デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.509-512(DK500113k) ページ画像

大正2年1月(1913年)

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『財政経済に関し新内閣に望む』ト題スル論文ヲ寄稿ス。


■資料

銀行通信録 第五五巻第三二七号・第一―四頁大正二年一月 ○財政経済に関し新内閣に望む 男爵渋沢栄一君(DK500113k-0001)
第50巻 p.509-512 ページ画像

銀行通信録  第五五巻第三二七号・第一―四頁大正二年一月
    ○財政経済に関し新内閣に望む
                  男爵渋沢栄一君
又改つて一年を迎へるやうになりました、例として銀行通信録に、財政経済に関するお尋を受けて玆に愚見を吐露するのを喜びます、年々歳々花相似たり、歳々年々人同じからずと云ふ古人の詩の通に、来年の花も桃は紅く李は白く咲くであらうけれども人は同じと申せぬのを斯かる機会にも深く嘆ぜねばならぬと思ひます、加ふるに昨年は種々なる災害があつて、遂に年末に至つて政変を生じたのも思ひきやの有様で、心苦しく感ずるのであります、併し幸に桂公の如き経験もあり智略もあり又十分な手腕を備へて居るお方が立つて、相応のお人々を以て新内閣を組織されたから、定めて大正二年の政治は従来の悪いことを改良して、善政を見ることが出来得るだらうと期待します
爾く公の手腕には信頼し上げるけれども、併し今現在に受けて居る病と云ふものは、決して一時のものではない、源因の遠いものだと云ふ
 - 第50巻 p.510 -ページ画像 
ことは局に当るお方々も御熟知のことゝ信じます、兎角に人は我位地に属することは、十分な改良は努められぬで、他の方面にのみ全きを求める、これは人たるものゝ弱点で、経済界の人は財政に苦情を云ふ財政界のお方は経済界の者共が近眼であるとか、道徳が修まらぬとか遠大の気象が乏しいとか、虚栄を好むとか浮薄であるとか、総て欠点を能く見得るやうである、所謂河畔に立つて居れば向ふの岸は能く見えると云ふ古諺が甚だ其当を得て居つて、総て我負うて居る荷物よりは、人の負うて居る荷物の危険さを余計に懸念する、私共が百事を為すに付ても、己れの範囲に付ては満足な改革は出来ぬでも、他方面に余計な心配をすると云ふ嫌がある、是は我言の弁護ではないけれども日本の経済界は経済から財政が生れて来たのではなく、政治上の財政から経済を生んだと云ふのが維新以来の歴史である、而して明治の初めから始終事物が先繰りになつて居る、これを人の走るに譬へて言ふと、正しく立つて我力相応の歩き方をすると、頭と足の恰好が釣合好く行ける、けれども強く走ると云ふ場合には、頭の方が先へ出て足が後から行くものである、此場合少しでも其足に故障があれば直に躓く躓いたときは前へ倒れる、是が急歩する者走る者の常態である、詰り中心が向ふへ行き過ぎるのである、日本の財政経済も其通りである、単に財政経済のみならず、諸事物が我力の満足を待て、それから一足踏み出すと云ふのでなくして、頭の進んだ後から足が駈け続くと云ふのが是までの実状である、幸に怜悧な人民、勉強な人民、殊に他の善事を模倣するに最も長じて居る人民、一言にして申せば我国民の善かつた為に、政治家の頭が分量不相応に先へ行つても、後から駈継ぐ事が出来たと申しても宜いのである、勿論戦争に付ては、政治上軍事上に赫々の功を現はしたから、其勲労は斯界の人に多くあることは論を俟たぬけれども、それをして其功名を全からしめたのは、やはり前に申す足が健歩して頭の走るのに駈継いだからである、私が斯く申すと或は愚痴若くは不平を唱へるやうな聞えがあるけれども、試に本年の歳計上から調べて見ても、恩給金の政治軍事に関係する支出と、これに関係無いものと較べて見たら、どれだけ違ふか、国家の恩給金の額は総計数千万円であらうが、多くは政治軍事に出て居るので、其他の方は絶無と云ふても宜い位である、之を以て見ても政治軍事が国家の先駆者で、これを養ふ所の社会即ち実業界と云ふものは始終従僕として走つて居ると云ふことは明かである
三十九年の日露戦後に立てた財政が、私の考へる所では余り軍事に重きを置き過ぎた、戦勝の結果から国の舞台が大きくなつたと云ふことは事実であるけれども、其大きくなつた根源は実力がそれ程進んだのではない、他の関係上から列強の伍班に列したとか、一等国に認められるとか云ふからして上下挙つて少しく浮気になつた、財政も其為に力不相応に過度となつたと言はねばならぬ、それを承継して来た今日である、私は数年間其根本の誤つて居ることを唱へて、是非其本に帰らねばならぬと云ふことを主張し来つたのである、幸に四十一年桂公の内閣に立つて、大に其処に注目された如く、公債政策に付ては吾々の説を採用されたけれども、他の庶政が吾々の希望と一致したとは言
 - 第50巻 p.511 -ページ画像 
へなかつた、行政の整理又は中央集権の弊を除き、官業を民業に移すこと、或は税制を整理して之を軽減すること、それらを実行せんとするには、全体の政費を大に節約せねばならぬと着々希望したけれどもそれらの点に迄は吾々の希望と全く一致したとは言へなかつた、而して四十四年の秋に至つて内閣が代つて西園寺侯になつた、私共は何れの内閣に対しても彼に偏するとか此に党するとか云ふ意見の無い者であるから、唯此財政経済の鞏固に、唯鞏固と云ふても、小さく緊縮するばかりを望む訳ではない、十分なる発展力を持つ所の鞏固を望むのである、それには財政と経済が十分一致せねばならぬ、其一致を図るには根本が宜しくなければならぬ、分量不相応のことは宜しくない、例へば人民に任せて宜い事業を政府がやる、又兌換制度と雖も適当なる度合を失して政府の財政都合からして無闇に通貨を増加する、斯の如きは必ず物価を騰貴せしめて、輸出入の不権衡を来すのは免れぬことであるから、総てさう云ふことを改めたい、又外国に向つての信用を維持して公債の価格が内外に其位地を墜さぬやうにしたい、是等の廉々を深く桂内閣に希望したが、公債に関することを除くの外は行はれなかつた、故に西園寺内閣にも昨年以来其事を希望しつゝあつた所が、行政整理は大に力を尽されて其実効を見ることを得るが如き様子に聞いたけれども、遂に画餅に終つて吾々の枯腸を肥すには至らずに前に申すやうな有様と相成つた、世間では此政治上の変革に付て種々の観察を以て喋々の説があるけれども、吾々は政治界に欲望の無い身柄であるから、さう云ふことに付ては言論をしたくない、唯是から以後の財政経済を如何にするかと云ふことを充分に考察せねばならぬと思ふ、此度の新内閣を組織された桂公は右等の事態には活眼を以て観察を遂げられて居ることゝ思ふ、故に斯くすれば宜い、斯くすれば宜しくないと云ふことに付ては、玆に喋々せぬでも果して改善しやうと云ふ考案が附いたならば必ず実行さるゝであらう、唯将来に企望するのは、政府が自己の智能に恃みて我力を以て此経済界を改善しやうと云ふ考慮をなされずに、勉めて民業に委するのである、総じて充分なる手腕を持つた方々が此新内閣にはお打揃のやうであるけれども、手腕ある人々の政府にお打揃の時は、悪くすると民業に対して妨害を与へると云ふことが無いとも言へぬと思ふ、故に此新内閣は成るべく其鋭利の力を内に収めて、却て民業の発展を図ると云ふことに注意せられて、先づ根本たる財政を節約して歳費の額を減ずることを図り、又公債政策の如きは、四十一年に十分調査された既定の方法を実行されるやうにありたい、更に私の望む処は教育制度に付ても大に改革すべきものがあらうかと思ふ、又地方制度も改良すべき余地あるものではなからうか、凡そ事物は長く年月を経る程或る場合には善い慣例をも胎すが、自然に塵埃が附着して種々なる弊害が生ずるものである、現に今日の制度上にも、所謂繁文縟礼の甚しきことは著しき事実である例証を挙げて言ひたいけれども、一・二の事でないから言ひ尽せぬ、併し是は活眼を以て調査したならば、私の喋々を俟つまいと思ふ
尚此機会に於て、特に新内閣に求めたいのは、従来財政の内容を人民に知らしめると云ふ方法が甚だ不親切であると思ふ、蓋し私の老耄し
 - 第50巻 p.512 -ページ画像 
て居る為に細かい書類に観察の届かぬ所以もあらう、けれども例へば歳出入の予算でも、余り科目を多くして解り悪いやうな計算を立てゝ置く、明治五年に銀行条例を造るに付て、簿記法を善くせねばならぬと云ふので、英国人のシヤンドと云ふ人を雇傭して、銀行簿記を作つた、此簿記法は今も尚それが精密になつたゞけで、其大綱に依つて行はれて居るが、例へば百万円の銀行でも五千万円の銀行になつても、其帳簿に付ては唯数字が増加するだけで、要点は少しも違はぬから、貸借の関係は明かに解る、貸方なり借方なりの一桁に挙つて居るものの内訳さへ明瞭に見れば、要領は直に得られると云ふ計算則になつて居る、若し斯う云ふ計算法なかりせば、大蔵省が各銀行の帳簿を検査しやうとしても、内容を審判しやうと云つても中々解るものではない幸に明治初年からさう云ふ法を布いて、それが全般に行はれて極く簡易の計算法になつて居る為に、所謂一目瞭然である、然るに大蔵省の今日の歳出入の予算は、一目瞭然は扨措き、百目でも不瞭然である、成べく解らせぬやうに組立つたかの如き感を持つ、是はもう少し解り易いやうに改正せねばなるまいと従ふ、望むらくは特別会計抔は立てずに、一本の予算で簡潔に解るやうにして貰ひたい、百円のものでも一億円のものでも、唯其計算の数字が上るだけで、其理に於て違ふ訳はない、我物と人の物、或は取れべきものと取つてあるもの、斯う云ふやうな差別は容易く出来る訳である
更にもう一つ望むのは、兌換制度に付て兎角に世人の疑惑するのは、在外正貨が幾許あるのだか一向判然しないと云ふ事からして、遂には危惧の念を抱かしめる、是等はもう少し明白に知らしめると云ふ工夫がありさうなものだ、既に一方からは法治国だといふて日本銀行の諸計算も世の中に知らせる、斯う云ふ開明の仕向けがしてありながら、又歳出入の予算も国会に於て議決する、其決算も国会に報告すると云ふ如き、洵に明々白々の処置でありながら、其計算は成べく解らぬやうに組立るかの疑ある如き計算法を立て置くと云ふは、私は面白くないことではないかと思ふ、嘗て此事に付ては、二・三の有志から度々気付を受けたことであるが、好い機会が無くて申し得なかつたけれども、大正二年からどうぞ左様なことの行はれるやうにしたいと切望の余り一言を述べて置く
斯の如く財政の内容が、心ある人は一覧すると直に解り、又正貨の実力、即ち兌換制度に於ける安心が、誰が見ても明瞭にして、加ふるに前に述べたる主義を以て財政を整理節約せられたならば、数年来憂へ来つた経済界も必ず鞏固のものになるであらうと思ふ、それと同時に吾々斯界の者も充分に考慮して、従来の軽佻浮薄の意志を改めて、飽までも実直に虚栄を棄て、実益を全ふし、唯目前の体裁を繕ふて真実の改良を忘れると云ふ如きことの無いやうにして行つたならば、国家のことは深く憂へることはなからうと思ふ
前にも述べた通り、明治四十五年即ち大正元年は想ひ起すと実に涙痕の多い年であつた、打て代つて此大正二年には其涙を払つて喜悦の目を以て世の中を眺めたいと希望する