デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.588-595(DK500138k) ページ画像

大正7年1月(1918年)

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『経済と道徳との一致』ト題スル論文ヲ寄稿ス。


■資料

銀行通信録 第六五巻第三八七号・第一四―二〇頁 大正七年一月 ○経済と道徳との一致 男爵 渋沢栄一(DK500138k-0001)
第50巻 p.588-595 ページ画像

銀行通信録  第六五巻第三八七号・第一四―二〇頁 大正七年一月
    ○経済と道徳との一致     男爵 渋沢栄一
毎年述べる言葉であるが、月日の経つは早いもので、又大正七年の銀行通信録新年号に私の意見を述べよとの御要求を受くることになりました、一昨年の七月実業界を隠退して爾来一年半の歳月を経て居る、
 - 第50巻 p.589 -ページ画像 
此退隠の趣旨は直接生産殖利に関することは絶縁して、他の方面に於て余生を送らうと考へた訳であつた、十八箇月の日月を今から顧みると、新しい方面に対しては何等の効果を見ることも出来ぬで、汲々として日も亦足らず努力はして居るが、寧ろ以前の門戸に於て働いて居るやうな心地がして、老後の未来を充分に形成せぬ様に感ずるのである、一体私の性質は――百事を臆劫にして厭やだけれども勉強すると云ふことは無い、仮令迷惑な事も尚且つ喜んでやるを主義として居る詰り世の中と云ふものは我思ふ通りには行かぬことを自ら悟つて居る以上は、人間の万事が予想通りに行かぬからとて、為めに煩悶等は致さぬで、総て楽みつゝ経営するのである、故に楽以て憂を忘れ、孔夫子の老の将に至らんとするを知らずと云ふに超越して、私は老の既に至れるを忘るゝのである、左様に頽齢のことを覚ると、尚更従来の門戸を去つて新規の境遇に移りたいと思ふけれども、其事の完全に運ばぬと云ふは甚だ心憂く感ずるのであります、誠に新境遇の理想を述ぶれば私は明治六年から四十三年間一意生産殖利の事業に拮据し、多く合本法に依つて百般の実業を進展し、同時にこの業に従事する人々の人格を向上せしめたい、而して其実業界が唯だ東洋のみに孤立せずして、所謂世界的に欧米と肩を並べ得るやうな位地に進め且つ其事業は学理と実際とを成べく密着したい、斯の如き目的を以て微力の及ぶ限りに尽力した積りである、今や既往を回顧すると自己の為した成績は甚だ少くして実に慚愧の至である、併し今日の実業界の発展より観察すれば自分の企望は稍々達し得たと云うても過言ではなからうと思ふ即ち重立ちたる事業は金融にあれ、運輸にあれ、商業であれ、工業にあれ、鉱山であれ、保険業倉庫業の事までも大抵合本組織に依つて発達し、而もそれが世界的となりて海外にまで大に進んで来た、殊に此両三年の欧羅巴の戦乱は偶然にも我実業界に好影響を与へて、其進歩の度が一時に意想外なる有様を呈した、是を以て私は仮令自己の為し得たことは論ずるに足らぬでも、当初実業界に身を投じた時の期念に就ては稍々其目的を達したと云うて宜しいと思ひます、玆に於て他の方面に向ふて残生を送らうと云ふ考を起したのであります、其他の方面と云ふのは毎々新聞等にも申述べたから散見されて居るが、私は憂慮する、今日の有様で此実業界を将来永遠に発展し得られるか、総ての事柄が満足に進歩するか、現在の生産殖利の経営が総て道理正しく所謂道徳と経済が相一致し居るや否や、又工業の進歩するに従つて資本と労働との問題が益注意せねばならぬ場合に立至るやうに見受けらるゝ、是も何に依つて安全だと云ふことが出来るか、富が増すと同時に貧者の生ずると云ふことは争ふべからざる事実である、故に極端に論ずる時は富む人は貧者を造るとも言ひ得られるのである、然らば人としては広く愛するの情を以て、之に対する防貧の法を講じ独り防貧のみならず、既に窮貧となりし者は之を救済する心掛もなくてはならぬ、是等の諸件は前に云ふ生産殖利を道徳に一致して将来完全に維持して行かうと云ふには、深く之を攻究して其宜しきを図らねばならぬと思ふ、これが即ち私の老後の理想として尽力して見たい要件である即ち前に列記した三箇条は私の一昨年俄に思ひ立つた事ではない、当
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初実業界に入りし時から平常に心を此処に置かぬではなかつたけれども、新に自己の門戸として開いたのは未だ日が浅いから、之に対して自分の攻究も他人から要望されることも少くて、それに向つて有効に努力し居ると云ふことの出来ぬのを甚だ残念に思ふのであります、併し私はどうしても是は必要なことゝ思ふから、従来各方面に於て交誼を厚うした諸君に対しても、道徳経済の一致に依つて富を進めると云ふことでなければならぬと、総ての場合に於て口を極め説を尽して申述べ、又自己に於ても斯かる道理、斯う云ふ必要と云ふことに付て新しい見解が生じたならば、尚もこれを唱道したいと考へて居る、道徳経済一致に付て唯だ一つの心を慰することは、高等商業学校の学生が継続的に此問題に対する私の愚見を講義として聴かうと云ふことは、蓋し学生の希望であるか、若くは校長の心付であるか、昨年の下半期から始めて爾来毎月一回づゝ総体論若くは各論とも云ふべきものをお話して居るのは、私が専門家でないから話すことも拙く、云ふことも重複したり、専門家の講義のやうに面白く聴かれぬであらうけれども自分は熱心に未来の実業家たるべき人々に此事を注入するは、必ず何等かの効果があるであらうと思うて心窃に喜んで居るのであります
第二に資本労働の問題は、昨年は此点に就て工業界は特に注目すべき時であつたやうに思ふ、と云ふのは工業の発展と共に其利益が多く、一方には諸物価の騰貴を来し、諸物価の騰貴は労働者の生活に影響して、勢ひ其賃銀増加を希望する、資本家が之に応じない場合には自然と同盟罷工と云ふやうな不穏当なる挙動が始まる、各地に於て右様なる騒動があつた、殊に私の多少援助して居る労働者団体に友愛会と云ふものがある、此友愛会は其点に就ては労働者の相談相手になる方であるから、労働者援護会と云うて宜い、是を以て資本家からは同盟罷工の煽動者若くは尻押と云ふやうに思ひ誤られたやうに見えた、其事実如何は分らぬけれども前に述ぶる如く工業上に大なる変化を来すと勢ひ労働者が工賃の増加を希望すると云ふことはあり得べき筈で、昨年は屡々其事に就て紛議を生じたが、独り昨年に限つたことでなくて此紛議は必ず継続的に生じるであらうと思ふ、是は如何にして根本から解決し得るかと云ふことは真に熟慮を要する問題で、学者連の社会政策を論ずるに於ても深く攻究せねばならぬことであるが、而して工場を持つ資本家も宜しく考案して適当な処置を取らねばならぬことゝ思ふ、其事に就て私は二つの意見がある、従来の資本家中には労働者の団体を組織するは寧ろ会社に対して疎隔の念を抱かしめる、労働者は成るべく会社と一家族となつて、其会社の待遇が親切で病気の時は充分なる治療も出来、労働者子女の教育も行届き、衛生に娯楽に充分に設備せらるれば、一会社は恰も一の王国となりて、常に仁政を施して労働者を応援するのであるから特に其組合を作るまでもない、組合があれば却て其心を二つにする虞があると云ふ趣旨を以て労働組合の設立を嫌ふ説がある、此説は一方から云ふと如何にも道理がある、是は其会社が労働者と一団体として永久的に動かぬものであるならば、善良の方法と云へ得るであらうが、若しも其会社の営業が引合はぬと云ふ時には、人を減ずると云ふこともある、又全然廃業することもあ
 - 第50巻 p.591 -ページ画像 
るべき筈である、して見ると到底資本家の階級と労働者の階級とは必然区別がある、会社の事業が如何に悲境になつても労働者を永久的に家族のやうなる生活法を与へてやるといふことは出来ぬ事である、故に前にいふ仁政を以てするの説は結構ではあるけれども、労働者には安心が出来ぬ、是に於て労働者は其仲間で団体を作りて共同的利益を保護すると云ふことは当然の方法と思ふ、それを一方に対して二心を持つのだと云ふて排斥するのは穏当でないのみならず、甚しきは其の王国が専横となつて、労働者はこれに堪へぬやうになると、其極両者間に大なる反目を惹起して、余焔は他の無事なる会社にまで飛火を来すと云ふことが無いとは言はれぬ、現に英吉利・亜米利加抔の自由平等を尊む国では善良なる労働組合を勧誘するやうにして居る、鞏固なる労働組合が出来て暴戻なる労働者が同盟罷工をせんとするとか、又は多数の力を頼んで工場を脅迫すると云ふ場合には寧ろこれを制止して資本家を援助し、資本家からも此労働者に成るべく利益共通の考を以て待遇し、双方円満に行けるやうにするには、矢張善良鞏固の組合が出来るのが宜しいと云ふことは、欧米の先蹤に見ても分る、斯の如き完備の仕組の出来ぬ間は、右に偏し、左に傾いて、時として種々の騒動を起すと云ふことは免れぬから、結局は何れか適宜な方法が立ち得るやうにせねばならぬが、斯くすれば屹度好いと云ふ思案はまだ定つてゐない、私は其間に立つて自分に於ても充分攻究したいと思ふし又資本家側の意見も聴き、労働者側の説も聴いて適当の成案を得たいと思ひます、之を要するに徳義を重んじ仁愛に拠り忠恕相憐の情並び行はれたら、必ず相軋り相侵すと云ふやうなことは生じないだらうと思ふが、其処に至るには如何なる手段を要するかと云ふことは、前に云ふ二者の説を斟酌して大に攻究を要する問題であるから、充分力を尽して見たいと思うて居ります
更に一の企望は現在貧困に陥りたる者の処理である、即ち済貧恤窮の方法に就て、其根本から如何に考慮して宜いと云ふことが言ひ悪いのである、私は其実際に就ては、小事ではあるけれども東京市の養育院を長く世話をして居るので貧困者又は行路病者・棄児等の種類は稍々知つて居る、併し願くは此極に陥らぬ前に社会政策として防貧の手段が講じたいと思ふ、済貧と云ふは例せば服薬せしむる方で、防貧と云ふは衛生的経営である、故に若し此防貧の方法が宜しきを得れば済貧までに至らぬ訳である、衛生が良ければ病人が出来ないと云ふことになる、併し如何に衛生が行届いたからと云つても一切病人が無くなると言はれぬと同じく、防貧に力を注ぐからといふて済貧恤窮の方法は要らぬと云ふ訳には行くまい、而して目下此済貧恤窮すべき種類が実に数多い、同じ貧困の病者中でも或は結核性に陥つた者、又は癩患者又は孤児の類である、此孤児中にも養育院には或る場処に棄てられたるもの、途中に迷ふて居るもの、親が子供を置いて逃げてしまつたもの、即ち棄児・迷児・遺児と区別して居る、是等は総て孤児である、又其外に不良少年と云ふのがある、是は棄児が浮浪の生活をして居る中に段々変化して身体の丈夫の者が悪化して不良少年となる、放つて置けば遂には強盗ともなるのである、是等各種の幼児の教育法が実に
 - 第50巻 p.592 -ページ画像 
六ケ敷い、現に養育院で取扱つて居る仕方を尽くお話すると際限もなくなるけれども、井ノ頭学校といふのは不良少年の感化所である、巣鴨の分院は棄児・遺児・迷児を教養する処である、今日の東京市の制度では是等の各種の幼児は完全なる収容法が出来得ぬから幾分の教育を与へるけれども、彼等が独立の出来る度合までにして社会に出すと云ふことにせずして、成べく其幼児を貰ひ人があるか傭ひ人があると未成品でも社会に出すと云ふことにして居るから、先行が満足せぬやうに思ふ、之を満足にしやうと云ふには、今日の設備よりは大に増加しなければならぬ、或は農業であるか、工業であるか適宜の素養を与へる仕組をしなくてはならぬ、此等の設備には却々の資用が掛かる、市庁に請求しても其様な経費は出来ぬと云うて出しては呉れぬ、慈善家に依頼しても左なきだに度々養育院の寄附金を募集するので、又渋沢の乞食の手伝かと云うて応じては呉れぬ、頃日も渋沢の乞食袋と云ふことが或る新聞に記載してありましたが、真逆に私は胸に頭陀袋を掛けて居る訳ではないけれども、世間は左様に誹謗する、是は唯だ東京の養育院だけの話でありますが、全国の済貧恤窮はどうかと能く見渡さなくてはならない、東京にも養育院の外に済生会の病院もあり、三井の慈善病院もあり、同愛社もあり、福田会の孤児院もあり、托児所と云ふやうな救済機関もあり、又免囚保護の設備もありて尽く数へ上げることの出来ぬ位ある、全国にも尚沢山あります、先般此中央慈善協会で各地の団体の世話人に、一組一人と云ふ位に案内して出京したが、其数が六百人ばかりでありましたから、以て多いと云ふことが分るのであります、どうも各地の仕組が一様でない、此一様でないのは土地が隔つれば已むを得ぬ訳であるが、或は同じやうなることを各地方にて同様にやつて居つたり、必要なことが行はれなかつたり、感化救済の事業は悪く云ふと未だ幼稚と言はねばならぬ、又中には甚だ過度の事又は権衡を失ふことをやる、是等は大に注意して互に統一を図り無駄の無いやうにせねばならぬといふことは、最も今日心懸けたいと思ふ、殊に此救済に就て最も注意せねばならぬのは、時勢に適応すること、其人に適当するの程度に於て養ふと云ふことである、若し金持が或る金額を以て小さく済貧病院を設立するものとして、其病院に這入る人だけは立派なことが出来る、例へば玆に百万の金があつて一年に五・六万円の利子が生ずる、それに依つて小人数の窮民を成るたけ念を入れて救助するとせば、殆ど富豪の病院の如くに出来る、併し窮民を救助すると云ふ以上は、其金額で百人を救ふよりは弐百人を救助したならば、広く救育が出来る訳である、分量不相応に二人の費用を一人に掛けて、奇麗な寝具に寝かし、立派な食事をさせた所が、病気が直つて出院すれば復た旧の境遇になつてしまふ、一例を挙げるとさう云ふ塩梅になるから、済貧恤窮は成るべく適度を誤らぬやうにせねばならぬ、又其仕方が学理的で道理正しく且つ適度であつて、成程是より外仕方がないと云ふやうに経営して行きたい、現に今日も巣鴨の養育院を廻つて見ましたけれども、沢山ある子供の中で低能児を普通の幼児と一処に置くと、どうしても低能児は発達しない、是は到底別置しなければならぬ、其別居も却々六ケ敷いやうに思ふ、教育を
 - 第50巻 p.593 -ページ画像 
する上に於ても同様で、詰り是等は相当な学理に依らぬと折角収容しても唯だ食はせるだけになつてしまふ、又是等の者が追々に世に出て人並に働き得る素養を与へると云ふにも、皆一様には行かない、人には工業に通ずる性質もあり農業に通ずる性質もある、之を尽く類別して大工は大工、左官は左官と云ふまでには行かぬでも、成るべくは性質に応じて二種三種位には別けて素養をして置かぬと、彼れ等が社会に出ても生活の出来得る素養がないから、折角収容してやつた甲斐が無いと云ふ訳になる、是は全国の同種類者も同感であらうと思ひますが、東京市の養育院も其処までの趣向は資金が無い為めに付かぬので困つて居ります
要するに社会に多数の犯罪者を出すと云ふと、学者からは如何に論断せらるゝか知らぬが、私の見る所では遺伝よりは境遇が肝要だと思ふ遺伝か境遇かと云ふ問題に付て、嘗て永井潜と云ふ博士が斯う云ふことを演説されました、是は欧羅巴にあつた実話だと云ふが玆に二人の学生があつて他人の林檎畑へ這入つて林檎を盗んだ、所有者に見付けられて二人とも酷く追はれて一人は不幸にして縛られ、一人は逃げ遂せたと云ふことがあつた、それから多くの年月を経て或判事が一人の窃盗罪を法廷で調べて見ると焉ぞ図らむ、それは昔日共に林檎を盗んだ親友であつた、蓋しその罪人は林檎畑で縛られた方であつて、判事は逃げ延びた方であつた、共に爾後の経過を語り合ふて見ると、一方は幸に逃げ延びたから、あのやうな事をしてはならぬと思うて、始めて悔悟して其後は悪事に携はらぬやうに真面目に学問をして判事になつた、一方は一たび刑に触れたから自棄自暴に陥り、段々悪事を重ねて遂に強盗にまでなつた、昔日は同じ学生であつたが左様に懸隔するに至るを見れば、是は遺伝よりは境遇が肝要だと云ふ例を永井博士が話したことがあります、常に養育院の幼児を観察しても、遺伝よりは境遇の方が強いと思ふやうであります、して見れば世に害を為す人を少くしやうと思はゞ、最良の方法を以て其人を困難に陥らぬやうにするが第一の務と思ふ、私の前に述べた事柄にて果して完全なる慈善の蘊奥を尽したとは云へぬ、色々と講究して見ると、実に限りなく各種類のものがある、殊に癩病患者の如きも、全く伝染性に相違ないと云ふ学説のやうですから、若し充分なる予防法が出来るとすれば癩病を絶無にする、と学者は言つて居ります、けれども私共長い期間中養育院で切実に苦心して頻に世の中にも訴へて、漸く全国中五箇所に癩療養所が設立された、其一は埼玉県村山と云ふ所に在りまして、私も一度行つて見ました、此間も其患者連が色々の娯楽をすると云ふことで芝居の道具を買つて寄附してやりましたが、実地を視察すると実に可愛さうなものです、院長は光田健助と云ふて癩病には熱心の人で、種種なる研究をして居ります、神経癩とか結節癩とか種類別をした講義をも聴いて見たが、完全なる根治を期するならば、五箇所位の収容では足らぬ、全国を通計して見たら数万の患者があらうと云ふのに、唯五箇所の収容所で僅に千数百人を収院して居る位では到底根治は望むべからざるものである、又肺結核性の患者はどうしても充分に予防せねばならぬ、是は殊に激しい伝染病であるから、是等は何分完全なる
 - 第50巻 p.594 -ページ画像 
予防は出来ぬ、養育院では初期の者は東京に於て治療しては不充分と思うて、千葉県下の姉が崎と云ふ所に土地を農商務省から頂いて、新設備を計劃して居ります、現に其末期の患者は板橋に収容して居ります、それから将来大に力を尽して見たいのは免囚保護の事務です、丁度前に述べた遺伝と境遇の例で、其境遇が極く悪いのだから、その保護に付てはもうそつと念を入れてやりたい、幸に原胤昭と云ふ人が柳原に於て熱心にやつて居ります、是とても未だ充分とは言はれぬ、併し各仏教家が力を入れるやうになつたのは喜ばしいことである、斯の如く数へ来ると済貧恤窮のことは英吉利や亜米利加に似寄つた有様にまで至ると云ふには、我国の富豪が大に金を出して私の乞食袋に入れて呉れぬと出来ぬことであります、但しさう云ふことで諸方を巡回すると嫌はれたり逃げられたりするので甚だ困ります
将来私の努力しやうと思ふ事は、仮令其力が微にして又是から先の歳月はもう短かいとは思ひますけれども、私は之を終身の務としてどうか生産殖利と仁義道徳と相一致するやうに、当業者の心をして其処に引付けるやうにしたら、此位の楽みはなからうと思ひます
又資本と労働との調和が完全に届くやうになつたならば、富の進歩は真に万歳と云へるだらうと思ふ、併し是が若し反対に種々の不調和・軋轢等が生じたならば、或る場合には工業上に資本を入れることが出来ないと云ふやうにまで疑惧を生ずることが無いとも言はれぬから、実に重大なことであらうと思ふ
更に済貧恤窮のことは、国の興廃に直接関係することではないが、人道として成だけ之を努めて見たい、併し物には兎角弊が生ずる、例へば仁義道徳と生産殖利を一致しやうとして、仁義道徳のみを高調すると、利益問題を賤しいやうに考へて遂に空論空理に走り、昔の諺の如く武士は食はねど高楊子の人ばかりとなり、甚しきは物質文明を呪ふやうになつて来るから是も亦顧慮すべきことである、又資本労働の関係を余りに労働者に偏すると必ず事業に妨害を来すやうになる、済貧恤窮も亦然りで、一歩誤ると惰民を造り出すと云ふことになるから余程慎まなくてはならぬと思ふのであります、私の将来の門戸に就て思ふ事を努めもし、人に問ひもし答へもし、出来得る限り働いて行く積りであるが、試に昔の門戸を見ると此欧羅巴の戦乱は我が経済界には実に好影響を与へた、是は誰も知つて居ることだから、私の喋々を待ちませぬが、唯だ此戦争終熄の後がどうなるかと云ふに就ては私も大に迷ふのである、欧羅巴の各国で此軍需品の供給が止んで、其等の工場が直に商工業に傾いて、所謂捲土重来と云ふやうなる有様になりはせぬか、併ながら各国ともに大国債を脊負つて之を償却すると云ふには、相当なる方法を設けて増税もせねばなるまい、公債も多く起さなければなるまい、其等の為めに俄に其創痍を癒す訳にいかぬ、随て製造品もさう安く売ることは出来ぬから、貿易界の有様は戦争が熄んだからとて左様に驚くには及ばぬと云ふ一説もある、是等の事に就ては私の凡眼には何方を採るかと云ふことは断言が出来ぬから、私は現在其位地に当つて居る当業者、殊に仕合せ多い人には尚更謙抑して、努めて内を堅固にするやうにし、又左まで仕合せの衝に当らぬ向でも間
 - 第50巻 p.595 -ページ画像 
接的影響に依つて幾分の利益を得て居るだらうと思ふ、今日私の株主関係のある会社に就て見ても、何れも戦争の影響を受けて居る、例へば船の関係とか、鉄の関係とか、セメントの関係とか、紡績の関係とか、何れも戦争から大に利益を増加して居る、紡績会社の如きも是までは大抵一割二分位の配当であつたのが、四割も配当をして居る、然らば戦争と無関係のものはどうかと云ふと、銀行などでも幾らか間接の影響を受けて居るものと見えて、現に第一銀行なども大分利益が増したやうに見へる、此直接に好いのも間接に好いのも若し戦争が熄んだら必ず多少の変化は受けると云ふことは免れぬだらうと思ふ、是れが其局に当る人の最も以て覚悟を要することゝ思ふ、殊に私の喜ばしく思ふのは、或る工業に就ては、従来日本で出来るけれども割が悪い為めに造らぬと云ふ品類が、戦争関係から段々出来るやうになつたものが多いやうである、と云ふのは同じく出来るけれども第一製造費が高く、需要が狭い為めに出来なかつたので、他所から来ぬから需要が多くなり、多くなつたから製造費が安くなつて、随て舶来の値段より高くもなく品物も良くなつた、斯様なる種類が大分あるから、是等は是非戦後と雖も維持せしむるやうにしたいものと思ふ、要するに生産殖利と仁義道徳とは是非一致せしめねばならぬ、即ち博く愛する仁と正理に依る義と、これに拠つて行く道と、己れに足りて外に待つことなき徳とは、生産殖利を図るに於て必ず完全に維持せねばならぬものと思ひます