨みまして、私は此度願ひを容れられまして辞任致し重荷を卸して安心致しましたが、何卒従来御懇切に御交際下さいました如く、
 - 第50巻 p.460 -ページ画像 
将来も相変らず、御懇切にお心添あらんことを偏にお願申上げます、今夕は御鄭重なる御饗応に対し、謹んで厚く御礼を申上げます(拍手喝采)

    ○高橋日本銀行総裁の演説
閣下並に諸君、今夕は私等の新任を祝さるゝ為に同業者であつて且つ常にお会ひ申す所の友人諸君が、斯の如く多数お集まりになつて御招待下されましたのは、私等に取りまして最も光栄の至りと存じ深く御礼を申上げます、又先刻渋沢男爵閣下よりは、私の過去のことに就きましてお賞めのお言葉がありましたが、私に取りましては甚だ過ぎたる御言葉で決して当りませぬ、併し其懇切なることに対して深く感謝を致します、実は食卓に着く前に渋沢男より今夕は就任に就て今後の方針等のことは望まぬ、唯一通りの挨拶をするから其積りで挨拶をして呉れと云ふお言葉がありましたので、誠に安心致しまして心易く御馳走も充分頂戴した訳でござります、御承知の如く頗る欠点の多い人間であります、而して日本銀行総裁に就任致したものゝ、前途自分ながらも何うであらうか覚束ないと云ふやうな懸念がござります、且今後は日本銀行の職分も我国が一等国の伍伴に列したと同時に、益々重大になるのでございます、此重き職務を満足に致しまするは同業者諸君の御援助に俟つ所益々多いのでございますから、何卒不肖の私に御同情を賜りまして職分上充分御注意を仰ぎ、且つ御援助を願ひ置きます、何れ又、日本銀行としての経済社会に対する方針等のことに就ては、他日お話を致す機会もあらうと存じます、今夕は唯盛宴を設けられてお迎へ下されました御厚意に対してお礼を申すに止めます(拍手喝采)

    ○三島横浜正金銀行頭取の演説
会長閣下並に諸君、今夕は日本銀行の新旧総裁送迎の御催と共に、私共の新任の祝ひの為に斯の如き盛大なる御宴会をお設け下され、又殊に大蔵大臣閣下も御臨席下さいまして、先刻会長閣下より御鄭重なるお言葉を頂戴致したことに就きましては、私共の最も光栄と存じまするところでございまして、謹んで御礼を申上げます、殊に私に取りまして亡父の友人として、会長閣下より御懇篤なる御訓導のお言葉を頂戴致しまして深く感銘する次第でございます、私共は今日迄諸君より一方ならざる御援助御引立を蒙つて居るのでございますが、此度図らずも正金銀行の正副頭取として就任致しましたに就きましては、及ばずながら出来る限りのことを致しまして諸君の御眷顧に酬いたいと存じまするが、素より微力の者でございまして到底充分なことは出来ませぬと存じますから、何卒将来は一層万事に就きまして御援助御指導下さることを偏にお願ひ申上げます、玆に謹んで今夕のお手厚きお招きに対しまして御礼を申上げます(拍手喝采)

    ○桂大蔵大臣の演説
閣下及満場の諸君、今日は日本銀行総裁新旧更迭に対しまして此祝宴
 - 第50巻 p.461 -ページ画像 
を張られ、又正金銀行正副頭取の新に任命になりましたに就きまして是亦同様の御催あるに就て私にも列席するやうにと云ふ御案内を蒙り悦んで此お招きに応じた次第でありまして感謝に堪へませぬ、曩に渋沢男爵は此会のお催に就て日本銀行前総裁松尾男爵、又新総裁高橋男爵及正金銀行頭取三島子爵、副頭取井上君の為に縷々御演説がござりまして、殆ど明治の初年より今日に至るまでの松尾男爵の歴史とも称すべきことをお述べになり、又其他の諸君の御来歴に就ても殆ど残す所なく簡短にして尽し得られる御演説がございましたので、最早玆に私が蛇足を添へる必要もない位でございます、併し私も此席に臨みました以上は一言玆に申述べて、此結局を致すの責任があり又義務もあるかと存じて立つた次第でございます
松尾男爵は渋沢男爵の既に述べられました如く、三十六年の末即ち恰も我帝国が最も未曾有の困難に際会せんとする其僅か前に、日本銀行総裁を拝命せられたのでございます、其当時は私が総理大臣として職にあつた時代でございまして、実に国家の生存に関すると云ふ場合でございました、其時に当つて松尾男爵は総裁となられ、六年・七年・八年と其最も困難なる財政の方面に於きまして、此席に御会同の諸君即ち渋沢男爵其他の諸君と共に経済界を指導致されまして此戦時財政金融市場の困難なる時なるにも拘らず、終局に至りまするまで何等支障なく此大事を遂行せしめましたのは、男爵の最も日本銀行総裁として其職務を尽されました点に就て、諸君と共に深く男爵の功績を賞さねばならぬと私は考へるのでございます(拍手)、又引続いて、戦後財政経済界に最も波瀾多き場合をも孜々として努め、経済界を指導せられ諸君と共に幾多の困難に際会致したるに拘はらず今日に到らしめたのも、是亦同様に男爵の功を推さねばならぬと考へます(拍手)、然るに男爵は自ら時勢の推移変遷を見られまして、此度日本銀行総裁を辞せられたのでございます、私は男爵が国家将来の為め深く慮かられて玆に及ばれたることゝ考へまして、男爵の希望を容れまして之を奏請を致した次第でございまするが、男爵に於きましては先刻渋沢男爵のお述べになつた如く、決して未だ其体力の弱られたるにあらず、又精神の衰へられたのでないことは私は深く信じて居ります、所謂玆に一段落を致されたのであつて、将来益々御健康を保たれて経済界の為に特に御尽力のあることは私の信じて疑はぬのである、玆に於て松尾男爵は功成り名遂げて身退くと簡単に申述べたいのでありますが、其一段落に就ては功成り名遂げて退かれましたが、後来に於ては尚健康を保たれて呉々も経済界の為、又従来任ぜられました財政方面に就て努力せられんことを、偏に希望して止まぬのであります
高橋君は何うであるか、是は渋沢男爵より段々御演説がありまして、私が更に之に加ふべき事柄も多くは有たぬのでありまして、渋沢男爵の御演説に御同意を致すと云ふのが一番簡単であらうと考へるのであります、併し是亦私が曩に総理大臣を拝命致して居りまする当時、即ち松尾男爵に就て申述べました如き時に当りまして、高橋男爵は日本銀行の副総裁の職に居られまして最も重要なる使命を帯ばれたのであります、所謂戦時の財政をして能く遂行し得らるゝや否や、是は高橋
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男爵の使命の果さるゝと果されざるとが此点に大なる関係を有つて居つた次第である、併し能く使命を果されました結果と致しまして、我我政府当局又内にあつて日本銀行の総裁として尽力を致されました所の松尾男爵、其他経済界にあつて御尽力なされた諸君も御使命の全きを得ました為に、財政経済に大なる障碍を与へずして大困難なる時を通過し得たのであります、是れ全く高橋男爵の使命を果された結果であると申して憚らぬのであります(拍手)、此高橋男爵が長く副総裁として松尾男爵を助けられ、松尾男爵は又副総裁として始終席を同うして居られました高橋男爵を其後任者として、任務を果さるゝの機会を得ましたのは、松尾男爵に於かれまして最も御満足であらうと考へる又私に於きましても幸に此関係ある所の高橋男爵を日本銀行総裁に奏請するの場合を得ましたのは、諸君と共に悦ぶ所であります(拍手)、又三島子爵は先刻渋沢男爵より大人の御関係をお話になりました、私も随分年老つて居りますが此話は渋沢男爵より初めて拝聴したのであります、私も大分年は違ひますが三島子爵の故大人の存生中、大人は警視総監、私は陸軍次官をして居る時分に屡々往来した、其子息が正金銀行の頭取を拝命されたのは諸君と共に悦ぶ所であります、併し同君も長い間重役として高橋男爵の下に正金銀行の業務に従事せられて居つたので、新に正金銀行の頭取になられたのではありませぬ、丁度松尾男爵の跡に高橋男爵が拝命されたと同じき関係と申して宜からうと私は考へる、井上君に至りましては長く日本銀行に居られ、又海外に在勤致されて所謂新しき経済界の智識と経験とを有たるゝので、是亦適当の位地に適当の任命を見たことを悦ぶ次第であります、三島子爵及井上君は最も春秋に富んで居られますから、将来益々此経済界の発達に対し尽瘁せられんことを今より一言して置くのであります、諸君と共に希望を述べて置きます
要するに今晩御招待を蒙りました所の新旧総裁、新頭取、新副頭取の諸君は、恰も家督相続をされたやうな心持がすると申して宜からうと思ひます、松尾君は自分の可愛い子に其家督を譲り高橋君も亦自分の子に正金銀行頭取を譲られた、井上君も亦同様である、然れば此更迭に就きまして少しも経済界に於て何等変化のないことと私は信じて疑はぬのであります、又諸君と共に疑つてはならぬ、疑ふ所はないと思ふのであります、今晩は誠に御鄭重な宴会に陪するの光栄を得まして玆に感謝の意を表し、併せて聊か意見を申した次第であります(拍手喝采)