デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.514-518(DK500115k) ページ画像

大正2年5月27日(1913年)

是日栄一、帝国ホテルニ於テ開カレタル、銀行倶楽部臨時総会ニ出席、規則ノ一部改正ヲ議シ、名誉会員トシテ松方正義・井上馨・大隈重信・田尻稲次郎・阪谷芳郎・松尾臣善・高橋是清・山本達雄・豊川良平ノ推薦ヲ議ス。次イデ第九十九回晩餐会開カレ、栄一挨拶ヲナス。

六月二十八日、再ビ帝国ホテルニ於テ右松方正義以下ヲ招待シテ、会員晩餐会第百回ノ祝賀会開カレ、栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第五五巻第三三二号・第八四頁大正二年六月 ○録事 銀行倶楽部総会及第九十八回晩餐会《(九)》(DK500115k-0001)
第50巻 p.514 ページ画像

銀行通信録  第五五巻第三三二号・第八四頁大正二年六月
 ○録事
    ○銀行倶楽部総会及第九十八回晩餐会《(九)》
銀行倶楽部にては五月二十七日午後六時より帝国「ホテル」に於て臨時総会を開き、規則の一部を改正して左の諸氏を名誉会員に推薦せり
 侯爵松方正義君 侯爵井上馨君 伯爵大隈重信君 子爵田尻稲次郎君 男爵阪谷芳郎君 男爵松尾臣善君 男爵高橋是清君 山本達雄君 豊川良平君
右終りて第九十八回会員晩餐会《(九)》を開き、食後渋沢委員長の挨拶に引続き、来賓堀口駐墨代理公使・永井桑港総領事・矢作法学博士・土方日本銀行理事の演説あり、午後十時過散会せり
  ○栄一挨拶ノ筆記ヲ欠ク。

 - 第50巻 p.515 -ページ画像 

銀行通信録 第五六巻第三三三号・第八二頁大正二年七月 ○録事 銀行倶楽部第百回晩餐会(DK500115k-0002)
第50巻 p.515 ページ画像

銀行通信録  第五六巻第三三三号・第八二頁大正二年七月
 ○録事
    ○銀行倶楽部第百回晩餐会
銀行倶楽部にては五月二十八日午後六時《(六)》より、過般名誉会員に推薦したる松方侯爵以下を招待し帝国「ホテル」に於て第百回会員晩餐会を開きしに、松方侯爵・大隈伯爵・田尻子爵・阪谷男爵・高橋男爵・山本及豊川両氏の出席あり、食後渋沢委員長の挨拶に引続き、来賓松方大隈・田尻・高橋・阪谷・豊川諸氏の演説又は挨拶あり、一同歓談の上午後十時過散会せり


銀行通信録 第五六巻第三三三号・第二三―四六頁大正二年七月 ○銀行倶楽部晩餐第百回祝賀会演説(大正二年六月二十八日帝国ホテルに於て) 明治年間に於ける銀行業発達の趨勢 男爵渋沢栄一(DK500115k-0003)
第50巻 p.515-518 ページ画像

銀行通信録  第五六巻第三三三号・第二三―四六頁大正二年七月
  ○銀行倶楽部晩餐第百回祝賀会演説
           (大正二年六月二十八日帝国ホテルに於て)
    明治年間に於ける銀行業発達の趨勢
                   男爵渋沢栄一
閣下並に諸君、今夕は当銀行倶楽部晩餐会の第百回の祝賀会でございまして一同記念すべき会合でございます、先頃私は当倶楽部の総会の決議を以ちまして名誉会員を諸閣下に願上げましたに就きまして、恰も好し第百回の祝賀会に尊臨を請うて現況を御覧に入れますのも、名誉会員諸公に対して吾々の心遣りに相成らうかと、玆に御臨場を懇請した次第でございます、幸に松方侯爵・大隈伯爵、其他の諸公がお打揃ひで尊臨を得ましたのを、会員一同深く喜びます、唯憾むらくは井上侯爵・松尾男爵両閣下の御顔を拝することの出来ませぬのは、洵に遺憾に堪えない次第でございます、吾々会員一同は諸閣下が当倶楽部の名誉会員を御承諾下すつたことを有難く感謝致します
私も頗る古い人間でございますが、御客様も決してお新しいとは申し上げられぬのでございます、斯く賓主古々しい人々のお揃ひの所で、此銀行の創立に関する最も古いお話を申上げまするのも、或は相応はしいかと思ふのでございます、故きを温ねて新しきを知るには銀行が是迄に到達するのに如何に苦心をしたか、又如何に発達したかといふことを同時に申上げ得られるかと思ふのでございます、而して其苦心と発達とは決して吾々共ばかりの力ではございませぬ、老人の云ふ言葉に「独りで大きくなつたやうにあの子供等が」と申しますが、丁度それと同じく、満場の青年諸君は決して独りで大きくなつたのではない、親があつて大きくなつたのであるといふことをお忘れなすつてはいけぬのであります、幸に名誉会員に斯の如き諸公を得ましたのは当倶楽部が、是から如何に進歩するか実に空前と申して宜い、併し絶後とは申上げませぬ、故に銀行業の今日に至りました沿革は少し冗長に亘りますけれども、私は玆に手短く過越し方を追懐致しまして、一言を試みたいと思ふのでございます
抑も銀行の日本に起りましたのは明治の初、即ち私のお隣に居られまする侯伯両閣下などが鋭意御講究下されまして、国家の財政実業界の融通をして完全に進めるには是非規則立ちたる銀行を造らねばならぬといふことに、御着眼遊ばしたのに起因したのでございます、明治三
 - 第50巻 p.516 -ページ画像 
年頃から銀行論が起りましたけれども、如何にして之を設けるが宜いかといふことに付ては其時分種々に議論が岐れまして、なかなか一朝一夕に片付く訳に至らなかつたのでございます、故伊藤公爵が其年の冬、亜米利加にお越しなされて彼国の国立銀行の制度を御取調になりまして、之を採つて以て日本に行なはふといふのが当時の意見でありました、遂に明治三・四年頃、大隈伯爵・井上侯爵抔が大蔵省に於て其説を主張されて、国立銀行の制度といふものを組織することに相成つたのでございます、続いて今夕は御臨場を得ませぬが井上侯爵が此国立銀行条例に付て種々斡旋の労を執られ、私が其の実務を担当して終に明治五年十一月に国立銀行条例が頒布されたのでございます、是が日本に於ける銀行の創始と申して宜しい、其時に成立ちました銀行は私の経営致して居る第一銀行、それから第二・第三・第四・第五といふやうに五つの銀行が出来ましたが、是は悪く申せば皆不具の銀行たらざるを得なかつたのであります、其訳は当時は紙幣兌換法といふものはなかつた、政府の紙幣は皆不換でありました、銀行紙幣に依て政府の紙幣を兌換したいといふて銀行を創立しましたけれども、金銀比価が如何に変化があるといふことは吾々の考量に上らなかつたのでございます、独り吾々ばかりではない、銀行の創立を指導せられた方方も其処までは考へ至らなかつた為めに、偶々国立銀行が出来まして事業を経営致して見ますと、金銀比価が甚しく変化しますので一日も安全な経営が出来ないやうに相成りました、其為めに明治八年には是等の銀行が将に閉鎖の不幸を見るに至らんとしたのであります、そこで余儀なく是等の銀行が当局者たる松方・大隈両閣下の共に大蔵省に居られましたによりて詳細に其事由を陳情し、到底銀行の経営が出来ませぬから、どうぞ制度をお直し下さるやうにと請願して、明治九年に此銀行制度の改正が侯伯両閣下の御力に依つて出来たのでございます、恰も其頃政府は華士族の禄制改正のために公債証書を発行されまして、此公債証書に依て、一方には華士族の資産を確保し、一方には是に依つて金融の便利を付けたいといふ処から、頻りに銀行の設立を奨励なされたのであります、明治九年から十一年迄に百五十六の銀行が出来ましたのは其奨励の力でございます、又其銀行紙幣も兌換法が各銀行の経営を便利にせしむるやうに改正されたのでございます、併し是等銀行の経営が聊か其当初に比すれば面目を改めたとは申し得ましたけれども、今日から見ますると実に児戯に類するものであつたかも知れぬのでございます、爾来漸次歩を進めて其営業取引等に付きましても、両閣下の如き創始からお力を入れて戴きましたのみならず、此処に御列席下すつた他の名誉会員諸公にも或は手形流通の方法に付き、或は手形交換の手続に付き種々なる奨励指導を下されまして、遂に年一年と拡張して漸く今日を見るに至つたのでございます、但し吾吾共は決して現状を以て満足する訳ではありませぬけれども、今申す如く明治八・九年頃に較べますと、今日は二千以上の銀行が日本全国に設立経営されて、而して当初の銀行資本は僅に数百万円に過ぎなかつたのが、今日は其払込額でも五億以上を算へるやうに至つたのであります、殊に此倶楽部は銀行集会所に附属しまして、別に手形交換所
 - 第50巻 p.517 -ページ画像 
といふものを明治十六年に組立てましたが完全に往きませぬで、明治二十年に其規則を改正して二十一年から経営致して居ります、此手形交換所の効果は銀行者から申上げますと少し自画自賛の嫌があるかも知れませぬけれども、一般の商業取引に対して、徳義風紀を改良し得る場合もあるのでございます、申すまでもなく此手形取引に信用を失ふやうに相成りますと、其商工業者は個人若くは会社でも取引の排斥を受けるといふことに相成りまするから、商工業者は最も之を注意し最も之を恐怖して居る、而して其仕組が日を逐うて進歩しつゝあるのでございます、又此手形の取引高も年を逐うて進んで参りまして、明治二十年に規則を改正した当時の手形交換高は一箇年千二百万円に過ぎなかつたのが、現今は一年の計算を合せますれば四十一億に相成ります、如何に其取引が増大致したかといふことは、此数字を以て大抵御了解下し置かれることゝ思ひます
既往を回想致しますると、進歩発達の有様は見得られまするけれども吾々は之を以て勿論満足とは思ひませぬ、更に大に注意し大に奮励して一層の拡張を努めねばならぬと心得居ります、此程も田尻子爵の御邸を訪問して名誉会員の御承諾を請ひ、併せて今夕の賁臨をお願ひ致しまた時、子爵が大蔵省にお勤務の時分に時々お伺ひしたことを追懐して、久し振にて種々のお話を致しました、子爵は近頃の銀行業者は如何であるかといふ色々の御問がありました、私は自慢らしうそれに答へましたが、子爵は甚だ御不満足で渋沢君は今日を以てさう満足に思うてはいかぬ、既往の微々たる時に比すれば喜ばしいことであるけれども、之を以て未だ満足することは出来ぬと言はれたのでございます、此席に於て私が過日子爵との問答を申述べまするのは頗る失礼に当るかも知れませぬ、又斯る祝賀会に於て不満足であると申上げるのは最も不祥の言でありますけれども、併し前にも述べます通り独りで大きくなつたのでないといふことは、お忘れなさらぬやうにといふ言葉と共に、是から先きまだ大きく成り得る余地があるといふことを申上げるのであります、斯く企望しますといふて私は青年の人ばかりを責るのではございませぬ、比較的老いたる身でございますけれども、青年若くは壮年の人々と相拮抗して勉励を致す積りでございます、今夕の来賓諸公は私より以上の高齢を保つておゐでの方も居らるゝが、どうぞお年を召しても老いて益々壮んならんことを希望致します
銀行者の斯の如く歩を進めて参りますに付きましても、国家の経済財政の益々鞏固なることを期待して止まぬのでございます、既に一昨日も総理大臣の官邸に吾々多数の実業者をお招きありて、現内閣に於て行政整理・財政緊縮を決行せられたお話を委曲承りまして、辱く領掌致したのでございますが、其際私が答辞を申上げました言葉は銀行者故に我田引水の事を申すと言はれるか知れませぬけれども、幸に今夕は大蔵大臣にも臨場せられて居りますから、決して銀行者のみの希望ではないとお聴取を願ひたいと思ひます、斯の如く運輸に金融に其他種々の事物が進むに拘はらず銀行の資本が年と共に増大になるに拘はらず、同比例に増額したのが国債であるを訝るのであります、私は唯国債の額が少ないのみを宜いとは申しませぬけれども、国債が今日の
 - 第50巻 p.518 -ページ画像 
如く増加するのを以て銀行取引の数が増す如く慶事だとは申上げ得られませぬ、縦し多少増すとしても其価格が低下せぬやうに有りたいと望むのでございます、今日の国債は内に外に其価格の有様が如何であるかと考察しますると、懸念の点が頗る多いのであります、此事に付て私が唯悲観の説を申述べまするのは、既にそれぞれ計画を定めて整理に努めらるゝ当局諸公に対して失礼かも知れませぬけれども、国家の公債に対する信用は私は今日を以て満足とは思うて居りませぬ、吾吾銀行者の進歩を不満足と思ふと同様に、日本の国債の内外に於ける信用の不満足も同じ感じを持たねばならぬやうに考へます、此点に付ては臨場諸公は十分なる御考慮をお煩し下さることゝ深く信頼するのでございます
玆に重ねて名誉会員を御承諾下すつた諸公が斯の如く多数臨場を賜はりまして、此銀行倶楽部の百回の紀念を永久に記憶せしめて下さることを深く感謝致します、私は会員一同と共に杯を挙げて来賓諸閣下の御健康を祝します(起立乾杯)
○中略
    ○渋沢男爵の挨拶
閣下諸君、今夕の祝賀会は実に晩餐会百回の間稀に見るところの盛況にして、且つ臨場の諸公より御親切なる御教諭を戴きましたのは、会員一同の深く感謝するところでございます、松方侯爵の真摯なる御示諭、大隈伯爵の勇壮なる御演説、又田尻子爵は御土産ともいふべき頗る興味ある御話を下さりました、私も若い人に負けずに将来勉強して御言葉に背かぬやうに致したいと思ひます、大蔵大臣の御演説は大隈伯の煽動によつてと仰しやいますけれども、私はさうではないと思ふ何事も言語が忠実にして我思ふ所を腹蔵なく述べるといふ御気性は、私共予て承知致して居ります、或点は大分私共に対する御攻撃もあり又或点には御不同意といふお言葉もございましたが、それは別問題としまして衷情を御吐露下すつたことを深く感謝致します、殊に豊川君から私に対しての祝辞を下され、百二十五歳まで天寿を保ち少なくとも百歳まで活動せよと言はれたことは最も有難く思ひます、併し私一人が百まで活動しても他の諸君が皆五・六十で老衰されると困りますから、若し私に百歳まで働けと言はれるならば、さういふ豊川君も同じく百歳まで御働きになつて戴きたい、他の諸君も少なくとも七・八十位まで御働を願ひたい、現に松方侯爵が八十歳であつて今晩の御勇気です、現に元気さへ充実であれば幾らでもやられるのでありますから、私も元気を出して大に奮励したいと思ひます、玆に重ねて会員一同に代りまして来賓諸公に御礼を申上げます(拍手)