デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.463-475(DK500100k) ページ画像

明治44年11月8日(1911年)

是日、東京銀行集会所・東京交換所・銀行倶楽部合同主催ニヨル、大蔵大臣山本達雄招待晩餐会開カル。栄一出席シテ挨拶ヲ述ブ。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四四年(DK500100k-0001)
第50巻 p.463 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年         (渋沢子爵家所蔵)
十一月八日 晴 寒
○上略 銀行集会所ニ於テ山本大蔵大臣招宴ニ出席シ、食卓上一場ノ演説ヲ為ス○下略
  ○中略。
十一月十一日 晴 寒
○上略 銀行集会所ヨリ委托セラレタル著書ノ題字ヲ揮毫ス○下略

 - 第50巻 p.464 -ページ画像 

銀行通信録 第五二巻第三一〇号明治四四年一一月 山本大蔵大臣招待会(DK500100k-0002)
第50巻 p.464 ページ画像

銀行通信録  第五二巻第三一〇号明治四四年一一月
    山本大蔵大臣招待会
東京銀行集会所・東京交換所及銀行倶楽部三団体にては、十一月八日午後六時より銀行倶楽部に於て、山本大蔵大臣を主賓とし、其他大蔵次官及各局長等を陪賓として招待会を開きたり、当日出席者は主客合計百三十四名にして、其氏名左の如し
      来賓(十一名)
 山本大蔵大臣  浜口専売局長官  橋本次官
 桜井関税局長  勝田理財局長   塚田参事官
 菅原主税局長  市来主計局長   山崎国債局長(欠)
 安倍秘書官   森銀行課長    黒田秘書官
      主人側(百二十三名)
 男爵高橋是清(日本) 男爵渋沢栄一(第一)○外氏名略ス
斯くて午後六時三十分食堂を開き、宴酣なる頃渋沢男爵主人側を代表して一場の挨拶を述べ、之に対して山本大蔵大臣の答辞あり、終りに早川千吉郎氏亦一場の挨拶を述べ、夫より別室に移り一同歓談の上、午後九時三十分散会せり


銀行通信録 第五二巻第三一四号・第二五―三〇頁明治四四年一二月 ○山本大蔵大臣招待会演説(DK500100k-0003)
第50巻 p.464-471 ページ画像

銀行通信録  第五二巻第三一四号・第二五―三〇頁明治四四年一二月
  ○山本大蔵大臣招待会演説
 十一月八日銀行倶楽部に於て開会せる東京銀行集会所・東京交換所及銀行倶楽部三団体招待会に於ける演説左の如し
    ○渋沢男爵の挨拶
大蔵大臣閣下及本夕御臨場を請ひたる大蔵省の諸閣下並に会員諸君、今夕は当銀行集会所・手形交換所及銀行倶楽部の三団体が申合せまして、今般山本君の大蔵大臣の要職に御就任なされたのを祝賀する為めに、玆に小宴を開いて尊臨を請ひ上げましたのでございます、公私御多端の中を御繰合せを戴いて、玆に光臨を得ましたことを深く感謝致さねばならぬと思ひます、殊に又大蔵次官其他各局長・秘書官の方にまで尽く御繰合せ下され御臨場を賜りましたのは、三団体の光栄此上もないと思ひます、お客の満員を見ると同時に吾々会員も亦満員を見たのでございます、御覧の通り坐席が足らぬ為めに別に支店を造つて漸く補充するといふやうな有様で、所謂大入札を掲げ得る盛況を呈したのは蓋し吾々が大蔵大臣を敬慕する念の厚いことを証明するに足るだらうと思ひます(拍手)
私は玆に三団体代表の資格を持ちまして大臣に一言の祝辞を申上げたう存じまするが、団体の祝辞のみに止めず渋沢栄一個人としても、日頃お親みを厚うする山本君のことである、大蔵大臣の要職に就任せられたからと云ふて官尊民卑の隔をしたら、却つてなぜさういふことをするかといふお小言があらうかと思ひますから、憚らずに愚見を陳上致さうと思ふのでございます、蓋し是より述べまする渋沢の愚説が、果して三団体の意志に適するや否やは期せられませぬけれども、それは此席を汚した役得として、会員諸君が私に言論の自由を与へて下さることを願ひたう存じます(拍手)
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此開けた御世には官たり民たりといふて左までの差は無いのである、故に要職に任ぜられ高官に就かれても其交を変へずに打解けるのである、大臣も蓋し其御意志は私共と御同様であらうと思ふ、況んや玆に集つた吾々は自個の営利事業のやうではございますけれども、一般の金融機関に従事して居りますれば、自ら財政と相因んで経済界の枢要の位置に居ると自負するのも過分ではなからうと思ふ、して見ると財政の要職にお任じなすつた大蔵大臣とは別してお親みが厚い、是までも数代の大蔵大臣に対して努めて情意を通じ、言論を御遠慮申さぬといふことが常でありましたが、況んや当大蔵大臣は常に此卓上で私共と言論を共にし、喜憂を同じうしたお方が此要職に任ぜられたのでございますから、私共は甚だ失礼な申分だが吾々の仲間から山本君を押立つて、吾々の精神が大蔵省に籠つてあるとまで思ふても蓋し山本君は怪しからぬ奴だと思召しも致すまいと考へるのでございます、斯る御会合でございますから玆に吾々は当集会所若くは手形交換所等の是まで採り来た方針と、又是まで数代の大蔵大臣に御接触申上たる有様とを申述べまして、更に現在に又未来に対する希望を附言するのは、蓋し無用の弁でなからうと思ふのでございます(ヒヤヒヤ)
此集会所の開けましたのは年久しい事でございますから、其昔を申すのは管々しうなりますけれ共、此団体に於ては従来屡々経済界の難関に当つて相議し相謀つて、財政に裨補したことは一・二にして足らぬと申上げても宜からうと思ふのでございます、例へば昔時不換紙幣の時分に之を兌換紙幣とするには如何にしたら宜しからうかといふて実に苦心致した、併し其時のことは玆にお出のお方は一人も御存知ないでありませう、唯斯く申す渋沢だけと申さねばならぬのでございますそれは明治十三年のことである、是等のことを管々しう申すは老人の繰言になりますから略しますが、明治二十七・八年の戦役に対し、若くは二十九年頃の国立銀行制度の変更に際し、又更に溯つて明治十六年に各国立銀行の紙幣交換法を制定するに際し、数へ来ると財政に対して経済界の力を致したことは、指を折り切れぬ程あると申上げ得られるやうに思ふのでございます、其時々の大蔵大臣に切に願ふても其意思を徹底せぬ場合もあつた、或は能う其事情を聴取つて呉れて大に情意通徹した場合もございました、蓋し時世時節でございますから皆同一とは申されませぬが、吾々金融に従事する者は独り我一身の営業のみを考へずに、飽くまでも国家的の事業たる事を忘れず経営致したと申上げたいのでございます、既往の経過は余り長う申上げまする必要はございませぬが、明治三十七・八年の最も紀念すべき大戦役、此事に対しては現大蔵大臣に於ても其当時の御職として、種々御心配遊ばされた事は申上げるまでもございませぬが、其の戦後の経営は前に申す時よりは、又一層困難と申さねばならぬ注意を厚うせねばならぬ時期であつたのでございます、丁度其の時期に当つて内閣が更迭を致したのでございます、玆に申上げたいことは数多ありますが先づ主なる点に付て申上げますると、明治三十九年に戦後の整理として国庫債券を二億円募りたいといふことが其時の当局者から出まして、吾々銀行者打寄つて種々評議をしましたが、折も折鉄道国有といふ問題が起
 - 第50巻 p.466 -ページ画像 
つた、此鉄道国有に対しては或は其不可を論ずる者もありました、又尚早しの説を申述べる者もあつた、既に内地に於ても十数億、海外にても十億以上の国債を募集したる今日に於て、更に五億に近き公債を発せねばならぬ、鉄道の国有を計画しつゝ尚且つ玆に二億の公債を募集するといふことは、政府の為され方が適当を欠きはせぬかといふやうな論まであつたのでございます、併し戦後の整理として是非必要であるからといふことであつたから、然らば鉄道の国有は如何にするかと当局者に問ふと、仮令鉄道国有は行ふても公債の発行をば時を延ばすから諸君余り懸念をすなといふ慰諭説で、遂に二億の公債は銀行者が大に力を奮つて之に応じて成就致したやうに記憶して居ります、然るに其後鉄道国有が履行されると共に追々に金融界は逼迫を告げて、国有鉄道の公債も未だ公債にはなりませぬが、後に公債になるべき株券でありながら、其価の日に増し下落すると云事は銀行者も鉄道会社も殆ど肝胆寒しと云ふ姿になりまして、之に加ふるに海外の金融界でも戦時に募つた債務を、果して日本は如何に処置するであらうかと云ふやうな疑惧の念が生じた如くに聞えました、此事は現に高橋男爵の如き其事に精通されたお人が此席に居られますから、若し精しく聴かんとするならば当時の有様は十分御説明があらうと思ひますが、今私の言ふ所は決して誇大に失する嫌ひはなからうと思ふのでございます果して然り四十年の冬になると此鉄道の株券、後に公債になるべきものが追々に下落して七十円台になりました、取も直さず国の価値が三割減つたのである、而して他の商業は如何であるか、三十九年には俄かに諸株券の値が奔騰したが、四十年の春夏の頃より急転直下の勢ひで下落をした、引続きて四十年の冬に至つては総ての商工業が沈衰して、誰も彼も気息奄々たる有様であつたのは、蓋し諸君お忘れはないでありませう、其年の十二月二十八日に玆に列席して居らるゝ早川君豊川君・園田君・原君・私五名の者が、各鉄道会社から篤い依頼を受けまして又銀行者側も大に心配されて(遂に其時の内閣総理大臣たる西園寺侯爵の駿河台の御邸に参つて、此財政は如何になりまするかと真に憂慮に堪へませぬ処からして、決して過激の言論は発しませなんだけれども国を思ふの余に五名打揃つて公債の下落は相当の救治をなさらねばいけませぬ、税制の整理もなさらなければいけませぬ、今日の儘では遂に国本が紊れてしまいますると申しましたのは私共涙と共に進言したのです、唯々政府に対つて囂々苦情がましいことを申して快を一時に取るといふが如き精神ではないのです、併し不幸にして其進言が徹底せなんだ、平たく申せば聴置くといふ一言に終了した、蓋しさういふお浅い考でお答へなさつたのでないことは承知して居りますが詰り時勢が吾々をして十分満足せしむることに為し得られませなかつたのでございませう、越えて四十一年の七月に至つて桂公爵の内閣が成立した、其間前内閣に於ても多少の御苦心はございましたらうが、併し其御苦心は十分に我々に徹底したとは申上げられませぬ、四十一年の四月頃其時の大蔵大臣松田正久君が此銀行倶楽部へ臨場されて、余り世間が騒々しいが少し心配が過ぎるやうだといふやうな御趣意の御演説がございました、其時私は如何にもさうでございませう、
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吾々甚だ近眼で十分に見通が附きませぬけれども、併し物の声あるといふのは必ず其平を得ねばこそ鳴るのである、韓退之が孟東野を送るの序に大凡物不得其平即鳴、金石之無声撃之鳴、草木之無声風撓之鳴以鳥鳴春、以雷鳴夏、以虫鳴秋、以風鳴冬といふことがございますると、諧謔の言語を以て諷剌したことを記憶して居ります、其時の世間の囂々は決して此集会所若くは手形交換所ばかりに限つたのではない一般に大なる声がしたといふことは定めて諸君も御記憶があらつしやるだらうと思ふのでございます、内閣がお変りになつても同じく其鳴は止まなかつたが、時に桂総理大臣は大蔵大臣を兼任されて吾々に相接触され、殊に公債政策に重きを置かれ、どうしても是は十分なる改善を図らぬと甚しきは内にのみならず海外に対して、日本政府の債務に対する信用は失墜してしまふといふ覚悟を以て余程攻究された趣でございます、多分其年の十月の末でもございましたか是は豊川君にお聴き下さると何月何日の何時であるといふことまで御承知である、私は記憶が悪うございますから其点は不十分でありますが、時の総理大臣兼大蔵大臣が御自身お出でが出来ないで後藤逓信大臣を御代理に此席へお遣はし下されて、公債政策に付ては此の如く取極めたといふことを明言されたのは、吾々は大早に雲霓を得たるが如く、今も尚喜悦して居るのでございます、公債は之が一段落で爾後段々整理を継続して参りましたから、其宜しきを得たかと思はれます、即ち昨年の正月になりましては一年以上の其方針の継続が、大に全体の有様に回復を与へて終に価格を騰貴せしめました、併し四分利借替の第一回・第二回・第三回と継続して参つた其顛末に付ては、果して十分宜しきを得たか否やは、私共にも尚疑問に属して居ると申さねばならぬのでございます、而して其頃我々銀行者の希望は公債政策は兎に角に其緒に附きましたが、さて第二に尚為さねばならぬことは政費の節約でございます、税制の整理でございます、政府万能主義の改正でございます、是等二、三を十分にお遣りなさらなければ戦後の休養を人民に与へることは出来ない、英吉利とか亜米利加とかの豊富なる国を御覧なすつても富むには富むべき根本がある、其の末は誰の目にも着きますが其本は悪くすると等閑に看過する、どうか末を見ることを止めて根本を造ることに御高配を願ひたいといふことを、百方当局者に申上げたのでございます、総て吾々の事業の意の如くにいかぬと同時に政治上のことも尚いかぬでありませう乎、公債のことは吾々の希望が先づ達したと思ひましたけれども、それすら前に申上げましたる通り満足とは申し兼る、況んや次に申上げる税制の整理とか政費の節約とか行政の整理とかいふやうな重要問題に於ては、御考慮御苦心はあらつしやつたに相違ないが、未だ著しく其成績は拝見されぬ様にありつゝ、玆に再び西園寺内閣が成立されたのである、而して其大蔵大臣は吾々の敬慕措く能はざる所の山本君であるといふ次第でございます、是に於て吾々は甚だ失礼の申上げ方でございますけれども、日頃深く信頼する所の山本君であれば、勢ひ吾々には同君に対して、どうぞ斯う遣つて戴きたい、斯様な方針を執つてお貰ひ申したいといふことは申上げざるを得ぬのでございます
 - 第50巻 p.468 -ページ画像 
職にお就きなさる早々に局外者が唯一方だけを観察して、種々なる希望を申上げる位其任に当るお方が煩さく感ぜらるゝことはない故に、私共も成るたけは御遠慮申上げたいけれども、併し世の諺に遠慮は無沙汰といふことがある(笑)、遠慮はしたいが無沙汰はしたくない故に無沙汰にならぬやうにするには寧ろ遠慮せぬ方が宜しからうと、斯う考へたのでございます(笑、拍手)、而して其希望の廉々を尽く之を列挙して申上げると限りないことでございますから、私は前来引続きたる要点に付き申上げますが、即ち我が民力は今日の有様に於て十分余力のあるものだ、取れば取り次第だといふ御観念は全然去つて戴きたいと思ふのでございます、若し其御意見を以て財政を御料理なすつたならば、悪くすると山本君の御時代に民力をして真に枯渇せしむるかも知れぬといふことを私は断言して憚らぬのでございます(拍手)、故に既に入る所に程度ありとすれば、どうしても出す所に節制する所なくんばあるべからず、成程東洋の昔の財政は量入制出であるが、是は野蛮的の財政である、量出制入の財政でなければならぬといふ議論は甚だ適当でございませうが、其入るを量るに於て宜しきを失ひましたならば如何でありますか、殆んど底止する所を知らぬことになりはしないかと私は恐れるのである、故に単に量入制出を論ずるではございませぬが、今日私共の観察する所ではどうしても此税制に於ては、大なる減省は為し得られぬか知れませぬけれども相当の整理をせねばならぬ、而して其整理といふは整理して増すといふ整理ではいけない、整理して減ずるといふ整理たらしめたいと思ふのでございます、又此公債の政策は、以前の内閣が斯る方法を以てせば二十七年半に於て現公債を償却し得られるといふ数字に依つて、減債基金も定め其年々に減債して行く割合も確立されておる、決して有ることではなからうと思ひますが、甚しきは軍備拡張の為め此減債の方法までも変更されやうかなどゝいふ説がございます、私共は其必無を信じますけれども、世の中には左様にまで杞憂する者がございますると、其杞憂は矢張私共をして又一層の杞憂を増さしめるのでございますから、是等のことは切に望み上げる、既に定まつてある政費にこそ節約を加へて戴きたいといふのに、反対に減債基金に節約をお加へなさるやうな、冠履転倒の御挙動は必ずあらつしやるまいとは思ひまするが、尚も其無からんことを確めたいのでございます、又此官業万能といふことでございますが、是は現内閣に対しては苦情がましく申上げるのではありませぬ、又吾々の力の足らぬのに、無闇に民業に移せと望むのではございませぬが、併し国家といふものは政府ばかりではなからうと思ふのです、畢竟民人を支配する為に在る政府である、然らば国家は矢張人民を重んじて下さるが相当であらうと思ふ、少し悪口の例証ではありますけれども王朝の昔はいざ知らず、鎌倉幕府以来今日迄の政治の経過を観察すると、国家といふものは武士のものであつたのです、武士が戦争をする殺伐の行動をする必要の具として百姓もあつたが町人もあつたのです、甚しきは婦人なども総て戦争の用具であつた、御覧なさい、当時の結婚は多くは政略的で愛情の籠つた婚姻はない、元亀天正の重なる武家の間に行はれた婚姻は皆政略的であることを見ても解る
 - 第50巻 p.469 -ページ画像 
でありませう、即ち知る、其親戚の婦人すら政権争奪の具に供せられて居つたのだから、況して百姓町人を戦争の用具にしたのは当然でございませう、其遺風は今日に存して居るのです、是れは余程御考慮を願ひたいと思ふのでございます、但し私は日清・日露の二大戦役を経て国家が此の如き進運をしたのは武人の力でありますから、其武人を尊敬することは諸君と共に怠らぬのでありますけれども、若し又其軍備の拡張が実に民力に大害を与へると恐れるならば、力を極めて防禦せねばならぬではありませぬか(拍手)、斯く考へますると今日の国論は、経済的にお考へ下されたる財政たらざるを得ぬと深く企望するのでございますから、前に申上げまする如く、公債政策と申し、税制の整理と申し、若くは行政の整理と申し、或は官業万能といふやうな有様に傾かざらんことに御留意あらんことを深く希望致すのでございます、而して此希望は現大蔵大臣たる山本君は、必ず私共の此憂慮を十分御了解下さると共に諒として下さるであらうと思ひますが、私は大蔵大臣たる山本君のみに諒として戴くのみならず、更に進んで現内閣の諸公に諒として戴きたいと思ふのでございます、尚一歩を進めて言ふならばどうぞ日本の国民全体に此希望を諒として戴きたいと思ふのでございます(拍手)
玆に大蔵大臣の尊臨を辱うしましたのを謝して其御健康を祝し、並びに次官始め大蔵省の諸閣下に対して盃を挙げたいと思ひます(拍手、起立乾盃)
    ○山本大蔵大臣の演説
閣下、諸君、今夕は銀行集会所・手形交換所・銀行倶楽部の三団体の諸君が、私等の為に此盛大なる賀筵をお開き下さいまして、斯の如く皆様がお集り下さいましたことは私等にとりまして非常なる光栄でございまして、諸君の御厚意に対し深くお礼を申上げまする
私が此度突然現職に任ぜられましたに就きまして、其責任の重大なることを考へて見ますると、我身に取りまして唯々恐懼の至りに堪へない次第でござります、御承知の如く又唯今渋沢男爵の御演説の如く、私は渋沢男爵初め先輩諸君の御指導に依りまして金融社会に多年身を委ねました身分で、此金融上経済上に就きましては誠に微力ながら多少の経験を持つて居るのでござりまするが、唯それが今日の地位に参りまして多少我身の楯として居ることでございます、又其外は微力短才ながら唯々至誠を以て仕事に当りたいと云ふことでござります、而して内に在りましては西園寺総理の指導の下で、又外に在りましては従来色々御配慮を蒙り共に経済社会で尽力致しましたる諸君の御同情に依りまして、我職責の幾分たりとも尽したいと云ふ覚悟でござります、私自身は斯の如き覚悟を以て今日の地位に立つて居る次第でございますが、今日の経済社会の状態は唯今渋沢男爵より是まで久しい間の御経験を以て、其の歴史をお述べになりましたので明かに判つて居りますが、如何に考へましてもお互に楽観的に日を送ると云ふ時代ではござりませぬ、実に各国競争の状態に照し又大戦役後の今日に於る経済財政の状態に考へ及ぼしますると、御互に為すべきことが多々ありまして中々枕を高うすることは出来ないであらうと思ひます、又其
 - 第50巻 p.470 -ページ画像 
上に世の進歩と共に種々為すべきことはありませうが、就中此殖産興業・貿易と云ふことは、最も努むべきことであらうと考へて居りまするが(拍手)、其殖産興業・商業貿易に直接間接に衝に当られ、而して実業の牛耳を取られて居りまする諸君の――是れまでも固よりでありますが、今後に於きましても施設経営に俟つことは実に多々あることと思ひます
私も今日の現職を拝命いたしまして働くこと又心得ることも今までとは多少違ひはありませうが、併し国家の為に尽し殊に此財政経済のことに尽すと云ふ点に於きましては、敢て是までとさう変つたこともあるまいと思ふて居ります、殊に渋沢男爵の演説の如く私は実業界から出た者であります故、其の方面のことに就きましては殊に利害を深く感じて居ることでござりますから、今後に於きましても従前よりは猶一層諸君の御同情に依つて、さうして此方面に於きまして力を尽したいと云ふ覚悟でござります(拍手)
それに就きまして渋沢男爵より従来の事情経歴を述べらるゝと同時に今後の財政の計画、就中税制整理とか或は行政を整理して政費を節減するとか、公債政策とか云ふやうなことに就て、御懇切なる御意見がございましたが、此点に於きまして私にも多少信ずる所がありまするし、又斯うと思ふこともありますが、今日に於きましては如何せん未だ諸君に対して斯々致しませうと云うて、玆に具体的に申上げるだけの自由を得て居りませぬ、併し地位を代へて今日私が政府外の者として、即ち渋沢男爵の地位になつて如何に考へるかと申しますると、矢張同じやうな考を以て同じやうな注文をするかも知れませぬ(拍手)、然し今夕は今申上げる通りそれらの点に付て意見を申上げることは出来ませぬが、今夕の御懇情に対しまして私は唯々誠意を以て事に当り諸君の御同情、諸君の御忠告に依つてさうしてベストの道を尽したい考でござります、一言我心得を申上げまして今夕のお礼を申上げ、且つ諸君の御健康を祝します(拍手、起立乾盃)
    ○早川千吉郎君の挨拶
閣下、諸君、今夕此三団体の宴会に新大臣閣下始め大蔵省の幹部諸君の御来臨を得ましたことは、実に我々三団体の者の光栄として深く感謝する所でございます、我々の代表者として渋沢男爵より御挨拶を述べられたことでありますが、同時に渋沢男爵は我々共の大に言はんとする所を代表せられ、殊に個人の資格を以て稍々激烈……と申しては少し何でありますが……痛快なる言葉を以て現在の状況をお述べになりました、少し当局者として之をお聞きになつたら如何にお感じになるか知れぬと云ふやうな考も多少起つたのであります、然るに山本大臣閣下に於きましては極めて懇切に……是まで数回の宴会に於てお述べになりましたことは新聞等に於て承つて居りましたが、それに比して余程お考のある所を今夕はお洩し下さつたと云ふことを、私は深く諸君と共に感謝するのでございます
現在の有様は決して楽観すべきものでない、或は政費の節減は尽すべきものである、又行政整理、財政の整理の点に就きましても、今夕は具体的に御意見を承はることは出来ませぬが、大にそれ等の点に就て
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御憂慮のあることだけは、明かに吾々拝察することが出来ると思ひます、具体的ではありませぬが御配慮のある所を承はることを得ましたのは国家の為に悦ばしきことで、今夕の会員一同と共に大にお礼を申上げるのでございます、一言玆に御挨拶を申上げて置きます(拍手)


竜門雑誌 第二八二号・第五六―五七頁明治四四年一一月 ○山本蔵相招待会(DK500100k-0004)
第50巻 p.471 ページ画像

竜門雑誌  第二八二号・第五六―五七頁明治四四年一一月
○山本蔵相招待会 東京銀行集会所・東京交換所・東京銀行倶楽部の三団体は、聯合して十一月八日午後六時より、東京銀行集会所に山本蔵相の新任を祝賀せん為め、同氏及び橋本次官、大蔵省各局長等を招待し、晩餐会を催せり、出席者は来賓山本蔵相、橋本次官、浜口専売局長、桜井関税局長、勝田理財局長、菅原主税局長、山崎国債局長、市来主計局長、塚田参事官、阿部・黒田両秘書官、森銀行課長を始め主人側青淵先生、高橋男、水町・添田・佃・志村・三島・豊川・佐々木・早川・三村・安田・池田・松方諸氏外百三十名にして、食後青淵先生は起ちて山本蔵相の就任を祝し、且演説欄記載の如き希望を述べたる後、杯を挙げて山本蔵相の健康を祝し、次いで蔵相は徐に立ち青淵先生及び列席者の好意を謝し、且つ其懐抱を述べて曰く
  ○演説前掲ニツキ略ス。
最後に早川氏は山本氏の栄任を祝すると共に、蔵相が税制整理及行政整理を念とせらるゝは国民の挙つて欣喜する所なるべしと結び、主客雑談に移り共に歓を尽し、午後九時半散会せりといふ。
  ○竜門雑誌第二八二号(明治四四年一一月)ニハ演説概略ヲ収載ス。



〔参考〕山本達雄 同先生伝記編纂会編 第三〇一―三一四頁昭和二六年三月刊(DK500100k-0005)
第50巻 p.471-475 ページ画像

山本達雄 同先生伝記編纂会編  第三〇一―三一四頁昭和二六年三月刊
 ○西園寺内閣時代
  一 勧銀総裁から大蔵大臣に就任
     桂お冠りを曲げる
 明治四十四年八月第二次桂内閣に代つて第二次西園寺内閣が出現、山本勧銀総裁は大蔵大臣に就任することになつた。閣僚の顔触れは、外務内田康哉、内務原敬、陸軍石本新六(後上原勇作)、海軍斎藤実、司法松田正久、文部長谷場純孝、農商務牧野伸顕、逓信林董、鉄道院総裁原敬(兼任)であつた。
 第二次桂内閣辞職の理由として、桂が苦槻に語つた処によれば、組閣当時計画してゐた戦時財政の整理、対朝鮮関係の確立(朝鮮合併)、条約改正であつたが、その何れも略々完成したから人心を新たにする意味で円満辞職をしたのである。施政満三年に及び相当の治績もあげたが、一方海軍の五十万頓計画、陸軍の二十五個師団案等、軍備充実問題があり、相当行き詰つて来たので一応清算する心算で退陣したのである。
 けれども桂は辞職に先だち、三度台閣に立つ日のことを計画して、種々自分に有利な手を打ち、後継者に西園寺を推薦し、下野しても宛然西園寺内閣の後見者か監視者のやうな立場を築いて置くことを忘れなかつた。従つて西園寺内閣は体裁のよい桂内閣遺産整理内閣の性格を持つて出現したことになる。だから閣僚の選定で最も重視されたの
 - 第50巻 p.472 -ページ画像 
は大蔵大臣である。西園寺は政友会総裁であるから、党内から物色すれば必ずしもその人なしとは言へないが、政党人では思ひ切つた仕事が出来難い場合がある。また官僚出身者を以てすれば旧套に泥んでこれまた大改革、大整理は期待されない。そこで財政経済に通暁し、而も相当の政治力ある者にして、周囲から謂れなき掣肘を受ける恐れのない者を物色せねばならぬ。この困難な条件に適合するものとして見出されたのが、山本勧銀総裁であつた。若し大胆なる観察が許されるなら、第二次西園寺内閣の中心であり、大黒柱となるものは大蔵大臣山本達雄だつたと言ひたい。
○中略
     井上、渋沢財政整理の意見書提出
 話は前に戻る。山本は日銀、勧銀と金融方面には相当の知己があつて、渋沢栄一などとも相当親交を結んでゐた。第二次西園寺内閣になつて海軍が尨大な拡張計画を持ち出すといふ話を聞くと、渋沢を初め金融界に異常な衝激を与へた。彼等はこれを井上馨に諮り、井上は財政の基礎を危うする軍備拡張など断じて不可として、渋沢を伴つて西園寺を首相官邸に訪問した。予算閣議紛糾を極めてゐる十一月二十日である。政府側は原と山本が列席した。その時井上が提出した財政意見書は大要左の如きもので、山本は思はぬ方面から救援軍を得たが、原としては党人たる立場から余りこれには賛成しなかつた。政府も井上元老の意見とあれば、匹夫匹婦の言とは違ふから捨てて顧みない訳にもゆかなかつたらしい。当時の金融資本家、事業家の意見を見る有力な資料である。
      財政整理意見書(抄略)
  我邦は前後二回の大戦役を経、国費は著しく膨脹し、国民の負担は甚だしく加重したり。然るに此間に於ける我経済発達の状況如何と顧れば此の負担の加重に対し之に伴ふ能はざるものあるを見る。
 今財政を整理し経済の発達を期する所以に於て最も急務なりと信ずる所の事項を左に列挙す。
   第一 国債の既定償還計画維持の事
  我が国債が経済の実情に照して頗る巨額に上り、単に之が利子の仕払に要する所のみにても年々約一億二千万円を支出せざるべからず。之が元金の償還を努むるは国民の負担を軽減すると同時に他日復已むを得ざる事故あるに臨み、募債の余地あらしむるが為に極めて重要のことなりとす。万一にも此の償還計画を変更するが如きことあらんか、啻に国民負担の軽減を期すること能はざるのみならず信を内外に失ふべし。是を以て四十二年度予算と共に決定したる償還計画は今後に於ても判然明確に之を維持遂行することを必要とするものなり。
   第二 行政整理政費節約の事
  我国民の負担既に重きに過ぎ、経済の発達之に伴はざる現時の状態にありては、国民の負担を多く軽減すること能はずとするも、之を増加するが如きことは必ず之を避けざるべからず。故に今日に於ては先づ努めて行政の整理を行ひ、之によりて政費を節約すること
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を為さざるべからず。之により得る所を以て第一に新規必要の経費に充て、剰す所を以て国民負担の軽減に充つるものとせば当局者の至誠能く国民の心情に貫徹し、国民亦奮ひて産業の発達を図り国力の伸張に努むべきなり。是れ行政整理経費節約を行ふことを今日に於て最も必要とする所とす。
   第三 大博覧会開設及議院建築等延期の事
  行政整理政費節約を必要とする今日にありて、不急の事業は断然之を見合せ以て経費の減少を図るは亦極めて必要のことなりとす。
 大博覧会開設の如き、一方多少の利益なきにあらざるべきも、之が為に国家及地方団体は巨額の経費を要し、得る所失ふ所を償ふに足らざるは明なり。又議院建築の如き、今日の庁舎を以て議事の進行に甚だしき支障ありとすべからず。暫く之が建築を見合はせ、他年国力充実の日を俟ちて之をなすも未だ遅しとせざるなり。教育上の施設に関する経費の如き国の負担に属するもの九百八十余万円の外地方団体の負担に属するもの四十三年度に於て七千百万円以上の巨額に上り、実に地方歳出総額の百分の二十八を占む。過重の負担なりと謂はざるべからず。事主として地方団体のことに関すると雖も中央教育行政の方針玆に至らしむるものなり。適当なる改革をなし国民負担の軽減を図るを急務とす。此他之に類似する事項あらば之により節約すべき費額の大小を問はず断然之が実行を怠らざるを必要とす。
   第四 税制整理の事
  我邦今日の租税は一般民力に比し重きに過ぐるのみならず、負担の不公平なるは明著なる所なり。此の如き税制を此のまま将来に維持すれば経済の発達を阻害するの虞あるものとす。国家須要の経費甚だ多き今日に於て仮令税制の改正を行ふも之によりて国民の負担に多大の軽減を見んことは或は之を望み難かるべしと雖も、少くとも負担偏重の弊は之を匡正するの途なしとせざるべし。此点に於て税制の整理を行ふこと極めて必要とする所なり。
   第五 正貨準備維持の事
  我邦は日露戦役以来巨額の債務を外国に対して負ふこととなりたるが為に年々巨額の利子仕払をなさざるべからず。即ち国債の利子六千三百余万円、社債及地方債の利子一千二百余万円に及べり。若し元金償還期に入らば更に其額を加ふるに至るべし。而して加ふるに連年の輸入超過を以てす。是故に国際の貸借関係等に於て正貨の収支上年々正貨支払超過の勘定となる額は大蔵省の計算に依るに公債の募集償還等一時的原因を除きて三十九年以後に於て、多き年は六千余万円、少き年も一千六百余万円を降らず、本年に入りて国債借款償還及満洲鉄道社債募集金の関係を除き、実際の受払を計算するに十月までに既に一億二千余万円の支払超過となり居れり。此勢を以てすれば年末に至らば支払超過額は一億三、四千万円の巨額に達すべし。然るに近来清国に於て革命を唱へ乱を為すものあり、之が為我が輸出貿易は著しき打撃を蒙りつつあり、今日の状態に於て推測すれば来年に於ても亦巨額の輸入超過を見るべし。本年の如き
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形勢を以て年々正貨流出するとせんか、本年十月末に於ける政府及日本銀行所有の正貨合計総額三億七千七百余万円は三、四年ならずして消滅することとなるべし。而して此の正貨総額の内二億千二百余万円は実に日本銀行の兌換券発行準備に属するものとす。此の正貨準備は如何にして之を維持することを得べきか。夫れ唯勉めて産業を振興し輸出すべき物品の生産を盛にし、又輸入品に代るべき物品を内地に於て生産することを努め、之によりて国際貸借の平衡を得しめ、以て之が維持を図るより外なきなり。固より突然巨額の外債を負ふに至りたる今日、一朝にして直に能く此の如くならんことを望むは期し難き所、而して又生産事業に要する資金の為に外資を輸入するは敢て不可なしと雖も、漫然確乎たる計画を立てず、負債に継ぐに負債を以てし、唯之にのみよりて正貨準備を補充するに努むるが如くんば、外国に対する正貨の仕払を年々増加し遂に救ふべからざるに至るべきなり。
   第六 輸出入の権衡回復の事
  我邦が過去戦役の為に巨額の外債を負担し之が元利償還の為年々巨額の支払をなさざるべからざることとなり、現今尚此の状況を持続するにつきては、我産業を振興し輸出貿易を増加すると同時に、輸入品に代るべき物を内地に於て生産し、国際貸借の権衡を回復すること極めて必要とする所なり。若し能く然ることを得ざるときは我邦は進みて列国経済上の競争に伍すること能はざるべきのみならず、退きて自ら守ること亦難きものあらんとす。此事につきては日露戦役終結以来上下の努力少しとせず、砂糖、生糸其他に於て多少の効果を見ることを得たるものありと雖も、未だ直に国際貸借の平衡を回復するに至ること能はず、之に関して施設経営を要すること尚甚だ多しとす。例へば輸出品に対し運輸交通上特別の便益を与ふる如き、輸出品の品質整粛を図るが如き、又海外に於ける新販路を拡張するに努むる如き、皆極めて必要のことなりとす。此等の生産的事業に必要なる資金を供給するが為に時に外資に依ることあるも亦止むを得ざるのことなりとす。此等の事に関しては更に十分の努力を加ふるを緊要とす。
   第七 官業経営の方針の事
  産業を振興し経済の発達を期せんとすれば官業経営は煙草専売の如き、鉄道幹線の如き公益上の必要止むを得ざるものに之を限ることとせざるべからず。然るに実際の状況を見るに、国が製鉄事業、製材事業、製絨事業の如きものを経営するのみならず、甚だしきは鉄道に付属せしめて海運旅館等の事業を経営するに至る。此の如きは民業を抑圧するものにあらずして何ぞや。今後官業経営の方針を改め、民業と競争するが如きは、勉めて之を避くることとし、公益上万止むを得ざる必要あるにあらざる限りは之を民業に移すこととすること最も必要なりとす。
  以上列挙した所の数項は今日の財政の整埋、経済の発達を期するにつきて最も緊要のことにして、直に之が実行を要する所のものなり。今や来年度予算編成の時期に臨めり。之が実行をなすは必ず此
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際に於て之を決定せざるべからず。是れ玆に之を開陳する所以なり
  ○右ハ刊行ニ際シ追補ス。