デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.488-490(DK500104k) ページ画像

明治45年2月27日(1912年)

是日、元田拓殖局総裁・白仁関東都督府民政長官内田台湾総督府民政長官等ヲ招待シテ銀行倶楽部第九十回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 明治四五年(DK500104k-0001)
第50巻 p.488-489 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年        (渋沢子爵家所蔵)
二月二十七日 雨 軽寒
 - 第50巻 p.489 -ページ画像 
○上略 銀行倶楽部ニ抵リ、晩餐会ニ出席ス、元田・内田・白仁・平岡・湯川ノ五氏ヲ来賓トス、食卓上各演説アリ、余モ○中略 演説ヲ為ス、食後内田台湾民政長官ヨリ活働写真ニテ台湾ノ農工業又ハ蕃地討伐ノ景況ヲ示サル、頗ル詳密ナリ、会員一同感ニ打タレ蕃地ニ在ルノ思ヲ為セリ、夜十一時散会ス


銀行通信録 第五三巻第三一七号・第六五―六六頁明治四五年三月 ○録事 銀行倶楽部第九十回晩餐会(DK500104k-0002)
第50巻 p.489-490 ページ画像

銀行通信録  第五三巻第三一七号・第六五―六六頁明治四五年三月
 ○録事
    ○銀行倶楽部第九十回晩餐会
銀行倶楽部にては二月二十七日午後六時より、元田拓殖局総裁・白仁関東都督府民政長官・内田台湾総督府民政長官・平岡樺太庁長官及湯川管船局長を招待して、第九十回会員晩餐会を開きたり、当日出席者は主賓合して六十余名に上り、晩餐後渋沢委員長の挨拶に続き元田拓殖局総裁より左の演説あり
会長渋沢男爵閣下並に諸君、本日は皆様の御集会の機会に於きまして各殖民地より上京されて居ります長官、並に湯川君の清国よりの御帰朝を好機と致しまして御招待になり、私も此席に陪することを得ましたのは洵に光栄に存じます
例として何か申上げることで有るさうでございますが、私は唯今渋沢男爵の仰せられた通に、決して銀行者のやうに気取つた訳ではありませぬが、不幸にして殖民地等は見ないのであります、自ら知つて居ると云ふやうな見識を以て見ないのでは無い、未だ機会が到来しませぬで、往つて見ようと望んで居つて見ないのでありますから、諸君の御参考に供するやうなお話は出来ませぬ、唯々本夕お招を蒙りましたことの御礼を申上げると同時に皆様に私はお願が有りますのは、どうも未だ此の帝国内で殖民地といふものに眼を注ぐ者が甚だ寥々として居りはせぬか、皆様の如き有識のお方は左様では有りますまいけれども併しながら何でも沢山資金を運転して銀行の利益配当を多くするといふことのみが諸君の業務――国に対する義務を尽す所以の道ではあるまいと思ひまするで、内地に於て日本国を繁盛ならしむるに御尽力なることは勿論でありますが、将来に於きましては一層進んで此の旧日本のみでなく新日本の殖民地に対して皆様の御着眼の大ならんことを望むので有ります、既に大でありませうが大の上に尚大ならんことを切に望むので有ります、是れより先の帝国の富は恐らく旧内地に非ずして殖民地より起ることで有らうと私は思ふ、又思ふのみでは無い是非さうして戴き度いといふことは多弁を要さない、今夕私共をお招き下さるといふことは、此点に諸君が御着眼あつて迚も来た所が参考には為るまいけれども、尚且つ吾々をお招き下すつたといふことで有らうと思ひまして、即ち殖民地に対して皆様の御着眼が一歩進まれたといふことの確実なる証拠で有るといふことを認めまして、洵に光栄且つ満足の至りでございます、で殖民地に対しましては御報告することが沢山ありませうが、殊に隣席の内田台湾民政長官、関東州では白仁君、樺太では平岡君、それそれ実地に就いて精しく御説明が有るだらうと思ひます、会長男爵閣下は余り長いと云々といふことで有ります
 - 第50巻 p.490 -ページ画像 
が、私はどうか男爵始め耳の痛くなる位に此の殖民地の実況を十分にお述にならんことを切望するのであります、それと同時に招かれたる所の客ばかりをさういふ酷い目に遭はせるといふことは礼に非ずと心得ますから、どうか皆様の抱負即ち殖民地に対する抱負を十分に御吐露下すつて、而して現在の職に居らるゝ当局者の意見、並に輿論とでも申しませうか、金融機関を掌つて居らるゝ有力なる諸君の輿論といふものを両方拝聴致しました上で、甚だ不肖で有るけれども間違はぬやうに此の輿論と当局者の意見を旨くやつて行きたいといふを、心窃かに期し居ります、どうか皆様の御意見を拝聴致したいと思ひます
終に臨んで私は此間から自分の智恵では無く、人から話を聞いたのでありますが、対岸の清国昨今の形勢は御承知の通であります、前途如何に終局するで有らうか、袁世凱といふ人が大統領となるといふことで有りますが、非凡の豪傑で有りますからさうなることで有りませう併しながら清国の四億五億の人民の風俗其他人情の赴く所といふものは、確かに保証して変化を来して居るといふことは、私が発案ではない我国識者の輿論で有ると信ずる、而して此輿論といふものは決して誤つて居らぬといふことを信ずる、此経済なり風俗なりの一転化を来す点に付きまして、どうも内田外務大臣が旨く遣るとか遣らぬとか、いふことのみ唱へてお出なさるのは、帝国の金融機関の中心となつて居る諸君の為すべきことで有るまい、諸君は自ら進んで、此清国の思想、風俗其他諸般の改革を見るべき風潮に対して、我帝国の天職は何れに有るかといふことをお考になりまして、政府の外交は外交であるが、吾々は帝国政府が此清国の変動に対して、清国の経済なり貿易なりといふものゝ実権は、吾々が持つて居るので有るといふ御覚悟を持つて、着々準備を為されて、どうか後れを取らぬやうに切に希望致します、余り申上げぬ積りでありましたが、まだ昔の癖が取れぬでこゝまで述べました(拍子)、終に臨で、渋沢男爵始め皆様の御健康を祝します(起立乾盃)
夫より白仁・平岡両長官及湯川管船局長の演説あり、終て渋沢委員長より演説に対する謝辞を述べ、更に別室に於て内田長官の台湾事情に関する幻灯・講話あり、午後十一時散会せり○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四四年(DK500104k-0003)
第50巻 p.490 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四四年           (渋沢子爵家所蔵)
十二月二十五日 晴 寒
○上略 銀行集会所ニ抵リ○中略 久摩俊泰氏ヲ集会所書記長ニ任スル旨ヲ、雇員一同ヘ諭達ス○下略



〔参考〕渋沢栄一 日記 明治四五年(DK500104k-0004)
第50巻 p.490 ページ画像

渋沢栄一 日記  明治四五年           (渋沢子爵家所蔵)
三月六日 雨 寒
○上略 十二時銀行倶楽部ニ抵リテ午飧ス、畢テ久摩氏ト要務ヲ談ス○下略
三月七日 曇 寒
○上略 再ヒ事務所ニ抵リ、久摩俊泰氏・宇野氏等来話ス○下略