デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 金融関係諸会 5. 関西銀行大会懇親会
■綱文

第51巻 p.108-112(DK510026k) ページ画像

明治45年4月16日(1912年)

是日栄一、大阪ホテルニ開カレタル関西銀行大会懇親会ニ出席シ、演説ヲナス。


■資料

竜門雑誌 第二八七号・第五九頁明治四五年四月 青淵先生大阪へ出向かる(DK510026k-0001)
第51巻 p.108-109 ページ画像

竜門雑誌 第二八七号・第五九頁明治四五年四月
○青淵先生大阪へ出向かる 青淵先生には関西銀行大会の招待に応じ四月十五日東京出発、翌十六日午前八時無事大阪に着し少憩後、十時半梅田発の汽車に乗じ神戸に赴きて、大倉山を巡覧して午後四時帰阪
 - 第51巻 p.109 -ページ画像 
し、直に関西銀行大会に臨みて、山本大蔵大臣と共に一場の演説を為し○下略


渋沢栄一 日記 明治四五年(DK510026k-0002)
第51巻 p.109 ページ画像

渋沢栄一 日記 明治四五年         (渋沢子爵家所蔵)
四月十六日 晴 暖
○上略 午後四時頃大阪ニ帰リ○中略 大阪ホテルニ抵リ銀行大会ニ出席シ、夜飧後一場ノ演説ヲ為ス、夜十時散会帰宿ス
○下略


銀行通信録 第五二巻第三一九号・第四七―五二頁明治四五年五月 ○内国銀行要報 関西銀行大会(DK510026k-0003)
第51巻 p.109-112 ページ画像

銀行通信録 第五二巻第三一九号・第四七―五二頁明治四五年五月
 ○内国銀行要報
    ○関西銀行大会
大阪、京都二府外十八県の銀行同業者を以て組織せる関西銀行会は四月十六日午後四時より大阪中之島公園地大阪銀行集会所に於て開会せられたり、当日出席者は総計百九十名にして和歌山四十三銀行頭取宮本吉右衛門氏の発議に依り、大阪三十四銀行頭取小山健三氏を会長に推し、会員異動の報告に続きて幹事銀行の提出に係る左の決議案を議に附したり
○中略
懇親会は同日午後七時より開会せられ、来賓山本大蔵大臣・安倍同秘書官・梶原日本銀行大阪支店長・安井同調査役等の外渋沢男爵も特に出席せられ、一同食卓に就き宴酣なる頃、小山健三氏幹事銀行を代表して一場の挨拶を述べ、更に銀行大会の決議文に付来賓の注意を促し引続き山本大蔵大臣及渋沢男爵の演説あり、終りて伊都銀行頭取森田庄兵衛氏の幹事銀行に対する謝辞及び之に対する小山氏の答辞あり、午後十時散会せり、左に小山・山本・渋沢三氏の演説を掲載す
      小山座長の演説○略ス
      山本大蔵大臣の財政演説○略ス
      渋沢男爵の演説
大蔵大臣閣下、臨場の諸君、今夕はこの大会にお招きを戴いて玆に参列をいたして大阪の同業者諸君にお目に掛るのみならず、二府十八県の御同業者と斯く一堂にお顔を合せまする事は、この上も無い愉快な事で且つ私一身の光栄之に過ぎぬ事と厚く感謝いたします
唯今当席の会長より大蔵大臣閣下の御臨場に相成つたのをお喜びなさると共に、旧くより銀行業に従事いたして居りまする為め年寄をお労り下さる上からでも有りませうが、私の参上いたしたのをお喜び下さる御懇切なるお言葉で寧ろ恐縮と申さなければならぬので有ります、早くは生れましたが至て位地が遅いので、かうお集りを戴いて皆様にお目に掛るのを深く恐縮します、「早咲の者は早からう悪るからう、魁けの功名は有るが、二十四番の花は遅く咲く程色も香も良い」といふ事を詩人が謳つて居ることで有りまして、甚だお褒め言葉に相応しからぬ私でありますから、この段は深く恐縮に堪へぬのでございます
先刻は同業者諸君即ち皆様のお集りで、この経済界の将来を深く御心配なすつて御決議になつた事柄を、唯今座長の御朗読に依つて拝承い
 - 第51巻 p.110 -ページ画像 
たしました、この事に対しては大蔵大臣閣下は斯る席に於て必ずや御答詞を下し置かるものでは無からうと存じますから蓋し希望を述べるに留める外はないのです、但し渋沢は如何に考へて居るかと仰せられると私は全く御同論で……嘗てこの案は東京に於て私共と、大阪より御出向きになつた諸君と、種々御討議の上建議いたした事もございます、其後御当地に於ても両回の御議に上つたといふことも今御朗読の中に拝承いたしました次第で有ります、右様な次第でございますから我々の希望を完全に云はしむれば、国債償還の方針は既定の範囲を必ず御崩しなさらぬやうに有りたいと思ふので有ります
而して会長は独りその御希望に留めずして、財政経済に対しての御意見を御申述がございましたが、私共はもう一歩進んで申上げたい位であつて……如何にも今日の経済界は決して唯悲観に陥るとは思ふては居りませぬが、併しこの財政の為めに始終伸びんと欲して屈し、進まんと欲して躊躇するといふことは我々に資本が無い為めに、力の細い為めばかりでは無いと私は思ふので有ります、此等の事柄に付ては種種なる事情を引いて申上げまする程細かい調査をいたしませぬし、又斯るお席に於ては長いのは甚だ失礼で有りますから、我が感ずるだけの大体を申上げますが、我々の希望する所では政府はこの国の債務に対しては、既定の方針に依つて是非共やつて下され……又税制整理なり、行政整理なり、何れもなさらうと思召されて居る御趣意は、撓まず屈せず御実行なさることを政府に対して深く希望して已まぬので有ります、若し果してこれが絵に画いたる餅の如き有様で、見て綺麗でも口に満つるといふ事が出来ませぬなれば、果して今日の経済界は先づ小康でございましても、その小康は変じて大患とならぬとも申されますまいと、蓋し存ずるので有ります
既に会長からも申されました通り、大蔵大臣閣下はもう経済界の事情は私共以上に御熟知で有る、又感情の上から申しますと、我々から推選してこの要職に入らせられた如くに……蓋し私共の得手勝手な申分ではありませうが、思はれますのでもう吾々の微衷は充分諒とせられるで有らうと思ふ、斯る大蔵大臣を持つた場合に、吾々の希望を容れて戴くといふのは、御懇親に甘へて決して我儘をいふのでは無くつて真にお互に国の経済を思ふの余りに出づるといふことを、深く御洞察があると思ふので有ります、この点に於ては会長がお述べのことを敷衍するに過ぎませぬが、東京に於ける同業者も皆等しく同感を懐いて居りますので、恰度幸ひ各地の諸君、而かも関西の有力なる諸君のお集りで有りますから、私は玆に東京銀行者の殆ど代表者の心を以て、今大阪の小山君がこの会の代表として仰せられたことは、より以上深く感じて居るといふことを申上げるので有ります
唯今大蔵大臣閣下よりして現在の財政上に付ての御説、又未来に於ける隣国の借款にまで説き及ぼして我々に注意をお与へ下さつたことは諸君と共に感佩に堪へぬので有ります
我々銀行者としては、元来自分自ら己れの仕事を拡大するといふよりは、先づその地方々々に於ける商工業の発達進歩に貢献する所の道を啓きその上に立つて行きたい、商工業が都合好く行けば即ち銀行業は
 - 第51巻 p.111 -ページ画像 
拡大して行くので有ります、所謂己れ立たんと欲して人立ち、己れ達せんと欲して人達するのが証拠で有ります、古人の申分にも、銀行といふものは自身が大きくならう、自身が盛にならうと思ふべきものではない、その地方の繁昌を希望し、その繁昌が己れに反響して来る、玆に始めて銀行の本能は足りるので有ると警めてあつたと私は思うて居ります、又亜米利加人が英吉利人に対して、英吉利人は亜米利加の銀行を如何に見るかと問ふた時……之は蓋し今日の話では無い、三・四十年も前の話で有りますが、総ての設備或は家屋にしろ帳簿の組織にしろ英吉利は決して亜米利加に勝つといふ事は云へない否英吉利は及ばぬ、併しながら唯一つ違つた事が有ります、英吉利人は人の金で銀行を営んで居る、亜米利加では自分の金で銀行を勤めて居ると答へた、蓋し人の信用を銀行者は最も注意するといふ所を言明したもので有らうかと考へるのでございます、私共お互に銀行者……決して満足なる銀行者とは申し得られませぬが、併し銀行者として一方に対しては財政の上に就て国家の経営がその宜敷を失ふといふことを感ずる場合があつたなれば憚らず進言する、而してその言葉が立つ事を勉めたいと同時に又一方この経済界に対しましても……例へば大に恐慌の場合に際して銀行者は巍然として動かず、又警戒するからと云つて空騒ぎなどをするのは銀行者として努めて避けたいものでございます、恰度唯今大蔵大臣が警められた通り、一歩の緩みがございますとこの緩みには弊害が生ずる、その弊害は必ず経済界に大なる傷痍を惹起すといふことは、もう今日までに幾度も歴史が繰返して居ります、今日では物見、見物迄も大会社を起すといふ説が世間にございますが、之は余り世間が景気が良いからだと申しますが、私共は左様な景気は良くなくつても良いと迄申したい位であります、銀行業者としては企業は深く喜ばしいことで、実に御当地即ち大阪方面の商工業の発達は欣羨に堪へませぬ、この点に付ては今夕の会長小山君よりは始終気焔万丈のお説を伺うて頗る喜び、之を勧めて且つ羨むといふことであります
東京は却々さう云ふ次第に進んで参りませぬ、お集りの皆様は多くは関西に位地を持てござる、即ち大阪方面のお方ばかりで、関東……東北等とは天地を異にして居ると申して善からうと思ふ、併し私は近頃この何でも中央に集まると云ふことを始終感じて居ります、敢て政治上から中央集権が行はれるといふ政治家口調を以て、当局のお方に愚痴を申すといふ趣旨ではありませぬが、此程も或る田舎へ参りまして段々その模様などを聞きますと……一種の工業地でございます、絹の出来る土地で有りますが、十年の統計を申しますと、三十八・九年には少し進んだけれども、十年の間に三十九年は進んでそれからは退歩して居る、農業は如何で有るかといふと之れは平均して居る、さうするとどうも其地方だけで勘定しますと国家の富は進んだとは思はれぬ而して国費は十年の間に数倍進んで居る、其地方の経済状態は十年の間に殆んど同じ有様である、人口は何うであるかと云へば寧ろ殖へないで、東京であるとか他の都会へ出稼ぎをする、東京などで見ますと年一年に人口は増して来る、デ人は増して来るが働く人が斯く増せば至極良いが東京で増すのは職を求めつゝ増して居る、職は増さないが
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人口は増す、それだけ地方の人口は減じて居る、東京で見ると人が殖へて賑かなやうではありますが富が増した事実は甚だ乏しいぢやないかと思ふのであります、関西の二府十八県は今申すやうな処は少ないでせう、どうぞ少ない事を欲し且つ少ないと信じたいので有ります
唯今大蔵大臣のお示しの如く、上は財政上から経済界と調和を図り、我同業者に対しては其地々々の実業家と調和を図り進歩を努めらるゝやうに、どうぞ各地の人をして成るべく其地方に於て充分なる働きを為し得るやうに努めたいと思ふので有ります、之は東京、大阪などでは余りさう感じませぬが、どうも地方へ参りますと私は深くさう云ふ感じを持ちますので、諸君も御同感でありましたなれば別してその辺は御注意あらんことを希望いたします
呉々も今夕は斯る盛宴に参列するの光栄を荷ひまして、殊に会長より私の為に、賞讚のお言葉を下さいましたのは感謝に堪へぬので有ります、而して斯る機会に斯く多数の御同業者諸君にお目に掛つたことを有難く御礼を申上げまする(拍手)