デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2018.12.20

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
5款 社団法人東京銀行集会所 東京銀行倶楽部
■綱文

第50巻 p.606-613(DK500143k) ページ画像

大正8年8月(1919年)

栄一、是月発行ノ「銀行通信録」ニ『平和克復後の経済界に対する希望』ト題スル論文ヲ寄稿ス。


■資料

渋沢栄一 日記 大正八年(DK500143k-0001)
第50巻 p.606 ページ画像

渋沢栄一 日記  大正八年        (渋沢子爵家所蔵)
八月九日 晴 軽暑
午前六時半起床、入浴シテ朝飧ヲ食ス、畢テ演説筆記ノ修正ニ努ム、銀行通信録ニ記載スヘキ為メ江口氏ヨリノ依頼ニ係ルモノナリ、勉強シテ午前ニ修正ヲ畢リ○下略


銀行通信録 第六八巻第四〇六号・第四二―五〇頁 大正八年八月 ○平和克復後の経済界に対する希望 男爵 渋沢栄一(DK500143k-0002)
第50巻 p.606-613 ページ画像

銀行通信録  第六八巻第四〇六号・第四二―五〇頁 大正八年八月
    ○平和克復後の経済界に対する希望
                   男爵 渋沢栄一
少しお話が問題外になるやうでありますけれども、六月二十八日を以て講和条約の調印も済みましたから、これで全く戦争終熄と云ふことを言ひ得るのであるが、其是に至るまでの経過を追想しますと、私は大に観察を誤つたことを懺悔せねばならぬのであります。次に述べる事は本問題に触れて居らぬけれども、併し未来を希望若くは予想せんとするには、過去に顧みることが談話の順序であるかと思ひます
大正三年の夏、巴爾幹の一角に暗雲が起つたと云ふことは、内外の形勢を能く知らず地理も詳かでない私には、其起つた雲が何れ程の雨になるか、又何れ程の雷鳴があるかと云ふことすら分らぬ位で、唯新聞で漠然と見ただけである。併し七月の末に至つて独逸が動員をすると同様に、露西亜・仏蘭西も開戦の用意をすると云ふに至つて、是は事に依つたら欧羅巴の大騒動になりはせぬかと云ふことが想像されたが私は平和論者であるから、其前からして、斯く世界の知識が進み人文が開けて来た今日は、到底各国が修羅道となりて長い戦争の継続することは無からう、詰り好い加減に折合が付くであらう、と云ふ思想が強かつた為めに、寧ろ大禍乱は起るまいと思ひました。殊にそれは私の先見の明の乏しい許りでなく丁度此時より二年許り前に麻洛哥問題に就て、独仏の間に国交の破裂しさうな事のあつたとき、亜米利加の平和論者でジヨルダンと云ふ人が本邦に来て居つて、彼が平和論者ゆゑに平和の方に偏するのであつたらうが、此麻洛哥問題は到底戦争になる者ではない。独帝は亜米利加に軍費の金融を望んだけれどもモルガン氏が同意しなかつた。今日の戦争は大変に金が掛かる。其金を誰も調達せぬ。亜米利加の人ばかりではない、独逸人も或は然らん。故に戦争はさう起るものではなからうと思ふ、と云ふジヨルダン氏の意
 - 第50巻 p.607 -ページ画像 
見であつた。是より前明治三十七年の日露戦争の時に、露西亜人でブルームとか云ふ学者が『戦争と経済』と云ふ書物を出版して、文明の進むほど戦争の費用が多くなる。故に戦争は容易に起し得られぬといふ理由を大層詳しく論じた書籍を見ました。右様な著書と云ひ、又ジヨルダン氏の説と云ひ、且つ私の戦争嫌ひの観念からそれを至当の理と思つた為めに、巴爾幹の事も戦争とならぬで済みはしないか、縦し戦端が開かれても好い加減の所で折合が付くであらうと云ふやうな説を持つたのであります。近頃になつて或る友人などは必ず五年は続くであらうと思つた、ライン川の際まで聯合軍の兵が攻め入りて始めて和議が講ぜられるであらうとか、戦争の結果独帝は必ず勢力を失ふて廃帝となるであらうとか、所謂講釈師見て来たやうな嘘を吐くでなくして全く予見されたのであらう、併し今日聴くと予見でないやうにも思はれる、どつちがどうか分らないが、さう云ふ説を言ふ人が私の友人に多くあります。其人の知識の優れたことを驚くと同時に、私の先見の足りなかつたことを恥ぢなければならぬのであります。私は正直に懺悔して人に向つて常に此事を言ひます。但し是は弁護するやうだけれども、却てそれが私自身に於て恥かしくは思はぬ。論語に人之過也各於其党。観過斯知仁矣。とある。人の過と云ふものは自分の信じて居る所に於て生ずるものだ、其過に依つて其人が忠孝の志が厚いとか、暴戻の念が強いとか云ふことが推察される、即ち過を見て斯に仁を知る。蓋し孔子に言はしめたならば、私が戦争は左様に長くなるものではないと思つたのは自分の信ずる所から起つた過ちで、所謂仁を知ると言はれるかも知れぬ。戦争は人道に背くものであると云ふ観念の強かつた為めに、さう云ふ過をしたのでありますから、孔子からは酷く咎められないであらうと思ふ。そこで其後此戦争が段々と激烈になつた時にも斯う云ふ事がありました。此戦乱の終熄後はどうなるであらうと云ふ想像説は、其頃数人相会すると必ず起りました、或る時何かの事で交詢社へ大勢打集ふたことがありましました、私は鎌田君から案内されて其席へ出て一場の演説をしたやうに覚えて居ります。其食後の座談に此戦争の終りはどうなるであらうかと云ふ想像論が起つて、始あるものは必ず終ありで、永久に戦争の続くものでないから何れ平和は克復されるに相違ない。其平和克復の後がどうなるであらう。商工業の経済問題を離れて、単に国際的有様がどうなるであらうか、飽くまでも武力平和であるか、少しく進んで人道に基因する平和が講ぜられるものであるかと云ふ、誰が問を起し誰が答へたのであつたか、其時の談話の経過は明瞭に記憶しませぬけれども、頻にさう云ふ問題が生じた、其の時私は唯々武力平和ばかりではなからうと思ふ今度の戦争の起る場合には大に鑑識を誤つたから、又再び誤るか知らんけれども、唯々武力平和ばかりを繰返して行くのでは、人道の進歩は見えぬと云ふことになる。人間の智恵が何時までも同じ階級に因依して居るものではなからう。一歩々々と進んで行くものと考へる方が宜しくはないか。併し其向上した極度がどうなるかは吾々の凡智では推量は出来ぬけれでも、人類がいつ迄も相争ひ相鬩ぐと云ふことは、天理にも背き神の心にも違ふから人智の進むに従つて解つて来るだら
 - 第50巻 p.608 -ページ画像 
うと思ふ。今日の戦乱が遂に平和に帰する場合に於て、其平和が如何にして講ぜられるであらうかと云ふ意見は、人類の間には必ず生じなければならぬ筈である、それが生ずれば今迄の武力平和で相手が強いから黙つて居る、又強い者でも各国が集合して来れば已むを得ずして服従するといふ強弱睨合の平和では、真正なる正義人道的平和ではない。それ以上の意義ある平和が出来るやうにならなければ、文明が進むだの、人智が向上したのと云ふことは無意味である。人類はそれ程の智恵は附いても宜いと思ふから、私は戦争の発端には観察を誤つたけれども将来の予想は誤らぬ積であると云ふ説を主張した。然るに反対者はそれは貴所の空想である、詰り強くなければ負けるまでだ、国際道徳抔と云ふことは口では言へるが、事実は空論だ、矢張弱肉強食の世の中だと云ふ説がどうも多かつた。結局此の大戦乱は大相撲の如く取疲れて水も這入るだらう、或は一方が踏切つて、団扇が一方に揚るかも知れぬけれども、其後の国際関係は矢張武装平和で何時までも経過するのが人類の常である。それを貴所のやうに高尚に考慮するは理論としては尤もであるかも知らぬが、事実見ることは出来ぬ、と云ふ説が多かつた。是は現在でも私の説に同意する人は実際少いかも知らぬ、併し私の予言が当らなかつたにせよ、又私が其方法までも予言し得ぬで、唯真の夢想的に思うたのであるにもせよ、現に亜米利加のウィルソン大統領が国際聯盟を提案したのを見て、私は手を打つて、ソラこそ己れが云つた通りだと頻に我心では満足した。併し其ウィルソン大統領の提案が我邦に於て全然賛同し得るかは別問題として、唯武力のみの平和ではない、所謂国際には正義人道を根拠としてこれに悖戻すれば、多数の力に依つて無道を抑へるといふことになると、武力は用ゐられても道理が主となる。其道理に背く者は已を得ず武力に俟つのであるから、私はこれを適当の方法と思ひます。故に此戦乱終息後の措置に就ては私は戦争発端の時の予想の如く間違つたとは思はぬ。否幾分か当つた点があると思ひます。其時に私の説に賛同して呉れたのが西野恵之助君であつた。同君は私の意見が多数の反対を受けたけれども西野はさうは思はぬと言ふて頻に賛同して呉れた。其後に西野君に会つて当時の談話を回想したことがあります。蓋し此事は特に会議を開きて討論した事ではありませぬが、唯々私が独り熱心に思うた事があります
以上は唯前置きで、敢てこれが銀行通信録の求むる問題ではありませぬが、此度の戦争に付ては最初私の想像が大に過ち、次には思ふた事の多少其形が見えるやうになつたので、当時を追懐すると、あの時の想像は斯様であつたと云ふことが、今も猶心に浮み来るやうに思ふのであります
兎に角玆に大戦乱は全く一段落を告げて新らしき平和の舞台が開かれると云ふて宜いやうになつた。威勢隆々たりし独逸の皇帝が、遂に裁判所にまで引出されると云ふまでに至り、又露西亜の如きは陸軍に優勢なる大強国と思ひの外、今日は渾沌として将来どうなるか分らぬやうな有様になつた。戦争は世界の地図の色を変へると云ふ古言は斯くも的中するものであるか、而して是が独り政事上に大なる変化を与へ
 - 第50巻 p.609 -ページ画像 
たのみならず、実業上即経済界に対する変化も実に大なるものであつて、遂に一般の改良とか進歩とか云ふことでなくて、寧ろ世界の改造と云ふ文字で現はれるやうになつたのは、少しく大袈裟ではあるけれども、或は然らんと思ふ位であります。昨今新聞紙に雑誌に、所謂言論界文墨の上では、是から先きは実業が甚だ肝腎である。鉄砲玉の戦争は終つたが向後算盤玉の戦争をしなければならぬぞと云ふ激励の言葉が、毎日紙上に書かれてある。それが私は宜くないと思ふ。此「実業の世界」などにも左様に書いてある。鉄砲玉の戦争が済んで是から算盤玉の戦争だと誰も彼も万口一談に言ひますが、私はどうかさう云ふ観念を持たせたくない。願くは大声疾呼して其過言を改めさせたいと思つて居る。畢竟道理と云ふものを後にして只勝敗のみを先とし、自己の都合だけを専一にするから、始終さう云ふ議論が出るのであつて、戦争と云ふものは、或る場合には義軍といふて権利を主張し屈辱を伸すと云ふこともあるから、仁義道徳が絶対に其中に籠らぬとは云へない。けれども正義の戦は稀にして多くは貪慾暴戻の戦争である。孟子は春秋無義戦彼善於此則有之。と言つて居る。孟子が春秋の戦争を評して、今日の世の中に義戦と云ふものはない。彼此より善いと云ふもの丈けであると歎息したのである。是は誠に情けないことである亜米利加の独立戦争などは或は義戦であつたかも知らぬ。又南北戦争なども義戦であつた。日本の古来の歴史は暫らく措て、日清日露の戦争などは、先づ私は義戦と思ふ。欧羅巴の事は私は多くを知らぬけれども大抵貪慾戦であつて義戦と云ふものは甚だ乏しい。故に此戦争と云ふものは其性質からして自己の権利を主張するとか自己の利益を増進するとか云ふことが本分である。戦争の根本がそれであるのみならず、戦争は勝つが目的であつて勝つ為には手段を選まぬやうになつて居る。甚しきは詭計詐術陥穽も毒瓦斯も用ゐて好いとしてある。唯々正々堂々のみを以て勝を制する訳には行かぬ。其勝利を得る為めには仁義道徳などゝ云ふものに考を置くことは出来ない。数多い中には王者の戦で勝つた例もありますが、さう云ふ場合は甚だ少いのである。既に戦争の本性が他国を僵して自国を強くしやう、他国の富を奪つて自国の繁栄を増さうと云ふのが主眼であるから、経済上の社会の富を増すと云ふこととは全く出発点が違ふ。然るを硝煙弾雨の戦争は熄んだから是からは算盤玉の戦争になるのだと云ふ譬喩は穏当ならぬ言詞であつて甚だ宜しくないと思ふ。私は此譬喩に就ては何処までも世間の人が間違つて居ると思ふ。総じて戦争と云ふと分り安い言葉であるから、譬喩としては好いけれども、此譬喩が終に目的の為めには手段を選まぬやうな観念を惹起させるから、操觚者流も成るべく此譬喩を以て人を煽らぬやうにして貰ひたいと思ふ。私は爾来此言を世間に唱道して居るが、私の言ひ方が悪いのか、或は世間が悪くて取上げぬのか、今も尚ほ直つて来ない。併し私は飽までも其説を主張して、商工業者に注意を与へ弱肉強食の蛮風を避けて優勝劣敗に止め、優者たるを求め劣者たらざることを勉めねばならぬ、是は政事家にも学者にも実業家にも望むけれども、前に言ふた勝つを主とする戦争同様の行為はどうぞ為したくないのである。欧洲の講和会議に於てウィルソン大
 - 第50巻 p.610 -ページ画像 
統領の提案せる国際聯盟も、完全に遂行しやうと欲するならば、各国間に於て国際の道徳が高まらなければ、如何に良い方法が制定されても法制だけで満足に行けるものではない。論語に道之以政。斉之以刑民免而無恥。道之以徳。斉之以礼。有恥且格。と云ふことがある。治民の法を唯々威力若くは法律のみに依つて行ふのと、道徳礼譲に依るのと其差は斯く違ふものであると云ふことを丁寧に述べてある。故に国際聯盟が協定されて其法制が定つた所が、其聯盟する各国民の道徳心が低度であつたならば、決して完全に聯盟を維持して行くことは出来ない。然らば国際聯盟の根本は国際の道徳に在る。孔子の所謂君子務本。本立而道生。孝弟也其為仁之本与。仁が第一の要件であるが其仁を為すの本は孝弟に在る、父子兄弟間に於て常に仁慈孝順の道が行はれ正義の観念が養成されて、次第に仁が生じて来る、故に孝弟はそれ仁を為すの本かといふてある。国際聯盟の完全なるは国際道徳が高まらなくてはいけない。さらば其国際道徳の高まるのは如何にすれば宜いか。一国の道徳を高めるには個人の道徳を高めなければならぬと同じく、国際道徳を高めんとするには先づ其一国の道徳を高めなければならぬ。一国の道徳を進めずして国際道徳の高きを望むは、本を濁して末の清まるを待つと同様で到底出来ることではない。繰返してこれを再言すれば国際聯盟は国際道徳が高まらなければならぬ。国際道徳を高めるには一国の道徳を進めなければならぬ。一国の道徳を進めるには其国の政事家・実業家・学者総ての人の道徳心が充分に向上しなければならぬ、唯々自国さへ宜ければ人の国は潰れても知らぬ、自分さへ宜ければ他人はどうでも構はぬと云ふことは、人としてあるまじきことである。それは仁義、道徳の行為で無いと言ふならば、国際聯盟も其通りに相違ない。そこで個人々々の道徳の高まると云ふことが甚だ必要と思ふ。併しながら此道徳なるものも、解釈を誤ると或は生産力を減じたり、発展の力が衰へたり、進取の気性が乏しくなつたり、所謂武士は食はずと高楊子に陥ることが無いとも限らぬ。そこで道徳と経済と共に進むことが甚だ必要である。印度の如き哲学も進み宗教も高尚であるけれども、物質文明を疎略にしたから、唯々空理に馳せて終に其国力が衰耗した故に、他の富力ある国々からは歯牙にも懸けられぬやうになつてしまつた。如何に道徳心が高くても、世界に国として立つからには、それではいかぬ。さればと云うて富力又は武威さへ進めば、他人を虐げても構はぬと云ふ風は決して学ぶべきものでない、結局今日の独帝の末路を見ても明瞭である。故にどうしても両者相一致するより外には其国民の人格・品位が、堅実に向上することは出来ない。而して斯の如き人が多くなれば、必ず一国の道徳が高くなる。其道徳の高き国と国とが寄つたならば、国際道徳も自然と完全になる、併し唯々自然ばかりに任せてはいけない。是非法制上からも国際道徳の高まるやうに、国際聯盟の規模を進めて其処まで行きたいものと思ふ
前に述べた事は一種の道徳説教のやうで未だ銀行通信録には適切の問題とは聞えませぬが、未来の世の中の真正なる隆昌を望むならば、是れからでなければ進み行けまいと思ひまするで、実業家の人の申分に
 - 第50巻 p.611 -ページ画像 
は、不似合か知らぬけれども、私の平素思ふて居る所を、忌憚なく述べたのであります。そこで、日本の今日の立場からして、将来の実業界はどう考へたら宜からうかと云ふことの二・三を申上げて見たいと思ふ
日本は此大戦乱の結果、亜米利加の如き大成金とはなり得なかつたけれども、比較的仕合せを得たと他の国々からも言はれるであらうし、又自己もさう思ふ。而して其間には或る事物の従来進まなかつたものが、大に進んで来たと云ふことは、大層喜ばしい事であつて、造船とか製鉄とか紡績製紙等の事業抔が頗る発達した、其他理化学的工業も戦争の関係から進んで来たやうに思ふ、併し押並べて多数の人々の観念が、所謂島国根性と云ふものが脱けぬではないか、もう少し規模を大きくして欲しいやうに思はれる、悪くすると一方に跼蹐して偏頗の思案が出たり、又は協同一致を欠いたりする弊が多いやうである。もう少し共同的考慮を持ちたいと思ふけれども、それがどうも望む程には進まぬやうである。戦争終熄と共に我が船舶業が大に衰退するやうな反動を惹起しはせぬかと私は実に憂慮した。想ふに日本の貿易の進歩したのも、工業の拡張したのも、其事業に熟練な人があるからではあるけれども、一は海運と云ふことに完全の便宜があつたからであるどうしても海運に至便な方法がなければ貿易事業も充分なる発展は出来ぬと云ふことは、我が商工業の極く幼穉の時分、即ち明治の初から政事家も実業家も大層力を尽し、殊に岩崎氏などゝ云ふ先覚者があつて其進歩に勉め其間には種々競争などもあつたが、遂に今日の日本郵船会社も、大阪商船会社も東洋汽船会社も其他の社外船などの段々起つて来たのも、皆此の一の海運の歴史が世間を誘導して今日に至つたものである。若し此船舶が発達し得なかつたなら貿易も進まなければ工業も増さない。故に商工業の増進は、大に船舶に負ふ所があると謂つて宜い。欧洲戦争の影響で大層船舶に利益があつて、船主が悉く仕合せを得た。然るに戦争終熄後此有様が反対となつて、大層盛況なりしものが将棋倒しになりはしないか、船の使途が無くなつて、追々に外国へ投売的に売らるゝやうなことがありはしないか。是は何とかして大なる合同方法を講ずるか、又は新しき船舶会社の組織を為すかと門外漢たる私が種々に憂慮したのである、幸に頃日一の国際汽船会社が成立して、之に依つて相当なる船舶の使途も生じ、日本の資本と日本の造船とにて完全の支配の出来るやうになつたのは、誠に喜ばしいことと思ふ。此事に就ては、私は今年の正月の通信録にも其意味を述べた。其述べた通りには行はれぬけれども、一階段を昇りたるやうに思はれる
同時に又鉄の事業であります。此鉄に付ても種々に心配したが未だ其効を奏さぬやうに思ふ。是は今日政府に於ても注意すべきことである目下の有様で推移すると遂に八幡製鉄所が多数の民間の製鉄会社と競争して、大人と小児とが格闘を始めて頭を打つたり足を捻つたりするやうになりはせぬか、而して其結果弱者は段々に倒れて行くの不幸を見ぬとも限らない、且つ各製鉄事業会社も皆悉く同じやうな工事を経営して統一も付かず分業も出来ぬ。随て其製造費も高くなり、分量も
 - 第50巻 p.612 -ページ画像 
分らず工事の進歩も鈍いから顧客も寧ろ外国品を買ふ方が便利だと云ふことになる。殊に原料の供給方法に於ても若し之を統一するならば他国より取る方法とても堅実なる途があるに相違ないと思はれる。斯く私が熱心に論じて見ても少しも其端緒が開けぬのは、私の言ふのが間違つて居るか、或は此事に関係する人々が、所謂自己本位のみであつて全体を洞見する明がない為めであるか、製鉄事業に就ては私は何分安心が出来ませぬ
金融事業に付ては各銀行の仕組が中央も地方も稍々連続して進むやうに見える、殊に現下日本銀行の主脳に立つ人が真に実務に通暁して居らるゝのは最も喜ばしい事と思ふ。昔は門閥と云ふものが重要な位置に立ち、然らざるも徳望と云ふ少しく要領を得ぬ者が最高の地を占め真の才識経験によりて能力ある人が其位置に立つと云ふ場合は甚だ少なかつた。追々世の進歩と共に門閥よりも徳望よりも、寧ろ智識と才幹と経験との三者が重要の場所に任ずるやうになつたのであります。各銀行の重役を見ても、さう云ふ顔振になつて来るやうである。第一銀行なども、私は門閥とか徳望とか云ふ方で任用されたので本統の才幹と云ふ方ではなかつた。今日の頭取は徳望門閥は或は私に一歩を譲るかも知らぬけれども、智識経験と才幹は遥に私より上であるから其位置に適当して居る。百事斯う云ふ風に成り行くのは大層宜いやうに思ふ、自分の事を言ふのも如何であるが、日本銀行の事を述べた序に一言するのである。総て斯様に其位置と其人が適応するのは私は至極結構の事と思ふ。併し此銀行も更に合併協力が出来はしないか、どうも少しく行数が多過ぎるやうに思ふ。既に其事も一月の通信録に述べたやうに考へて居る。其他各種の工業も例へば生糸にしても、其営業者の力が乏しいのと、眼光が遠く見えない、悪く云へば近眼者流が多い。もう少し大きな考案と、遠くを見る明を持つて貰ひたい。今日の生糸の高く売行くことは結構だけれども、此高いばかりを以て喜んで居ると云ふことは、決して百年の長計ではあるまい、亜米利加の販路は飽迄も安全であるか、支那の蚕業は将来どうなるか、さう云ふ意見は時々論ぜられるけれども、未だ肯綮に当つて居らぬやうに思ふ。紡績事業も尚其嫌がある。大層に進歩して且其利益は莫大であるけれども、唯々内国の錘数が多くなつて利益配当が増加したと云ふだけで満足すべきものではなからう。各会社中の一・二は隣邦に目を著けて力を尽される向もあるやうであるが、内にばかり跼蹐せずして、もう少し外に発展しなければならぬと思ふのであります
各工業に就て熟慮すると理化学の研究が甚だ鈍いやうに思はれる。元来日本は未だ独創的と云ふよりは模倣的の国と謂はざるを得ない。斯の如き有様では戦後に於て真正なる国運を進めることは出来ぬと思ふ私は学術上から注文を発することは出来ぬが、是非とも独創的研究をして貰ふ場所があつたら宜からうと思うて、微力ながら一生懸命になつて、理化学研究所を創立して見たが何分満足の結果を得られぬ。漸く民間で三百余万円の金を集め、帝室からも政府からも大なる補助があつて、金額の上から云へば微々たる仕組ではないけれども、未だ斯の如きものが発明されて、ソラこそ独創的の効果が顕れたとは言へな
 - 第50巻 p.613 -ページ画像 
い。併し将来は日本に斯う云ふ発明が出来たと云ふことを、欧米人から注目されるやうにならなければ、決して優者の地位に立つことは出来ないと思ふ。始終外国の事物を見ては之に倣ひ、其専売を買ふだけでは、日本の長所を発揮することは出来ない。何時までも唯々模倣国に終ると云ふことは、甚だ残念の次第ではないか
米価の高いと云ふことは世間一般の声であつて、目前喫緊の問題である。私共もどうかして之を安くしたいと思うて苦んで居るが、唯々廉売米の寄附金をする位の事では何にもならぬ、昨年は一時甚だ必要と思うたから、私も多少の微力を尽したけれども、今日の有様は更に寒心に堪へぬのであるが、能く考へて見ると是は勢ひ斯うなる筈である前に述べた如く工業が盛になると、是まで地方の農業に従事した者が段々農を止めて都会に集つて来る。東京・大阪等の大都市ばかりではない、各地ともに農が変つて工になることは、毎日行はれて居る。それが為めに農が減ずる。農が減ずるばかりでなくて米を作る人が減じて、米を食ふ人が殖える。大学に生之者衆。食之者寡。則財恒足矣。と教へてありますが。反対に云へば生之者寡。食之者衆。則財恒不足矣。となる故に米の足らぬのは当然の事である、而して土地はどうなつて居るかと言ふと、政府の地面でも帝室の地面でも、陸軍の地面でも、開墾をすれば作物の出来る土地が全国に沢山ある。けれども是がさつぱり手が著かない。縦令今直に開墾が出来ても其開墾の田地から直ぐ米が出来るものではないから、間に合はぬと言はれるとも目前の事に就ては別に方法を講じて根本から進めて行くのが必要である。私は数年前から会社関係は止めたけれども此開墾の事だけは武井・益田の両男爵と共に開墾会社の成立に努力して居る、今も窪田四郎君から電話が来たが、是非早くおやりなさいと言つて居る、果してどう云ふものが成立つか分らぬが、是非何とかせねばならぬと思ふ。
更にもう一つは資本労働の関係である。是も亦中々困難の問題である当春以来徳川公爵・清浦子爵抔と協議して遂に中間性質の一会を造つて、両者の協調に努めたら宜からうと云ふことで私も既に実業家でも資本家でも無いから、中間性質の仲間入をして資本労働の協同調和を約して此会を協調会と命名して成立することに攻究して居ります。軈て良いものが出来るか、詰らぬものになるかは分りませぬけれども、私共の微衷がそこに現はれるだらうと思ひます。過日も大隈侯主宰の文明協会で演説を望まれましたから、私は実際問題でなくては困ると云うて、資本労働の協調と云ふことを演説しました、此以外にも論ずれは多々問題はありますが、余り長くなるから此辺に止めて置きます