デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.597-600(DK500140k) ページ画像

大正8年1月23日(1919年)

是日、東京銀行倶楽部第百四十六回晩餐会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK500140k-0001)
第50巻 p.597 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年          (渋沢子爵家所蔵)
一月二十三日 晴 寒
○上略 午後五時銀行倶楽部晩飧会ニ出席シ食卓上一場ノ演説ヲ為ス○下略


銀行通信録 第六七巻第四〇〇号・第八四頁 大正八年二月 ○録事 東京銀行倶楽部晩餐会(DK500140k-0002)
第50巻 p.597 ページ画像

銀行通信録  第六七巻第四〇〇号・第八四頁 大正八年二月
 ○録事
    ○東京銀行倶楽部晩餐会
東京銀行倶楽部にては、一月二十三日午後五時三十分より新年を兼ねて第百四十六回会員晩餐会を開き、食後串田委員長の祝賀挨拶に引続き、名誉会員渋沢男爵及田尻子爵の演説あり、一同歓を罄して午後九時三十分散会せり


青淵先生演説速記集 (二) 自大正七年十月至大正十年四月 雨夜譚会本(DK500140k-0003)
第50巻 p.597-599 ページ画像

青淵先生演説速記集 (二) 自大正七年十月至大正十年四月 雨夜譚会本
                     (財団法人竜門社所蔵)
    東京銀行集会所ニ於て    大正八年一月廿三日
                   渋沢男爵演説
 委員長、会員諸君、大正八年の新年の晩餐会に御案内を戴いて、此席に参列致すことを得ましたのは、私の最も有り難く存じますると同時に、又愉快に感ずる所でございます。唯今委員長より特に繰合せて来たと云ふ御叮嚀な御挨拶を頂戴して甚だ痛み入りまする、他に約束がありました為めに、或は御免を蒙りましたけれども、丁度新年の晩餐会でもあり成るべくはと云ふ仰せに従つて玆に参列致したのでございます。
 委員長より、大正八年の時代は或は経済界の過渡期と見ねばならぬのであらう、五年ニ亘る戦乱は終熄したけれども、未だ戦後経営とまでは言ひ得られぬであらう、年の内に来た春は去年とや言はん今年とや言はんと云ふ古い歌の心と同じ様になりはしないか、戦時に属するか戦後に属するか、寧ろ其中間と思ふて宜からうと云ふ委員長の御解釈は至極其当を得たやうに思ひます。何れとも致せ、物に原動があれば反動を惹起すと云ふことは、私は物理学まで致さぬ古風な人間で、学理上からは思はれませぬけれども、常識から考へても此事は免れぬものである。此場合はまだホンの其端緒であつて、必ず是から後追々
 - 第50巻 p.598 -ページ画像 
に種々な事が表現されるであらうと想像するのは、決して唯だ杞憂ばかりではなからうと思ふのでございます。去りながら一方から申すと我が帝国、特に東京なり大阪なり、大都市の経済界は余程素地が出来て居りますから、是は昔日の俄か組立が大なる変化に遭遇したやうに土崩瓦解を来すやうな事はなからうと思ふのでございます。併し是れ以て又其処する方法に於ては、或は大に変易を来さぬとも限らぬとして見ますると、此間に処する重要の位地に居る御方々は余程其責任大なり、深い御注意を乞ひ上げねばならぬかと思ふのでございます。私共常に申して居るのは、此数年の間に或ハ僥倖に或は丹精に――単に僥倖とのみ申しませぬ、単に自己の働きのみとも言ひ兼ねますけれども、兎に角に我が各事物は大に進歩致したに相違ない、此進歩が若し一の原動であつて反動の為に元に縒戻されると云ふことであつたならば甚だ恐るべき訳になる。仮令是から先、更に既往数年の如く進むことは為し得られぬでも、今までに進んだものは稍々之を整頓せしめるやうにしなければ、経済界の進歩は進歩として保つことは出来ない訳になる、是はどうしても其地位に居る諸君の十分の御注意を要することであつて、而して其一番の基礎を為すのは何であるかと云ふたら、私ハ金融の職に居る御方々の、マア極く短かい言葉で言うたならば、匙加減が或は此生殺与奪を掌るとも言ひ得るであらうと思ふのであります。世間或は少しの景気に依つて銀行が貸渋るとか、或は無暗に取立てるとか申すやうな小言が、新聞に或は其他に又チヨイチヨイ聞えまするが、是は銀行者の方に取つて見ますると、御無理千万な批評、御無理千万な要求が毎々ございます。私も長い間御同業に居りましたから、其無理を聞いて共に緊縮したことも数回ありますけれども、それは即ち責任の重いと云ふことを自覚しなければならぬのであります。左様に重く見られると考へたならば、其苦情は寧ろ愛して御聴きになり、憎んで御聴きにならぬやうになすつて戴きたいと思ふのであります。進む場合にはツイ其進みに乗じて、決して之を煽動するでもなければ妙に附加するでもないが、自然と此進みを助け、薪に油を添へることが、銀行業者に必ず無いとは言へないのであります。併し之を緊縮する場合には、或ハ之を過度に緊縮する為に、寧ろ前に之を緩めて力を与へたのを、与へて呉れねば宜かつたと云ふやうな恨を遺すと云ふことは、金融界には往々聞えるやうであります。御列席の皆様にさう云ふ事は無からうと信じ上げますけれども、併し金融市場には此憂は屡々あることでございますから、斯かる時機に於ては勉めて左様な有様を無からしめたいと私は深く希望するのでございます。殊に斯う云ふ場合に私の希望する所は、相集つて皆様で自己が一番都合好く早く行きたいと云ふやうな考は、悪くすると云ふと皆をして困難に陥らせると云ふ虞が兎角あるのでございます。丁度狭い場所で我れ先きに出やうと思ふ為めに、誰も出ることが出来ないで焼死んだと云ふ例は田舎の火事に能くあることであります。左様な愚を満堂の諸君が学ばれやうとは思ひませぬけれども、併し所謂八十の老人の老婆親切とお笑ひ下さるかも知れぬが、決して無用の弁でなからうと私は思ふのでございます。
 - 第50巻 p.599 -ページ画像 
 更に望んで申上げると、戦後の経営とも相成りませうが、モウ少し事業が合同的になることに是非お心掛けありたいと思ふのでございます。と云うて御集りの皆様方に、数を半分に減すやうに直ぐ合併なされませと云ふ如き乱暴な申上げ方をするのではございませぬ。是は私が申上げぬでも既に委員長又正金銀行の頭取も御在でになり、日本銀行の重役も御在でなりますし、皆様御承知の事で、甚だ釈前の説法憚り多うはございますけれども、現に倫敦の銀行者の数の減つて行く有様などは大に注意すべき事ではなからうか。是は数を以て誇りますならば、都会なり田舎なり、人口が多いと云つて仏蘭西に日本が威張ると云ふ割合で、銀行の行数が多いと云ふことは、英吉利に向つて日本は自慢が出来るか知らぬが、銀行の金融の力はどうだと云ふたならば行数が多いから力が多いと云ふことは決して言へぬであらうと思ひます。どうも今日の有様は行数が多くて金融と云ふ働きの力は寧ろ之に副はぬと言ひたいやうであります。併し今此にどう云ふ方法に依つて其数を少なくなさいと申上げる訳ではございませぬけれども、思ふにまだ追々其力を合同すると云ふ途を講じたならばありはしないかと斯う私は思ひますので、銀行者の皆様に向つて申上げる言葉ではないか知れませぬが、それと同時に戦後の経営としては、此国の重要機関たるべき仕事に対しては、或る場合には其当業者の心配のみならず、例へば政治家の助けを以て進め来つた事業などに対しては、政府は相当に考慮を尽されて、之を余り乱雑にならぬやうに、反動を受けて其極大に退歩する、衰微すると云ふやうなことには為さしめたくないものと深く思ふのでございます。是等の点に就ては銀行通信録に年始の辞として愚見を申せと云ふことを乞はれましたから、詰り婆心に過ぎぬ又或は出来ない相談もございませうけれども、彼此と思ふが儘に愚見を述べましたら、筆記されてそれが掲載されて居るやうであります。既に出ましたか、甚だ迂遠であるがまだ私は見ませぬ、或は発兌されぬのかも知れませぬが、是等も銀行通信録の愚見を御覧下されば、今申上げたよりも更に或は冗長の言葉が使つてあるやうに記憶致します故に玆に申上げるのと殆ど重複に亘りますが、実は多少憂慮しました為に、未来に就て斯くありたいと云ふ愚見を陳情致し置きました。
 前にも申上げまする通り、金融は実に経済界の大動脈であります。是あつて十分なる循環をするに於て人の気力が進むと云ふが如く、人に対しては動脈同様なものと思ひます。其代りに又多血の為に或は病気を惹起すと云ふやうなこともあり、或は貧血の為に卒倒すると云ふやうなこともございます。どうぞ此経済界の過渡の時代に貧血症を世間に起さしめぬやうに御注意あることを希望致します。
 甚だ蕪言でございますけれども、お御馳走に代へて是でも御忠告の積りでありまして、決して悪口を申す所存ではございませぬ、どうぞ言葉を以て意を誤解下さらぬことを御願ひ申します。(拍手)


中外商業新報 第一一七九二号 大正八年一月二四日 ○銀行倶楽部の新年会 渋男・田尻子演説(DK500140k-0004)
第50巻 p.599-600 ページ画像

中外商業新報  第一一七九二号 大正八年一月二四日
    ○銀行倶楽部の新年会
      渋男・田尻子演説
 - 第50巻 p.600 -ページ画像 
銀行倶楽部は別項総会の終了後、同所に新年祝賀晩餐会を開き名誉会員諸氏を招待せり、当夜は来賓側より渋沢男及田尻子の列席ありたる外、主人側の出席百二十名に上り、食後串田委員長簡単に挨拶を述べ今や経済界は過渡期に当り銀行家の責任一層重きを加へんとする際、両名士の示教を仰ぐの機会を得るを光栄とすと述べ、夫れより渋沢男及田尻子左記の演説をなし、盛会裡に午後九時散会せり
○下略


竜門雑誌 第三六九号・第六五頁 大正八年二月 ○東京銀行倶楽部新年宴会(DK500140k-0005)
第50巻 p.600 ページ画像

竜門雑誌  第三六九号・第六五頁 大正八年二月
○東京銀行倶楽部新年宴会 一月廿三日夜同所ニ於て、新年宴会を開き、朝野の名士を招待し盛宴を張れるが、席上串田同倶楽部委員長の挨拶に次ぎ、青淵先生は来賓として謝辞を述べられたる後、戦時より戦後に移らんとする過渡期に際し、銀行業者の責任の著しく加重せられたる所以を説き、
 財界の高潮時に際しては時に銀行も亦不測の災禍に遭遇することなきを保せずと雖も、此秋に当り自己独りを全ふせんとして他を顧みざることあらんか、結局共倒れに終るの愚を見るに至るべし。更に戦後に処するの策としては事業の合同を促進するの必要切なるものあり、銀行数の多きは必ずしも誇るべきにあらず、要は金融機関としての内容の充実如何にあり、余は銀行の合同に関し更に之が実現を促進するの方途あるべきを信ず。
とて一場の警告を与へられ、田尻市長亦戦後経営の至難を述べられる所ありたりと。