デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.595-597(DK500139k) ページ画像

大正7年6月26日(1918年)

是日、東京市長田尻稲次郎ヲ招待シテ、東京銀行倶楽部第百四十一回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

銀行通信録 第六六巻第三九三号・第七六頁 大正七年七月 ○録事 東京銀行倶楽部晩餐会(DK500139k-0001)
第50巻 p.595 ページ画像

銀行通信録  第六六巻第三九三号・第七六頁 大正七年七月
 ○録事
    ○東京銀行倶楽部晩餐会
東京銀行倶楽部にては、六月二十六日午後六時より第百四十一回会員晩餐会を開き、食後串田委員長の挨拶に引続き、来賓田尻東京市長の演説あり、午後十時散会せり


銀行通信録 第六六巻第三九四号・第四〇―四一頁 大正七年八月 ○東京市長歓迎晩餐会演説(大正七年六月二十六日銀行倶楽部に於て) 渋沢男爵の演説(DK500139k-0002)
第50巻 p.595-597 ページ画像

銀行通信録  第六六巻第三九四号・第四〇―四一頁 大正七年八月
  ○東京市長歓迎晩餐会演説
          (大正七年六月二十六日銀行倶楽部に於て)
○上略
    ○渋沢男爵の演説
委員長、会員諸君。当銀行倶楽部で今夕田尻市長をお招き申上げましたに就て、私も御案内を得て参上致しました。私は名誉会員の栄誉を荷つて居りますが、当年は始めて此晩餐会に参じましたやうな次第で甚だ不勉強であります。其罰としても此席で一言を申上げなければ相
 - 第50巻 p.596 -ページ画像 
成りませぬ。田尻市長の東京市の将来に就て事の大小を区別されて開陳せられた事は、御互市民として大に感佩せねばならぬと思ひます。元来当倶楽部は市長として子爵を歓迎するよりは、銀行関係者として歓迎すべき深い縁故を持て居るお方である。私も今日は銀行者ではございませぬが、併し一昨年迄は諸君の末席を汚した一人である。田尻子爵は数十年前であるから系統で申しますれば私が親であれば子爵は祖父と云ふ順序で、銀行には深い関係を持つて居られるお方であります。殊に私が記憶致しますのは明治十二・三年頃であります、銀行に必要なる手形の取引が何分東京の商工業者間に於て進まぬ。どうかして商工業者に此慣習を生ぜしめたいと云ふことからして、当時経済雑誌と云ふのを田口卯吉氏が経営して居る処から、当座預金の取引とか小切手の取扱とか云ふものを経済雑誌に書いて諸方に配つて見ても雑誌に出した位では世間の感じがなかつた。爰に於て私は大蔵省に出頭して子爵に会見し、斯う云ふ有様で困るが貴君は学者だから時々銀行集会所に来て講演をして下さらぬかと云ふ依頼をした。すると子爵はそれは方面が違ふ、学者の出る場所ではない、縦令講演をしても聴く者は学生ではない、伝馬町・堀留の商人達に私の演説が貫徹するや否やと余程懸念されたのでありますが、私は何でも御依頼すると云うて幾回であつたか、其回数は覚えませぬが、子爵は努めて講演にお出下すつて、其手形・小切手等の利用方法と其の効能とを説かれたのであります。想ふに時代の進歩も然らしめたでありませうが、併し右等の御尽力は一般の人気をして、銀行と云ふものは斯様に便利のものである、銀行を利用するのは商工業者の大なる利益であると云ふことを能く徹底せしめたのは蓋し田尻子爵の功績であります。来会の青年諸君は是等の事は御承知なかろうと思ふからして、今日東京市長としての功労は感ずるでありませうけれど、四十年前に吾々銀行者に直接なる関係のあつた子爵であると云ふ事を御了承ありたいのであります。
子爵より只今伺ひまする所に依りますと、目前の四つの事件の外に更に進んで東京市をして、或は倫敦と云ふか紐育と云ふか、港湾接続の大都市たらしめたいと云ふ抱負を持つてござるやうでありますが、是等の事は満場の青年諸君は皆其恩恵に浴することが出来ますが、私は老人故にどうか分らぬ、併し其事は暫措きまして、東京市民の受くる利益の上から深く喜ばなければなりませぬ。私は子爵に対して、御礼旁々申上げて置きたい事があります。子爵は学殖経験共に富んで居られます。殊に素書と云ふて黄石公が張良に沓を拾はせたときに与へた書物を秘書として持つてござる、蓋し深遠なる論理を説いて居るものと思ひます。私は未だ熟読致さぬから、子爵の前で素書の釈義をすることは出来ませぬが、私が玆に子爵に一言を申上げて置きたいのは、老子に治大国若烹小鮮と云ふ句があります。簡単なる言葉のやうでありますが、大国を治むるは小さい魚を煮るやうなものである。余り焦つて掻廻すと突き壊してしまふ。又余り優長にして煮過ぎると焼付いてしまふ。其程合が甚だ肝腎だといふ意味だろうと思ひます。私は老子を熟読したことはないから、間違つて居るかも知れませぬ。又素書にはそれ以上の哲理があるかも知れませぬが、子爵に対して此老子の
 - 第50巻 p.597 -ページ画像 
語を以て東京市を治ること尚ほ小鮮を煮るが如く、どうぞ焦らず怠らず壊もせねば焼付きもせぬやうになさつて下さることを、諸君と共に希望致して置ます。(拍手)
今夕は私も陪賓としてお招を戴いたのを陳謝すると同時に、田尻子爵の此場所に深い縁故あるお方で、大なる恩恵を受けて居るといふ事を私は能く知つて居る為めに、一言を添へて御礼旁々会員諸君に御紹介致すのであります。(拍手)