デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2022.3.15

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
2節 手形
1款 東京手形交換所
■綱文

第51巻 p.131-134(DK510032k) ページ画像

明治43年1月19日(1910年)

是ヨリ先、前年七月七日ニ開カレタル当交換所第百四十回定式集会ニ於テ、栄一ノ当交換所委員辞任ノ件ヲ議シ、次期改選期迄留任ヲ請フベキコトニ協定シタルガ、是日開カレタル当交換所第百四十四回定式集会ノ改選ニ於テ、栄一再ビ豊川良平池田謙三ト共ニ委員ニ選バル。


■資料

東京交換所第三十回業務成績報告(自明治四二年七月至同年一二月)刊(DK510032k-0001)
第51巻 p.131 ページ画像

東京交換所第三十回業務成績報告(自明治四二年七月至同年一二月)刊
    会議要領
七月七日 組合銀行第百四十回定式集会ヲ開キ○中略
 次ニ委員渋沢男爵辞任ノ件ハ次期改選期迄留任ヲ請フヘキコトニ協定セリ
○中略
八月四日 当交換所・銀行集会所・銀行倶楽部・東京興信所ノ四団体聯合シテ渋沢男爵・佐竹作太郎氏ノ送別会並ニ園田孝吉氏ノ歓迎会ヲ銀行倶楽部ニ開催セリ
○下略


銀行通信録 第四八巻第二八六号・第六〇頁明治四二年八月 ○内国銀行要報 東京交換所組合銀行第百四十回定式集会(DK510032k-0002)
第51巻 p.131 ページ画像

銀行通信録 第四八巻第二八六号・第六〇頁明治四二年八月
 ○内国銀行要報
    ○東京交換所組合銀行第百四十回定式集会
明治四十二年七月七日午後六時より東京銀行集会所に於て開会、出席銀行二十二、会員二十三名にして、委員長豊川良平氏議長席に着き、諸般の報告に続き万国手形法統一問題に関し大蔵省へ意見を答申したる顛末を報告し、夫より当日の議題たる本年上半期事業成績及決算報告は異議なく承認を得、本年下半期予算案は原案の通り可決し、最後に委員渋沢男爵辞任の件を議に附したるに、山中隣之助氏の発議に依り、次期改選期迄留任を希望することに決し、其旨委員長より男爵に交渉することゝなり、右にて議事を終り午後六時閉会せり
 - 第51巻 p.132 -ページ画像 

銀行通信録 第四九巻第二九二号・第六五―六九頁明治四三年二月 ○内国銀行要報 東京交換所新年会(DK510032k-0003)
第51巻 p.132-134 ページ画像

銀行通信録 第四九巻第二九二号・第六五―六九頁明治四三年二月
 ○内国銀行要報
    ○東京交換所新年会
 東京交換所にては一月十九日定式集会閉会後同日午後六時より銀行倶楽部に於て新年会を開き、日本銀行正副総裁、木村理事及土方営業局長を招待し、席上豊川委員長の挨拶に続きて松尾総裁及渋沢男爵の演説あり、一同歓を尽して午後九時散会せり、豊川委員長以下の演説左の如し
      豊川委員長の挨拶○略ス
      松尾総裁の演説○略ス
      渋沢男爵の演説
会長、正副総裁、会員諸君、私は実は此交換所の委員を当年は御免を蒙り得るだらうと思ふたのです、東京市の名誉職などは、六十以上で期満特免を受けて居る、然るに此集会所、又は手形交換所などは、七十以上になつても未だ特典を与へて下さらぬと云ふのは、或は私の身体に信用が強いのか、然らざれば諸君が残酷なのか(笑)何れどつちかであらうと思ひます、が既にお請をした以上は最早愚痴を申上げる必要はございませぬ、玆に手形交換所の委員として、例の通り豊川君を委員長に推しましてございまする、未だ豊川君から御披露はございませぬが、明治四十三年の手形交換所の委員長は、相変らず豊川良平君であることを、諸君御承認を願ひたうございます(拍手)、唯今段々交換所の進歩、又それに対する経済界の状態を既往に将来に、日本銀行総裁が御観察下された御演説は実に至れり尽せりで、此お話に尚添へべき言葉は私にはございませぬが、唯昨年亜米利加に旅行をしまして、其見聞中頗る愉快に感じたことは、帰着早々各団体からお招きを蒙つた時に、これだけは自慢らしうはございますけれども、日本の銀行者として、亜米利加人に重く見られたといふだけは、お互に喜ばねばならぬと思ふといふことを申上げました、多分諸君お聴取があつたらうと思ひます、併し今度の旅行は頗る忙しかつた為めに、さなきだに銀行業を永年経営して居つても実務に暗い私が、其事務を研究調査するといふことは出来得ませなかつたが、唯僅に紐育に於て交換所を一覧した、又市俄古に於て四・五の銀行者と一日を談話した、スポーケン、クリーヴランド、ボストン等に於て、各種の銀行を訪問しました位で、甚だ本務を怠りましたけれども、紐育の交換所の有様は、先年も一寸見たやうに覚えて居りますが、今度も亦一覧致しました、実に非常なもので、又盛大なものです、唯素通りの一覧ゆゑに、其取扱方の細かい事を十分申上げる程の調査もございませぬが、幸に日本銀行から派出になつて居る井上準之助君に依つて、規則其他のものを頂戴して参りましたから、既に此交換所にはあるだらうと思ひますけれども、御参考に追て書記長に廻しまして、諸君の御手許に上げるやうに致しませう、是等は幾分調査したと申上げることに相成るのです、蓋し紐育の一箇月の交換高は、多分日本の一年分よりも多いだらうと思ひます、高橋男爵などは必ず其数字を御記憶でありませう、さうい
 - 第51巻 p.133 -ページ画像 
ふ有様でございますから、其宏大の有様も測り知るべしである、而して数年前の恐慌の跡抔は今日はもう完全に回復して居るといふことを頻に彼の地の銀行者は誇つて居りました、或は小都市に参つて交換所の様子を聴いて見ましても、確かクリーヴランドであつたと思ひます何でも其交換高が数十億弗とか申しました、東京位の交換高があるのであります、実に其取引の盛大なること想ひ見るべしでございます、海外の事態に就て事々しうお話する程のことはございませぬが、只今松尾総裁から未来の経営に就て吾々に御注意的のお説があつたやうでございますが、此は御同様に深く熟慮せねばならぬ事かと思ふに就て一言添へて見たいと思ひますのは、昨年九月頃、市俄古の銀行者の総会にセントポールに居るゼームス・ヒルと云ふ人が参つて演説をした其演説筆記を私は貰ひました、玆に其趣意を記憶して詳細に申述べるだけの事の出来ぬのを遺憾と思ひますが、其筆記の翻訳も程なく出来ますから、前に申上げました紐育の交換所の手続書と共に印刷致して諸君に差上げやうと思ひますが、ヒル氏の申した言葉が、果して銀行者として全然注意せねばならぬかと云ふことに就ては、多少の議論はあらうと思ひます、けれどもヒル氏の市俄古の銀行者に向つて論じた趣旨は深く翫味せねばならぬと思ふ点がございます、先づ冒頭に何と言つて居るかといふと、私は銀行者ではない鉄道事業家である、此鉄道事業の者が斯く市俄古の如き大都会の銀行者の集りに来て演説を頼まれるのも余程をかしいが、玆に憚らず演説しやうと思ふのである、といふ前提で論を起して、而して玆に私が述べやうと思ふことは、其をかしいと想ふより尚ほ一層をかしいことを言はうと思ふのだ、即ち此亜米利加の農業に就て、大に注意せなければならぬ、大に改良せんければならぬといふことを、十分に詳論しやうと思ふのである、而して諸君は銀行者である、此銀行者に向つて、斯様な門違ひなことを申すといふのは、平仄の合はぬ話であると思ふが、深く考へて見るといふと、決してさうでないと云ふことを私は玆に断言するに憚らぬのである、蓋し銀行といふものは信用に依つて他人の金を引受けて、さうしてその金を商売に其他の事業に供給するといふのが課業であるけれども、どうしても銀行の天職といふものは、詰り経済社会の中心動脈とならなければならぬと云ふことは、世間も評するし諸君も自任して居る所であらうと思ふ、果してそれであるならば唯己れの課業だけが行立てば、それで足れりといふ観念のみで経営されるといふことは、国家は決して銀行者に望んでは居りませぬぞ、更に一層任務も大なり一層才学も研磨して貰ひたいと云ふことを希望して已まぬのである、そこで今亜米利加の経済界は如何であるかと喝破してこれからヒル氏の持論に移つて、此工業若しくは鉱業のみに依頼すると云ふことは如何であらう、目前は亜米利加の繁昌を助くるけれども、将来の亜米利加が之れで以て安穏には行かれぬといふ議論を喋々と論じて、結局将来の亜米利加の繁盛を永久に続けて行く政策としては、農業を盛にするより外ないではないかと云ふ自己の持論に引付けて、斯く論じ来つたならば、国の元素は矢張農業にある、銀行の真正なる基礎は、鞏固なる国の元素の上に立てなければ真に隆盛といふことは言へぬではな
 - 第51巻 p.134 -ページ画像 
いか、経済界の基礎に立つといふ銀行者であるならば、此の外に議論は出ぬであらう、斯く論ずると私の玆に演説をするのは門違の様に思はれるけれども、諸君十分責任を以て興味を以て聴いて下さらねばならぬ、といふやうな演説でありました、蓋しこれはヒル氏の口調を私が此処へ取次ぐだけでありますが、丁度今総裁の御申聞の如く、是から先の経済界が如何であらう、将来どう成行くであらう、それまでに斯くすれば斯くなるものだといふ経験を心に銘して、是から先追々に回春の時期が来るであらうと想像するならば、いつでも同じ様な事を繰返さぬだけの審案はお互が持たねばなるまいと思ふのでございます
即ち三十九年の既往を顧みると、其時の宜しきを制したる方法は、必ず吾々に思ひ半ばに過ぎるであらうと思ふ、それと同時に又た今日唯無闇に物が怖いといふばかりも適当とは思はれぬ、三十九年に宜からうと思ふた観念を繰返さないと云ふならば、所謂三年経つたら三つになるだけの、知恵を持たなければならぬと思ふ、今ヒル氏の申す如く吾々をして経済界の中枢なりとせられ、又自らも任ずるならば丁度今日の時期は最も御互が協力注意して、調子の進んで来た場合に余り走り過ぎぬやうに、又余り沈衰する場合に、唯恐怖逡巡して、此機運の回復を益々遅延せしむるやうな行動にならぬやうに心せねばならぬかと思ふのであります、私はヒル氏の市俄古の銀行者に言ふたことを、直ぐ自らも学び諸君にも学ぶことを望むといふ意味ではございませぬが、其論旨中の銀行は唯々人の金を扱つて金融をすれば、本分足るといふものでないと云ふ趣意に至つては、今総裁のお述になつたこともヒル氏の論旨と同一と申して宜からうと思ふ、又お互自ら奉ずる所に大小こそあれ左様考へねばならぬと考へるのでございます、どうぞ此機運の回復する時期に於て、既往を顧み将来を察して其宜しきを制したいと思ふのでございます、亜米利加旅行に就て何等新聞を皆様にお話することは出来ませぬけれども、一・二持つて参つたものがございますから、翻訳が出来ましたら差上げるやうに致します、末段に申したことは決して、亜米利加から学んで来たといふことではございませぬ、唯玆に会長・総裁の御問答に就て、私が諸君と共に自ら鑑みたいと思ふことを一言申したに過ぎませぬ(拍手)


東京交換所第三十一回業務成績報告(自明治四三年一月至同年六月)刊(DK510032k-0004)
第51巻 p.134 ページ画像

東京交換所第三十一回業務成績報告(自明治四三年一月至同年六月)刊
    会議要領
一月十九日 新年祝賀会ヲ兼ネ組合銀行第百四十四回定式集会ヲ開キ○中略
 次ニ委員ノ任期満了ニ付改選ヲ行ヒタルニ孰レモ重任ニ決シ、其互選ヲ以テ豊川良平氏ヲ委員長ニ推選セリ
   三菱銀行部長  委員長 豊川良平
   第一銀行頭取  委員 男爵渋沢栄一
   第百銀行取締役 委員 池田謙三
○下略