デジタル版『渋沢栄一伝記資料』

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公開日: 2016.11.11 / 最終更新日: 2017.12.19

3編 社会公共事業尽瘁並ニ実業界後援時代

2部 実業・経済

1章 金融
4節 保険
1款 東洋生命保険株式会社
■綱文

第51巻 p.224-228(DK510060k) ページ画像

大正2年9月24日(1913年)

是日、帝国ホテルニ於テ、当会社契約高三千万円祝賀会開カル。栄一出席シテ演説ヲナス。


■資料

(東洋生命保険株式会社) 社報 第八号・第四二―四三頁大正二年九月 三千万円祝賀会の開催(DK510060k-0001)
第51巻 p.224 ページ画像

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(東洋生命保険株式会社) 参千万円記念社報 第九号・第二九―三〇頁大正二年一〇月(DK510060k-0002)
第51巻 p.224-225 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 参千万円記念社報
                    第九号・第二九―三〇頁大正二年一〇月
 - 第51巻 p.225 -ページ画像 
    ○参千万円祝賀会の景況
 順調にして堅実なる発展の記録は、去ぬる八月末の締切に於て遺憾なく実証せられ、吾社契約高は、予定の参千万円を超過すること五十七万余円を獲たれば、吉例に依りて九月二十四日秋季皇霊祭の当日を撰び、参千万円祝賀会を帝国ホテルに開催するの件は、本誌前号に詳報せしところなるが、社内に於ては其決定を為せしより夫々係員を定め、各方面に渉りて準備おさおさ怠りなく、芽出度当日を迎へたり。当日朝来の快晴に一天拭ふが如く澄み渡り、秋風楚々として吹き起れば、万戸に輝く日章旗の大正聖代の瑞祥を謡ふが如く、吾等は之を東洋日和と称して、準備委員一同は定刻前より会場たる帝国ホテルに詰め掛けたり。
 帝国ホテルの余興場並に大食堂は八月以来改築工事中のところ、吾社祝賀会の為め特に工事を急ぎ竣成しければ、新装の会場美麗言はん方なく、廊下に敷き詰めたる緋絨緞の目ばゆきばかりに景気を添へ、玄関左右の応接室には、吾社の優良なる成績を示すべき幾多の表を掲げたり。
 午後三時の定刻には早くも来賓の引きも切らず、見る見る応接室は立錐の余地なきに至れるが、此時恰も余興開始の合図に、来賓は余興場へと繰込まれたり。当日の余興は、白木屋少女音楽隊に依りて開始せられたり、艶麗花の如き少女隊の、新調衣裳の美しく、手踊り「吉原雀」先づ大喝采を得て演了し、次て白木屋独特の音曲「千鳥の曲」は、熟達の技、霊妙の音色、来賓を魅するが如く拍手の裡に了る。第二に、時間の都合上順序を変更して伊井蓉峰一座の喜劇女天下を開演す、女天下は益田太郎冠者氏の傑作にて、伊井一座にとりてはお手のもの、兎角の批評は言ふだけ野暮と知るべし、諷刺の妙、滑稽の極、拍手喝采の止み間もなく、多大の成功を収めて無事四場を演了せり、斯くて後、柳家小さんの落語「茶碗屋敷」例に依つて来賓の頤を解き予定の午後六時に一先づ余興を終れり。
 斯くて来賓一同は、夫々社員の案内にて食堂に入り会食に移れり、宴将に終らんとする頃、尾高社長は起つて本誌掲載する所の如き挨拶を述べ、来賓各位の健康を祝して乾盃を為すや、渋沢男爵はやをら椅子を離れられて、又別項の訓示的演説を試みられ、次に清浦子爵来賓総代として吾社の成績を賞揚せられ、最後に岡部子爵の発声にて一同吾社の万才を三唱し無事宴を撤して、食後余興の活動写真に移りしが映画は日本活動写真会社の特選に係るものにて、非常の歓迎を受け、夜十時芽出度当夜の祝賀会を終了せり。
 当日の来賓は、渋沢男爵を始め清浦・岡部・本荘・白川の四子爵、三井・阪谷の二男爵を筆頭に朝野の紳士・紳商約二百五十名の多きに達し、さすがに広き帝国ホテルの大食堂も余す処なかりき。


(東洋生命保険株式会社) 社報 第九号・第一三―一八頁大正二年一〇月 渋沢男爵の演説(DK510060k-0003)
第51巻 p.225-227 ページ画像

(東洋生命保険株式会社) 社報  第九号・第一三―一八頁大正二年一〇月
    渋沢男爵の演説
社長、閣下、諸君、東洋生命保険会社の契約高三千万円に上つた祝賀会に、私も参列致して玆にお慶びを述べまする光栄を有ちますのでご
 - 第51巻 p.226 -ページ画像 
ざいます、一千万円を加へる毎に宴会を開いて、果して之が何十回、何百回に進んで行くか、其限は吾々共の知り得べきことでございませぬが、折角斯う云ふお仕来りになりました上からは、どうぞ、是からお止めだと云ふやうなことの無いやうに、千万円では安かつたから、今度は二千万円でなければ宴会は開かぬと云ふやうなお約束違の無いやうに、諸君と共に、社長に念を押して置きたいと思ふのでございます(笑、拍手)
      第一 半主人の資格
私が今玆に申上げますのは、社長若くは会社の諸氏に向つて、お礼を云ふといふ意味ではございませぬ、臨場の諸君に代つての謝辞は清浦子爵から後にお述べ下さるであらうと思ひますから、私は蛇足には相成りまするけれども、半主人の側で、一面には来賓へのお礼と、又一面には重役、其他の社員若くは代理店諸君の、将来斯くお心懸け下すつたが宜くはないかと云ふ御注意と、此両面から愚見を呈して見たいと思ふのでございます、どうも身体の使ひ分に困りまして、主人側のみでございますか、若くはお客側のみであれば申し宜いのでありますが、半亭主半お客で、殊更演説が為し悪うございますけれども、自分は前に申上げた意味を以て、お礼やら訓示やら、相混じた言葉を申上げるやうに致さうと思ふのでございます。
      第二 至誠一貫
此会社の経歴は大分長うございますけれども、近頃になつて大に進んで参つたと云ふことは、畢竟社長始め重役若くは社員及び各代理店諸君の御尽力の結果に外ならぬと思ひます、さりながら二千万円に上りました時の祝賀会にも申上げましたが、どうも斯う云ふ保険事業抔は親類縁者は頼まれゝば迷惑ながら聴くものです、即ち縁故募集は縁故ある人は聴くが、其聴く人は喜びはしない、今社長の演説は誠に流暢であつたが、蓋し是は平素他に練習のある為めに、諸君に能く声が通りますけれども、私は年を取つて居るし、又親類でありながらさう云ふ修養がないから声の通りが悪い、是はどうぞ御用捨を願ひます、扨て此縁故募集の時代は囲碁ならば四つ目殺しを習ふ時代でありまして其時代にあつては面白い様に上達するものであるけれども、稍々上達して他人の中へ出て碁を打つ時には、今迄の割合には進みませぬから其時に至つて退屈なすつてはいけませぬぞと申したのである、蓋し当会社の事業が成るべく社会的になるやうにしたい、一方に偏せずして全般に通ずるやうにしたい、此全般に通ずる社会的になると云ふことを期しまするには如何にするかと云ふと、勤勉正直、忍耐、即ち一口に申せば今社長の申しました至誠でございませう、併し唯単に至誠ばかりでは往けますまい、必ず其措置宜しきを得ねば、至誠の志が一般に貫徹することが出来ない、至誠をして充分に貫徹せしむることは其措置の善良に依るにありと思ふのでございます、果して其方法と仕方が宜かつたならば、社長始め社員諸氏の至誠を貫徹せしむる、即ち目的に対する手段が相適応したと称して宜からうと思ふのでございます今社長は殆んど総てそれらの事を認め得たるやうに言はれましたけれども、社長は義太夫の趣味を有するが故に申しますが、総して声曲抔
 - 第51巻 p.227 -ページ画像 
といふものは、自己の声が兎角己れの耳に好く聞えるもの、これが反省を要するところであります、其反省を求むるには成べく多く人に聴聞させて其品評に待つを必要と思ひます。
      第三 世界的発展を望む
失礼ながら私が後援者の位置として注文を致したいのは、既に当会社も縁故募集の時代を経過して、社会的に亘つて募集するの位置に進んだと云ふことは、誠に重畳でございます、果して然らば所謂世界の舞台に出た保険会社である、彼の親類のみに聴かせるか、甚しきは客を迎へ、一間の戸を閉ぢて聴かせるといふ彼の家主の義太夫ではないのである(笑)、既に親類式でなく社会式になつたとすれば、更にもう一歩進んだ考を私は此保険事業に望みたい、それは何か、即ち内ばかりの経営でないやうにしたい、外に発展するやうなお考を少しは持つて戴きたい、斯く申して今突然倫敦の真中或は紐育の目貫きの場処に行つて、東洋生命保険会社の代理店を設けると云ふことも、お考ものでありますが、海外にも発展すべき余地は十分ありはしないか、例へば布哇なり、或は亜米利加でも加州方面なり、若くは又西北の方にも相当の土地があるであらう、既に御着手になつて居れば重畳で私の見聞が狭いのでありますが、今や社会募集と云ふ位置にまで進んだからは更に海外にまで一歩を進めて所謂世界的募集たるやうにしたいと希望して已まぬのでございます、而して其事を貫徹せしむるには、既に社会募集が至誠に依るならば、之を押拡める程至誠の範囲を拡めねばならぬと云ふことは論を俟たぬのである、又其至誠を貫通せしむる手段の宜しきを得ると云ふことも、最も重要事件とお考へなさらねばならぬと思ひます、之を知るは易いが之を行ふは難い、之を行ふは易いが之を維持して久しきに及ぶは尚難い、果して此お考を常に保持せらるるなれば、吾々は度々此宴会に出席して御馳走が戴けると思ふ(笑、拍手)、蓋し私が斯く申すのは要するに臨場諸君と共に度々祝宴に参列して御馳走を戴きたいからして為めに会社営業の御進歩をも願ふのであります(大笑、拍手)。


竜門雑誌 第三〇五号・第六三―六四頁大正二年一〇月 ○東洋生命保険会社の祝賀会(DK510060k-0004)
第51巻 p.227-228 ページ画像

竜門雑誌  第三〇五号・第六三―六四頁大正二年一〇月
○東洋生命保険会社の祝賀会 東洋生命保険会社にては明治四十三年七月組織改善後第一年にして契約高一千万円を超過し、第二年にして二千万円を超過し、本年に入りて八月末更に三千万円を超過するの盛況を見るに至りしより、吉例によりて九月廿四日午後三時帝国ホテルに於て祝賀会を開催せり、定刻に至り白木屋余興隊の演芸、柳家小さんの落語、井伊一座の演芸等あり、午後六時食堂開かる、デサートコースに入り社長尾高次郎氏は起つて来賓に対し慇懃なる挨拶を為し、之に対し青淵先生は主人側・来賓側兼帯の意味に於て一場の訓話を試みて曰く
 当会社は縁故募集時代を漸く離脱して、社会的募集即ち競争募集時代に入り此成績を挙げ得たるは洵に欣幸とすべきなり、乍併当社は斯る状態に満足せず、更に一歩を進めて海外例へば布哇等より西北の諸国に対し、大に勇躍するの覚悟と決心なかる可らず、斯して今
 - 第51巻 p.228 -ページ画像 
後一千万円の契約増加する毎に、恒例に依り斯る盛宴を屡々催されん事を望む云々。
諧謔一番して局を結び、次て清浦子爵は来賓を代表して謝意を表し、更に同社が斯る急速の発展を遂げたるは全く会社経営者の至誠に因るは勿論のことなるが、更に同社をして今日あらしめたるは、同社の裏に活ける福の神が鎮座せるに因るとして、頗る巧妙なる辞令を以て青淵先生の声望与つて力ある所以を諷し、同社の健全なる発展を祝福せり、右終りて岡部子爵の発声にて同社の万歳を三唱し宴を閉ぢ、更に一同は別室に移り、活動写真の余興あり、主客歓を尽して十時散会せり、因に当日の来会者は前記諸氏の外阪谷・三井両男、及朝野の名士三百余名に達せり。