デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.585-588(DK500137k) ページ画像

大正6年11月1日(1917年)

是日、東京銀行集会所ニ於テ金貨本位実施満二十年紀念会開催セラレ、次イデ東京銀行倶楽部ニ於テ晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第六四巻第三八五号・第七四頁 大正六年一一月 ○内国銀行要報 金貨本位実施満二十年紀念会(DK500137k-0001)
第50巻 p.585-586 ページ画像

銀行通信録  第六四巻第三八五号・第七四頁 大正六年一一月
 ○内国銀行要報
    ○金貨本位実施満二十年紀念会
金貨本位実施満二十年紀念会は、十一月一日東京銀行集会所に於て開会せられたり、之より先き本年十月一日は、去る明治三十年十月一日金貨本位実施より満二十年に相当するを以て、東京銀行家中に紀念会開会の計劃ありしが、準備の都合上十一月一日と定め各地手形交換所所在地の重なる銀行家にも参加を求め、発起人の総数百三十八名に及びたり、是に於て当時金貨本位実施の局に当られたる松方侯を始め、内閣総理・大蔵・農商務三大臣、貨幣制度調査会委員及貴衆両院貨幣法案特別委員たりし人々、並に現下の財務当局者・民間実業家等百五十四名に招待状を発し、当日午後三時より講演会、六時三十分より晩
 - 第50巻 p.586 -ページ画像 
餐会を開くことゝなれり○中略
      晩餐会
晩餐会は当日午後七時三十分より東京銀行倶楽部に於て開会せられ、宴酣なる頃発起人総代早川千吉郎氏起て一場の挨拶を述べ、杯を挙げて来賓の健康を祝し、夫より松方侯の謝辞に引続き寺内総理大臣・勝田大蔵大臣・三島日本銀行総裁及渋沢男爵の演説あり、終て席を別席に移し主客歓談の上午後十時散会せり、右晩餐会の出席者は来賓七十三名、発起人八十六名、合計百五十九名なりき○下略


竜門雑誌 第三五四号・第一五四頁 大正六年一一月 ○金貨本位実施二十年紀念祝賀会(DK500137k-0002)
第50巻 p.586 ページ画像

竜門雑誌  第三五四号・第一五四頁 大正六年一一月
○金貨本位実施二十年紀念祝賀会 東京・大阪・名古屋・横浜・神戸広島・函館等各地の有数銀行家百三十名の発起に係る金貨本位実施二十年紀念祝賀会は、十一月一日東京銀行集会所に開催せられ、来賓九十二名、主人側九十九名、計百九十一名の盛会にて、劈頭水町日銀副総裁の挨拶あり、次で該実施当時、財務行政当局者として、右制度創設の衝に立てる松方侯爵を始め、田尻子爵・阪谷男爵、添田・山崎両博士諸氏の演説ありて後、晩餐会を開き、早川千吉郎氏の挨拶終りて松方侯の謝辞あり、寺内首相・勝田蔵相・三島日銀総裁、並に青淵先生の演説また次で行はれ、主客一同歓を尽して散会したる由なるが、尚同夜青淵先生の演説は大要左の如くなりしと。
○下略


銀行通信録 第六五巻第三八七号・第九二―九三頁 大正七年一月 金貨本位実施満二十年紀念晩餐会演説(大正六年十一月一日午後東京銀行倶楽部に於て) 渋沢男爵の演説(DK500137k-0003)
第50巻 p.586-588 ページ画像

銀行通信録  第六五巻第三八七号・第九二―九三頁 大正七年一月
  金貨本位実施満二十年紀念晩餐会演説
        (大正六年十一月一日午後東京銀行倶楽部に於て)
○上略
    ○渋沢男爵の演説
時間も追々経過致しましたし、私が特に蛇足を添へます余地も無いやうに様々の御高説が出てをります。去りながら此金貨制度のことに付きましては、私は大に懺悔をせねばならぬ義務を持つて居りますから言葉短に其事を申上げたうございます。蓋し私の失敗を告白するは、松方侯爵の功労を賞讚するに代るだらうと思ふからでございます。先刻の御講演中に侯爵から古いことの御話がございましたに就て、私は当時の事を追懐して身に染々と今昔の感を催ほしたのでございます。明治四年に新貨条例を制定しましたのは故伊藤公爵が亜米利加から申し越されまして、私が大蔵省に在職中貨幣制度に付ては何等知識は持ちませぬけれども、条例の文案は私が起草致したに相違ないのでございます。其時分には私は唯漠然と金貨制度の国にしたいと云ふ智者の言を聞き噛つて中心企望したに過ぎませぬ。故に私が今夕玆に申述べる事柄は、知識の優れた諸君のお考に反対したる自己の失敗談を暴露して、斯の如く渋沢は智恵の無い者であつたと云ふことを此七十八歳の老人が満場の青年諸君に証明しようと思ふのでございます(笑)
抑も国家の金融は不換紙幣ではいかぬ。貨幣制度は確立させねばならぬ。即ち金貨兌換を目的とする国立銀行を創立したる所以である。国
 - 第50巻 p.587 -ページ画像 
立銀行を創立すれば直に金貨引換が出来るものと考へて、先刻侯爵の御演説の如く、先の第一・第二――第三が名あつて実無く、第四・第五と四銀行が成立しました。而して各行共に金貨兌換の紙幣を発行しましたが、恰も一杯の水を以て一車薪の火を消すやうなもので、到底此等小規模の銀行で金貨の兌換が出来るものでない、阪谷氏の言はれる如く少し金銀比価の動きがあると直さま取付が始まる。此取附に遇うて始めて引換の義務があると云ふことに心付くと云ふやうな迂濶千万のことであつた。(笑)是に於て第一国立銀行は殆ど破産に瀕するの有様で、否第一ばかりではない、第二・第四・第五の各銀行も略同じ悲境に陥り、折角金融の基礎たらしめたいと云うて組織したものが、殆ど持続覚束ないやうになつたのでございます。右に付て各銀行は松方侯にお願して変則ではあるけれども政府の紙幣で引換へることにして戴きたいと、終に銀行条例を改めて通貨兌換の方法を明治九年に定めたのであります。斯る奇観が其頃の日本には行はれたと云ふのは、今日の学者がお聴きなさると抱腹の談であらうけれども、其時は此上もない良法であつたと云ふことは何と可笑しい話ではありませぬか。(笑)是が即ち私の第一の失敗談でございます
十数年を経て追々に銀行の営業も進んで参り、世間も銀行を利用するやう相成つて、貨幣と云ふことに就ては唯紙上の議論ばかりでなく、一歩進んだ世の中になつて、即ち明治十九年に侯爵が真の兌換制度を布かれたのである。此兌換制度を布かれるに就ても、十二・三年頃より私共は苦心惨澹色々と建案も致しましたが、遂に侯爵が十四年から五年の間に鋭意財政の整理に尽力せられ、仮令銀貨たりと雖も兌換制度の布けるやうに相成つたのでございます。此事に就て当時の銀行者は申合せて侯爵に彰徳表を奉つたのであります、其品は軽微ではございましたが、同業者一同の衷心より出たるもので多分侯爵家に保存されてあるだらうと思ひます。其奉呈せし品物は小なりしも一同の熱情は大なる感じを持つて居つたのでございます。爾後事業界は追々に発展して、明治三十年に至つて完全なる金貨制度にすると云ふことに就ては、私は貨幣制度調査委員の一人として、大に憂慮したのでございます。是は昔の諺に大勢打寄つて虎の話をしたときに、其中の一人が身慄をして怖がつた。蓋し其の人は真に虎に襲はれた人であつたといふことがある。実に百聞は一見に如ずで、私は其虎に襲はれた一人である。若し此事が間違つて国家の財政が昔日の国立銀行になられてはならぬと思ふた。当時の国立銀行を追想して日本の国家をして同様の危険を踏ましめないやうにと思うて、金貨制度尚早しと云ふことを主張したのでございます。今更私の智恵の無いことを慚愧しますが、其際は真に之に反対致しまして、阪谷氏などゝは事に依つたら縁談を破却してまでもとの覚悟を以て論じたのでございます。(笑)愈々実施されると云ふときに際して、京都に於て故伊藤・井上の両君に会見して松方大蔵大臣は金貨制度を布くさうだが、若し遣り損なつたら国家の大変である。両君は大丈夫として安心するが私は甚だ不安心で堪らぬと云うたら、両君も大に懸念されて、是は帰京したら早々に松方と能く相談するから、左程に心配せぬでも宜いと云はれて、其後伊藤公は
 - 第50巻 p.588 -ページ画像 
松方侯に会うて段々討議されて、再び私を呼ばれてマアさう心配せぬでも宜いやうだ、君も余り反対するのは止めろと言はれて玆に私の反対論を思ひ止つたのであります。是は決して私が誇張して申上げるのではございませぬ。故に私は此金貨制度に対しては、見込は違ひましたけれども心配したる点は諸君よりも一番強かつたと云ふのは、前に申した諺の如く虎に襲はれた人であつたと云ふことを御了承を願ひたいのであります。(拍手)而して此第二の失敗も寔に私の恥入つたことで、実施された以後を見まするとどうしても是でなければならぬと云ふことが数年の後に始めて分つてからは松方侯爵は能く果断して私の言ふことを聴かぬであつたと深く感服したのは、決して私は今日となつて申すのではありませぬ。其頃からして公言したのでございます
既に第二の失敗を申上げましたが、更に尚失敗をして居たのであります。此金貨制度が果して安穏に日本に継続し得るや否と云ふことは爾来常に懸念を持つて居つたのであります。殊に明治三十八・九年以後四十一・二年頃迄は日露戦役後の財政膨脹より別して其懸念を強うした、井上侯爵の如きは今に金貨が失くなつてしまふ。日本は銀否紙ばかりの国になると云ふことは、独り私の耳に這入つたばかりではない此お席に居る諸君は大抵其御講釈はお聴きなさつたらうと思ひます。(笑)其度毎に私も或は然らん、実に懸念に堪へぬといふたのは、一再にして止らなかつたのでございます。併し此懸念も同じく失敗に終つて、両三年来の欧洲戦乱に付て、今勝田大蔵大臣のお演説の如く正貨準備が豊富になつて、井上侯爵を地下から起して見ても、あの歎声を発することは出来まいと思ふのでございます。(笑、拍手)して見れば私は此最終の懸念に就ても同様失敗したのであるから、第一に国立銀行の兌換に於て失敗し、玆に金貨制度の場合に就て失敗し、其継続に於ても亦失敗をして、此三つの失敗は即ち、松方侯爵の功績を賞讚する証明なりと思ふのであります(拍手)
斯く申しますと今日の金貨制度は唯喜びばかりでございまするが、只総理大臣・大蔵大臣其他の諸君のお説の如く、喜びは喜びのみを以て安んずることは出来ぬと思ひますれば、其点に就て当局の政治家又は実業家諸君、向後の施設に御注意を下すつて、万一にも其機宜を失する事なきを企望します、果して然らば、私は此上もう失敗をすることはなからうと思ふのであります。(笑、拍手)依て私は今夕松方侯爵に懺悔旁々自分の失敗談を申上げて、御功労を謝します(拍手)