デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
1節 銀行
6款 金融関係諸会 6. 奥羽同盟銀行会
■綱文

第51巻 p.112-113(DK510027k) ページ画像

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■資料

竜門雑誌 第二八八号・第四九頁明治四五年五月 ○青淵先生仙台に赴かる(DK510027k-0001)
第51巻 p.112 ページ画像

竜門雑誌 第二八八号・第四九頁明治四五年五月
○青淵先生仙台に赴かる 青淵先生には奥羽同盟銀行会の招待に応じ四月廿日零時五十分上野発汽車に搭じて仙台に赴かれ、二十一日は奥羽同盟銀行大会に臨み一場の演説を為し○下略


竜門雑誌 第二八八号・第一五―一六頁明治四五年五月 ○銀行業の沿革(DK510027k-0002)
第51巻 p.112-113 ページ画像

竜門雑誌 第二八八号・第一五―一六頁明治四五年五月
    ○銀行業の沿革
 本篇は奥羽同盟銀行の招請に応じ、四月二十日を以て仙台に赴かれたる青淵先生が奥羽同盟銀行大会席上に於て述べられたる意見の大要なりとし、同地発行の河北新報に掲載せるものなり。(編者識)
予は今諸君とこの堂に於て相見ゆるに当り、過去四十年以前を追憶して転た懐旧の情に堪へざるものあり。
顧るに我国に銀行の創立を見るに至りし次第は、明治三年伊藤公が財政調査の為め米国に渡航せし時に始まれり、当時彼国に於ては、南北戦争後の経営として国立銀行の法度を布けるあるを見て、我国にてもこれに傚ふところあらんと、即ち伊藤公をして傍らその制度を調査せしめ、越へて五年八月始めて国立銀行条例を布くに至りしなり。
尤もこの以外に銀行業を営まんとして計画せるものなきにあらず、三井の如きは其一人にして、明治二年の頃早く既にこれを唱へたることあり、我が第一銀行新築以前の建物は即ち三井が銀行として建てたる当年の建物なりしなり。
但しその頃は銀行と紙幣とは附き物の如く考へられつゝありしを以て政府は容易にこれを許さゞりしがために自然そのまゝとなり居りし際会々伊藤公の渡米とはなりしなり。
公の渡米には二つの目的あり、その一は維新の政変に当りて発行したる五千三百万円の太政官札は、不換紙幣なるを以てこれが引替の方法
 - 第51巻 p.113 -ページ画像 
は如何すべきやといふ問題と、又た他の一は従来我国の金融機関としては御用金といひ、御為替金といふの類はありたれど、その以外には規則立てる金融機関もなくして不便此上もなかりしを以て、彼国に於ける銀行制度調査用向きと以上二つの目的を有せしものにして、後年に発布されたる国立銀行条例も実は公の渡米調査に成りしものなり。
六年に及びて第一より第五まで(第四は遂に開業せざりし)五ケ銀行の開設を見たりしも、当時金銀の比価は未だ一定する所なかりしため金貨引換の目的は遂に達することを得ずして全く失敗に帰し、八年に至りて同業者は政府に歎願して銀行紙幣を不換紙幣と引換ゆることゝし、尚ほ九年華士族に対して金禄公債を交付せらることゝ為り、その後金禄公債の増すに従ひ全国各地に百五十四ケ国立銀行を見るに至れり。二十七・八年の頃より三十年の頃までにこれ等国立銀行は二十年間の存立期限の満了を告げたるあり、尚ほこれより先き十五年に開設されたるあり、銀行紙幣は之れと相前後して政府へ引上げられ、十九年に始めて兌換制度の確立を見るに至れり。
又た十一年に正金銀行の開設さるゝあり、海外に対する金融はこの機関によりて国立銀行以外に別に途を求むることゝなり、その間種々なる経過もあり困難もありしなれど、政府の助力によりて終に今日の如く健全にして且つ強大なる発達を見るに至れるなり、その後興業といひ勧業といふが如き特殊銀行も起り、次いで農銀も現はるゝに至れり殊に農銀の如きは既に全国に千四・五百の行数となり、その発達の意外なる実に驚かざるを得ず。
過去三十年間に於ける我国銀行業の歴史は略ぼ此くの如く寧ろ長足の進歩といはざるべからず、国家のために大いにこれを欣びこれを慶せざるべからず。
唯々夫れ銀行の本領なるものは別にこれ有り、予は諸君と共にこれを講究して、共にますます国家のため将た地方のために尽くすところあらんとす。
惟ふに凡ての事業は世の進運に伴はんことを期すべきことながら、我が銀行業に於て殊に然りとなすべし、銀行は自分のみにて成り立ち得べきものにあらず、銀行の機能は自動にあらずして他動なり、即ち銀行として地方関係の得意の力を増すは要するに自分の力を増す所以なり、進歩せる国はそれだけ多数の力に依頼し、健全なる発達は多数の力によるに非ずんばこれを遂ぐることを得ず、但し多数の力にのみ依頼して自ら活動することを忘るゝは非常なる不心得と謂はざるを得ず銀行業者は一方には国家の財政にも常に深甚なる注意を怠るなく、時としては国家の政策に対してこれが擁護者たるの気位あらんことを要すべし。
諸君は今ま四十年以前を顧み、而して将来のためにますます新らしき智識を養ひ、勉強と誠実とを旨とし、各自に健全なる発達を遂げんことを期すべし、東北の地は面積広くして人口少なく、生産上に何等の見るべきなしとはよく世に聞くところの東北観なれど、予は更にその面積と人口とに比して、銀行の資金と預金との関係をも考一考されんことを望まざるを得ず、蓋し思ひ半ばに過ぐるものあるべきなり。