デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
3節 興信所
1款 株式会社東京興信所
■綱文

第51巻 p.203-206(DK510054k) ページ画像

大正9年2月5日(1920年)

是日栄一、当所創立二十五年記念ニ当リ、所長佐藤正美ニ書翰ヲ送リ祝意ヲ表ス。


■資料

渋沢栄一書翰 佐藤正美宛大正九年二月五日(DK510054k-0001)
第51巻 p.203 ページ画像

渋沢栄一書翰 佐藤正美宛大正九年二月五日 (佐藤正美氏所蔵)
拝啓 寒威凜烈之候益御清穆奉欣賀候、然者今回東京興信所創立廿五年記念祝賀会御挙行なされ候趣敬承致候、往年老生等が興信所を創立いたし候ハ今猶昨の如くに覚え候処、早くも二十五年の星霜を閲し輓近特に長足の進歩をなすに至り候は欣喜に堪へさる次第に御坐候、是れ偏に現所長たる賢台の経営宜を得たると所員各位が協力事に従はれたる結果に外ならすと存候、乍併斯業の前途にハ尚幾多の改善を計るへきもの可有之と存候間、向後益御努力以て他日の大成を期せられ度切望致候、古人も業精于勤荒于嬉行成于思毀于随と訓誡致居候間此上とも一層之御精励懇祈之至ニ候、先は御祝詞旁婆心披瀝仕候 敬具
  大正九年二月五日
                      渋沢栄一
    佐藤正美様
        侍史
 - 第51巻 p.204 -ページ画像 

東京興信所事業案内 同所編 大正九年二月刊(DK510054k-0002)
第51巻 p.204 ページ画像

東京興信所事業案内 同所編 大正九年二月刊
      □
      信為万事本
         青淵 渋沢栄一書□□
   ○右ハ当所創立二十五年記念トシテ発行サレタル冊子ノ題字ナリ。



〔参考〕竜門雑誌 第四八一号・第一六一―一六六頁昭和三年一〇月 青淵先生と興信事業 佐藤正美(DK510054k-0003)
第51巻 p.204-206 ページ画像

竜門雑誌 第四八一号・第一六一―一六六頁昭和三年一〇月
    青淵先生と興信事業
                      佐藤正美
      一
 明治二十九年日本銀行を始め東京横浜の有力銀行二十六行の発起で東京に一の興信所が創立せられました。之れが即ち現在の株式会社東京興信所の前身であります。此興信所の創立並に其後の経営方に就て青淵先生が如何に尽力あらせられたか、今創立前後よりの事情を回想して、先生と興信事業との関係を申述べたいと思ひます。
      二
 抑も先生の御経歴は其儘明治財界発達史であると云はるゝ程でありまして、東京興信所も先生が其産みの親に外ならないのであります。殊に明治二十年代に於ける我経済界の状態は、まだ甚だ幼稚でありまして、当時の実業家は何れも現金取引の旧習を墨守し、手形取引の効用の如き、之を知るものが甚だ少なかつたのであります。此時代に於て先生は頻りに是等の事を配慮せられて、一般商人に向て商取引の進歩改善を勧説せられました。商業手形の普及せらるゝ様になつたのも其一であります。而して手形交換所の機能が追々発揮さるゝに従ひ、取引先の信用調査機関設置の必要を見るに至つたのであります。そこで先生は手形交換所の組合銀行へ興信所設立のことを諮られました。夫は明治二十五・六年頃のことでありましよう。然るに当時先生の説に賛同する人々もありましたが、銀行業者の多くは時期尚早を唱へ、又一面には興信所の事業を担当する適当の人物を得る事が出来なかつた等の関係もあつて、容易に設立の運びに到らなかつたが、明治二十七・八年戦役の後、諸般の事業が遽かに勃興して商工業界が愈々多事なるに至りました。そこで先生は興信機関設置の是非必要なることを唱へられて、先づ当時の川田日銀総裁を説得せられたので、東京手形交換所組合銀行の重だつた人々も、漸次先生の説に賛同することになつたのであります。そこで明治二十九年二月五日、先生を始め京浜銀行の有力者が発起人となつて、東京興信所創立総会を開き、規約を作成し、森下岩楠氏を所長として、不取敢日本橋区坂本町の東京銀行集会所内に仮事務所を設け、事務を始めることになりました。発起銀行は二十六行の外に日本銀行を客員として其賛助を仰ぐことゝし、同年三月二十四日に発起会員総会を開いて、第一・第百・三井・三菱・横浜正金の五銀行を評議員に挙げ、所務の統率を托することゝなり、先生は第一銀行を代表せられて、評議員会長に就任せられ、直接指導の任に当られ、爾来大正五年実業界御隠退の際まで、実に東京興信所創立以来二十有余年間御在任あらせられ、興信事業の発達の為めに、一
 - 第51巻 p.205 -ページ画像 
方ならぬ御尽力を賜はり、実業界御隠退後と雖も、尚陰に陽に本事業の為めに御援助を蒙つて居る次第であります。
      三
 然るに興信所の仕事は何分本邦に於ては、創始の事業であつて、之れが経営方に就ては、先生が主となつて種々と配慮せられまして、其間海外に於ける興信事業の視察を為さしめ、又は其後独逸のシンメルフエング興信所の主脳者たるヴヱー・シンメルフエング氏の渡来に際して、先生は早川千吉郎氏等と共に親しく同氏と会見し、同興信所の仕組経営方等を詳細に聴取せられ、是等を参酌せられましたが、彼我国情の相違もあり、実行上色々の困難が伴ひまして、結局仕事に仕事を教はると云ふより外ないので段々と経験と研究を積み今日の如く事業が整備したのであります。創業当時の一般商人社会には、未だ興信機関を利用する観念が乏しく、又動もすれば調査に従事する人々を徒に嫌忌する風があつて、調査上非常に不便を感じ、又調査資料たる登記申請書及び徴税令書すらも、官文書として容易に閲覧を許されず、又当時は社会組織不備の為め、調査の端緒を得ることに非常に困難し尚其間には主義方針を異にする種々の興信所が簇出して、混同せらるる様な事がありまして、創業時代には経営上一方ならぬ苦心を嘗めました、近年東京興信所の主義方針が一般に知れ渡るに連れて、仕事が大に仕易くなつた次第であります。大正六年六月に前所長森下氏の後を受継ぎ、私が就任する事になりました。日露並に欧洲戦役を経て我事業界は異常の隆盛を来し、諸事長足の発展を遂げました結果、東京興信所は大に利用せらるゝことになり、従て基礎も追々鞏固となり、大正十二年の大震災にて、東京並に横浜の事務所を焼失し、大損害を蒙りましたが、比較的速に回復して、現今では既に震災前に劣らざる盛況を見るに至りましたのは、主として先生の指導と庇護とにより、利用者の増加した結果に外ならぬのであります。而して東京興信所の事業に対する世間の観察は、創業より今日に至る迄、三度変遷して来ました、即ち最初の時期には軽侮の念を以て迎へられ、次の時期には恐怖せらるゝ様になり、其次には経済界に必要欠くべからざる機関として利用せらるゝ事となり、今日に至つたのであります。
      四
 興信所の業務は一般営利会社と異なり一に経済界の健全なる発達助成をする為めに最も公平正確に取扱はねばならぬものであつて、殆んど公共的事業に等しいものであるから、其従業員に適任者を得る事に就て私共は最も困難して居ります。又我国の商工業に従事する人々も欧米とは違ひ各自の資産負債の『ステートメント』を明示することを嫌ふ風があつて、業務上大に不便を感じて居るのであります。東京興信所は創立以来既に三十余年を経まして、諸般の設備も整ひ、現在世界に於ける最大興信所として定評ある、米国のブラツドストリート興信所及び独逸のシンメルフエング興信所等と、業務上密接なる聯絡関係を有し、内地は勿論海外到る処調査の出来ざるはなく、内地及海外よりの問合受附報答其他の調査事件は一ケ年数十万件に上り、現今経済界に貢献して居る点は実に偉大なるものであります。本邦事業界尚
 - 第51巻 p.206 -ページ画像 
幼稚の時代に於て、青淵先生が既に此事業に著眼せられたることは、全く先生の先見の賜にして、只管敬服の外なき次第であります。然るに興信事業は前記の如く、現今経済界に重要欠くべからざる機関であつて、経済学の教科書にも掲載せられ、学校でも講述せらるゝ次第なるが、業務の性質上多くの場合、其効果が消極的であるが故に、世間からは夫れ程に認められないで、所謂縁の下の力持の感あるは遺憾とするところであります。
      五
 東京興信所の創立並に其後の経営方に就て、青淵先生は上述の通り創立の首唱者であらせられ、又設立後評議員会長として、二十有余年間多大の御尽瘁に預りましたことは、本邦興信事業史上特筆大書すべきことであります。尚先生と共に左の方々は、何れも東京興信所の評議員又は客員として、熱心其経営に参画せられたのであります。爰に青淵先生と興信事業の関係を述ぶるに当り、併記して感謝の意を表する次第であります。
 創業以来当所事業に参画せられたる方々は左の通りであります。
  (就任順)
  子爵 渋沢栄一氏  豊川良平氏     波多野承五郎氏
  池田謙三氏     山川勇木氏     高橋是清氏
  三崎亀之助氏    川島忠之助氏    三村君平氏
  串田万蔵氏     早川千吉郎氏    木村清四郎氏
  佐々木勇之助氏   菊本直次郎氏    鈴木島吉氏
  一宮鈴太郎氏    原邦造氏      石井健吾氏
 現在の株式会社東京興信所の役員は左の通りであます。
                 取締役 串田万蔵氏
                 同   菊本直次郎氏
                 同   石井健吾氏
                 同   最上国蔵氏
                 同   佐藤正美
                 同   中島忠二郎氏
                 監査役 結城豊太郎氏
                 同   星野章外
 外に日本銀行総裁土方久徴氏は客員として当所事業に参与せられて居ります。
      六
 尚東京興信所は今日と雖も、青淵先生の示されたる主義方針を確守し、創立以来少しも変るところなく、信為万事本てふ格言を服膺し、時流に阿諂せず、急かず撓まず、堅実なる方針の下に益々本事業の大成を期して居る次第であります。