デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2020.3.6

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.494-502(DK500107k) ページ画像

明治45年6月26日(1912年)

是日栄一、東京銀行集会所ニ於テ開カレタル、桂公爵一行送別晩餐会ニ出席シテ、演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第五四巻第三二一号・第六〇頁明治四五年七月 ○録事 桂公爵一行送別晩餐会(DK500107k-0001)
第50巻 p.494 ページ画像

銀行通信録  第五四巻第三二一号・第六〇頁明治四五年七月
 ○録事
    ○桂公爵一行送別晩餐会
京浜間の有志銀行家は、六月二十六日午後六時より東京銀行集会所に於て、桂公爵一行を主賓とし市内の有力なる実業家を陪賓として送別晩餐会を開きたり、当日出席者は合計六十八名にして其氏名左の如し
  来賓
 桂公爵    後藤男爵    若槻礼次郎  杉梅三郎
 畑英太郎
  陪賓
 高橋男爵   水町袈裟六   志村源太郎  佃一予
 三島子爵   井上準之助   近藤男爵   加藤正義
 三井男爵   豊川良平    益田孝    中野武営
  主人側
 渋沢男爵   佐々木勇之助  石井健吾   安田善四郎
 清水虎吉   松方巌     成瀬正恭   山口荘吉
 大谷嘉兵衛  中沢彦吉    池田謙三   長鋒郎
 三村君平   瀬下清     菊地幹太郎  松尾吉士
 宮川久次郎  鈴木島吉    早川千吉郎  池田成彬
 米山梅吉   安田善次郎   安田善八郎  安藤浩
 吉田幸作   吉田源次郎   岩田音次郎  安田善助
 稲延利兵衛  小池国三    河合徳兵衛  小川貞一
 左右田金作  諸葛小弥太   浜口吉兵衛  永見勇吉
 村井吉兵衛  村井貞之助   三好海三郎  佐竹作太郎
 内藤尚    益子右馬助   古山数高   佐藤鹿蔵
 迫田七郎   加納友之介   山成喬六   関宗喜
 森下岩楠   山中譲三    久万俊泰
斯くて一同食卓に着き宴酣なる頃、渋沢男爵主人側を代表して一場の挨拶を為し、続て桂公爵及後藤男爵の演説あり、最后に、豊川良平氏亦一場の演説を為し、夫より記念の撮影を為したる後、席を別室に移し各自歓談の上午後十時散会せり


銀行通信録 第五四巻第三二一号・第三二―三七頁明治四五年七月 ○桂公爵一行送別会晩餐会演説(明治四十五年六月二十六日銀行倶楽部に於て)(DK500107k-0002)
第50巻 p.494-502 ページ画像

銀行通信録  第五四巻第三二一号・第三二―三七頁明治四五年七月
 - 第50巻 p.495 -ページ画像 
 ○桂公爵一行送別会晩餐会演説
         (明治四十五年六月二十六日銀行倶楽部に於て)
    ○渋沢男爵の演説
桂公爵閣下及後藤男爵・若槻礼次郎君、其他臨場の閣下諸君、今夕は私共銀行集会所有志者の申合せを以ちまして、公爵御一行今般の御旅行を御送別致す為に此小宴を設けた次第でございます、御出立間際の御繁多中にも拘はりませず、御繰合を頂きまして我々の請をお容れ下されたのを一同深く感謝致します、殊に皆様御打揃ひ尊臨を得ましたのは一同の光栄此上もございませぬ、取立てゝ御送別申上げまする言葉はございませぬけれども、平生我々銀行者は公爵閣下・後藤男爵・若槻君には種々御懇命を蒙り居りまするので、今日お別れを致すに付ましては親しく謦咳に接して、一夕の歓をお尽しを願ひましたならば我々の心遣りにも相成ることゝ思ひまして爰に小宴を設けたのでございます、而して私は此会の代表者と致しまして、閣下及御随行の諸君に一言御送別の言葉を述べようと思ふのでございます
公爵閣下の爾来公に尽された御経歴は、独り政治界・軍事界を賞讚し上げるばかりではございませぬ、経済界に対しても深く御心を留められました、其初めは乃公は「サーベル」だから算盤はいかぬと云ふお触込でございましたが、段々御熟練の末「サーベル」は変じて算盤となつて、我々の算盤屋も常に三舎を避けるやうなお方となつたと申上げても決して諛言では無からうと思ふのでございます、殊に長い間内閣の首班に居らせられて、又其時は最も我が帝国の困難な場合で有つた、此重要の期間を鋭意御精励遊ばされて今日あるを致されたのでございますから、公爵御自身は今日の御旅行を漫遊だと仰せられる、如何にも其形式に於ては漫遊に相違ない、併し国家の重きを任ずる偉人には仮令漫遊たりとも官遊たりとも、其辺には内外の人が余り差別をしますまいと思ひますれば、即ち我が帝国の為に重大なる責任をお持になつて此御旅行をなさるものと御自覚も有らつしやいませうが、縦しや御自覚はなくても所謂世間が左様に理解すると思はねばならぬのでございます、斯る功績有り名誉有るお方が我締盟諸国を緩悠なる時間を以て御漫遊遊ばして、或は国際の交情を温め或は其国の状況を御視察遊ばすと云ふことは、独り海外の人が注視するばかりで無く、我が国民一同も或点からは早く御帰りを望みますけれども、或点からは又其御勤労は謝し上げまするも、国家に裨益する所は頗る重大で有らうと深く悦びまするのでございます、露西亜に英吉利に仏蘭西に独逸に其他諸国を御巡廻で、定めて到る処に於て或る機会に遭到したならば隠然難局を御解決なさることも有るで有らう、又或る事柄に接触したならば其蘊奥まで御研究下さるで有らうと思ひますから、実に此行や御漫遊にして又国家に対し大に裨益する所が有るで有らうと深く期待し上げるのでございます、併ながら向後半年位はお目通することも出来ぬとすれば、今日至つて無事なる時代ではございますけれども、我帝国をお離れなさるに臨みては公爵御自身にも将来我国の事物は斯く有りたいと云ふ御希望も有らう、我々も亦お別れに臨んで斯う考へまするが如何に思召まするかと一言を述べて、賢慮を伺つて置く必要
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も有らうと思ふのでございます
前にも述る通り、公爵には数年の間財政のことを御担任遊ばしましたが、忘れも致しませぬ明治四十一年の十月でございました、我々銀行業者が此席に御招待申上げました所、桂公爵御自身はお出がなくて恰も後藤男爵が代りにお出下さつて、帝国の公債政策は未来斯く致さうと云ふことを仰せられて、其覚書を朗読せられたことは私共の頭脳にチヤンと存して居ります、而して其席も所変らず此食堂で有つたのでございます、斯様な公爵なり男爵なりでございますから、私共が今夕此送別会に於て我本領たる日本の財政経済に就て、宿昔の希望を陳情致しますることは、決して無用の弁ではなからうと思ふのでございます、但し斯く申上げると公爵は今閑散の位地にござる、当局者が有るからそれに請求するが宜からうと仰せられるでございませう、私共は無論当局者にも十分に希望して居るので有る、而して当局者も必ず我我の意を諒として下さるであらうとは信じて疑ひませぬけれども、仮令当局者が然う思うて下さることを信ずるにもせよ、前に申しまする通り重きを荷ふ公爵にして、半年以上我国をお離れなさると云ふ場合で有れば、目下の経済界の現況は斯様である、未来は斯う思ふと云ふことを申上げるのは、公爵がこれを厭ふと云ふ感じをお持なされぬで喜でお聴き下さることゝ思ふのでございます、事長く申上ぐるまでもございませぬが、公爵の御在職中三十七・八年以後の我経済財政の状態は、実に非常の増進と申して宜しい、併し此非常の増進と云ふことが全く国の実力に伴ふたる増進であるか、或は余儀なき勢から玆に至つたので事実の力は其処までは進み得られぬと云ふので有るか、最も推察を要する点と思ひます、此銀行集会所の人々が残らずが打寄つたではございませぬが、其中の或る部分と、一方には自身銀行業者に居りませぬ諸君と相共に昨年新内閣の組織された時に、財政経済に対して大に憂慮する点がございましたに由つて、再三相議して、昨年の予算の御決定にならぬ前と考へて、同志者の総代として斯く申上ぐる渋沢が現総理大臣の官邸に出て、大蔵大臣・内務大臣お揃の所で未来の財政経済に就て愚見を陳情したことがございます、其要点は七箇条に区別して種々なる事項を陳述しましたが、帰着する処は前に申述べました通り、世の事物は大に増進して参つたが其増進は他の勢ひに乗じたもので有つて、どうも国の実力が其処まで進んだとは思はれませぬ独り感想のみで申すではございませぬ、事実が左様だと申上げ得られる、例へば明治二十六年の租税の高は幾許で有る、而して其時の歳出の高は幾許で有る、又其時分の輸出入貿易の数は幾許で有つた、国債は幾らで有つて其後三十七年頃は幾らで有つて、四十四年の今日は幾らで有ると云ふことを数字を挙げて見ますると、国費の膨脹が他の増進よりも二割も三割も増して居ると云ふことが明瞭に現はれまする、例へば四十四年の輸出入貿易額が九億になつた、其九億は二十六年と比較すると、四倍の進みで有るけれども、国費の進は殆ど七倍に相成つて居ると云ふが如き数字を表はして居る、斯くの如く国費の額のみ他に超越して進んで参ると、遂には其究極する所は公債は益々内外に向つて増加するばかりで、不祥の言には相成りますけれども、其極や
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遂に兌換制度を維持することも如何有らうかと云ふ疑念を生ずるやうに相成ります、両三年来の貿易の有様を見ますると、年一年に輸入が超過して、諸物品は年を逐うて益々高くなるから、一方からは大層景気が好いやうに見えるけれども、国富の実力が外面に現はれるのと同様な景気とは何うも思ひ得られぬ、故に今日の場合、国家の経営としては第一に債務即ち公債に対しては、どうぞ四十一年に定められた減債基金を動かすべからざるものとして、確実に償却することが肝要で有る、又税額の甚だ加重なるは一般の人情を緩和する所以で無いと思ふ、殊に戦争の時に定められた臨時税が其儘継続して居ると云ふことは、租税の権衡宜しきを得たとは申されぬ、故に世間税制整理と云ふことは上下挙て論じて居る、どうぞ政府に於ても十分に調査してこれを減額する様に願ひたい、諸官庁の事務が世の進歩に従つて膨脹を重ねて居る、其間には繁文縟礼の弊が加つて来る、斯の如きは大に之を改正する必要有りと信ず、故に行政を十分に整理して此間に国費の減少を見得らるゝことが出来るで有らう、目前に或は必要と云ふかも知れぬけれども、先づ不急と思ふことの重もなる費用は此場合に御節減有れかしと思ひまする、又官業の頻りに進んで往くやうに感ぜられまするが、是は成るべく民業に移すやうに有りたい、蓋し其間に行政整理の事実が生ずるであらうと思ひまする、殊に希望致しまするのは減債基金である、此減債基金は今申上げました如くに当時鄭重なる廟議で定められたもので有りますから、若も是が謂はれなく動くやうなことが有つたならば、遂に国の信用を内外に毀損するやうになりはせぬかと恐れます、当局の諸公は只管玆に御注意を請ひたいと云ふことを極言したのでございます、果して我々の希望を総て御採用になるや否やは分りませぬが、大体に於ては其申したる覚書は之を諒とすると云ふことを示諭されまして、我々も聊か安んじ居りまする、果して其事が画餅の如く食べることの出来ないものになるだらう、又は人の悪口する如く内閣の信玄袋の中に這入て仕舞ふものとは思ひませぬ、必ず有効になるで有らうと信ずるので有ります
財政経済の整理に於て、不断御訓言をも受け愚見をも陳述した公爵閣下が今海外へ御旅行遊ばすに付ては、我々は将来を斯く思うて居りまするが閣下には如何お考へ遊ばしまするか、多分我々の意を諒とせらるゝで有らうと云ふことを申上げまするのは、決して愚痴又は杞憂では無からうと考へるのでございます、斯く申すと何やら内に深い心配が有る如く憂の言葉を以て其行をお送り申すやうに相成り、一夕の歓をお尽しなされたいと思つたことが、却て、一夕の憂を増すやうになりはせぬかと思ひまするが、天下の憂を以て我憂とする公爵閣下は、唯々一時の気休めは決して真成の御言葉にはなりますまいと思ひます故に我々斯の如く国を憂ふると云ふことをお聴き下さるを楽しみとなさる公爵と思ひますから、敢て真率に財政経済に付ての切実なる企望を申上げたる次第でございます
此行や桂公爵閣下・後藤男爵閣下・若槻君の如き我々が深く敬慕し上げる方々の御漫遊で、海外に於ては前にも申す通り或は交情を温め或は視察に勉め到る処其効果は蓋し少々で無からうと思ひますから、御
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帰朝の際には充分なる効果を御持参下さるで有らうと期待しますけれども、併し常にお親しく願つて居つた斯の如き有力な方々に暫時の間たりともお目に懸りお話を伺ふことの出来ぬのを頗る遺憾に思ひまするが、軈て御旅行を終へて多くのお土産をお持帰り下さることゝ思ひますれば、悦んで此行をお送り申上げたう存じます(拍手)、私は諸君と共に杯を挙げて公爵閣下其他諸閣下の健康を祝します(起立乾盃)
    ○桂公爵の演説
閣下、諸君、今晩は私共此度海外に漫遊を致しますることをお聴取下され、此盛大なる殊に有力なる諸君に依て催されたる送別の宴に陪するの光栄を得ましたのは、私の最も感謝に堪へぬ次第でございます
御承知の如く私共は昨年重職を辞しまして以来、先づ身体も相応に壮健に居るのでございます、又私の如きに至ましては海外漫遊のことを企てましたのは今度で三度目でございます、此の前は不幸にして両度とも其目的を達せずして終りましたが、此度は唯今申上げまする如く幸に身体も健康でございまするし、又内外小康を得ました折柄でございまするで、此処暫くの間は心置なく漫遊を為し得る時機で有ると認めましたので、後藤男爵・若槻礼次郎君、其他諸君と共に来月初旬を以ちまして、彼の地に向つて旅行を致すことに決定を致しました
世の伝へまする所には、或は何か私の旅行に付きましては、独り漫遊でなく何等かの御用めきたことでも持つて往きはしないかと云ふやうな、故意で有るか或は真実疑ふので有るか、噂を聞及ぶやうでございますが、此度の行が真実漫遊で有ると云ふことは此席にお出に相成つて居りまする所の諸君は、無論御承知下さることで有らうと思ひますが、幸に今晩は予て御懇命を辱なう致しまする此有力なる諸君の御会同の席に於きまして御吹聴を致して置くのでございます、併ながら唯今も渋沢男爵よりお述に相成りました如く、不肖過去の十年間最も重大なる事件の発生致しました時に重任を辱う致して居りました為に、人或は私の考へまする如く老書生の旅行と見ずして、従前其重職に居りました所の場合を顧みて想像を下される向もあるかと考へられるやうでございます、故に漫遊ではございますけれども私の無責任中に持ちまする所の責任は十分に心得て此旅行を致す積りでございます
又渋沢男爵は私が予て御懇命を蒙つて居りまする為に、今晩の御会同に際しまして財政等に付て縷々御陳述に相成りました、私も御承知の如く数年政府の首班に立ちまして重職を辱う致して居りましたる其一部分は、諸君と共に屡々御協議を致さねばならぬ所の、即ち財政の局に立つて居つた次第でございます、故に渋沢男爵に於かれましては唯今お述になつた如く、其方面に於きまして諸君と相憂へ相語り相協同致して執つて参りました所の、此財政経済の調和の点に付きまして唯今の御陳述があつた次第であると私は考へるのでございます。男爵は種々御意見を述べられました、既に其事柄に付きましては政府当局者に対して懇々御意見も御陳述になつたやうに承りましたのでございます、又渋沢男爵の申されまする所に拠りますと、深く諒したと云ふそれに対する当局の回答も有つたやうに承ります、故に多分男爵其他総ての御希望通り当局に於かれまして深き注意を加へて、調査実行を致
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さるると云ふことは男爵と共に私も信じて疑はぬのでございます、中に就きまして男爵の最も重きを置いて御陳述に相成ました公債整理基金の問題に付きましては、私先般内閣の首班に立ちました当時、大蔵当局の責任を持ちました時に、丁度男爵の仰せの如く此席に於まして其財政計画に対しまする卑見を――不幸にして私が病気の為に出席し能はなかつた為に、後藤男爵即ち今晩此席に居られる当時の後藤逓信大臣に委託致しまして、私の卑見を諸君の前に御披露を致すに至つたのでございます、爾来此計画は私に於きましては決して誤つて居らないと云ふ考を持ちまして始終実行し来つたのでございます(拍手)、此点に就きましては諸君と意見を全然同じく致して居ると云ふことは是亦信じて疑はぬのでございます(拍手)、斯の如き次第でございますが故に無論何れの場合に於きましても、此問題に付きましてはお互の意見の異ることは無いであらうと云ふことも、是亦信じて疑はぬ次第でございます
諸君、此場合に於きまして尚一言陳述致しまして、暫くの間諸君と相見るの機会を得ませぬ為に、御参考として遺して置くことが出来ますれば此上もなき幸と思ふのでございます、諸君、此公債整理と云ふことは諸君も御承知の如く国家の信用に関係を致すことでございます、先年私が就職を致しました際は諸君も御承知の如く、此国家の信用の上に就きましては憂慮すべき有様にございましたが故に、先づ以て此公債の整理即ち国家の信用の回復を図ることに着手致した次第でございます、併ながら事は是のみを以て完全とは申せぬことは私も信じてゐるのでございます、御承知の如く明治も既に四十五年、其間国家の発展と共に経済財政の点に於きましても、若し他の語を用ゐて申すならば或る場合に於きましては已むを得ず膨脹を致したと云ふこともあるのでございますが、先づ国家の発展と共に已むを得ないことであつたと云ふことも亦、お互に能く考慮致さなくては成らぬことゝ思ふのでございます、併ながら一方に於きまして能く省み能く図りまして、時々本に還ると云ふことは必要で有ると考へる、即ち整理を要すると云ふことは最も必要のことゝと考へるのでございます、或は本を堅くすると云ふことは一時は遅く見えましても、其基礎を堅く致して進みまする以上は、必ずや終に至つては全きを得る次第と存ずるのでございます、故に私の希望を致して居りました所は、一方に於きまして国家の信用を回復すると同時に、之に次ぎて諸般の整理を致すことが最も必要であると信じて居つたのでございます、然るに昨年私が病気を持ちまして此重任を辱う致し、遺憾ながら事情已むを得ない場合に立至りまして辞職致しました後、当内閣が組織されまして本年の議会に於て既に発表に相成りました如く、丁度私の希望を致して居りましたる所の、一方に於きましては財政の整理、一方に於きましては行政の整理といふこの方針を今日の政府も執られたやうでございます、是れ即ち取も直さず私の希望して居りましたる、国家の信用を回復するに次ぎて整理が必要で有ると云ふ考は、幸なるかな当局者も玆に見られる所がありまして、其方針を執つて、今日承りまする所に依り或は又想像を致しますれば、孜々として此点に向つて調査相成つて居るやう
 - 第50巻 p.500 -ページ画像 
でございます、多分渋沢男爵の先刻お述べになつた如く、男爵其他諸君の御希望の如きも其目的を達し、又私の希望致して居りまする点も必ず其目的を達し得ることであらうと信じて今日私は此の旅程に上るのでございます、要するに国家の信用を回復すると共に之に次ぎて国家の整理を致すことが最も必要で有ると云ふことが、唯今申しました所の眼目でございます、此第一の眼目に於きましては諸君と共に既に過去に同心協力実行し参つたのであります、第二の点に就きましては孜々として当局者が今着手に相成つて居るのでございます、即ち取も直さず吾々の希望が達し得て、而して良報告を吾々海外に於て受取ることゝ信じて疑はぬのでございます、諸君も多分その辺の御希望で有ると考へるのでございます、諸君暫くのお別れでございますが、仮令暫くのお別れに致しましても、所謂数千里の波濤を超えますので諸君と其場所を異に致しまする次第でございます、どうか諸君に於かれましても益々御健康を保たれ、私共幸に無事帰朝を致しましたならば、又諸君と共に今晩の如き歓を尽さんことを、今より希望して已まぬのでございます(拍手)、玆に盃を挙げて渋沢男爵閣下及諸君の御健康を祝します(起立乾盃)
    ○後藤男爵の演説
今晩は誠に有難うございます、実は私は方々廻つて来まして斯の如き失礼の装で罷出ましたけれども、渋沢男爵のお許を得て最も寛大なるお扱を感謝致します、之を以て西洋に往つても公爵に随つて往つて斯の如き無礼をすると云ふやうなお考の無いやうに願ひます、是で恥の掻き終りと致します、お詫と一緒に御礼を申上げます(拍手)
    ○豊川良平君の演説
渋沢男爵の御挨拶が有り又桂公爵閣下の御答辞が有り、それに続いて後藤男爵の簡単なる御答辞が有りました、さうすると是で済んだ訳で有りますから、次のお座敷へ移る順序で有りますが、早川・池田等の諸君から是非立てと言はれ、又桂公爵・渋沢会長からも是非立てと仰しやる、して見ると立たぬのも会長に御無礼又正賓にも御無礼と思ひまして爰に立ちました
桂公爵閣下と此銀行集会所は離るべからざるもの、又後藤男爵も此家と離るべからざる関係が有ると思ひます、思ひ回すと二十七・八年戦役の際に三千万円の公債が出来、続いて五千万円の公債が出来た、其時には無論外債では無い、否、外債は出来なかつた、ところで先づ是でお仕舞になるで有らうと云ふことは政府当局又民間の有力者も考へて居つた、其時の第三師団長は誰であつたかと云ふと即ち今日の正賓桂公爵で有る、第三師団が宋慶の大軍を缸瓦寨に破つた時に、第二回の軍事公債五千万円募集のことを此銀行集会所で発表したので有ります、からして之が軍事と公債、桂公爵と銀行集会所とは離るべからざる第一の因縁であります、第二に離るべからざることは三十七・八年の戦役、時の総理大臣は桂公爵で有る、第一国庫債券、続いて第二国庫債券の募集は工合好く運んだ、のみならず一方は第一軍が鴨緑江を渡り、一方は閉塞隊が旅順口を塞いだと云ふやうなことが高橋君に援助を与へて外債募集も又成功した、扨さう云ふことの音頭取は誰かと
 - 第50巻 p.501 -ページ画像 
云ふに矢張り桂公爵である、桂公爵は此部屋で数度の御演説が有りました、確か戦争半ばで有つたと思ひますが、進んで極楽に往くか退いて地獄に往くか、寧ろ進んで極楽に往く道を求めなければならぬと云ふお話が有つた、是は諸君は定めて御記憶で有らうと思ふ、斯く申して見ると桂公爵と此銀行集会所の関係は離るべからざるもので有る、第三はどうかと云ふと、四十年から四十一年に懸けて御承知の如く銀行業者は大分心配をした、それは何で有るかと云ふと、金融上から又一は鉄道が国有になつて公債が下落して前途はどうなるか分らぬ、そこで手形交換所でも心配を致して調査研究の上政府に建白に及んだ、丁度四十一年の八月中旬と記憶します、西園寺内閣が潰れて第二の桂内閣が出来た時で有る、越えて九月の十五日桂総理兼大蔵大臣を御招待した、其時同大臣は御病気で御出席の出来なかつた為に、桂公爵を代理して後藤逓信大臣が此席にお出になつて施政の方針、財政の方針を御演説になつて、減債基金を設けることに成つた、其は政府の意見と民間の意見と相一致して減債基金と云ふものが出来たので有ります残るところは鉄道の株券を公債にすることで有る、即ち其公債と云ふものは信用あるものに為なければ成らぬ、之が国家の「メートル」で有る、公債に信用が無ければ国は立たぬ、のみならず内地人も不安の念を起す、総理大臣の官邸で若槻さんも御列席で有つた、渋沢男爵と与に桂公爵にお尋ね申上げた所が、是は国是として遣らう、自分は朝に立つと野に在るとに拘はらず此事に付ては諸君と行動を一にしようそれとも是以上に良案が出れば亦変化するかも知れぬ、今のところでは是以上に名案が無いと思ふ、国家の「メートル」が定まらぬでは何事も出来ぬから此「メートル」を定めることに付ては、自分は野に下つても遣ると斯う云ふことで有りました、之が桂公爵の銀行集会所と離るべからざる第三の関係で有ります、又後藤男爵が此銀行集会所と離るべからざる関係は、丁度桂さんの施政の方針をお読みになり其後鉄道公債に付て数回銀行者と相談が有つて先づ立派な公債となつた、是は後藤男爵の銀行集会所と離るべからざる関係で有る、若槻君に至つては説明の必要は無い、勿論離るべからざるもので有る、三人とも離るべからず、それから此度お三方が御洋行なさるに付て御招待を申上げました所、離るべからざる関係を思うて斯くお揃ひでお出下されたと云ふことに付ては――私は間違ひました、今日は私は陪賓の資格で有ることを忘れましたが、定めて渋沢会長は勿論早川副会長も御満足のことゝ思ひます、何れ遠からず麗しいお顔をしてお帰りなさると是亦此集会所と離るべからざる渋沢男爵が一同を代表して御歓迎なさるで有らうと思ひます
実は是から少し御注文ではないが申上げたいことが有る、明治三十年で有つたか日本経済会で故伊藤公爵、西郷・井上両侯爵及大隈伯を上野の精養軒へお招き申したことが有る、公伯両方共になかなか御一緒にならぬ方で有つたが参らうと云ふお話、其時に西郷さんは両横綱の立合を見に来たと仰しやつたことが有る、それは措て丁度伊藤公爵のお出になつた日が宮様のお附に成つて洋行なさることの発表の日でございました、其時に伊藤さんのお話中に乃公は立つが後に大隈が居る
 - 第50巻 p.502 -ページ画像 
から安心して往くと仰しやつたことが有る、それを思ひ回して見ると桂さんの今度お出になりますのは矢張り伊藤公がお立ちになつた時のお心持と同じであると云ふ感を起すので有ります、矢張りあの時と同じ意味で西園寺侯爵が後に居らるゝから自分は往つて来ると斯う云ふ訳で有らうと思ひます、殊に桂公は曩に二十七年の戦争をなされ、又日露開戦中は政府の首脳に立たれ、尚戦後の財政を此処まで整へられた、其経験を聴きたいと云うて政治家・学者・財政家があべこべにお聴きになりはせぬかと思ふ、又それを利用するの機会も有らうと思ひます、どうぞ其お土産話は五箇月・六箇月の後に十分御持帰りの程を今より楽んで居ります
終りに臨みまして後藤男の先刻の御演説は余り簡単で満場の諸君も定めて不満足と思ひます、改めて私から願ひます、後藤男はモー一度立れて長演説を為されんことを希望致します、然らずんば会員を侮辱したものと私は認めます(笑声大起)、之を以て一言陪賓側から桂公爵・後藤男爵・若槻君諸閣下の御健康を祝します(拍手)
    ○後藤男爵の挨拶
どうも遂に又爰に諸君の清聴を汚すに至りましたが、何等私は申上げることはございませぬ、此度桂公爵に随つて往きまするのは非常なる幸福の機会で有りまして、是に依つて私は欧羅巴人の見たる日本と云ふことに就て幾分の見識を得ることが出来ましたならば、或は将来諸方面に対して必要なる場合に諸君の御意見を承はりまして、之を利用し得るであらうかと云ふ位のことで有ります、他に何等抱負は無いのでございます、詰り私は斯う云ふ機会に往くだけの仕合せを持つて居ると云ふより外に何も無いので有ります、又帰つて来た時にお話を致すと云ふ是だけのお約束を致してお詫を致します(拍手)